―――バイタル正常。異常事項なし。依然意識回復見られず。青竜は医療班から届いた先日と変わらぬ連絡事項に目を通して、タブをスライドし閉じる。被検体No.003、名称「白虎」が目を覚まさなくなり、中宮、四聖獣は活動の大半を休止していた。
重大な任務の予定はないものの、一角たる白虎が目を覚まさない状態がこのまま続けば四聖獣としての活動に支障が出るのは間違いないだろう。早急に復帰させる必要がある為、医療班も様々な事項を試している最中だが、現在生理的な反射以外、ピクリとも反応を寄越さないらしい事だけが日々報告されていた。
貴重な成功作となる被検体のため簡単に廃棄変更とはならないが、「完璧な生物」の作成を目指す金闕にとって、この状態は喜ばしくはないであろうことは想像に容易い。チームで難易度の高い任務を確実に遂行する四聖獣にとっても痛手である。
四聖獣側からも何か案を出すようにとの念も押されており、四聖獣の残された面々、朱雀、青竜、玄武は今の状況に窮していた。 浅いソファーに座り込み、各自が電子モニター越しに睨み合う。
「先ず、白虎が何故突然にシャットダウンを起こしたか、よね」
静かな睨み合いの中、困ったように眉をひそめながら朱雀が呟く。
「定期計測のデータを見返したけど、目立った異常はなし、しかもシャットダウンしたその瞬間からも異常なし……。未だ発生してなかった拒絶反応の部類だと考えるけれど?」
朱雀が言うように、神獣の遺伝子を取り込んだ四聖獣の拒絶反応、侵食は未知の部分が多い。青竜自身も、時折頭が割れるような頭痛が起こったり、機械が成り代わり存在しないはずの脚が酷く痛むなどの拒絶反応を体験をしていた。
普段はコントロールできる範疇であるため異常なしと報告されるが、神獣の遺伝子を移植している以上、いつ何時何が起きても不思議ではない。
現在の段階では『拒絶反応』が一番有力な仮定だとは思うが、仮定の成立はこちらに明確な対処の術がないことを意味する。
……そもそもの事の発端は、数日前の大規模な戦闘を主とする任務を遂行した日。青竜は当時、血の雨に酷く高揚した状態の白虎に任務完了を告げ、白虎は不満げに、しぶしぶ、といったような雰囲気を隠さず帰還を承諾した。
「―――………!!」
全員が戦場から踵を返そうとしたその時、白虎の、まるで実験中のような、言葉にすらならない耳を劈くような悲鳴が、その場に居た全員の鼓膜をふるわせた。
青竜が振り返った時には既に白虎は左腕を抑えた形で地面に転がり、気を失っていた。予定外の事態に白虎を即座に回収、撤退し医療班に明け渡した後…数日が経過し今に至る。
つまり全くと言っていいほど事態は進展していない。四聖獣は通天の直属の手駒であり、ありとあらゆる任務をこなす優秀なチームであるが、今回ばかりは全員がお手上げだ、言うように過去の資料を只管読み耽っているだけだ。
ビー!ビー!
