サラサラの23:願わくば幸多からんことを
ブン、ブン……ブン。
カ……タタン。ザ────ズン。
カモメの鳴き声が水平線まで響いて染み渡るような静けさの、潮の香る早朝の船上にて。
「いつもながら精が出るのぉ」
夜明けもそこそこの時分にぱちりと目の覚めたロウは、自身の娘エレノアの忘れ形見であるイレブンが毎日のように行っているドゥルダ郷仕込みの演舞稽古の様子を静かに見守っていた。
その独特の演舞は本来徒手空拳で行われるが、師範代としてドゥルダの教えうる全てを修めたイレブンはいわば守破離*1における破の行程であり、いまはあえて自身のみの特異な秘奥である二刀の覇王斬を常時展開し、それらを剣に盾に三叉槍にと自在に形を変えながら、型に大幅なアレンジを加えていた。
その動きは演舞ゆえ緩慢ながら、想定した敵の造形すらもロウへ如実に伝わるほどに真に迫っていた。
このようにイレブンはいつでも誰より早く起き、支度を終えれば稽古を始める。
もちろん、誰に言われるまでもなく。
今でこそ日常となったその非日常にロウは亡きユグノアをふと想い、今はドゥルダの型に発揮されている天性の身のこなしで衛士の目を掻い潜っては城下に繰り出し、同世代の幼子と混じって遊ぶようなユグノアの王子たる彼の姿を少しだけ夢想した。
本当ならば益体もない悪戯や遊びをしてばかりであってもよい年頃のはずが、既に求道者としての姿が板についてしまっている自身の孫。
勇者たる使命にその身を賭さんとするイレブンのことを、ロウはひそかに案じていた。
それというのも数年前、ドゥルダ郷でイレブンと再会したばかりの頃。ロウがニマ大師から賜った『あいつを見守ってやっておくれ』との言葉がすべての始まりだった。
ロウは最初からイレブン────孫を見守るつもりであったために一も二もなく返答したものの、その芯を捉えていなさそうなロウの様子を見たニマ大師は盛大に嘆息し、
『見守るってのはそっくりそのままの意味じゃない。あの子は言うなれば、強くて脆い
『そうならないよう、できうる限りの時間をそばで見ていてやることさね』
ニマ大師は実年齢に見合わぬ瑞々しさを持つ仙女の美貌を緩め、試すように目を細める。
その時の大師はまるで、イレブンについて何かを予見しているような素振りで語っていたのをロウは覚えていた。
時は現在に戻り、ロウは先日にイレブンからプレゼントされたクレイモランの伝統的な紅茶をズズとすすりながら、敬愛する大師の忠言の意味について考える。
ロウから見たイレブンは、品行方正な手のかからぬ孫だ。
修行漬けの日々が負担となるわけでもなく、黙々と歩みを進め、工夫を凝らすことも忘れない。
人間関係にもさしたる問題はなく、むしろ好意を射止めた相手が多く女泣かせの男になりそうな──この辺り、良くも悪くもわしに似た──少年だと端的に評していた。
なればこそ、ニマ大師の忠言が何を指すのかを未だに掴みきれていない部分がロウにはあった。
そんなロウが見出しているイレブンに対しての唯一の懸念は、彼が憂慮と猜疑を内に宿すような性質を持つこと、その一点に絞られるだろうか。
より簡単に表すならば、悩み事をひとりで抱え込みやすい性分だということだった。
悪魔の子として狙われる勇者。
世界を救う大義を持ち、持って生まれた勇者の権能にあぐらをかかず努力を重ね、実際に国を救い人を救う働きを見せながら、最後には捕らわれぬよう名誉なく遁走を繰り返さねばならない現状のなんともどかしいことか。
できることならば、ロウは声高に叫びたい。
わしの孫は世界で最も高潔な男として羽化を始めているのだと、船旅の半ばで立ち寄る港のことごとくにおいて大手を振って喧伝して回りたいほどだった。
だが、その現状について皮肉なほどに理解を示している自身の孫の真なる思いとはどのようなものなのだろうか。
その泣きたくなるほど小さな背にのしかかる運命を、きみはどのように受け止めているのだろうか。
どうか、それをわしに吐露してくれまいか。
思わず舌に載せかけた問いかけが口をついて出る前に、ロウはもう一度口に含んだ紅茶に言の葉を混ぜて飲み下した。
「終わったよ、じいさん」
