「退屈だ……」
最近は特に平和で呑気で退屈なもので、さして面白い任務もなく、ただぼーっと電子暖炉の上に置かれた、青竜が丹精込めて育てている小さい花の咲いた鉢植えを眺めるだけの日が続いている。
訓練場に入り浸ればそんな退屈も少しは払拭されるのであろうが、体に適切な負荷をかけるようセッティングされたトレーニングメニューの前ではその希望は叶いそうにない。
例えば朱雀のように調香やショッピングだったり、青竜のように土弄りだったりといった趣味でもあればとは思うが、生憎生きていくことに必死だった俺にはこれといって楽しめる娯楽もない。
なんだったら、今丁度無い任務が娯楽の部類に入るくらいだ。しかも任務がないから肉だって食いに行けないし、この時期どいつもこいつも季節の変わり目のメンテナンスがなんだと言って各自仕事に取り組んでやがるものだから、遊べる管理人も居ない。
つらつらとやれる事が無いことを述べてきたが、要するに今、文字通り死ぬほど「暇」なのである。
ぶる、暖炉の温度設定が低いのか、肌を刺す寒さに軽く身を震わせる。寒さは好きではない。
作り物の腕はやたらと冷えるし、いくら特殊な作りとはいえ接続部に不快感も現れる。酷ければ拒絶反応としてありありと不具合が現れてしまう。
どっしりと腰を降ろした柔らかいソファーから動くのも面倒くさくて、脳神経回路に接続された機械部分に命令を出して視線を巡らせるだけで室内温度設定画面を探す。
様々な機密資料を横に避けてやっと見つかった画面には、今日の最高気温と差程変わらない数字が映っていた。
こんな頭の悪い数字に最終設定したのは誰だ?アホの管理人か?
眉を顰めて、設定温度を一気に上昇させる。
電子暖炉が稼働音を響かせ始めたのに満足して、いっそこのまま寝てしまおうと目を閉じようとしたが、その時見慣れない白い物がちらりと視界の端にうつった。
顔を動かすことも無く視線だけで窓の方向を見ると、なんてことはないただの雪だ。
こんな場所じゃ、しんしんと降り積もる雪が夜景の光に反射して白く景色を染める、なんてこともなくただただ白い物体がちらほらと、残りもしなさそうなくらい地面に消えてゆくだけであった。
最後に雪を見たのは何時だったか。こんな環境だから、本当に暫くぶりな気がする。
例えば、まだウザい奴が生きていた頃とか。夜遅くまで与えられた勉学に励む中で、ふと誰かが、あ、と声を出したのをキッカケに窓を見て気付いたのだ。
誰も雪だのなんだの騒いだり声に出したりはしなかったが、あの時、あの世界しかなかった実験体達が珍しく浮ついた雰囲気になったのを覚えている。あいつもそうで、寝る前には初めて見る雪の話で持ち切りだった。
正直な所、触れない食えもしない雪に何の興味もわかなかったが俺はそこで初めて雪というものを知った。雪は、大気中の水蒸気が寒さで固まって落ちてくるもの。
こんなに退屈なのだから、雪のせいで自分の全身も固まってしまうかもな、なんてありもしない馬鹿なことを考えた。
昔のことを思い出すと頭がズキズキと痛むし、視界の端にもさっきからちらちらと「いる」ので、今度こそ全てを遮断したくて目を閉じた。
しかし、数秒もしないうちに重苦しい扉の音で白虎の静穏は打ち切られた。
「白虎、そんな所で寝ると風邪を引く」
土いじりが趣味の奇特な隊長様が帰ってきたからだ。白虎と同じく義肢を持つ青竜も、この雪で土いじりを中断したのだろう。
白虎は隠すこともせず盛大な舌打ちを決めて、改めてソファーに丸くなった。
青竜がこんなまるで気遣うような一言を発するのだって、身体の異常で任務に支障が出ることを懸念しているからで、別に白虎のことを気遣っているわけではない。
そんなのは白虎だってわかっているし、自分の行動の責任くらい取れるからこんな暇で暇でだるい時くらい好きにさせて欲しいと思う。
白虎が微動だにしない姿勢を見せると、青竜はその様子を気にする事も無くガサガサと音を立てながら、土いじりの道具を持って自室に戻って行く。
