──火が上がる。
見慣れた筈の村の景色は赤く染められ、少しずつ形を失っていく。辺りに散らばる黒ずんだ燃え残りはそれがもともと何であったかも分からない。
──火が上がる。
悲鳴があちこちから聞こえて、そしてそのいくつかはもう既に聞こえなくなってしまった。そんな地獄の中心に私は何も出来ずにただ座り込んでいる。
──火が上がる。
逃げるべきだと何度かそう思った。立ち上がるべきだと本能が叫んでいる。けれど、足は動かず逃げ出す場所が思いつかない。
「あっ……あ……」
口から溢れ出た言葉は意味のないもの。私の心にある筈の苦しみも怒りも悲しみも、それらの一つさえ形として出力できなかった。ただ、それらはずっと私の心の中で渦巻いて、私の理性を押し潰している。
呼吸は苦しくない。ただ、現状を現実として受け入れていくのがとても苦しい。家があった筈の場所に黒い炭しかないのを認識するのも、地面に転がる焼死体を見つけるのも、ハッキリ言って限界だった。こんな苦しみを味わうくらいなら死んだ方がマシだ──苦しみに取り憑かれた今の私は
「ああ、ようやく見つけた」
「……あっ、あ?」
「苦節数十年、いやそれ以上か。とにかく私は目的のものを見つけることができた」
生きている人。私と同じように奇跡的にこの地獄を生き延びている人間。だが、しかしそんな相手を見ても私の心は落ち着く様子がない。
何故ならその男は私の知らない人だったからだ。ごく稀に旅人が来る程度しか人がこないぐらい辺境の地にある村に、村がこんな地獄になっている時に現れた男だったからだ。
「
「あっ……あっ、あっ……」
それまで動かなかった足が動き、その男から逃げるように後退る。たいした距離は稼げない。それでも足を動かし続けた。
その男が言っている言葉の意味は分からない。けれど、今はそんなことを気にしている場合ではない。早く、早く逃げなくては。
近くにある洞窟に逃げるのか、木々が多くて隠れやすい森に逃げるのか、少なくとも見晴らしがよい平原は避けるべきだろう──そんな大雑把なプランも考えることもなく、ただただ逃げようという思考が私を支配した。
「おやおや、逃げないでくれ。私は君には悪いことはしないよ」
「こっ、こないで……」
「ほらほらリラックスして?大丈夫、大丈夫」
ようやく意味のある言葉を口に出せたがその男は応じてくれない。私の後退る速さと同じくらいの速さでこちらに近づいてくる。
「さあ、私のもとに来てくれ。大丈夫、君を危険から守ると約束しよう」
「あっ、貴方は……」
「何かな?君の質問なら何にでも答えよう」
その男の表情にも行動にも悪意は読み取れない。全部善意で私に接しているようにしか見えない。だからこそ、私の心にも少しだけ期待が生まれた。もしも、この人が私の思っているようの人じゃなければと。
偶然、この地獄を見つけて、助けに来てくれた人かもしれないと……僅かながらもそういう期待が生まれたのだ。
「この村の惨状の原因ですか……?」
「ああ、そんなことか。安心してくれ──」
そんな私の少ない期待を乗せた私の質問に男は笑顔を見せて、こう答える。
「──勿論、私が原因だよ」
期待を打ち砕かれた私はすぐに立ち上がり、その男に背を向けて走り出す。ただ、その瞬間に頭に強い衝撃を受けて、すぐに倒れてしまった。
徐々に薄れ行く意識の中で、私はひっそりと願う。「ああ、誰か私を助けて」と──
──きっと、そこから先のことはその男しか知らない。
「──起きろ」
何か声が聞こえた。こちらを気遣っているような小さく優しい声。そんな声が聞こえて私の意識は少しだけ覚醒する。しかし、同時にまだ私のなかに残り続ける睡魔に襲われて、起き上がることができない。
声の主には悪いが、もう少しだけ眠らせてもらおうかなー、そう思ったときだった。
