「……あれ? ……邪モンスター反応が、消えた?」
ここはグロッタ。閉め切られた屋内だからこそ為せる、むせ返るような昼夜なき歓楽の町だ。
ユグノア地方最東端であるここでは、ユグノア滅亡以前から腕に覚えのある闘士たちが思い思いの仮面を被って集まり覇を競う大興行『仮面武闘会』が行われている。
そして現在はこの大舞台のエントリー期間ということで、腕っぷしのよさそうな男たちや美麗ながら修練を積んだ肉体を惜しげもなく見せつける女闘士たちで溢れかえり、そのファンや観客たちもどうと押し寄せ、グロッタの町は年に一度あるかないかという程の熱狂の坩堝となっていた。
俺たちは本来ならばここに寄るはずではなかったのだが、(まことに勝手な話ながら)俺の魂を媒体に精霊ルビスと命の大樹たる聖竜の力がリンクしているらしいおかげで、世界各地の邪神の蠢動を自動的に感知する邪神レーダー機能を搭載している俺の左手の甲に刻まれた
修道院といえば、そう、全長にして大人の身の丈を五倍以上もゆうに越して余るほどの巨大な体躯を持つ蜘蛛型の魔物『アラクラトロ』が真っ先に挙げられるだろう。
孤児院を併設する修道院の一部崩落によって発見された洞窟から現れた先代勇者ローシュ時代の怪物であり、邪神の配下の中でも人心を利用した狡猾な手段で生者から搾り取るように自身を強化するためのエキスを集めるといった悪事を原作で働いていた、非常に悪趣味な魔物である。
邪神の配下に悪趣味でない魔物はおそらくいないが、そこはまぁ置いといて。
重要なのは原作から十数年前。おそらく現在の時系列で言えば十年経つかどうかといったところだろうか。
その時期に当時デルカダールのいち近衛騎士であったグレイグが単独で討伐を為し、彼が"英雄"と称されるようになった発端を作った魔物であるという部分のほうが、アラクラトロに関しては物語としてのウェイトが大きい。
その影響力は計りしれず、今も入口からすぐ目につくよう建設された仮面武闘会用のコロシアムには大剣を掲げた英雄グレイグの目測で4mは越えているのではないかという石像彫刻が、ガレオン船の
原作においてはアラクラトロや町民の一部が言及するのみでほぼ全貌の語られないこの事件だが……いやはや一体どれだけの吉報が、町じゅうのどれだけの人口に膾炙したらこうなるのやらといった風情の石像彫刻である。
デルカダールのもう片翼かつ自己顕示欲の強いホメロスがこの像を見たら、あまりにも目に見え過ぎる水の空けられ方にその場で憤死しそうに思えてならないなぁ。
さて、話は冒頭の俺の素っ頓狂かつ現在置かれた俺たちの状況をつぶさに的の中心へ据えた説明的な台詞についてのお話に戻るのだが────実は先ほど、グロッタの町に入る直前に大きな揺れがあり、その後、急いで町に入ったところで紋章の光が消えた。
当の俺は左の手袋から漏れ出るそれを隠しながらやや不自然な体勢で歩く必要がなくなったというわけで少しありがたい気持ちもあるのだが、実のところ、ドゥルダでの免許皆伝を受け勇者として冒険を始めてから幾星霜。
この現象、邪モンスターの反応が消える事態についてはどうにも初めての経験だった。
邪神はどうやら勇者たる俺のそばをある程度以上離れられないらしく、先代勇者ローシュの恋人であった賢者セニカの大魔術による封印"勇者の星"により本体を閉じ込められている今、表裏一体の闇の端末として、勇者の光に紛れてヨッチ族に似た性質を持つ邪神の端末をこの地上に送り出している。
その端末は俺の周りで邪モンスターの素養がある魔物に乗り移っては騒動を数限りなく起こし、その度に俺が鎮めにいくという流れを裏でロケット団のムサシ・コジロウのごとく繰り返しているわけなのだが……その割愛していた大量の邪モンスター襲撃事件においても、このようなことは一度もなかった。
邪モンスターは一般に強く、十把一絡げの雑魚モンスターでさえ、まさに俺たちの一行のように修業と実戦を積んだ手練れが数人掛かりでやっと倒せるようなものなのだ。
それを、しかも原作においても毒と混乱に行動不能に至るほどの多量の糸吐き、そして、そもそもの攻撃力の高さによって多くのプレイヤーを苦しめたボスモンスターであるアラクラトロの反応が、消えた。
邪神の憑依を受けた魔物は今のところ自然消滅した例はなく、となれば必然、俺たち以外の誰かがその強敵を倒してしまったということになる。
……俺はこの時、むしろ警戒態勢に入っていた。
このような芸当ができるものは、世界広しと言えど十本の指で足りる。ニマ大師や聖竜そのものなどの隔絶した強者か、それこそたかが邪神の配下一匹に対して王の執務をほっぽりだし、なぜか相当アグレッシヴに潰しに来た魔王ウルノーガ本人くらいだろう。そのくらい、突拍子もない出来事なのだ。