全員の端末から、けたたましいアラーム音が鳴り響く。次に電子の音声で、緊急であろう要件の読み上げが始まった。
『白虎覚醒。対象は錯乱状態にあり研究員を数名殺傷。四聖獣、対象の確保に移れ。繰り返す……』
音声が一周し終わり、それを合図とするかのように全員が立ち上がる。ここから実験棟までは重沢を使わずとも走った方が早いだろう。言葉を交わすことなく全員がそう推測して、リーダーとなる青竜が先頭となり飛び出した。
―――現場は想像より悲惨なものであった。そもそも、多少の訓練を積んでいるとはいえ、戦闘員が普通の警備員しか居ないこの棟は、力でねじ伏せられてしまえば四聖獣である白虎の力に抗えない。
壁には思いっきり頭をねじ込まれたのであろう死体が頭が潰れ埋まった状態でぶら下がっているし、好きに引き摺り回したのかあっちこっち力で無理に押し潰された死体が無造作に放置され、壁や床に血で線を描いている。
辺りにはからからと水分のない喉に粘液が絡んだ獣とも人ともつかぬ醜い笑い声が響く。抹殺を主な任務としている四聖獣にとっては最早慣れたものだが、見る人が見ればこの世の終わりのように思える光景だ。
笑い声の元凶は潜んでいるのか影も形も見えないが、部屋の中に居るのは確かである。頑丈な扉の前で恐怖に震える研究員達を後目に青竜達は扉を開ける。
「……、!」
対象鎮圧のために一歩踏み込んだその時、青竜は尋常ではない殺気を感じて再び一歩下がった。
青竜は正しかった。青竜が先程足を置いたその場所は、特殊素材の超硬合金の床が柔らかい豆腐のように突き破られ、生物がここに居たら一瞬のうちにぺしゃんこになってしまう事が容易に想像できる深いクレーターができていた。
そのクレーターの中心に居るのが何かは想像に難くないだろう。白虎だ。白虎は手応えが無かったことに苛立ちの呻きのような声を上げながら、戦闘時のような殺す対象を見る鋭い目で青竜を見上げる。
普段と違う真っ白な実験着を血で赤黒く汚し、多量に繋がれ引きちぎられたコードをそのままぶら下げながら、野生動物がするように侵入者に対して牙を剥き、四足で姿勢を低く保っていた。喉の奥から血の入り交じった、こぽ、という音を響かせ、野生動物宛らの唸り声を出す。
そんな白虎の姿を、青竜は見られたものが凍てついてしまうような冷たい眼差しで見下ろした。なぜなら青竜は、対象に情の一切を抱くことはない一流のキラーだからだ。対象が普段のチームメイトであろうとも、青竜が揺らぐことは無い。そんな青竜の視線に、白虎はより毛を逆立て声を低くする。
「あら、本当の猫ちゃんみたい」
扉との隙間を通って朱雀が顔を覗かせる。新たな侵入者に白虎が飛び掛かろうと地面を踏みしめた瞬間、その地面は玄武によって崩され、白虎はバランスを崩しながらも素早く後退していった。
青竜は白虎のその様子を見届けてから改めて室内に足を踏み入れ、後の二人も青竜に続く。
青竜は銃の電圧を殺害ではなく捕獲する為に手早く調整し、両手で一回転させ持ち直しながら、銃口を威嚇し続ける白虎に向けた。
「任務開始」
青竜の口から発せられたたった四文字の言葉が後の二人を突き動かす。作られた翼を広げた朱雀が生み出した火鳥が一斉に飛び立ち、四方八方から白虎を追いたてる。
白虎は燃え盛る火鳥を本能的に嫌ったのか、追い付かれないように反対側の壁に向かって走り出した。それでも火鳥は素早く、ついには白虎に追い付こうとした。しかし白虎はその瞬間壁を蹴り、急激に方向を転換させることで止まれなくなった火鳥を壁に叩きつけた。
それも予測していたというように、着地した瞬間の白虎に朱雀の高温羽翼が突き刺さる。
「が、あぁ!」
自分を傷付ける何者かに白虎の視線がより鋭くなり、見開いた瞳孔で赤い姿を見据える。白虎は自分に逆らう者に標的を定め、地面を蹴りつけ、朱雀をただの肉塊に変えようと飛び出した。
ずるり、傷付けられたことにより、先程と打って変わって周りを一切視界に入れない猪突猛進な突進は、玄武の淵水によっていとも簡単に絡め取られた。しかしそれでも一度足を滑らせただけで、再びの踏み込みを止める力は持たない。攻撃の対象となっているはずの朱雀は余裕の表情で、へぇ、と含み笑う。