「さっさ起きろ」
私の背中に強い衝撃が走り、そのまま吹き飛ばされて硬い壁か何かへと激突する。同時に激痛が走り、睡魔に襲われていた筈の意識は一気に覚醒した。
「痛い、痛いです!!いきなり何なんですか!?」
「おっ、蹴ったら起きたな」
「『蹴ったら起きたな』じゃないんですが!!もっと優しい起こし方ってのを知らないんですか!?」
「声をかけただけで起きない方が悪い、以上だ」
「異常の間違いでしょうが……!!」
私は目の前の女を睨み付けながらそう言う。黒と白を基調とした服を着ていて、黒い布を頭から被っている。そこから、赤い髪がこぼれだしていて、よく見ればその髪と同じように瞳も赤い。
身長は私より一回り大きいぐらいだろうか。それでもなんとなくあまり年の差はないように感じた。というかそれより──
「痛い……本当に痛い……」
「大袈裟だな、手加減はしたぞ」
「普通、手加減された蹴りで人は吹き飛ばないんですよ!!」
背中に蹴りが一発、壁に当たって一発。合計二発の衝撃を私は背中に喰らっている。なんとか頑張らないと立ち上がれない程痛く、骨が折れていないのかを心配するレベルだ。
だが、目の前の女はそんな私の様子を気にも止めていないようで、反省している様子はない。会ったばかりだが、ハッキリ言って殴りたいぐらいには私は怒っていた。普通にカウンターを決められそうなのでそんなことはしないが。
「さてと、起きたならさっさと本題に移るか」
「本題とやらに入る前に謝罪が欲しいんですけど!!」
「痛がってる割にはえらい元気だな、お前」
「誰のせいですか!!誰の!!」
声を荒らげて叫んでも、向こうに私の怒りは一ミリたりとも伝わっていないらしい。ここまでくると、相手に対する感情が怒りよりも呆れの方が勝ってくる。時間が立って頭が冷えたというのもあるだろうが、私の怒りは徐々に静まってとりあえず状況を確認しようという気持ちの方が強くなっていた。
「はぁ……もういいです、本題ってなんですか?」
「まあ、本題って言ってもたいしたことじゃない。なんでお前がこんなところに寝ていて、どこで暮らしているのかってことを聞くぐらいだ」
「こんなところに寝ている……?」
「回りに集落が一つもない洞窟なんだ。そんなところで子供が一人寝ていたら誰だって疑問に思うだろ?」
「あーなるほど……ちょっと待ってください。今、思い出します」
よくよく言われれば確かに周りはゴツゴツの岩だらけの洞窟で、何か生活に必要な道具が置かれているわけでもない。旅人ならともかく、一般人の私が寝るような場所じゃない。
では、なぜ私はそんなところに寝ていたのか。それを思い出そうとして、思い出そうとして──
「──何も思い出せない?」
「ああ?」
「えっと、その何も思い出せないんですが……」
どれだけ思い出そうとしても、記憶がここで蹴り起こされる以前の物がない。さらには自分の名前、年齢、家族構成など知っていて当然のことさえも頭には浮かばない。
そんな筈はないだろうと、何度も何度も思い出そうと頭を働かせるが、求めていた情報はまるで最初から存在していないかのように浮かんでこなかった。
「本当に何も思い出せないのか?」
「そうですね……あなたに蹴られたことはちゃーんと覚えてるんですけど」
「……はぁ、めんどうなことになったな」
「本人を前にしてよく言えますね」
「これからのことを考えれば嫌でも言いたくなる」
そう言って目の前の女は頭を抱えて、何かぶつぶつと呟きだした。たまにため息をついて、チラリと見える顔は、もしもそれが絵ならば『面倒』というタイトルがつけられそうなぐらい分かりやすい表情をしている。
そんな姿に私はいったい何がそんなに面倒なのかと不満に思ってしまう。やることなんてほとんど無さそうだし、あって私を家まで案内する程度──案内?