もしくは、あまり考えたくはないが……"英雄"グレイグの再来という可能性もある。
ただのグレイグの再来と謳われるレベルの一般戦士ならいいが、それがまかり間違って本人ならまずいことになる。
デルカダール王に化けた魔王ウルノーガの奸計によって『勇者=悪魔の子』論に傾いているであろう彼と出会うのは、非常によくない。
いま戦ったとて一応それなり以上の手練れである俺たちで囲んで叩けばその場でグレイグには勝てるかもしれないが、その後の展開がまずいのだ。
この世界は剣と魔法のドラクエ世界であり、それらを組み合わせて戦う少年魔法戦士など珍しくもない……とは流石に言えないくらいには相応に目を引くが、俺の場合はそのようなサンポくんのごとき利発な少年のたぐいとも更に話が違う。
俺の戦いは勇者の力を否応なく想起させるような、勇者のみが扱えるはずの雷を使った独特のデイン系呪文と、先代勇者ローシュの伝承に明るければ即座にバレる、勇気を原動力としてエネルギー体の剣に変える、覇王斬の応用剣技が中心だ。
そしてグレイグは幼少期においてその手の英雄譚の愛読者であり、現在進行系で理想の騎士たらんとする正真正銘の傑物だ。
彼がいくらウルノーガに乗っ取られた主君に16年間も気づかなかったハイパー鈍感な朴念仁男*1であろうと、ここまで証拠が揃えば確実にバレる。
勇者の戦いを間近で見てきたこともあり、一緒に修業を重ねた過去すらある魔王ウルノーガ本人であればなおさらだった。
もっとも、その戦闘技法を抑えてドゥルダの拳法*2だけで勝てる相手じゃないのは原作での描写とアラクラトロ単独撃破の実績から分かりきっており、それでなお運良く事が運んで勝てたとしても、次にやってくるのはデルカダールに潜む魔王とその配下を含めたデルカダールの全軍だ。
ここまでくれば、犠牲になるのは俺だけじゃない。このシナリオだけは一貫して避けていたのに、ここで可能性が少しでも生まれるとはなんとも度し難い。
ああ、どうか邪モンスターを倒したのがグレイグやウルノーガじゃありませんように。
デルカダールとユグノアは海を隔ててなお相当に離れているため、魔王のくせにちゃんと日々の執務はこなすウルノーガの可能性は限りなく低いが、グレイグに関しては10年前のユグノアの悲劇に立ち会っていることや、グロッタの町の英雄であることなど、やけに運命が噛み合いそうな相似点が掠っているのが俺の頭をさらに痛くする。
ご存知のとおりではあるものの、この世界は俺にとって現実だが、元はゲームの世界である。
ご都合主義の合縁奇縁は当たり前で、イヤな予感はほとんど当たり、俺が動くたびに、
そんな、おおかた現実よりもドラマチックに展開するような運命が主人公である勇者には紐づけられているのだ。(自分で主人公というと非常にむず痒いが、このあたりは他に言葉も見つからないので勘弁してほしい)
その辺りの好例としてはシャールとの出会いもしかり、カミュやマヤを助けた一件もしかりだろうか。
だが、同時に俺は邪神との縁を切れない。この世界において、光と闇は常に表裏一体であるとされているからである。もはや身も蓋もないくらいに、"そういうもの"なのだ。
────そう、俺の懸念とはこの自身の飛び込んでいるその奇妙な運命そのものであり、転生した原作知識ありの勇者の物語としてもっとも"おいしい"のは、主人公がこのあたりで若きグレイグに出会うこと、となるだろう。
覚えておいてほしいことは一つ、この世界ではイヤな予感は大抵当たるということだ。
どうか、どうか今回ばかりは大外れってことになっちゃあくれねーかなぁ。
皆とグロッタを軽く観光する間も、思考の渦はどうにもこうにも断ち切れなかった。
そうして考えはまとまらないまま、グロッタの宿を二部屋ばかり確保する。
当初は空いていないという話だったが、ロウが受付に耳打ちをすると、やけに笑顔かつ分かりやすいほどの手もみをした町長が直々に現れ、最高級の宿を手配してくれた。……ユグノアにおいてロウの影響力はいまだ大きいようだ。
コネやツテはしたたかに使う辺り、やはり抜け目ない我が祖父だった。
男女に分かれ、ロウは町長のもとへなにやらお話に。すべてが屋内に収まるここでは分かりづらいが、今はもう夕方を越え、夜に差し掛かっている頃合いだった。
上質な手触りのシーツを敷いたラベンダーの香水が漂う天蓋ベッドにシャワーで清めた頭を置いた俺は、隣で豪華過ぎて背の高い椅子の適切な位置取りに悪戦苦闘するカミュを見やる。
