影絵   作:箱女

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二十二

―――――

 

 

 

 自室の卓上カレンダーを眺めながら菫はため息をついた。なにか後ろ向きな思いがあってのことではない。ただの呼吸の溜めとしてのものだ。しかし思いを寄せる対象は存在している。目の前のカレンダーにある日程だ。

 

 今年の秋はうまく祝日と土日が重なって、シルバーウイークと呼んで差し支えのない連休が生まれた。もし部活動に入っていない、あるいはゆるく部活動を楽しむような生徒たちであれば、期待に胸を膨らませながらどこでどうやって遊ぶかの計画を立てるだろう。その一方で真剣に目指すところを設定している部であれば、その連休を使って実になるトレーニングを積むことを考えるだろう。幸か不幸か宮永照という決定的な存在を抱え込んでいる白糸台高校の麻雀部はその例に当てはまらなければならなかった。未踏たる団体戦三連覇を期待され、そしてそれを目指していく以上、彼女たちの選択肢はひどく限定されていた。しかしそれに対しての不満はどこからも出てはこなかった。そういう段階はもうとうの昔に超えてしまっている。

 

 その連休には他校を、それも二校を招いての、合わせて三校での合同練習に近い練習試合を行う予定が組まれていた。年齢の割に冷めた見方をしていると言うべきか、菫は練習試合を文字通りただの練習の機会としてしか捉えていなかった。しかしそのぶん内容については強い関心を抱いている。なぜならそれは彼女にとっては格好の機会だからだ。いつもは部内での慣れてしまった相手との調整となるが、練習試合は見慣れない新鮮な打ち手との手合わせが基本となる。とくに菫のような特殊な面を備えた戦い方をする者にとってはサンプルはあればあったほうがいい。彼女のスタイルから考えればそれらの経験はすべて積み重なって菫を強くする。なにかに意識を集中しているとは言えない目を、たった一度のまばたきで切り替えて、菫は人前ではほとんど見せたことのない満足げな笑みを浮かべた。

 

 

―――――

 

 

 

 秋の長雨という言葉があるように、梅雨にこそ及ばないが秋にもそれに似た空がぐずつく時期がある。台風も絡めば被害の二文字がちらついてくる程度には厄介な気候で、そのせいで菫は周囲が口を揃えるほどには秋が好きではない。そんなことを考えているとあれこれ理由をつけていろんなものを嫌っているような気さえしてきてうんざりしてしまうのが常だった。そんな完璧主義的な傾向がもともとあったのか芽生えてきたのかはわからない。誰が悪いわけでもないのは間違いないのに、せっかくの練習試合を雨で迎えるというのは相手方に失礼を働いているようにさえ菫には思えるのだった。風の無い中を細く長く降る雨は、地面が空から白い糸を引き込んでいるようにも見えた。目につく木々の葉はもうぐったりと濡れて滴を次々と垂らし、木陰までを色濃く染めている。校門から昇降口までのあいだにはいくつもの水たまりができており、そこを絶え間なく弱い雨粒が打ってやわらかい波紋を広げている。傘があればそれほど濡れなくて済むが、もしも車が近くを通ればイヤな思いをしそうだなと菫はぼんやり考えていた。

 

 窓は開いていて、そこに頬杖をついて座っている菫の姿はさながら一幅の絵のようだった。視線は外を向いている。部室の中はもうすっかり準備が終わって、いつでも練習試合の相手校を迎えることができる状態になっている。だから菫もとくに部員たちに指示を出すことなくぼんやりと時間が流れるのに任せることができた。室内の部員の数は普段よりも少ない。というのも他校を招くにあたり、部員全員を出席させると卓の数が足りないどころか人口密度が上がり過ぎて十分な身動きが取れなくなるからだ。その点は相手校にも了解を取っており、先方も人数を絞って来校するという通達を白糸台側も受け取っている。かみ砕いて言えば各校の精鋭が集う練習試合になるということであり、それだけに選抜されたメンバーは目に見えてモチベーションが高い。目に見えて、という意味だけで言えば二人だけ例外が存在していたが。

 

 すこし遠くの道路を走る二台のバスが菫の目に映った。東京の高校という情報が与える印象とは違って白糸台高校は山の中腹にあって交通の便が良いとは言えない。それに今日は細いとはいえ雨まで降っている。わざわざ出向いてきてくれる学校を相手に歩いてこいというのは筋が通っているとは言えないだろう。もちろん菫が出すわけではないのだから、いくら彼女とはいえどこで乗せたのかまではさすがに知らない。しかし学校側からバスを出すところまでは知っており、その二台のバスが相手校を乗せたものだということはすぐにわかった。なにせ山の中腹だ。そんなところを登ってくるバスなんて他に理由を探すほうが難しい。