一度激的に減速した白虎の爪は朱雀に届くことは無かった。誰の制止も入らなければ別だったかもしれないが、スピードが緩まった状態では敵の照準から抜け出すのは容易くない。バチ!誰の耳にも届く強い電流の音が空間に響き一瞬部屋の明暗をコントロールする。
明暗が切り替わる瞬間、全身をガクン、と震わせた白虎は、ふらふらと二、三歩覚束無い足取りで前身しつつも、くらり、二度目の意識消失と共に地に倒れ伏した。
いくら四聖獣の一角であり実力があると言えど相手も同じ四聖獣。普段からチームワークが求められる、というのはこういった実力で差が付けられない場面において圧倒的有利を勝ち得る為である。
白虎の無力化が確認され、バタバタと外から様々な人がなだれ込んで来て後始末を始める。青竜は職員の促しで、白虎を運び、より強固な檻に入れて、念の為四聖獣が一人監視に付く形で観察を続行することとなった。
白虎が目覚めたのは翌日、玄武が担当の日で、四聖獣には玄武から直接連絡事項が届いた。
『白虎が目覚めた。覚醒当初は昨日のような凶暴性が見られたものの、食事を与えたら大人しくなった。しかし獣のような症状はまだ見られており、言語を話すことは愚か理解することもできていないと考えられる。念の為数日現在と同じ形態で観察した後、管理能力と制圧能力を見て、青竜、貴方が暫く彼の担当することになった。場所と道具が至急されるから、少なくとも数日住処を移れるように準備しておいて』
その文章を読んだ青竜は微かな頭痛を自覚した。
確かに、朱雀は先日の件で顔を覚えられ凶暴性を煽ってしまう問題がある、玄武は咄嗟の対処能力に欠ける、となると適任となるが、青竜が好きなのは静かに水を受け入れしとしととしなる植物であり、決して白虎のような、ましてや最高潮の危険性を孕む気性の荒い動物ではない。
結局数日経っても症状に改善は見られず、引き続き青竜が管理をすることに決定された。遺伝子への適応が高かったのか、それとも低かったのか。原因も明かされないまま青竜は「猫」を飼い始めることとなった。
青竜が指定された部屋へ入室した時、再び暴れ出した時に脊髄の電気信号をコントロールするための黒い首輪を嵌められた白虎が、侵入者にも気づかず床に転がってすうすうと寝息をたてていた。
青竜は眠っている白虎を後目に備え付けられたキッチンに入り、仕事の共とするため粉末状の豆に湯をかけ簡易的にコーヒーを作る。本格的なコーヒーに拘りを持つ者もいるが、カフェインの覚醒作用を期待するだけの青竜にとってはこれで充分だ。
湯気と共にコーヒーの匂いが部屋に充満する。白虎の観察に戻るためカップの取っ手を手に取ると、白虎がいた部屋の方から、かた、いう小さな物音がして、開いた扉の隙間から先の黒い丸い耳がひょっこりと現れた。
白虎は、この数日の間にすっかり「顔見知り」になった青竜のことは気にかけず、不思議な香りを漂わせるコーヒーを覗き込み首を傾げる。
「……飲むか?」
白虎がコーヒーを飲めるという話は聞いたことも見た事もないが、飲めないことも無いだろうとカップを目の前の机に置く。
置かれたコップを見て顔を近付けた白虎は、未だ食器の扱い方をマスターしていない。つまり、直接舌をつけることになる。
予測通り真っ黒なコーヒーに直接舌をつけた白虎は、その瞬間一目見ただけでわかるくらい毛を逆立てて、コップに顔をぶつけて机を真っ黒に汚しながら、びゃっ、っと飛び上がった。
何時しかテレビで見た胡瓜に驚いた猫のようだ、という感想を持ちながら、一気に警戒態勢に入ってしまった白虎に対して今度は食べ慣れたジャーキーを突っ込む。白虎は意外にも素直に口に含ませられたものを噛み締め、ジャーキーの食感を味わっていた。
逆だった毛が段々と元に戻るのを確認しながら、改めてコーヒーを淹れ直し部屋へ戻る。白虎は完全に危険物と認識したコーヒーを持った青竜と一定の距離を置いてはいるものの、部屋に戻る青竜の後を大人しく着いてきていた。
青竜は作業用に備え付けられたデスクに座り、白虎が興味深々といったように隣に腰を落ち着けるのを見届けてパソコンを起動する。
