ふと、奇妙な夢を見た。
豪奢な鎧姿の戦士が暗闇の中で俯いている。
青い炎に照らされてなお表情は見えない。だが、その様子に違わぬ暗い声で、嘆いているようだった。
『口惜しい……』
私は、その戦士の声に覚えがあった。
『後悔という名の鎖が、この身を縛り付ける。私は、何もできなかった無力な存在────』
ここより西、山地を越えた場所にあった亡国ユグノアの王たるアーウィンそのひとに違いない。
彼の最期は私自身が知っている中でも特に凄惨で、残酷な一生の幕引きだった。
『もしあの日に戻れるのなら……地獄の業火に焼かれても、厭わない』
魔物の軍勢に国を嬲られ、操られ、我が王に剣を向け、そして……我が王の手によって、さらなる辱めを受けぬように逝った。
『ああ……口惜しい、口惜しい────』
あの日のことは、私も昨日のことのように思い出せる。
この戦士……ユグノアの王と同じく、後悔にまみれた苦痛の日だ。
姫を失い寄る辺を断たれた我が王はその日から、いっそう眉根が険しくなられた。
デルカダールは変わり、親友であったはずのホメロスとは、いつから任務を共にしていないのだろうか……もう、私には分からなかった。
がむしゃらに進み、先陣を切り、国に殉じ、いつしか私は英雄と呼ばれた。
双頭の鷲の片翼、黒き鎧の将として。
だが……この胸のつかえが下りる時は、きっとない。
明日から数日は非番だった。
バンデルフォンへの献花も済ませ、次はちょうどユグノアへと献花に向かうところだったから、こんな夢を見たのだろうか。まどろみの中で、私はふわりと思いを馳せていた。
『誰か……私の願いを受け止めて』
暗中からの声に、目の覚めるような思いをする。
夢の中で、そういった表現は正しいのかどうか……とにかく、私は驚いていた。
『あの人を暗い絶望の闇から、解き放って』
この声にも私には覚えがあった。
アーウィン王の奥方、エレノア王妃。
たおやかなる貴人、美しい髪の印象的だったその女性の……彼女に似つかわしくない、悲痛な声音だった。
『私の声よ、どうか誰かに届いて。お願い────』
無念を呪う声ではない。
ただ、人が人を想う……救いを求める声だった。
────意識が、浮上する。
ガバリと布団を捲り上げながら上体を起こし、開け放たれた窓から取り込まれた月明かりだけが入る宿の一室で私は目覚めた。
「……なんだったんだ、あの夢は」
私は先程の夢を思い起こし、かぶりを振って枕元の水差しからカップに水を注ぎ、一杯飲んだ。
知らず乾いていた喉を潤すことはできたものの、胸に燻るようなもやもやとした気分は晴れない。
それもその筈、私は聞いてしまったのだから。
「英雄……か」
そのような二つ名に胸を張れる自分ではないが……せめて、デルカダールの双翼たるべく生きたい。
それは我が王に誇れる騎士であるように、肩を並べるもう一つの翼……ホメロスに並び立てる男で在るために、己に課した誓いの一つ。
救いを求める声には、応える。
それが例え、不確かな亡霊の嘆きであれど。
「明日から非番で、助かったな」
夢を信じてユグノアに向かうなど知れたら、それこそ我が王に面目が立たない。
だからこそ、あした私はデルカダールの英雄ではなく、ただの『グレイグ』としてそこに行ける。
タオルで寝汗を拭き取り、私はもう一度床に就く。
数日後────そこで、運命とでも言うべき出会いを果たすことを知らぬままに。
◆
トン、テン、カン。
トン、テン、カン。
快晴の朝に、軽快な音が宿屋に響く。
「丁度良くなったら光ってくれるから、はたから見るよりも簡単だよ」
「そんなもんか……? しっかし、なんでハンマーで打ったってのにご立派な服が出来上がってんだか」
「そこはまぁ、アレだよ。不思議な力が働いてるんだ、たぶん」
「意外と適当だな、お前って……」
椅子に腰掛けてパンを齧るカミュの気のない相槌をBGMに、俺は鍛冶作業を進めていく。
錬金釜もグツグツと煮立ち、もうすぐ完了とばかりに鳴る頃だろうか。
「──おい兄貴、イレブン、ロウのおっさん!」
チーンと錬金釜が完成を知らせる鐘を鳴らして特薬草が飛び出したと同時、バンと埃を舞い上がらせる勢いで扉を開け放ったのは、俺たちの宿泊する部屋の隣室に泊まっていたマヤだった。
まだいつものように三つ編みのポニーテールへと髪を結い上げておらず、寝癖のついた青い髪が彼女の背中を覆っていた。
よく見れば、寝間着のままでもある。そういう格好で宿を出歩くのはお兄さん感心しないぞ。
「おはよう、マヤ」
「あっ……おはよ、イレブン────じゃねぇよ! 大変なんだって!」
「何ごとじゃ、マヤ。もしや……怖い夢でも見たのかの?」
ほっほと冗談交じりに訊いたのは、既に旅支度を終えてティータイムと洒落込んでいたロウだった。
マヤはロウからの子ども扱いに一瞬だけ眉をひそめ、直後にロウの見透かしたような笑顔からおおよその察しがついたのか、毒気を抜かれたように後頭を掻いた。
その様子はカミュとまるで重なって見え、俺は密かに兄妹の似た癖の発見に微笑んだ。