 

 「遠山、整列だけさせておいてくれ、部室に着いたら挨拶がある。照、お前は私と来い」

 

 「ねえスミレ、私は?」

 

 「お前も整列だ。できないなら力尽くで帰らせる」

 

 「えー? オーボーだー!」

 

 

 菫と照を先頭に女生徒の列が昇降口を抜けて廊下を歩く。二人の後ろにはそれぞれの高校の代表が先頭、そしてそれぞれの部員たちが一列ずつ後をついてきている。顧問や監督などの引率者たちはまた別の話があるようで、校舎に入ったすぐあとに別れている。全国でも有数の麻雀部員たちが作る列は選抜されているということもあって、人数で言えばクラス単位の列よりも数が少ないくらいだった。自分の通う白糸台に他校の生徒がいるのもそうだが、きちんと整列して部室を目指すというのは菫にはなんとも奇妙に思われた。たしかに外で行動する際には規律を重要と考えているが、さすがに校内でまでそういう振舞いは意識したことがない。菫はなんだかここが本当に白糸台高校なのか疑わしくさえなり始めていた。

 

 そんなうすぼんやりした思考が頭を満たしていく中で階段に差し掛かろうとして、見慣れた暗く煮詰めたような赤色が視界の端をかすめた途端に菫の思考が切り替わった。階段を上がりながら照に一瞬だけ目をやって振り返り、軽度の失点を詫びるように話しかける。

 

 「そうだ、辻垣内に愛宕、すまないな。こいつがまともに挨拶もしないで」

 

 「んー? そんなん気にせんでええやろ。どっちかっていうと、なあ辻垣内」

 

 「そこで私にパスを出すのは気に食わないが、まあ言いたいことは同じなんだろうさ」

 

 当の照は歩くペースこそ集団に合わせているが、そこで展開されている話などどこ吹く風といった様子でひとりだけ視線を別の方向に向けていた。自然に考えれば聞こえていないはずはないのだが、あるいは一年生の夏の段階で注目を集めすぎたせいで周囲で自分の話をされることに慣れ過ぎてしまったのかもしれない。

 

 「むしろ私たちは宮永のその態度を歓迎してるんだよ、弘世。試合モードってことだろう」

 

 「……そう言ってもらえて助かるよ、本当に」

 

 「にしてもお前ほんま話すことまとまっとんなぁ、あとでおやつちょっと分けたるわ」

 

 「いらん」

 

 真剣とまではいかないまでもまともなやり取りだと思っていたものが突然に冗談みたいな方向に流れて、菫はこらえ切れずに吹き出してしまった。麻雀を打つ姿にしろインタビューに答える姿にしろ凛々しい印象を残す辻垣内智葉がこんなにコミカルな一面を見せるとは思ってもみなかったからだ。あるいは相手を務めた愛宕洋榎の影響があったのかもしれないし、もしかすると照のように外からは想像もつかないような一面を持っているのかもしれない。やり取りを見ているとどうやら両校の代表はそれなりに付き合いがあるらしく、少なくとも先の会話が当たり前のように交わされるくらいの仲ではあるらしい。考えてみれば中学時代から全国のトップとして鎬を削り合ってきただろう二人だ、出くわす機会などいくらもあったに違いない。それを考えると菫は自分の中学時代を思い出して、彼女たちがすこしうらやましくなるのだった。

 

 笑ったかと思えば途端に羨望の眼差しを向けてくる菫を見て、二人が顔を見合わせてから不思議そうな表情を返してきたのは自然なことだろう。外から見れば、もちろん部内にいてもそうだが、菫は年齢にそぐわない落ち着きを持った見目麗しい女性と呼べる存在だ。こうやってころころ表情を変えるなど想像しにくいものがあるし、実際にイメージに沿った表情の変化以外はそうそう見られるものではない。菫にとってみれば彼女たちの普通の高校生のような姿は、菫の普段の振舞いを壊すほどに中学生のころの麻雀の象徴であり、強さの象徴であった。

 

 まるで普通の高校生みたいだ、という捉え方によってはあんまりな考えが頭をよぎったとき、菫はもう一つ彼女たちに言っておくべきことがあることに気付いた。どうやら自身で思っているよりは緊張しているらしい。