「……あれ?」
よくよく考えれば、私は記憶喪失である。その忘却レベルは相当たるもので、帰るべき場所も家族は当然のこも、それに繋がるヒントすら思い出せない。さらに言えば、この洞窟も外に出て傍にある森も見覚えはないので、土地勘もない。
そしてこれまでの会話から、目の前の女は私のことを知っている様子はない。だから、事情や住んでいる場所を聞いてきた。
さて、これらから導き出せる結論はただ一つ──私の現状、結構ヤバくない?
もしも、誰にも見つけられることなく洞窟に放置されていたならばそのまま行き倒れるのが確定していたぐらいにはヤバい状況だ。なんなら、今もこの女に見捨てられれば変わらず行き倒れる状況である。
もっと媚を売っておくべきだった、そう思っても後悔先に立たず。私にできるのは私の命運を握っている目の前の女の倫理観がしっかりしていることを祈るぐらいである。
私が祈りを捧げようとしていると、どうやらちょうどそのタイミングで結論が出たらしい。目の前の女は顔を上げて、私にしっかり目を合わせてこう言った。
「記憶がないなら、行く宛もないだろ?ついてこい、衣食住ぐらいなら用意してや──って、なんだそのポーズ」
「いっ、いやなんでもありませんよ?ええ、なんでもありません」
即座に出たガッツポーズを隠して、そう答える。咄嗟に何かを誤魔化したのは明らかだったが、向こうはそこまで興味はないらしい。特に言及はされることなく、そのまま流された。
「さて、自己紹介をするか。私の名前はシスターマレーネ。マレーネと呼んでくれたらいい」
「じゃあ、マレーネさんと呼びますね。えっと、私は名前を思い出せないんですけどどうすれば──」
「目的地につくまではお前って呼ぶから問題ない」
「……それ、私はなんか嫌なんですけど」
「悔しかったら記憶を思い出すことだな」
想像以上にマレーネさんは性格が悪いらしい。そんなことを思いながら、洞窟を出て平原の中を突き進んでいくマレーネさんについていく。
洞窟とは違って、暖かい日光とそよ風が気持ちいい。地面も岩と違ってそれなりに柔らかいので寝転がるとぐっすり眠れてしまうんだろうなと思った。そんなことをしたら、普通に置いてかれそうなのでやらないが。
「そう言えば目的地はどれくらい先にあるんですか?」
「だいたい歩いて一週間ぐらいだな」
「へー、一しゅ──一週間!?」
「お前、なんか毎回リアクションいいよな」
「えっ、そうですかね?ちょっとうれし──じゃなくて!!一週間って、食料とかどうするんですか!?」
「んー、なんとかなるだろ」
「流石に適当過ぎません……?」
特に焦る様子もなく平然とそう言ったマレーネさんに少し引いてしまう。一応、手荷物の袋があるのでそれに食料が入っているのかもしれないが、それにしたって一週間分もなさそうだし、そもそも私という人間が増えているのだから、間違いなく足りない。現地調達でもするのだろうか。そこまで考えて、虫や爬虫類などを食べる光景を思い浮かべてしまったので、その想像を消し去ろうと話を変える。
「そんな遠くから何しに来てたんですか?この辺り、パッと見何も無さそうですけど」
「教会が把握していない村があるかどうかの確認って所だな。結構探したが、特にそんな村は見つからなかったし、記憶喪失のお前を見つけるしで一旦帰ることにしたけどな」
「教会ってなんですか?」
「……まさか、教会も忘れてるのか?」
「少なくとも今の私は分からないですね」
「ってことはシスターも分からないか?」
「シスターってマレーネさんの名前の一部じゃあ……」
私のその言葉にマレーネは洞窟の時と同じように頭を抱えた。どうやら、反応から察するに知っていて当然の知識らしい。まあ、なんにせよ私は記憶喪失なのでどうしようもないのだが。
「伊達に何も思い出せていない訳じゃありませんからね」と言うと、「誇るな」と普通に突っ込まれた。
「説明ってお願いできますか?」
「……じゃあ、今から説明するぞ。教会ってのは私を含む、シスターが運営してる人を守るために活動する組織だ。怪我や病気の手当て、集落での事件の調査。あとは魔属の討伐とかだな」
