俺と同じクラスの二宮さんは少し、変わっている人だ。初めて俺が彼女を見かけたのは、担任の先生と楽しそうに談笑しているのを見かけてからだった。二宮さんは友達という友達を作っていないみたいで、授業中も休み時間もいつも一人自分の席に座って静かに外を眺めている。だから、彼女が楽しそうな顔をしているのを見かけたのがあの時初めてだったと思う。そのせいか、それなりに彼女の珍しい笑顔が頭の中で印象が付いたし、ちゃんと笑えるんだと少しホッともした。だって彼女はいつも退屈そうに日常を過ごしているから。
そんな彼女は時折、一人で何かブツブツと呟いていた。誰かと会話をしているようにも聞こえる時もあったし、ただ独り言を喋っている時もあった。それが若干薄気味悪く見えてしまって、クラスの人達は彼女と関わろうとはしなかった。これがクラスで彼女を孤立させてしまっている理由に上がるだろう。
「先生聞いて!! 私の兄さんがさ──」
「はいはい。お前の兄さん自慢は分かったから!! 席につきなさい」
4限目の歴史の授業が終わると同時に、二宮さんは先生の元へ駆け寄った。そんな二宮さんを認識したらしい先生は「またか」と言うように少し嫌そうに顔を歪めた。そしてさりげなく、席に戻るよう伝えているがそれは二宮さんにスルーされてしまっている。
「えーーーー、先生まで話し聞いてくれなくなるの?? …仕方ない、先輩を吊るしあげるか」
「おい、今聞き捨てならない言葉が聞こえたぞ」
「だーいじょぶですよぉ。私の知り合いの先輩は基本バカしかいないんで」
「バカなら大丈夫か──ってなるか!!」
「わお! 先生ノリツッコミですね! まさかの大阪育ちだったりして?」
「…二宮、成績C評価、っと」
「あーー!! ごめんなさい!もう先生のことおちょくったりしないから評価下げるのはやめて!!」
二宮さんにはどうやらお兄さんがいるらしい。こうして時々、担任の先生にお兄さんの良さについて一人まくし立てるようにして語っているのだ。例えば「兄さんのもみあげカッコよすぎると思うんですけど先生、どう思います?」。如何にも真剣な顔と全く内容が釣り合っていない話題は先生の「知るか」で一刀両断にされていた。他にも「兄さんの足のサイズが0.3cm大きくなってました。赤飯炊いておくべきですかね?」という相談に対し、先生は「そこまで来ると気持ち悪い。お兄さんのためにもやめてあげなさい」と返していた。それに関しては俺も同意する。
ここまでの話でも二宮さんが中々にヤバ…ちょっと変わってる女性だとわかって貰えるんだと思うけれど、これを上回るヤバ…まあ、お兄さんの個人情報を流失していた。
先生は最早、二宮さんに絡まれることが慣れたらしい。授業が終わって、先生が教室を出ようとするとさりげなく二宮さんに教卓の椅子に座らせられ、ひたすらと永遠に、お兄さんの良さについて語られ続けているのだ。そりゃ、慣れちゃうよな…なんて思いながらも俺はこっそり聞き耳をたてているんだけれど。
その日、先生はB組のプリントの丸つけをしながら二宮さんの話を聞いていた。聞いていたと言っても「ふーん」「へー」「ほーん」ぐらいしか返していなかったんだけれど、二宮さんは特に気にしている素振りを見せていなかったため割愛する。
「先生ー、私、兄さんのことが少し心配なんですよ」
「へー」
「私、この前兄さんの部屋をくまなく掃除したんですけどね? 18禁の薄い本も出てこなければ、イカ臭いティッシュ一つ出てこないんです。兄さんって男として終わってるんですかね?」
クシャッと先生が丸つけしていたプリントがシワになる。しかもそのプリントはちょうど奈良坂くんのプリントだった。可哀想に、奈良坂くん…。
「なあ、二宮。それは…俺が聞いてもいい話なのか?」
「聞いてもいいって、私は先生に相談してるんですよ。私の身近な先輩に一人、相談したわですけどね? あの人なんて言ったと思います!?」
段々と熱が入ってきたのか、二宮さんは早口になり最後には教卓をバン!!と叩いた。その音があまりにも大きかったので、クラスの皆が二宮さんを見つめた。
「あのチリ毛先輩「アン? そんなの簡単な話だろ。お前のニーチャンが不能なだけだ」って言ったんですよ!!? ありえない! 兄さんが不能とかありえない!! 兄さんだって男だもん! 勃つ時は勃ちますよ!!!!」
「分かった!! 二宮の意見は、分かった。だから大声でそれを言うのはよそう。お前の兄さんのためにも、な?」
「…すみません、イラつきました」
「いや、うん、俺にじゃなくてお前の兄さんに謝ってくれ……」