 

 「すまない、ひとつ忘れていた。ひとり中学生がいるが部員と同じと思ってくれないか」

 

 「おお、ええなそれ。楽しみがいっこ増えたわ」

 

 「お願いをした立場で言うのもおかしいが、それでいいのか?」

 

 「言っても白糸台で囲っておくくらいにはデキるいうことやろ? それで十分やって」

 

 「こちらとしても構わない。どうせ次の夏には出てくるんだろう?」

 

 おおらかというのとは違うのだろう。もちろん練習試合には普段とは異なる環境での対局による成長を期待するというのが基本的な目的として置かれるが、当然ながら互いに情報収集を行うという側面も備えられることになる。いま話をしている愛宕洋榎、辻垣内智葉をプレイヤーとして見るなら個人における最強クラスに属していると判断するべきであり、その打ち回しを研究することは鍛錬にも対抗策を練ることにもつながる。逆に彼女たちからすれば照もその対象に数えられる。当然ながらそれだけでなく臨海女子と姫松という二つの高校そのものもレベルがずば抜けて高く、データを取れることは非常に大きな意味を持つ。場合によってはそちらのほうに主目的を置いてこの練習試合に参加している部員もいるかもしれない。強豪校どうしの合同練習はプラスマイナスがかなりのレベルの相似形を成すからこそ成立するのであって、逆に言えば差し出せるものがなければ参加する資格すら与えられない。三者ともがすでに次を見据えているのは強豪と呼ばれるにあたって当然のことだが、秋に入ってそれほど経っていないこの時期に果たしてそこまで徹底できる高校がどれだけあるかと問われれば、それにはほとんどないと答えるしかないだろう。そこを徹底できるから強い。これが結論である。

 

 

―――――

 

 

 

 三局を終えて菫は周囲を見渡す。どちらかと言えば早めに終わったようで、空いた卓もあるがまだ進行中の卓のほうが多い。とはいえ対戦相手をできるだけ散らしたいという意図からすぐに卓を埋めるようなことはない。別に対戦表を組んでいるわけではないが全員が一斉に対局を始めることにしようと事前の打ち合わせで決めている。基本的なレベルが高いのだからどの卓に入ったところで間違いなく得られるものはある。現に菫も感心させられる打ち回しにすでに出会っており、早くもこの練習試合の価値に触れたと確信していた。

 

 早めに対局を終えれば必然としてどこかの卓を覗きに行くことになる。これだけ豪華なメンバーが揃っているのだからそうしない理由もなかなかないだろう。菫の目に入ったのは二つの卓に先に対戦を終えた人が集まっている光景だった。似たような情景をいつか見たことがあるな、と一瞬だけ目をそらした後で菫は状況を確かめることにした。本当を言えば確かめるまでもなくこれだけの注目を集める卓など簡単に想像がつく。どうせあとは組み合わせの問題といったところだ。

 

 友人と楽しむ麻雀と違って競技麻雀とは静かなもので、基本的に対戦中にリーチやポン、チーなどの宣言以外は発声を慎むという暗黙の了解がある。なぜならそこが変わってしまえば、いわゆる三味線を筆頭とする別の技術が生まれてしまうからだ。したがって人の集まっているその二つの卓も静かではあるのだが、明確に違うと断言できるほどに雰囲気が違っていた。

 

 かたや氷室に押し込まれたような、肌が痛むほどの鋭い空気。かたや戦意が物理的な力を手に入れたかのような、汗もにじむほどの熱のこもった空気。かたちの違う息を吞みたくなるような戦いが、体の向きを変えるだけで見ることのできる距離で二つも行われている。公式の試合もかくやの、いや練習試合で気負うところがないからこその全力の集中なのか、いまここで目の前の相手に勝たなければならないという強い意志が二卓の八人からひしひしと感じられる。

 

 菫が驚いたのは照と辻垣内、淡と愛宕の相手をしているそれぞれの白糸台の部員たちの気概だった。普通どころかある程度腕に覚えがあるくらいではどちらの卓でも委縮してしまうのが自然なはずだった。それがあの強烈な空気にぶつかって、それでも勝利を目指して必死に思考して戦っている。その姿を見て菫は自分を恥じた。自分と照がこの部を背負っているのだと独りよがりに思い込んでいたことを痛感した。たしかに照は一年の夏からスーパーエースであり、菫自身も二年生である今年の夏に団体デビューを果たした。素直に考えればその二人を次のレギュラーとして置いて、そして残りの三席を争うようなかたちになるだろうと思い込んでいた。そんなことは誰にも保証されていないのに、部長になったことも手伝ったのか、自分が部を引っ張るつもりになっていたことに菫は気が付いた。とはいえ彼女もまだ十七歳の少女でしかないのだから、考えが及んでいない部分があるのは当たり前のことでもあった。そのことに対してどういった評価を下すかは個人の裁量に委ねられるだろう。