「……あー、まぁ、見たっていうか……怖いって言うより、悲しい感じの夢?」
「鎧の戦士が出てくるような、だろ?」
「そう、それだよ兄貴! マルティナも見たって言ってたんだ!」
「ほう、それでは皆が同じ夢を……興味深いのう」
カミュの言葉にマヤは一も二もなく同意し、ロウは唇を尖らせ顎に手を当てていた。
一瞬の静寂に、ジューと気の抜けた冷却音が室内に響いた。よし、完成だ。
「たびびとのふくをバリエーション豊かに染め上げ加工、それらをしめて二十着。よし、我ながらとてもいい出来だ!」
「聞けよっ!」
マヤはこちらの髪がふわりと浮くような勢いあるツッコミを俺の頭部にお見舞いしてくる。
それはもう、旅芸人でも食っていけそうなほどのキレだった。
……それから数分後。
身支度を整えたマヤとマルティナを迎えると、話題は自然と昨晩のことになった。
暗闇の中で青い人魂に囲まれ、口惜しいと嘆いている戦士。
俺たちは件の戦士が誰だか、既に検討が着いていた。
「あれはムコどの……アーウィン王で間違いないじゃろう」
「それに、最後に聞こえた声。あの優しい声はエレノア様に違いないわ」
直接の面識のある二人が太鼓判を押すことで、彼らの正体は確定する。
「んじゃ、行くか。号令をかけてくれよ、勇者サマ」
カミュが宿屋の出口で俺に問い、それに対して首肯で返す。
「行くぞ──俺とじいさんの故郷、ユグノアに!」
俺の号令に、皆が頷いた。
さぁ、アーウィン王の待つユグノアに出発だ!
────といった旅の再開の一幕の、少し前のこと。
実は、俺は皆に一つだけ隠し事をしていた。
『ああ、口惜しい……なんて、取り繕うこともないか』
俺は奇妙な夢を見た。
皆とは決定的に違うだろう、胡蝶の如き一幕を。
◆
鎧姿の戦士は暗中にもたれ掛かるような座り方を止め、すく、とおもむろに立ち上がる。
嘆きの戦士が兜を脱ぐと同時、青い炎が彼の身を燃やし、その姿を変えたのだ。
『ずっと、お前を待っていた……バクーモスに俺を気付かせ、最高のご馳走としてキープさせた甲斐はあったな』
それは紫地の旅装に色味のない剣を携えた、原作における勇者イレブンに似た姿だった。
いや、原作での彼というよりも、むしろ────
『マヤがいるのか? 凄いな……俺は救えなかった。それに……そうだな、ハリマはまだか? 覚えてるだろ、やたの鏡を使うことは。……そうか、ベロニカに会っていないからケトスが呼べず、てことはネルセンの試練も……』
「よく喋るな、本当に……ドラゴンクエストの主人公なら、『はい』と『いいえ』しか喋らないんじゃないか?」
俺の言葉に彼は我が意を得たりと首肯し、後ろで一つに束ねられたサラサラの長髪が揺れる。
色も落ちきった白髪の彼は、勇者というよりもどこか
『ここで干渉できる時間は限られているから、用件だけを単刀直入に言うぞ。……ユグノア城跡に来い。そこでお前を待っている』
夢うつつのまどろみの中、彼の正体は大体の検討がついていた。
『不完全な勇者の剣で過ぎ去りし時を求めた結果、俺とお前は分かれてしまった。で、今の俺はただの残響に過ぎない。ピッコロ大魔王や魔人ブウみたいなもんだな』
冗談めかした彼の物言いは、本当に俺が気づいていない時のためにヒントを散りばめられていた。
過ぎ去りし時というこのロトゼタシアを巡る物語に付けられた副題。
それに────
『いいか、ユグノア城跡だ。行けば想像を絶する苦痛と困難がお前を待っているだろうが、そこは自分で何とかしろ。ニマ大師にしごかれて、いくつか死線も超えたか? レベルも四十を上回っているみたいだしな』
言うが早いか、白髪の『俺』の姿がアーウィンの鎧姿へと戻っていく。
『ん、もう時間か。まぁ、アレだ……覚醒イベントだよ、明け透けに言うとな──』
────そうして『俺』は、俺の夢から去っていった。
『ああ、口惜しい……』
夢が、元に戻っていく。
何事もなかったかのように続いているその夢の中で、俺は無性に意識がハッキリとしていた。
以前にも見た、過ぎ去りし時を求めた俺だろうか。
むかし俺を呼び寄せたルビスのように、言いたいことだけ言い尽くして消えていった彼の言葉を反芻する。
分かれたはずの残響がここに来て俺の前に姿を見せたのは、覚醒イベントとやらのためらしい。
本来ならメタ発言も良いところだが……同時に、その言動から俺そのものであることが確信できた。
「……できれば、お前も迎えに行くよ。あくまで父さんと母さんたちの解放のついでに、だけれど……」
────意識が、浮上する。
ガバリと布団をはだけながら上体を起こすと、月明かりとは違う光が俺の近くから漏れ出ていた。
視線を落とすと、勇者の紋章が淡く光り輝いている。
次第に収束し一本の線となった光は、西のユグノア城跡を指していた。
独自設定・メタ要素ともに強めな回です。
主人公を越えるメタ視点である読者から見てオリ主とオリ主の対話という構図が大半を占めてしまわないように、後半はあえてあっさりめに描写しています。