瓶底メガネを普段着用している彼女の容姿はミステリアスな雰囲気を醸し出している。そして、彼女自ら誰かに話しかけに行くことを一切しない。そのため、静かな人とか、成績一位の人ぐらいの認識だったがそれは大きくクラスの中で変わった。大声で下ネタ、それもお兄さん関連の下ネタを暴露する人だ。お兄さんが不憫で仕方ないが、少しそれが面白くも思えてしまう。
「…二宮、そんな調子でお前の兄貴に彼女でも出来たらどうするんだ?」
「どうするも何も普通に応援しますよ?」
先生の問いに二宮さんは意外な回答を返した。てっきり「はあ? そんなの許しませんけど」同時に言うもんだと思っていた。どうやらそれを思っていたのは俺だけではなかったらしい。先生も驚いていた。
「え、私、兄さんの幸せも許容出来ない女だと思われてたんですか? それは心外です」
「そ、それはすまん…」
バツの悪そうな表情で先生は謝った。そんな先生を見て二宮は静かに首を横に振ると「私もそう思わせる言動があったのでしょう」と寛容に許していた。少しだけ、二宮さんの見る目が変わった。
「まあ、でも。──兄さんの彼女となりうる女は徹底的に調べあげますけど」
前言撤回。二宮さんはやっぱり怖い人だ。
* * *
次の時間が移動教室な俺は廊下を歩いていた。第一化学室に向かっていた俺は、たまたま第二化学室に用事を頼まれたらしい奈良坂くんとかち合い、行き先がほとんど同じ場所なので一緒に行くことになった。
道中、ボーダーのことを話したり、それこそ同じクラスの二宮さんの話もした。中々にユニークでミステリアスな女性だと伝えると奈良坂くんは「彼女のせいで俺のプリントが犠牲になったのか…」と少し悲しそうな顔で呟いていた。奈良坂くんのプリント、助けてあげられなくてごめん。
「しかし、中々に興味深いな」
「うん。眺めてる分にはなんというか…面白い人なんだ」
俺は二宮さんのことについて何も知らない。それこそ知っているのは先生との会話を盗み聞きした「兄がいる」という家族構成だけ。彼女と親しいらしい先輩の名前も知らなければ、彼女が今までをどう生きて、これからをどう生きるのかそんなことももちろん知らないわけだ。それでも何となく面白い人だと認識していた。クラスの中では静かで怖いというイメージの強い彼女だが、俺の中では朗らかに楽しそうな顔で笑うイメージが強い。
「辻から話しかけて見ようとは思わないのか」
その時、俺と奈良坂くんは階段を上っていた。ちょうどあと一段上がればカーブに差し掛かる場面だった。しかし、俺は奈良坂くんの何気ない一言に肩をビクつかせ、驚き足を踏み外してしまう。
ちっぽけな段差を上ることは叶わず、俺は重力に逆らうことなく背中から落ちていく。慌てた奈良坂くんが俺の腕を掴もうと手を伸ばしてくれたけれど、それは宙を切った。
背中の強い衝撃に備えて、目を瞑る。アザとかできちゃうかな。今日は体育なかったから良かったな。防衛任務は…トリオン体になるから大丈夫か。たった一瞬のことなのにそんな考えが頭をよぎる。そして、背中に強い衝撃が……来ない?
柔らかな、まるでクッションの上に落ちたような感触の次に、ドンとおしりから落ちる衝撃。おしりはヒリヒリと痛むけれど、背中はほとんど無傷だと言っても間違いなかった。「大丈夫か!?」と俺の身を案じてくれているらしい奈良坂くんの声で俺もハッとなった。
「…大丈夫?」
女の人の声が聞こえた。恐る恐る、振り返ってみるとどうやら俺の下敷きになってしまったらしい二宮さんが少し心配そうに俺を見つめていた。それを理解した瞬間、俺は二宮さんの上から瞬くスピードで退くと、アワアワと一人慌てながら謝罪の言葉を述べた。
つまるところ、俺は上から落ちてきてその落下地点に二宮さんがいた。ということは、俺の背中に当たった柔らかなクッションのようなものは二宮さんの胸だった、ということだ。親方!空から女の子が〜ではなく、これは立派な犯罪のような気がする。多分、これを犬飼先輩に話すと「辻ちゃんラッキースケベだね」と笑うはずだ。
「あ、あの、ふ、ふちゅ…ふちゅう、いで……お、お、おおおお、おち、落ちちゃって…あわ、あ、ああああ、あの、だ、だから………警察には言わないで下さい…!!!」
腰を90度に曲げ、俺は謝罪した。二宮さんは一瞬、ポカンとした表情だった。しかし、数秒俺の後に謝罪を理解したらしい二宮さんはクスクスと笑い始める。
「階段を踏み外したぐらいで警察には行かないよ」
「安心して」と言って二宮さんはポンポンと俺の肩に手を置いた。何となく、教室にいた二宮さんとは違う気がする。先生を茶化すような笑顔でもなく、どことなく嬉しさを纏わせる笑顔でもない。ただ能面を貼り付けた笑みのような、俺を見ているようで俺を見ていないそんな錯覚に陥った。そんなわけはないのに。目の前にいる彼女の琥珀色の瞳には忙しなく顔を動かす俺が映っている。
