バンデルフォン地方。
美と芸術の王国にして精強な騎士を輩出していた頑健なるバンデルフォン王国は20余年前、突如として現れた魔物の大軍勢の襲撃に敗北し、一夜にして滅びた。
そして、この敗戦はのちのユグノア滅亡にも通ずる五大国制度崩壊への序曲となったことは言うまでもないことだろう。
しかし、在位していたバンデルフォンの獅子王アーサーの奮戦と献身によって生き残ったわずかな住民たちは、国を去っては散り散りになりながらも、今も生きている。
かつての様相は毒沼に沈み、未だ浮かばれぬ怨念を放つこの王国跡と親しい者達を悼んで、彼らはときおり慰霊の花を添えにやってくるのだという。
さて、外海のクレイモランからの船旅を経て到着した場所こそ、前述のバンデルフォン地方である。
花咲く芸術の王国、そしてユグノア・デルカダール・クレイモラン・サマディーと同列の五大国として世界を見守ってきた戦士の王国にして、この地方の由来となったバンデルフォン王国があった場所なのだった。
桟橋に停留した船を降りれば潮風が同時にびゅうと吹いて、大地へと続いていく海の名残が俺たちを陸に送り出す。
切り立った崖に挟まれた峠道を抜けて俺たちが辿り着いたのは、見上げるほどの大きさの風車が軽やかに回る、牧歌的な穀倉地帯だった。
黄金色の小麦の香りが鼻腔をくすぐり、心なしか穏やかな時間の流れるこの場所は、故国バンデルフォン王国の有志によって、現在も当時のまま保たれているそうだ。
この光景、俺も素直に綺麗だと思う。俺たちはたくましき努力の賜物である小麦と花で彩られた金世界の中を、思い思いに進んでいった。
ほどなくして、俺たちはここから北にあるユグノア地方に向けたひとまずの宿として『ネルセンの宿屋』に到着する。
代々ここを守ってきた夫婦の営むアットホームな民宿といった雰囲気の強い宿ではあるものの、その名は先代勇者ローシュ戦記に名を連ねる英雄、そしてバンデルフォン王国の建国者としても知られる戦士にして英雄王たるネルセンにあやかって名付けられた、由緒あるありがたい宿なのだ。
「名前のわりには意外とこぢんまりしててフツーだな」
「いーじゃん兄貴、洞窟とか船より寝心地いいに決まってんだしさ!」
カミュが頭の後ろで手を組みながら宿を眺めて率直な意見を漏らすが、マヤは久しぶりにまともなベッドで眠ることができることに船を降りてから今に至るまで終始ご満悦の様子だった。
「ひとまず、ここで休むんだっけ?」
「左様じゃ。明日こそ本番じゃからの、今日はゆっくり過ごすとしようぞ」
「宿の取り方、まだ教えてなかったわよね? これも経験、いざとなったら私とロウ様がサポートするから、イレブンが宿を取ってみましょうか」
マルティナに手招きされ、俺たちはネルセンの宿屋へと入っていく。自然の明かりが適度に取り入れられた落ち着く店内は今がお昼ということもあって、よく焼けたパンと肉のいい香りがふわりと漂っていた。
「変わったこと……いやあ、いつも通りの光景だねぇ。旅の人に宿を貸したり、献花をしたい方へ作法を教えるくらいかな」
ネルセンの宿屋でチェックインを進める俺たちは、その手続きの途中で宿の亭主に変わったことがないか聞いた。
大半の情報は想像の通りの牧歌的な日常のちょっとした出来事であったり、武闘家や旅芸人たちの宿泊が多くなっていることから北のグロッタの町の名物である『仮面武闘会』の到来が近いことを予感していたりとそこそこ興味のそそられるトピックも多かったが、最後に彼が話してくれた話題こそが、俺たちにとっては大当たりのものだった。
「最近は……ああ、そうだね、深夜に飛び起きたお客様のひとりが『うめき声を上げてこちらを見る、騎士のような幽霊の夢を見た』って言ってたねぇ」
「……その話、詳しく聞かせて貰えますか?」
率先して顔を覗かせた俺に少し驚いた様子の亭主に一礼し、ドゥルダの僧兵として浮かばれない幽霊の鎮魂も兼ねてここに来たと事情を話し、さらに話題を掘り下げさせてもらう。
まぁ、嘘は言っていない。なにしろ俺たちでその幽霊を鎮めることこそが、今回このバンデルフォン地方を抜けてユグノア地方へ向かうための大きな理由なのだから。
ほかにも一部の者が見たという、甲冑を着た亡霊の夢。
マヤは怖くないと強がるも、俺が詳しい事情をロウたちと聞いている間じゅう、カミュの背後にサッと隠れていたのが妙に可愛らしかった。
「というわけで、私どもとしても少々困っておりまして。幽霊騒ぎが大きくなって、ここがいわくつきの宿なんてことになる前に解決して頂けるなら、それはありがたい限りですな」
「こちらこそ、貴重なお話をありがとうございました。では改めて、ここと、この部屋を……」
「分かりました、すぐにお休みになられますか?」
「いえ、荷物だけ先に降ろさせてもらいますね。それまでに昼食を人数分用意して頂いても?」
「もちろんですとも。どうかごゆっくりおくつろぎ下さいな、旅の方」
俺は宿の亭主に一礼し、女将の案内を受けて二階へとついていく途中、ちらりとマルティナの方を見る。
返されたのは小さなウインク、どうやら前世も含めて初の宿へのチェックインも、バッチリ対応できていたようだった。
生まれてこの方イシの村の実家以外ではキャンプ生活であったお陰で野宿やサバイバルスキルばかりが上手くなっていた気がする俺だが、こうしてコミュニケーション能力も着実に身につけていたというわけだ。
これは大きく前進だぞ、わはは。
「うむ、一歩前進じゃのう」
……え、今ので百歩くらい前進した気がしてたんだけど?
