本当は誤字報告なんてないほうがいい文章なのでしょうけど、私にはとても難しいですわ!
皆様、感想、評価、お気に入り、誤字脱字報告、大大大募集中ですわ〜!
その日、ヘルサレムズ・ロットは不気味なほど静かだった。
普段なら、街のどこかで必ずと言っていいほど起きている自動車事故も、発砲事件も、魔術的な爆発もない。
巨大な異界生物が道路を横断して交通を麻痺させることもなければ、上空から正体不明の粘液が降ってくることもない。
平穏。
安全。
静寂。
この街には、あまりにも似つかわしくない一日だった。
ただし――ある一人の男の周囲を除いて。
「お久しぶりです、師匠!」
「おお、クラウス! 久しぶりだな!」
ライブラ本部の玄関ホールに、豪快な声が響き渡った。
「また大きくなったんじゃないか?」
「いえ、さすがに身長は変わっておりません!」
「そうか? 前より一回りほど大きく見えるぞ!」
背筋を伸ばし、かしこまって挨拶をしているクラウス。
その前に立っていたのは、ヒューマンとしてはかなり体格のよい、中年の男だった。
少しくたびれたコートとスーツ。
磨き込まれた革靴。
片手には、どこにでもいるビジネスマンが使っていそうな革製の鞄。
服装だけを見れば、出張帰りの会社員にしか見えない。
しかし、その立ち姿には一切の隙がなかった。
足の置き方。
重心の位置。
周囲へ向けられる視線。
武道に詳しくない者であっても、一目で相当な鍛錬を積んでいると分かる。
そして、その鋭い眼光からは、どのような異変も決して見逃さないという強い意志が感じられた。
久しぶりの再会を喜ぶ二人。
その背後では――彼を迎えに行ったはずのザップが、床の上へ力なく座り込んでいた。
全身には包帯が巻かれ、辛うじて目と口だけが外に出ている。
「大丈夫、ザップ?」
「大丈夫に見えんのかよ……」
ジョンが心配そうに声をかけると、ザップは半泣きになりながら答えた。
「もう嫌だ! 俺、二度とエイブラムスさんの出迎えなんか行かねえからな!」
ザップの体に巻かれているのは、最近開発された治療用の包帯だった。
傷口へ巻きつけることで人間の自然治癒力を高めるという優れものだが、あまりにも全身へ巻かれすぎており、今のザップはほとんどミイラにしか見えない。
「何があったの?」
「駅からここまで来る間に、看板が三回落ちてきて、暴走車に二回はねられかけて、最後に下水道から出てきた化け物に食われそうになった」
「それで済んだのか?」
「済んでねえよ! 見りゃ分かんだろ!」
ジョンはザップの姿と、傷一つ負わずにクラウスと談笑している男を交互に見た。
「あの人って……」
「お前の考えとるとおりや」
ザップは痛みに顔を引きつらせながら答える。
「豪運のエイブラムス。旦那の師匠筋に当たる人だ」
ブリッツ・T・エイブラムス。
裏の世界に多少なりとも通じている者であれば、知らぬ者はいないほどの有名人だった。
世界屈指の吸血鬼研究者にして、対吸血鬼戦の専門家。
そして、クラウスが若い頃に教えを受けた師の一人でもある。
彼はその職業柄、数え切れないほどの吸血鬼から恨みを買っていた。
吸血鬼の中に、彼の死を願っていない者はいない。
そのように語られるほどである。
当然ながら、これまでに多種多様な呪いをかけられてきた。
心臓を停止させる呪い。
頭上に落雷を呼び寄せる呪い。
乗り物を必ず事故に遭わせる呪い。
階段を踏み外させるだけの、ひどく地味な呪い。
しかし、エイブラムス本人は持ち前の豪運によって、その被害を一切受けなかった。
代わりに、周囲の人間が巻き込まれる。
本人に悪意はないものの、そばにいる者にとっては、これ以上ないほどはた迷惑な人物でもあった。
「だから今日は、街全体が静かなのか」
「たぶんな。あの人の周りに、今日一日分の不幸が全部集まっとるんやろ」
「それで、全部ザップに当たったと」
「笑ったら殺すぞ」
「笑ってないよ」
ジョンは口元を手で隠しながら答えた。
「あの人も、ザップやクラウスさんみたいなことができるの?」