「…でもキミに怪我がなさそうで良かった。キミが怪我をすると困る人間がいるからね」
二宮さんは俺のことを知っているのだろうか。一年、二年と同じクラスではあったけど、ちゃんと会話したのもこれが初めてだろう。ただでさえ、俺は女性が苦手であるし、二宮さんも自分から他人へ近づくことは決してしない。だから、二宮さんに俺が認知されていることが凄く意外に感じた。
二宮さんとふいに目が合った。できるだけ合わせないように視線は動かしていたのだけれど、たまたま本当にたまたま合ってしまった。思わず「アッ…」と声が漏れてしまう。助けて、奈良坂くん。二宮さんと目が合ってしまったがために、衝撃に備えて強ばっていた身体は未だに力が抜けない。なんなら、あまり得意としていない女性が目の前にいるせいで、俺は化学の教科書と筆箱を包み込むようにしてギュッと力を入れてしまった。筆箱の中でシャープペンシルの擦れる音がする。
二宮さんはそんな俺の腕にチラリと視線を移動させるとこう言った。
「──化学室に向かう前に保健室、念の為に寄りなね」
そう言って俺に笑いかけた二宮さんの雰囲気はさっきと違うように感じた。先生と話している時のようなクシャりとした顔で笑うのでなく、微笑むようなそんな笑顔はどことなく俺や犬飼先輩、ひゃみさんを見つめる二宮さんを彷彿とさせた。そんな彼女に俺は目を奪われ──。
「…じ! おい、辻!!」
いつの間にか二宮さんは俺の前から姿を消し、入れ替わったように奈良坂くんがいた。俺は奈良坂くんに揺すられることで、飛ばしていた意識を現実の世界へと戻す。俯いている俺の顔を覗き込むようにして奈良坂くんは見てくる。その顔にはデカデカと「心配です!」と書いてあるように感じた。
「お前…なんでそんなにも顔が赤いんだ」
「え…」
奈良坂くんに指摘され、俺はゆっくりと顔を触った。顔はまるで沸騰してしまっているのではないかと錯覚してしまうほど、熱く、熱を持っていた。きっと俺の顔はりんごと同じぐらい赤いのだろう。「奈良坂くん…」と小さく掠れた声で奈良坂くんを呼べば、奈良坂くんは心配そうに「どうした、何かされたか?」と聞いてきた。
「にのみやさん、きれい…だったね」
「は?」
ドクドクと心臓の音がうるさい。心臓の位置である左胸を触れば、心臓はいつも以上の働きをしているように感じた。
「どうしよう、奈良坂くん…」
──二宮さんの笑顔が忘れられないよ
二宮 眞貴
兄が大好きなブラコン。友達は沢山いるらしいが本当かどうか定かではない。本当はA組でもついていけるほど勉学は秀でているのだが、テストを真面目に解かなかったがために解答欄をズラして提出しまい、C組となった。尚、本人はなんとも思っていないらしい。
担任の先生に兄の良さについて語り尽くしている。布教活動は怠らない。
下ネタに関しては保健体育で習ったこと以外は一切知らない。しかし、誰かの入れ知恵によって「男は部屋に薄い本の一冊や二冊隠してるもんだ」「男は夜な夜なシコシコしてるもんだ」と叩き込まれたため、そんな形跡が一切ない兄を心配している。善意100%のなせるこの技は、兄を社会的に殺した。それに気づいていない。ある意味天然。
まさかの辻とフラグが立った。
辻 新之助
眞貴と同じクラス。眞貴のことが気になってちょくちょく観察をしている。二宮の妹だとは気づいていない。
彼も男なので眞貴の兄に少なからず同情した。二宮妹が大声で暴露した兄の下ネタ事情がまさか自隊の隊長のことだとはつゆも思っていない。
疑似「親方! 空から女の子が〜」を体験したことにより、眞貴に惚れることとなった。絶対に諦めた方がいい。
奈良坂透
強化たけのこ担。日々たけのこの布教活動を行っている。眞貴に関しては辻から聞いた話しか知らず、本人とはボーダー込み込みでまともに会話したことはない。辻が惚れた相手なので、次の日ぐらいから聞き込みを開始する。
二宮匡貴
妹に思わぬ心配をされている哀れな男。別に不能とかそういうわけじゃない。多分、探せば、ある、はず…。そこは読者の皆様の想像にお任せしたい。
影浦 雅人
眞貴に相談されて0コンマで「二宮が不能なだけなんじゃね?」という結論を叩きつけた男。特に二宮のことに関しては好きでも嫌いでもないので、学校で不能扱いされていようが影浦には痛くも痒くもないし、なんなら若干ざまあみろと思っている。ちなみに二宮不能発言をたまたま聞いてしまった太一のせいで大事になりかけた。
担任の先生
モブキャラ。次出てくるかは分からない。性別は男の独身と言う設定がある。ちなみに教科担当は歴史。実は友達がいない(?)眞貴を心配して話し相手になってあげている。けれど、大声でお兄さんが不能とか言うんじゃありません!! もし、自分が影でそう言われていたら…と考えてゾッとした。