何気なく放たれたロウの言葉とカミュたちの鷹揚な頷きに、俺は生まれながらのコミュ強たちとの歴然たる差を見せつけられたように思えたのだった。
◆
その後は男女に分かれた二つの部屋で荷降ろしを終えたのち、他の客は既に食事を終え出払っているらしい貸し切り状態のテーブルを囲んで昼食を摂ることとなった。
「イレブン、先ほどの亭主の話じゃが……」
ロウの確認めいた目配せに、俺は厳粛に頷いた。
「うん、それが今回の目的……俺の父さん、アーウィン王で間違いないと思う」
「「────はぁッ!?」」
カミュとマヤがガタンと立ち上がる。
藪から棒に、何をそんなに驚いて……あ、そうだった。
「アーウィン王って、ユグノアの王様だろ!? イレブンって王子だったのかよ!?」
「そういえば二人にはまだ説明してなかったな。まぁ王子とは言っても、産まれてすぐに王国が襲撃されて滅んだから俺自身そんなに意識してないよ」
「いや重いなその話も! そんでちょっとは意識しとけよな! それじゃあ、ロウのおっさんとマルティナも……」
「ユグノア王アーウィンの妃、エレノアの父じゃ。ムコどの……アーウィン王は婿入りで、エレノアの方がユグノア王族直系じゃから……つまりはわしがユグノアの先王ということじゃよ」
「わたしはユグノアの王族ではないのだけれど、デルカダール現王のモーゼフ・デルカダール三世*1の娘に当たるわね」
流れるように行われた三人の唐突なカミングアウトにカミュは目を見開き、マヤは口笛を吹いて肩を竦めた。
「……前々からタダもんじゃねぇとは思ってたが……予想以上なもんで、ちょっと腰のすわりが悪い気すらしてくるな」
「あはは、人間生まれがすべてじゃないよカミュ」
「割り切りはえーな、おい。あー、なんだ、船の上でバリバリ魔物をぶん殴ってた三人組が世界有数のやんごとなき方々サマとはなぁ。オレの中で王族ってヤツらの見方がすっかり変わっちまった気がするぜ」
カミュはため息をひとつ吐いて、後頭部をポリポリと掻いた。
「王子、イレブンが王子ねぇ……しかも、イレブンは勇者だったりもするんだろ? おれも何かトクベツな称号ってヤツが欲しかったな~」
「そうかな? 俺にとってはマヤも特別な人だよ」
「──っ! ちょ、はぁ!? いきなり恥ずかしいこと言ってんじゃねー! ……それに、どーせマルティナとかシャールにも同じこと言ってんだろ!?」
「いやいや、その二人とはまた別の……」
「はい、そこまでな。人の妹を目の前でおおっぴらに口説くんじゃねえ」
呆れた様子のカミュの制止を、了解と快く受け止める。
マヤはぷんすかと効果音がつくような表情で机に肘を付き、俺と目が合うとすぐにそっぽを向いた。
いかにもへそを曲げています、という態度はむしろ子どもっぽくて可愛らしいだけだった。
打てば響き、歯の浮くような口説き文句のたびに顔を真っ赤にするマヤが可愛くて、普段の俺なら言わないような言葉でさえ口に出してついからかってしまうのだ。
つまりこれもぜんぶユグノアの血ってやつのせいなんだ。血筋というのはやはり侮れないね。(責任転嫁)
……しかし、実を言えば前世が小市民である俺も王族としては気後れしているうちの一人なのだが……まぁ、経験則から言えばこればっかりは慣れてもらうしかないだろうと結論が出る。
今の俺は勇者で亡国の王子だけど、それだけと言えばそれだけだ。それぞれの責務と使命は意識するべきだが、その立場を鼻にかけるつもりは微塵もない。
人は生まれとその使命によらないのだという知見こそむしろマヤやカミュたちに教えてもらったようなものなので、どうか同じように接してほしい。たぶん、彼らに限って心配の必要もないだろうけれど。
「────さて、話を戻すけど……件の幽霊はたぶん、俺の父さんだと思う」
弛緩した雰囲気をピリリと引き締めながら、俺は世界に根を張る命の大樹と世界を見守る精霊ルビスからのお告げとして、原作知識を交えた今回の幽霊騒ぎの全貌を皆に語る。
ユグノアを滅ぼされた際、国と共に死んだはずのアーウィン王が今も口惜しいと嘆く妄執の亡霊となった理由。
それはユグノア城下に潜む邪神の眷属の一体────燃え落ちる自身の国を想って深い悲痛と後悔を宿したアーウィンにあえて当時の情景を見せ続け、その絶望を貪る者。
夢を操るバクーモスという一匹の魔物の存在にすべては繋がっていく。