いくら観察の為に例外的な処置がしかれているとはいえやらなければ仕事は溜まる。青竜が画面に文字を入力する様を白虎は暫く目で追っていたが、暫くして飽きたように欠伸をして寝転んでしまった。
今やっている仕事は先日白虎が研究員を殺したことにより発生したもので、今白虎にその知能がないのは把握しているが多少は考慮しろ、という思いを込めて無防備になった腹を擽ってやる。
擽ったさは感じるようで、白い塊はくるくると体を捻りながらけらけらと笑う。
それでも退屈から解き放たれたのが嬉しかったのか、青竜から距離を取ることは無かった。青竜はそんな白虎の姿に意外性を感じた。普段から戦うことだけが楽しみの白虎が、こんなくだらない事で、それもこんな顔をするなんて。
人であることを奪い去られた白虎は、まるで生まれたての赤子のようだ。青竜と白虎は出生も育ちも違うので深くは知らないが、実験の被検体として拾われ育てられてきた白虎にとって、幾ら望もうがこんな時間が訪れることは決して無かったであろう。
こうして被検体として数々の実験を受け成功し、四聖獣としての立場を得た事は恐らく白虎にとって幸福なことであった事は間違いないだろうが、それはあくまでも実験用の孤児として育てられた白虎の場合であり、もしかしたら白虎も金闕にさえ関わらなければ平和に生きていくことができたのではないか、と有り得ない考えが脳裏をよぎる。
当の白虎はそんな青竜の考えを知ってか知らずか、青竜の股座に潜り込み金属製で硬い大腿に上半身を乗せて寝転がる。
本当の猫みたいだ。今、恐らく白虎は普段抱える全ての悩みから解放され、本当に、「本能のままに」動くことができているのであろう。
白虎が元に戻った方が幸せなのか、それとも今のままが良いのか、青竜にはわからない。確定していることは、このままの状態が続けば、白虎はそのうちに処分されるだろうということだけだ。
そんな事もわからない状態である白虎は、青竜の膝の上でまた寝息を立て始める。
年相応のあどけない寝顔とでも言うのだろうか。彼の手によって死に行く人々が見る普段の凶悪な笑みからは想像もつかないような寝顔で、白虎は頭を撫でる青竜の手を静かに受け入れて眠っている。
同じチームのメンバーとして多くの時間を共有してはいるものの、白虎の寝顔をこうして見る事になるとは思ってもみなかったし、長くても数日後には二度と見ることもなくなるだろう。
柔らかく押し返してくる白虎の髪や耳から手を離し、仕事に戻る。白虎は小さく身動ぎをしたが、起きる様子はなさそうだ。
カタ、連絡事項の最後の一文字を入力し終え送信を押した青竜が窓を見ると、すっかり日が暮れていた。
何時だって天候の悪い金闕周辺の気候事情を鑑みると、珍しく雲の隙間から見える落ち掛けた夕焼けが二人分の影を室内に作り出す。
コンコン、軽いノックが第三者の来訪を告げ、廊下側に備え付けられた金属製の薄い窓が開く音がした。どうやら食事の時間らしい。
第三者の気配に目を覚まし、瞬きもせずじっと周囲の様子を伺う白虎の頭を捏ねくり、「食事だ」と告げると、やっと青竜の膝を解放し立ち上がった。
白虎は目敏くも開かれた台の上に置かれた二人分の食事に目をつけ、すん、と匂いを確かめながら箸も食器も無視して、焼かれた肉を素手で取ると豪快にかぶりついた。宛ら動物園の虎が飼育員に貰った肉を食らうような様を見ながら、青竜も食器を机に移動させ食事を摂る。
好きな物だけ選んで食べ、青竜よりも幾分か早く食事の終わった白虎は、食事を続ける青竜のプレートにまだある肉をじっと見つめる。仕方ない、と肉を摘んで口の中に入れてやると、白虎の背にゆらゆらと揺れる尻尾が伺えた。
食事を終えた青竜は白虎の食べ残しと空になった食器を元の場所に戻し、尻尾をくねらせ機嫌良さそうに青竜を見る白虎を見やる。
順当に行けば次は風呂に入れなければならないが、どうも今の白虎は水が苦手なようで、過去に風呂場に誘導した研究員が一人負傷した事例が報告されていた。
「せいりゅう」
どうしたものかと考える青竜の耳に、不意に人語らしき言葉が届く。驚愕を持って白虎を見ると、白虎は再びたどたどしく、せいりゅう、と鳴いた。一瞬戻ったのかと思ったが、それにしてはたどたどしいし元の彼なら青竜を待って大人しく寝転んではいないだろう。