白虎は再びの静穏にほんの少しだけ喜びを感じたが、今度は首根っこを引っ掴まれ、体が宙に浮く感覚で今度こそ覚醒せざるを得なかった。
「おい!何すんだよ!」
白虎の身長をゆうに越えてくるこの鬱陶しい奴に宙にぶら下げられれば、白虎は主導権を失ってぷらぷらと安定しない重心に遊ばれながら力の入りきらない腕で余りに無様な抵抗をする事しかできない。
その証拠に、尻尾の先で軽々と白虎を持ち上げた青竜は、まるで抵抗する白虎なんて居ないように自室へ入っていく。
適度に散らかった白虎の部屋と違い最低限のもので整頓されたこの部屋へ入るのは初めてではないが、こんな残念な入場の仕方は初めてで、カッと頭に血が上る。
壊し、殺すことに特化した白虎の身体能力は、少しの軸の整えで体勢を立て直し反撃する事を可能にする。
ほんの少し身を捻り自分を引っ掛けている尻尾を引っ掴んでくん、と体勢を持ち直すと、それを軸にして青竜に殴り掛かろうとした、が、結果的にそれは不可能であった。
白虎が一瞬、ほんの一瞬軸を青竜の尻尾に預けたその瞬間に、青竜は尻尾を操作し白虎を自身のふかふかのベッドへ叩きつけた。白虎は主導権を完全に掌握されたことで無惨にも顔面からベッドへ墜落し、何も無い部屋に大量の毛ボコリを蔓衍させることとなった。
いくらふかふかのベッドだからといっても、自身の勢いと尻尾の勢いで頭から叩きつけられれば頑丈が自慢である流石の白虎でも目眩がする。
それも数瞬の内に治まり、はっ、と気がついて青竜に噛み付こうとしたが、その時にはもう青竜はパソコンの前に座り、データを書き込んでいた。つまり仕事中である。
いくらウザくても、相手の仕事を妨害すると巡り巡って自分が怒られることを知っている白虎は、苛立ちに歯が折れるのではというぐらい歯を食いしばり、ふん、と尻尾を勢いよく壁に叩きつけると、自分が叩きつけられたベッドへ潜り込んだ。
ネズミすら入ることの無い清閑な部屋に、青竜が入力する電子キーボードと2人分の小さな呼吸音が響く。
覚めてしまった眠気がくるまで、と青竜が向き合っているパソコンの画面を遠目で見遣るが金闕の技術力で専用の電子回路に接続している者以外には暗号化されて見えるようになっており、意味の無い羅列は何の面白みもない。
仕方ないとばかりに今度は青竜本人に視点を移す。仕事着と違い外気に晒されている訳では無いが、着込まれた服越しからもわかる、しっかりと実用的についた筋肉が伺える背中は広い。
力の象徴であるその体を認識すればする程、朴念仁で所謂モテモテのキラーのこいつの趣味が、何の変哲もないその辺に生えていれば無遠慮に踏みつけられてしまいそうな草花の手入れだということに、先程の怒りも忘れて、滑稽で面白くなってきてしまった。
だって、何の感情も抱かず他者の命を散らせることができるこいつが、こんな感情もない、俺から見れば命ですらない矮小な存在を慈しんでるなんて!
くつくつと笑いを押さえ込み喉の奥で音を鳴らす。
「眠れないか」
抑え込んでいたつもりだったが、気配に聡い青竜には気付かれてしまっていたらしく視線を寄越される。
「いや?よく眠れそうだよ」
まるで赤子か動物かを宥めるように伸ばされた手を受け入れる。
いつもなら噛み付いてやるが、その掌の中で散った数百の命とのギャップを考えると楽しくなってきてしまった。
毛繕いのように髪を指先で梳かされると自分ではない慣れない他者の感覚から、今度は寒さではなくその温さで全身がぶる、と震えた。
こいつが扱う草花と同じような扱いなのは大変不服だが、今日だけは許してやる。いつの間にか彼女も居なくなった。
撫でられる感覚に瞼を閉じて布団を抱き込み、丸くなって今度そこ寝に入る姿勢になる。
「お休み」
そんな台詞を聞いたのは何年ぶりだろう。幾許かぶりの心地良い眠気に微睡み、夢すら見ない暗闇に手を引かれて落ちてゆく。
普段の騒がしさとは程遠く。
まあ、でも、偶にはこういうのも悪くないだろう。