「血闘術のことか?」
「うん」
「いや」
ザップは首を横へ振った。
「頭脳と性格と運勢以外は、基本的には普通の人間だ」
「性格も普通じゃないんだ」
「そこは触れんな」
ザップは小声で続ける。
「まあ、一般人っつっても、格闘戦や銃撃戦なら、その辺の特殊部隊よりよっぽど強えけどな」
「ふーん……」
ジョンは改めてエイブラムスの姿を眺めた。
ザップの言葉どおりなのだろう。
いざというときに動けるよう、肉体は十分に鍛えられている。
だが、クラウスやスティーブン、ザップのような、化け物と正面から殴り合える人間離れした雰囲気はない。
どこまでも鍛え上げられた、強い人間。
そのように見えた。
「君が新入りか」
「あ、はい!」
いつの間にか、エイブラムスがジョンの前に立っていた。
「ジョンといいます」
「ブリッツ・T・エイブラムスだ。よろしく頼む」
差し出された手を、ジョンは握り返した。
分厚く、硬い手だった。
研究者というよりも、長年武器を握り続けてきた戦士の手に近い。
「ところで、君はサングラスをかけると、別人の姿へ変化できると聞いたのだが、本当かね?」
「ええ、まあ」
「見せてもらっても?」
「もちろんです」
ジョンは胸ポケットからサングラスを取り出し、顔へかけた。
一瞬、輪郭がぶれる。
髪の色が変わり。
背丈が伸び。
衣服までもが、黒いスーツへ変化していく。
次の瞬間には、ニコラス・D・ウルフウッドの姿となったジョンが、その場に立っていた。
背中には、分かりやすいように巨大な十字架型兵器――パニッシャーを背負っている。
「ほう……」
エイブラムスは興味深そうに、ジョンの周囲を一周した。
「これはすごいな。本当に一瞬で肉体構造まで切り替わるのか」
「そうみたいやな」
「声や話し方まで変わるのだな」
「意識せんでも、こうなってまうんや」
エイブラムスは顎へ手を当て、パニッシャーやジョンの顔を観察する。
だが、必要以上に触れたり、研究対象を見るような視線を向けたりはしなかった。
「よく分かった。ありがとう」
「いえ」
「もう一つ、聞いてもよいかね?」
「何や?」
「君には、血闘術を習得する才能があると聞いた。本当か?」
「ああ……」
ジョンの返事が、わずかに鈍くなる。
「使えるようになる可能性が高いとは言われとるな」
「では、なぜ訓練を始めない?」
エイブラムスの問いは、極めて当然のものだった。
ライブラは、ヘルサレムズ・ロットを中心に、世界の均衡を守るために活動している。
だが、それと同じか、それ以上に重要な目的がある。
ブラッドブリード――吸血鬼への対抗。
人間の武器では滅ぼすことのできない彼らを、その真名ごと封印するために、人類が長い歴史の中で作り上げた技術。
それが血闘術だった。
吸血鬼と戦う秘密結社へ所属しながら、吸血鬼へ対抗できる素質を持つ者が、その力を習得しようとしない。
事情を知らないエイブラムスからすれば、奇妙に見えて当然だった。
「それは……」
ジョンが言葉に詰まる。
「師匠」
代わりに答えたのは、クラウスだった。
「彼には、彼自身の目的があってライブラへ参加しています」
「目的?」
「はい」
クラウスはジョンへ一度視線を向けてから、エイブラムスへ向き直る。
「彼は、神を降臨させる儀式に巻き込まれ、現在のような体質となりました。その際、自分の名前を対価として奪われています」
「名前を……」
「血闘術を手に入れるということは、血液や肉体をさらに変質させることを意味します」
クラウスは静かに続けた。
「これ以上、元の自分を失いたくないという彼の気持ちを、どうかご理解ください」
「元の自分か……」
エイブラムスは、その言葉をゆっくりと繰り返した。
そして、しばらくジョンを見つめたあと、分厚い手でその肩をしっかりとつかんだ。
「君の気持ちは分かった」
その声に、非難するような響きはなかった。
「血闘術を扱える素質があるというのに、訓練しないのは惜しい。だが、自分自身を守りたいと考えることも、当然の感情だ」
「……すまんな」