しかし、例え一言語でも言葉を発した事は事態の進展である。青竜は空中に映像を映し出し、映る人物の一人一人を指さす。白虎はそれに合わせて、すざく、げんぶ、じょかさま、と首を傾げながら答えた。答えられてはいるものの、本人にもわかっていない状態なのかもしれない。
これは良い収穫だ。上手く行けば処分の期限も伸びるだろう。
今日の報告内容が改善された物になることに安堵した青竜は、すっかり風呂のことなど忘れ去っていたが、白虎がひく、と鼻を動かして自らが着用している実験着に鼻を寄せる。
白虎が着ている実験着は食い荒らした食物でベタベタになっているし、まだ食い足りないのか実験着に噛み付く白虎を見て青竜はひしひしと風呂に入れる必要性を感じていた。替えは恐らくセットしてあるだろうから、問題はどう脱がせて風呂に入れるかだ。
この悩みは存外直ぐに解決した。脱ぎ着し易い実験着であったことが幸いして、首元のボタンを緩めて首根っこを引っ張れば白虎の目立った抵抗もなく簡単に脱がせることができた。
風呂への誘導については、自分から行かせることは諦めて俵のように担いで風呂場へ連れてゆく。
知識はなくとも何となく嫌なことをされると感じ取ったのであろう白虎は尻尾を膨らませて青竜の服の上から爪を立てるが、それはまるで仔猫の抵抗の様にか弱く青竜にとっては気に止めるほどのものですらなかった。
隙を見て逃げられてしまうと面倒なので自分のことは後に回し、風呂場に座らせた(というか勝手に縮こまった)白虎に対して、服が濡れることも厭わず蛇口を捻り頭から湯をかける。
白虎は驚いて身体中の毛を逆立てながら風呂場からの脱出を試みようとするが、扉は青竜の背後である。
その内にすっかり水を含んで萎んでしまった白虎を、手早く犬にするようにシャンプーを泡立てて洗う。結果として思ったよりも抵抗もされず、ほぼ滞りなく風呂に入れることができた。
白虎はすっかり乾かされた長い髪を下ろして、苦手意識から緊張していたのか、ソファーでぐったりとしている。
こんなのが毎日だと溜まったものでは無いな、と思いながら白虎が倒れ伏して動く気配がないことを確認してから、青竜も一人風呂に入った。
青竜が報告レポートを書き終えた頃には、一人にしていた白虎は我が物顔でベッドを陣取り寝息を立て、気持ち良さそうに眠っていた。
ベッドをこうも占領されてしまっていては白虎を退かしてベッドを使う訳にもいかず、ベッドは諦めて青竜はソファーに横になった。青竜が目を瞑った頃、動く青竜の気配に目が覚めたのか、白虎がもぞもぞと動く気配がする。
相手をしてやる理由もないのでそのままにしておくと、やがて、ぼす、という鈍い音と共に腹に重みを感じた。最早目を開けて確認せずとも良いだろう。
どうやら暴れに来たわけでもないようなので放置しておくと、青竜に連れ添うようにソファーの残された狭いスペースで無理矢理横になり、再び寝息を立て始めた。
本当によく眠るな、と思いながら、下手に目覚められても面倒なのでこのまま眠ることにする。
今の白虎は理性のないただのデカいだけの猫とは言え、何故にここまで青竜に甘えるのかはわからない。
本能か、はたまた過去の反動か。いっその事不気味さまで感じるが、危害が無い事に越したことはないのでこの状況をどうにかする手立ても特に考えずにいた。
――ヴ、ヴヴ
青竜の眠りは昔から浅い方であったが、存外自分のものでは無い体温は、ぬるま湯に浸かったような眠りを届けてくれるらしい。
青竜が目を覚ましたのは知らぬ衣擦れの音でもなく、連絡の通知ですらなく、獣の様な唸り声からであった。まだ夜は深いらしく、カーテンの隙間から覗く月明かりのみが部屋を照らしている。
月明かりがちらちらと暗がりの白銀に反射する様はまるで本物の聖獣が降り立ったようだが、残念なことにこの機械と紛い物の聖獣が告げているのは平穏ではないようだ。
白虎に覆いかぶさられているような姿勢の為よくは見えないが、白虎の開いた瞳孔は窓を見つめている。
一流のキラーである青竜も、恐らく白虎が感じたであろう同じ殺気を感じ取っていた。警報も鳴っていない、通達もないとなると手引きした者がいるか、相手もプロである可能性が高い。