数秒すると持ち前の器用さでざっくばらんに足を組み、地上三階となるスイートルームの窓際から、外の喧騒を見下ろしていた。
柔らかなベッドの魔力に憑かれ、落ちるまぶたに逆らいながら、つぶやくようにカミュへと話を振る。
「邪モンスターがいないなんて、はじめてだ」
「ああ、たしかにな。でも、そこまで深刻に考える必要もないんじゃないか? マルティナとロウのおっさんによれば、町は無事で犠牲者もなし。どこの誰かは知らねえが、最上の結果を出してくれたんだ。しかも、こんな夜更けにな」
ふぁ、とカミュの口からあくびが漏れた。
カミュは年上の矜持なのか、俺より先に寝たがらない。精神年齢を考えてしまえばどエラい年上の俺からしたら、三歳ほどしか変わらないカミュのことは息子も同然であるからして、健やかに、早めに寝ていてほしいものなのだが……肉体年齢的には10を越えたばかりの子どもである俺もカミュが我慢できる程度の時間には眠くなっているので、カミュには存分に兄貴分として甘えておこう。
この魂と肉体が一致していないことによる、肉体年齢に精神年齢が引っ張られていくこの乖離はイレブンとして意識の覚醒した五歳当時の俺にとっては難儀したものだが、今となっては慣れたものだ。
普段は童心に従い、ここぞという時に意識をはっきりさせる。天蓋ベッドを土俵にした精神的な綱引きは、今日も子どもの自分の勝利のようだ。睡魔が俺にもやってくる。
緊迫した状況ではあるが、ここまでの旅で肉体は想像以上に疲れている。
無理をしてはこの後に控えるユグノア城跡でのバクーモスとの戦いに差し支える。つらつら理由を並べ立てながら、無常にもまぶたは閉じていく。
「よく寝ておけよ、イレブン。……おやすみ」
埋没する意識の中で、羽のように軽い布団を掛けられた感覚がする。
妹の扱いをよく知るカミュは、弟分である俺のことも同様に優しく扱うことが多い。
今日一日の道中にもあった、もはや日常と化した邪モンスターとの十番勝負どころではない連戦に次ぐ連戦は、一般人の心を捨てきれない俺にはいまだ負担が大きく、次第に心がヒリつき、強張っていく。
それをカミュは……いや、頼れる旅の仲間たちはそれを理解して、元々グロッタの町でモラトリアムを設けてくれてくれるつもりだったのだろう。
大樹を通して追憶を辿る今から振り返れば、そうであったと確信できる。
「さて、マヤの様子も見てくるか。あいつ、明日のことで眠れなくなってなけりゃいいが……」
……眠りについた俺を見たカミュの口からポロッとついて出たこの一言が、その確信をより一層深めていたことも、その一端ではあるだろうか。
それは明日の早朝、部屋に運ばれたおそろしく豪勢な食事を男三人で平らげた後、すぐに分かることだった。
「ところでイレブンよ、恋はいいぞ。なにせ、心を豊かにし」
「バッ──わー! わー! ……おい、いきなり何言ってんだロウのおっさん!」
────恋はいいぞbotと化したロウの言葉を必死に遮りつつ小声で叱るという器用な真似をするカミュに首を傾げる当時の俺は、現在の追憶する俺から見ても、よくこれで勘付かないものだと呆れ半分、お笑い半分だった。
賑やかな町での小休止、前日の寝心地ですっかり疲れの取れた少年がひとり。
気がかりは多いが、グロッタの滞在はあと一日ある。ここはひとつ、ふしぎな鍛冶で装備でも整えて……。
そう考えながら何故か妙にそわそわとするロウとカミュの二人を横目に部屋を降りた俺が皆の思惑に気付いたのは、精一杯のおめかしをしたマヤが、直近で一番のいい笑顔のマルティナによって、俺の方へ向かうように小さく背中を押されている瞬間のことであった。
「よ、よぉ……イレブン。その……おはよ」
「う、うん。おはよう……マヤ」
マルティナの手で俺の前にぴょんと飛び出し、慣れない小洒落た可愛らしい靴にたたらを踏んでピタリと俺の真正面に留まったマヤは、真っ赤に染まった頬の温度を手で確かめるように添えてから、数秒の沈黙を経て、彼女と俺はいつもよりぎこちない挨拶を交わした。
……俺のいるこの世界は現実ではあるが元々はゲーム、往々にしてドラマチックになるよう物語は進むと言ったが……。
今回の方向性はどうやら、メロウで甘い物語の方に片寄っていたらしい。
というわけで、次はイレブンとマヤのデート回です。
読者の皆様にも難しいことは一旦忘れて、この作品に恋愛タグが付いていることを思い出してもらうでがすよ。
以降はシリアスな展開が続いてゆく(かもしれない)追憶編における箸休めにちょうど良いお話になるはずです。
それではどうぞお楽しみに〜。