「謝る必要はない」
エイブラムスはまっすぐジョンを見た。
「ただし、何かが起きてからでは遅いということも、十分に理解しておくべきだ」
ジョンの肩をつかむ手に、わずかに力がこもる。
「ライブラに所属している以上、いずれ吸血鬼と戦わなければならないときが来る」
「……」
「そして人間には、変わりたくないと願っていても、変わらなければならない瞬間が訪れる」
早いか遅いか。
望むか望まないか。
それに関係なく、選択を迫られる日は来る。
「そのことだけは、心に留めておいてくれ」
「……分かった」
エイブラムスの瞳に、迷いはなかった。
彼の言葉に悪意はない。
純粋な善意から出た忠告であり、内容も正しかった。
ブラッドブリードとの戦いにおいて、準備不足は甘えでは済まされない。
彼らにとっては遊びにすぎない攻撃でさえ、人間にとっては即座に死へ直結する。
ヴァッシュやウルフウッドの記憶を受け継いだジョンには、それが痛いほど理解できていた。
GUNG-HO-GUNSの精鋭たち。
ミリオンズ・ナイヴズ。
彼らとの戦闘では、ほんの一瞬判断を誤るだけで命を失う。
まして、それらに匹敵する力を持ちながら、不死の肉体まで備えている敵が相手なら、今のままでは勝ち目がないことも分かっていた。
いつか、自分が力を持たないせいで誰かが死ぬかもしれない。
守れたはずの誰かを守れず、後悔する日が来るかもしれない。
それでも。
平穏な世界で、普通の人間として生きてきたジョンの心は、これ以上、自分の中に異物を受け入れることを猛烈に拒んでいた。
名前を失い。
姿を失い。
記憶さえ、他人のものと混ざり始めている。
これ以上変わったとき、果たして自分は自分のままでいられるのか。
頭では進むべきだと理解している。
それでも、心だけが立ち止まっていた。
「さて」
エイブラムスはジョンの肩から手を離すと、クラウスへ向き直った。
「クラウス。エンケビの雫は、どのように護送する予定なんだ?」
「それについてですが――」
重くなりかけた空気を切り替えるように、クラウスは会議用の資料を開いた。
エイブラムスを交えた作戦会議は、そのまま続いていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「今回はよろしく頼むぞ、二人とも」
「お任せください」
「了解や」
エンケビの雫を積んだ護送車両に乗り込んだのは、クラウス、ジョン、エイブラムス、そしてHLPDのダニエル・ロウ警部補の四人だった。
運転席にはダニエル。
助手席にはエイブラムス。
後部座席にはクラウスと、ウルフウッドの姿をしたジョンが座っている。
護送隊の先頭を走るのは、チェイン、スティーブン、K・Kを乗せたライブラの護衛車。
その後ろに、エンケビの雫を載せたジョンたちの車両。
さらに複数の警察車両が続き、最後尾をザップがバイクで警戒する。
上空や周辺の建物にも、ライブラの構成員やHLPDの狙撃手が配置されていた。
各人の戦闘能力だけを見れば、過剰戦力にも思える布陣だ。
しかし、相手がブラッドブリードである可能性を考えれば、これでも十分とは言えない。
力の弱い個体ならば、まだ対処の余地はある。
だが、エルダークラス――あるいは、それに準じる吸血鬼が現れた場合。
ライブラの全戦力を投入したとしても、正面から打ち倒すことは、ほぼ不可能だった。
相手が油断し。
遊び半分で。
意図的に手加減している。
そのような条件がすべてそろって、ようやく数分間持ちこたえられる。
それほどまでに、ブラッドブリードという存在は理不尽に強い。
彼らに勝利するのではない。
生き延びながら、真名を探し当て、封印する。
それが、人間側に許された唯一の対抗手段だった。
「それで」
ダニエルはハンドルを握ったまま、助手席のエイブラムスへ尋ねた。
「今回現れるかもしれない化け物は、どれくらい強いんだ?」
「グディヴォ・ジュニア・デイビスか」
「ああ」
「現時点では、エルダークラスではないと考えている」
「理由は?」
「簡単なことだ」