一先ず白虎を安全な場所へ移動させる為退けようとしたが、白虎はまるで青竜を守る様な姿勢のまま頑なに動こうとしない。
緊急事態にこんな所で仲間同士で問題を起こしている場合ではない。青竜は無理やりにでも白虎を退かせようとする。
その瞬間、聞き慣れたサイレンサーで薄められた銃声が耳を掠めた。普段の青竜と白虎であれば銃弾を避ける事などわけもないが、今は状況が違う。
「せ、りゅ」
しまった、と思うよりも早く目の前の白虎が呻き、震え、青竜の上に崩れ落ちた。図らずも白虎が倒れた事で自由になった青竜は素早く白虎を抱えて窓からの死角となる物陰に隠れる。
「白虎」
周囲への注意を怠らぬまま、白虎の状態を確認するべく短く声をかけるが返答がない。
ただ、荒い呼吸は聞こえるので心臓を撃ち抜かれて即死、ということは無さそうな事に安堵する。目立った出血が見られる訳でもない。しかし、白虎は意識が朦朧としているのか、体を動かそうとしてもかた、かたと震えるだけで、どこかぼんやりした瞳で青竜を見上げることしか出来ないようだ。
「交渉しよう。四聖獣。この塔のあらゆる場所に爆弾を仕掛けてきた。その【白虎】を渡せば、大人しく引こう」
恐らくキラーであろう。青竜に語るその声からは何の感情も読み取れない。どこから情報が漏れたのか、相手は白虎が現在まともでない状態であることを知っているようであった。
白虎が個体名を指すのに対し、青竜の事に言及していないという事は相手は此方が誰かはわからないのだろう。様々な可能性の中では不意がつきやすい、好都合だ。
白虎の事を考えると早めに決着を付けねばならない。青竜は静かにボタン一つで朱雀、玄武に緊急事態を伝えるが、恐らく相手からもお見通しであろう。相手が待つとも考えづらい。
青竜が中々決着に踏み出せない理由は、相手の場所が正確に特定出来ていないことにあった。
いくら青竜が素早くとも、無駄撃ちして反撃にあっては意味が無い。白虎は戦力にならない。外側に備え付けられた監視カメラの映像を確認しても、ハッキングされているのか青竜の元には普段と変わらぬ映像が繰り返し届けられているだけだ。
思考を巡らせる。どうする。囮として相手の提案に応じるか。しかし、相手の目的として考えられるのは金闕が開発した生物兵器たる実験台のサンプルとして生きた最終実験台が欲しい、その程度だろう。つまり青竜は一瞬でも姿を表した瞬間射殺される可能性が高い。
僅かコンマ数秒の沈黙を破ったのは、動けないはずの白虎だった。白虎が突然激しい歯軋りと共に大きく猛り、ばち、ばちと義肢が鳴らす電磁の音と共に、その肢体を見慣れたアーマーが覆う。
「白虎!」
青竜が諌めようとするも、白虎は止まらなかった。アーマーに銃弾が当たる音を響かせながら、一直線上に窓から外へ飛び出す。
まずい。幾ら動けないはずの白虎が不意を突いたとはいえ相手はプロだ。何の指示も考えも無しに動く今の白虎では討ち取られることも十分に考えられた。青竜は義足を展開させ、最高速で白虎の後を追う。
銃弾が肉に当たった鈍い音を鳴らす。白虎の呻きが聞こえる。青竜が白虎に標的が向いていることを確認しつつ警戒して外に出ると、最悪にも予想通り、壁の出っ張りにぶら下がる白虎の脇腹には赤い花が咲いていた。
素早くこなさなければ。相手の位置を確認し、銃口をこちらへ向ける動作と同時に青竜も加速を得ようと壁を踏み込んだ。
その時、白虎の体がぐらり、と傾く。この下を見下ろせば人が粒のように見える場所から落ちてしまえば間違いなく跡形も無くただの肉塊になるだろう。
青竜にとって白虎は、絶対の擁護対象ではない。生命はいつか終わる。ここで白虎が終わるなら、それも運命だろう。青竜にとって優先すべきは対象の抹殺――のはずだった。青竜の脳裏には、この一日の白虎の様子が浮かぶ。気付けば、落ちゆく白虎を振り返っていた。
しかし、一瞬の逡巡があった青竜よりも、目標を回収しようとするキラーの方が早かった。キラーは、落ちゆく白虎に壁を蹴り手を伸ばす。
「ぐ、が、は、はは」
……その笑い声が幻だったのか否か、青竜にはわからない。ただ、確かに青竜はその刹那の中、アーマーの下酷く歪に口元を歪ませる白虎を見た。