「魔属?」
「魔属ってのはちょっと説明がめんどくさいんだが……おっ、ちょうどあそこにいるな」
マレーネさんが指を指した方向を見ると、数十メートル先に牛がいた。牛と聞いてパッと想像できる姿そのものと言っていいほど、そのまんまな牛。ただ、その大きさはここから見ても分かるぐらい
「
「えっと、急に悪魔なんて言われても信じられないんですが」
「なら、普通じゃあり得ないような力を持ってる生物ぐらいに考えておいてくれ。で、その力を使って魔属は自由気ままに生きてるってわけだ」
「……あの牛がやけに大きいのもその力が関係してるんですか?」
「間接的にはな。その力を以て縄張りを支配して維持してるんだろ。だから、十分な食料が食べられてどんどんと体が大きくなってる」
「へー……」
普通じゃあり得ないような力って何?とは思いつつ、一通りの説明を理解する。どういう力かは想像できないが、縄張りを維持して成長しているあの魔属とやらがいるからには、そういう力があるのは間違いないらしい。
にしても、私たちはたいした食料がないというのに、何故あの魔属はちゃんと腹一杯食えるのか。羨ましい限りだし、なんなら分けて欲しい……いやまあ、草だろうから必要ないだろうけど。
そんな下らないことを思っていると、突然魔属と目があった。そして、向こうの様子がみるみるうちに怒っているような様子へと変貌していく。
「あのすみません、今私たちって……」
「ああ、アイツの縄張りに入ってるみたいだな」
「なんでそんなに冷静にッ──!?」
そんなやり取りをしている最中に魔属はこちらへと突進を仕掛けてきた。その巨躯から行われる突進は当たってしまえばひとたまりもないと、私に理解させる。ただ、問題なのはそちらではなくスピードの方だ。
それが数値にすればどのくらいの速度なのかは分からない。ただ、その魔属は
「はっ、速すぎません!?」
「速度特化型だな。基本的にすぐに逃げられる厄介なやつだが、巨躯な体なら武器にもできるのか」
ハッキリ言ってしまおう、私には目で追えなかった。マレーネさんが私の首を掴んで避けてくれなければ、間違いなく私はあの突進に巻き込まれていた。そして、そのあとどうなるかはもはや想像するまでもない。
どうやら、記憶喪失になる前の私はこんな化け物がいるような世界で呑気に洞窟で眠っていたらしい。自分のことの筈なのに怖いもの知らずかよと突っ込んでしまった──って、今はそんなことを考えている暇はない。攻撃を避けれはしたが別にあの魔属は傷ついている訳じゃない。つまりは二度目の突進が来る筈なのだから。
「こっこれ、どうやって逃げるんですか!?」
「逃げる?なに言ってるんだ──
「えっ、ちょっと置いてかないで……!!」
そんな私の制止もむなしく、マレーネさんは私を置いて魔属の方へと向かっていく。そして魔属がそんなマレーネさんへと向かって突進を仕掛けようとした瞬間──
切り裂かれた部位からは当然血がでていて、突然のことに魔属は突進をするのを止めてジタバタとその場で体を暴れさせる。マレーネさんはそんな魔属相手に臆することもなく
「まっ、硬化系でもなければこんなもんか」
「……えっ?」
全てこの目で捉えていた筈なのに、何が起きたかは全く分からなかった。あの無から大量の鎌、タイミング的にあれはマレーネさんが用意した物というのは分かる。ただ、私にはそれが無から現れて魔属へと襲いかかっていたようにしか思えなかった──けれど、
じゃあ、いったいどんな手品を使えばあんなことが……なんて困惑していると、マレーネさんは私に対して語り始めた。
「そういえば、シスターについて説明してなかったな。シスターってのは神に選ばれた人間……と言ってもよく分からねぇだろうからこう思っといてくれ」
ニヤリと、とても愉快そうな顔で私の疑問に対する答えを。
「
当然、私がその答えをすぐに飲み込めるかどうかは別問題である。困惑する私を他所に「今回はリアクション悪いな」とマレーネさんは呟いた。