エイブラムスは窓の外へ視線を向けながら答えた。
「エルダークラスにしては、過去の犯行で出ている死者の数が少なすぎる」
ダニエルの表情が険しくなる。
「少ない、か……」
握っているハンドルから、革のきしむ音がした。
「それでも、少なくとも五十人は犠牲になっているんだぞ」
「エルダークラスなら、桁が一つ――場合によっては二つ足りない」
「……くそが」
ダニエルは吐き捨てるように悪態をついた。
「本当に、理不尽なほど強いんだな」
吸血鬼の専門家であるエイブラムスの見解に、迷いはなかった。
多くの資料と経験に裏打ちされた、確信に近い判断なのだろう。
現代社会において、自然災害でさえ、一度に三桁以上の犠牲者が出ることはそう多くない。
それにもかかわらず、エルダークラスのブラッドブリードであれば、気まぐれ一つで、その何倍もの命を奪えるという。
彼らは、一個人の姿をした未曽有の大災害なのだ。
「グディヴォがエルダーではないとしても、安心はできない」
エイブラムスは続ける。
「ブラッドブリードであることが事実なら、人間の尺度で弱いと判断すること自体に意味はない」
「弱い吸血鬼でも、人間にとっては化け物か」
「そういうことだ」
エイブラムスは革の鞄を膝の上へ置き、留め金を確認した。
「さらに、今回の標的は宝石を収集している。力だけではなく、盗みや逃走に特化した能力を持っている可能性が高い」
「護衛を無視して、宝石だけ奪って逃げるかもしれないと?」
「むしろ、その可能性のほうが高い」
クラウスが会話へ加わる。
「我々の目的は、グディヴォを倒すことではありません。エンケビの雫を、指定された保管施設まで無事に届けることです」
「分かってるさ」
ダニエルはバックミラー越しにクラウスを見た。
「敵を倒すことに夢中になって、荷物を奪われたら意味がないからな」
「そのとおりです」
「まあ、化け物が出てきたら頼むぞ」
ダニエルは短く息を吐いた。
「俺たち警察にできることには、限界がある」
「了解した」
クラウスは力強くうなずいた。
ダニエルは以前、ブラッドブリードと戦うライブラの姿を目にしていた。
何人もの警官が挑み、その誰一人として戻ってこなかった吸血鬼との戦い。
その中で、ライブラの構成員たちは重傷を負いながらも、生きて帰ってきた。
勝ったわけではない。
倒したわけでもない。
それでも、ブラッドブリードと戦い、生還した。
このヘルサレムズ・ロットで、吸血鬼に対抗できるのはライブラだけだ。
ダニエルは、それを疑っていなかった。
「しかし……」
ダニエルは再び、助手席のエイブラムスを横目で見る。
「何だ?」
「お前さんを乗せた車を俺が運転して、本当に大丈夫なんだろうな?」
「心配はいらん」
エイブラムスは自信に満ちた笑みを浮かべた。
「私は、乗り物の事故に遭ったことは一度もない」
「そうか。それを聞いて安心――」
その瞬間。
前方を走っていた大型トラックの荷台から、巨大な鉄骨が外れた。
回転しながら宙を舞った鉄骨は、護送車両のフロントガラスへ向けて一直線に飛んでくる。
「――できるかぁぁぁぁ‼」
ダニエルは絶叫しながら、ハンドルを勢いよく切った。
護送車両が道路を大きく蛇行する。
鉄骨はエイブラムスの座る助手席側を紙一重で通過し、後続の警察車両へ突き刺さった。
「ザップぅぅぅっ!」
『何で俺のほうに飛んでくるんだよぉぉぉぉ‼』
無線機から、最後尾を走るザップの悲鳴が響く。
エイブラムスだけは、何事もなかったように座席へ座っていた。
「ほら、事故には遭わなかっただろう?」
「まだ作戦始まったばっかりやぞ……」
ジョンは遠い目をしながら、窓の外を見つめた。
エンケビの雫の護送作戦は、目的地へ到着するよりも前から、すでに波乱の予感に満ちていた。
お気に入りや、評価くれたら、飽きずに続けられるかも(/ω・\)チラッ
注意:万が一感想を書いていただける場合、今後の展開を予想するのだけはやめていただけるとありがたいです。続きを書く気がまじで無くなるので……(´・ω・`)