白虎は空中で回転しいとも容易く姿勢を整え、展開された左腕を自らに迫るキラーに叩き込んだ。
白虎の一撃は壁ごとキラーの腕を破壊し、白い機体を赤く赤く染めながらキラーを室内へと叩き込んだ。白虎だけが立つ、砂埃が舞う部屋にけたたましい警報音が鳴る。
キラーは感じたことの無い痛みに呻きながら立ち上がり姿勢を整えようとするが、白虎はその潰れた腕を踏み付け、髪を掴み頭を床に叩き付けた。キラーが蛙が潰れたような呻き声を上げる。
「ァ、ああ、は、は」
今度はしっかりと聞こえる白虎の狂ったような声を聞きながら、青竜は壊された壁から部屋へと降り立った。白虎は背後を青竜を気にも止めず振り返ることすらしない。
「ははははははは!!」
愉快だとでも言わんばかりに体を震わせ笑い出した白虎に、最早虫の息のキラーは腕に仕込んだナイフを突き立てようとして、その腕をいとも簡単に白虎の左腕に掴まれた。
「……はは、もっと、喚け」
白虎はむごたらしくも、その腕を力任せに握り潰し引きちぎった。圧倒的な力で引きちぎられた腕は骨を露出し、歪な切り口を晒し、血を噴出させる。人の命が無慈悲にも握りつぶされる瞬間の、死の恐怖に飲まれた叫びが聞こえる。
もう何が起ころうが、キラーに助かる見込みは無いだろう。かち、かちと白虎に展開されていたアーマーが外れてゆく。
アーマーの下から現れた白虎の顔は、いつも通り、他者を制圧し自分が強者であることを見せつける倒錯的で狂気的な快楽に歪み、自らの頬に滴る血を足りないと言わんばかりに舌で蹂躙する。
青竜は気付く。昼の自分の思慮は完璧な“間違い”だ、ということを。
彼は、何があろうと戦場でしか生きていけない。向いているから、キラーをする。そんな己と同じように、彼も戦闘兵器として戦い、朽ち果てる。呪われた運命と共にあるのだと悟った。
そう思う程までに、それ程までに、血に濡れ掠れる絶叫を聞き、尾をゆらりと揺らす白虎は、美しかった。
―――結局、あの後すぐに駆けつけた朱雀と玄武、そして職員達によって事態は収められた。内通者は直ぐに見つかり、迅速に処分されたらしい。青竜と負傷した白虎は医療班に回され、異常なしと判断された青竜は直ぐに、腹を撃たれた白虎は二日で元の立場に戻った。
白虎はここ数日の事をさっぱり覚えていないようで当初混乱していたものの、経過は正常でそれ以上の異常は見られなかった。漸く四聖獣として再始動出来るようになったが、白虎の負傷による数日の経過観察の為まだ全員で任務がこなせるのは少し先になりそうだ。
青竜の部屋の扉がノックもなしに無遠慮に開けられる。青竜が扉を振り返ると、開けた扉に凭れた白虎がバツが悪そうな顔をして立っていた。
「何だ」
青竜が問いかけると、白虎は何度か言い淀み、扉を尻尾で叩くが軈て諦めたように息をついた。
「いや…覚えてない、けど、手間かけさせたみたいで、悪かった」
以上!言ったからな!と言わんばかりにふん、とそっぽを向いてしまった白虎を見ながら、青竜はわざわざ言いに来るなんて存外律儀な奴だ、と思った。
「任務だ。構わない。それより、もう少し安静にしていろと言われただろう」
ぎくり、図星だったのか白虎の肩が少しだけ跳ねる。
「高負荷トレーニングもさせて貰えないから退屈なんだよ…。あぁ、もう、うぜぇ!これから昼寝するんだよ悪いか!」
青竜は何も言ってはいないが、一人で怒り出した白虎はばしばしと先程よりも強く扉を叩き付けて、いじけた様に、おやすみ!と吐き捨て………すぽり、と青竜の膝の上に収まって…固まった。
……………。
静寂が肌に刺さるような沈黙の後、青竜は白虎に突き飛ばされた。瞠目しているうちに、白虎は正に脱兎のごとくと表現するのが正しい勢いで部屋を飛び出していった。
ドゴォッ!
白虎が部屋を飛び出した数秒後、壁か床だろう、恐らくフルパワーで叩き割った音と、まるで震源地かのような揺れと地響きが青竜の部屋まで届く。
開け放たれたままの扉からは面白いものを見た、という顔をして朱雀と玄武が顔を覗かせているし、白虎が破壊したものの修復についても頭を悩ませる青竜は、結局周りに何一つ触れず、白虎が戻った当初よりも増えた仕事に戻ることにした。