 

 (周りを見るような戦法でやっていこうと考えていたらこれだ、先が思いやられるな)

 

 頭の中で強く反省をしてすぐに意識を麻雀へと戻す。どちらの卓も局面は終盤だったが、菫は淡と愛宕洋榎が向かい合っている対局を覗いてみることに決めた。淡が強いことなど百も承知だが、たとえひいき目に見てもあの愛宕洋榎と競る段階にあるとは思えない。もちろん半荘ひとつで実力など見定めることなどできないのだから、いま菫が目にしている状況も決してあり得ないということにはならない。それでも和了ひとつでひっくり返せるところまで食らいついているという違和感から逃れられなかったからだ。

 

 盤面全体が拮抗しているとは言えない。戦意の話は別にしてももう一位二位と三位四位の区別はついてしまっている。ひっくり返すなら最低でも倍満からで、ラス親を迎えている白糸台の部員がトップに直撃でやっとというところだ。同卓している相手を考えれば怖くなるほどの幸運を連れてこなければならない。自然、トップ争いは愛宕洋榎と淡の二者に絞られる。優位はもちろんトップ目の愛宕で間違いはない。なんでもいいから和了ってしまえばそれで終わりだ。しかしそこには淡に期待したいと思っている菫がいた。突然やってきた上に割と好き放題にやっている困った後輩だが、もしかしたら仲間意識のようなものが芽生えているのかもしれない。

 

 

 たった一局だけの観戦はあっさりと終わった。波乱もない。強い者が勝つという当たり前といえば当たり前の最後だった。そもそも勝利への条件が違うのだから愛宕が有利で、それを物にしたというだけの話だ。残念な気持ちも多少は湧いたが、それも長くは続かなかった。半荘ひとつの勝った負けたで騒いでいるようでは競技としての麻雀など続けるのは不可能だ。試合の終わった自動卓のラシャをすこし見つめたあとで視線を上げると、愛宕が淡に話しかけている光景が目に入った。

 

 「な、普段の練習でもそんなこっすいことしとるんか? それやとキョリ測られへんで」

 

 「は? よけーなお世話だし。私が最強なんだからキョリとかどーでもいーし」

 

 「わからんやっちゃな、筋はええ言うとるんや。出し惜しみは勝たれへんやつの言い訳やで」

 

 菫にはその言葉の意味がよくつかめなかったが淡にはピンと来たようで、いつものへらへらした態度がそれとは似ても似つかない表情へと変わった。敵意に近いものを飛ばしてはっきり睨みつけている。すさまじい胆力だと思った直後に菫は自分が見当違いな感想を抱いていることに気が付いて、一秒に満たないあいだ目を閉じた。いま優先されるべきは麻雀の実力に関連する事項であって、胆力はそこからは一歩退いた位置にある。目の前で交わされた会話をもう一度並べれば、つまり愛宕は通常の淡が手を抜いていると言い切ったのである。そして淡はそれをほとんど認めるような態度を取った。菫は吐き気が押し寄せるのを感じ取る。ねずみ色をした感情がその正体を見せたことも間接的には関係していたかもしれないが、何より自分ではこれまでの時間があってなお確信できなかった()()を愛宕が一度の対局で見抜いたことに対するものだった。

 

 白糸台の部員に対しては自分から積極的に関わっていた淡が、逆にぐいぐいと話しかけられることで軽い反発するような応対をしている様子が目の端に映る。これまで菫が見たことのない彼女のコミュニケーションの一幕だった。しかし菫の目の中心は何も捉えてはいなかった。中空の存在しない不規則に動く点をただ追いかけているだけだ。何も知らず、勝手な思い込みだけを引きずり、自分のいる世界を測ったつもりになり、そうして独りでダメージを受ける。ここまで自然に頭に浮かんできて、思わず菫は笑ってしまった。

 

 いつかの春に怪物を見たときと同じじゃないか。

 

 菫が自身の殻を破るために達成しなければならないことを自覚したのはこの時だった。

 

 

 

 

 

 

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