無地の布で汗を拭きながらロウのそばにもう一つ椅子を引いてちょこんと座ったイレブンに、ロウはエレノア譲りのサラサラの髪をした丸い頭を二、三度撫でて、よく頑張ったのうと褒めてやる。
「あはは、やだなぁじいさん。俺はもう小さな子どもじゃないんだから」
「何を、わしに言わせればまだまだ可愛い子どもじゃよ」
「むむむ……そうかな、そうかも……なら、しばらくこうしてもらっててもいいかな?」
後頭をこちらに委ねてリラックスしながら、空を見上げて思案を重ねている様子のイレブンを見下ろし、さらに紅茶を一口すする。
純粋な子どもとしての表情の内に、諸国を漫遊したロウをして見たことのない利発さを垣間見せる自身の孫。彼は今日も、のんびりとしながら生き急いでいるようだった。
────しばし、二人だけの時が流れる。
さざなみの音とカモメの鳴き声だけが、その場のすべてを支配していた。
「"覇王斬"」
「おわっ」
「あ、いきなり過ぎたか。ごめんね」
軽い謝罪とともにイレブンは席を立ち、改めて具現化させたのは二刀の光剣。今回はそれらを混ぜ合わせ、弓のように成形する。
先ほどの思案顔はこれのことかとロウは合点に手を打った。
どうやら彼はロウのそばにいる間も、先代勇者ローシュの奥義たる覇王斬の新しい使い道を考察していたようだった。
「普通の矢でも良いんだけど、エネルギーを分けて矢にすれば……」
ヒュン────。
弓から放たれたのは、どうにもさすがに矢とは言えない、細身の光の剣だった。
だが、その光の剣は通常の矢と違って風の影響すら受けないままに飛んでいき、遠く上り始めた太陽を射抜くようにして水平線の半ばで消えた。
「うーん……まだ構想段階だけど、いちおう成功かな。これなら手元に何もなくてもいきなり弓が撃てる。どうにか矢の形に加工できれば……」
「それは魔力の練り方次第じゃろうて。ほれ、このように……センスや経験次第で案外イケるかもの」
ロウは先ほどのイレブンの見よう見まねで、自身の得意とする氷と闇の魔術を駆使して二本の魔力矢を作ってみせる。
覇王斬は使えずとも魔力の扱いについてロウには一日の長があり、特に魔力の変形については同門のドゥルダで学んだロウにとって、少しばかり胸を張れるものであったのだ。
ロウの作った魔力の矢を見たイレブンは目を輝かせ、もう一度やってみせてくれとせがんでくる。
「すごいよ、じいさん!」
「ほっほ、それほどでもないわい。どれ、教えてしんぜよう。おぬしならばすぐに覚えられるじゃろう」
「よし、習得できたらマヤにも教えてあげよう!」
「あのじゃじゃウマ娘が修行をまともに受けるかどうかは……まぁ、おぬしからの教えなら受けるか」
ロウは青い髪の兄妹たちを思い起こし、妹分たるマヤのイレブンに向いた淡い恋の矢印を想ってすぐに意見を是正した。
────このように、ロウがイレブンと過ごす時間は修行や研鑽に向かう形が自然と多くなる。
ただの祖父と孫としては少々いびつな営みではあるが……それでも彼のそばにいてやること、これそのものが肝要なのだろうとロウは思っていた。
老い先短いこの命、使うは若い未来のためにと決めてある。
国を亡くした老王であってもせめて若き才能の萌芽を支える肥沃土のごとくいられれば、と。
いまだ完全な悟りにはほど遠い賢者の翁は、今日も先達として智慧の芽株を愛する孫に分け与えるのだった。
◆
船旅が続いた数日間。
北海を南下しソルティコの水門を抜けて内海へと舞い戻り、補給を行いながらの大移動。
こうも船に乗る時間が長ければ、れっきとした陸生生物たる俺たちもいい加減に慣れたもので、目立った不調は誰も訴えていなかった。強いて言えば、北国の出身者であるカミュとマヤが気候の違いに驚いていたくらいだろうか。
そんなわけで、いまは掃除や鍛錬などの日課を終えて暇をしていたカミュ、マヤ、マルティナの三人に、俺が密かに練習を重ねているフルートの演奏を聞いてもらっていた。
「……どうだった?」
我ながらミスは少しばかり多かった気もするけれど。
まぁ、それなりにできたんじゃないだろうか。
「あんましこういうのは言いたかねぇが……」
うぐ。
「すっげ〜ヘタクソじゃん?」
ぐげ。
「あ、あはは……まだまだここから、ってところかしら……」
うう、ぐぉおっ……!
上述のように、どうやら自分で思うより結果は散々なようだった。
ちなみに上からカミュ、マヤ、マルティナ、途中のうめき声は俺である。
……そりゃあ分かっていたとも。
ヒトは一ヶ月も経たないうちに楽器が上手くなることはないことくらい。
だが……修行の片手間、ヘタの横好き。
予防線を張りに張ったその演奏ですら、こうも酷評されれば居たたまれない。
特にいつも優しいマルティナがしてくれた愛想笑いと控えめな拍手は、かえって俺への痛恨の一撃とあいなっていた。
どうやら俺はオカリナを初めて吹いたときから上手だった
「来世はミジンコから出直してきます……」
「わわ、いきなり船から乗り出さないの!」
羞恥に茹だった頭を冷やすべく海に身を投げようとした俺の脇をむんずとマルティナが掴み、俺は伸び切った猫のような姿勢のまま甲板に戻される。
「簡単にそういうことをしちゃいけないわ、イレブン」
「以後気をつけます」
「ならよろしい。続ければいずれ上手くなるわ」
マルティナから軽くたしなめられた後、反省の意を示すと彼女はにこりと笑った。
海水で冷やそうとした当初の予定とは違うものの、俺の頭はしっかりと冷える。
確かにここで身投げをしている場合じゃないな。
魔王とか邪神とかもまだ倒してないし、子孫も全然残せてないし。
俺の存在が許される現状はルビスによると俺の子孫になるらしい真イレブンくんあってのもの。
その点、お家の断絶阻止だけは切り離せない話題だった。
まぁ今は目下10歳という年齢を盾に具体的なアレコレや甲斐性的な問題については考えないようにしてるのだけれど*2。
「お〜い、D.R.D商会の皆さんがた〜!」
そんな脳内ひとり相撲を思案していると、あらくれの操舵手がこちらに声をかけてくれる。
「見えてきたでがすよ! 目的のユグノア地方に続く、バンデルフォン地方が!」
上り調子の景気のよい声に俺たちは一斉にあらくれの差した方を向く。
その晴れ晴れとした空模様が映える水平線の向こうに、ぼんやりと大きく切り立った陸地が見えていた。
「あれが……!」
「バンデルフォン地方ってヤツか!」
「たくさんお宝もありそうじゃん! はやく着かね〜かな~!」
俺、カミュ、マヤは新天地に胸を躍らせ、マルティナと甲板に顔を出してきたロウの二人は静かに何かを思い出しているようだった。
「ここに来るのも久しぶりね……」
「ネルセンの宿屋は空いているかのぉ。波で揺れないふかふかのベッドが、今から恋しくなってくるわい」
芳醇な潮風の香りからだんだんと陸の草木の香りが漂ってくると、俺の心は懐かしさを抱く。
魂の故郷の地球でこそないが、この世界での故郷たるユグノアに近いということが俺を無条件に高揚させてくれる。
来たるユグノアへの往路にして、いまは無限とも思える穀倉の実る黄金世界、音に聞こえたバンデルフォン王国跡。
桟橋の先からやってきた一枚の黄色い花弁が船に乗り込むその様子は、新たな冒険と出会いを美しく彩るかのように、漠然とした希望と期待を俺たちに予感させるのだった。
というわけで新章、サラサラの追憶編の開始です。
花が咲く咲くバンデルフォン音頭でおなじみ、バンデルフォン地方の桟橋から物語は始まります。
これは余談となりますが、当初はユグノア地方に向かうという目的に縁深いロウの閑話を単体で投稿するつもりだったのですが本作の各話の命名法則からロウの場合は『ツルツルの1』となることに気付き、あまりにもあんまりなタイトルだったので今回の後半部分と統合した経緯があったりします。