影絵   作:箱女

28 / 29
二十七

―――

 

 

 試合と試合の合間は、それこそ団体戦の中の先鋒戦と次鋒戦のような間であっても長く感じられる人のほうが多いようだった。休憩という意味合いもあってか席を立つ人も珍しくない。一定以上の実力を備えていることを前提とするとはいえ、麻雀の観戦は集中力を要求する。全国レベルともなれば基本的にはそのリズムは早く、観戦側の人間は四人のプレイヤーの手が見えるだけにそのそれぞれの意図に寄り添うことが可能となる。目や脳に疲労を感じる人がちらほら見えるのも不思議ではないだろう。

 

「ねえ亦野先輩、ちょっといい?」

 

 多少不機嫌そうにひじ掛けに頬杖をついた淡が隣に座る誠子に声をかけた。声のしたほうに目をやるときに誠子は奇妙な感じを受けて、じっと二秒ほど淡を見つめた。彼女が誠子の右に座っているのは懐いたからというのが説明になるのだが、どうして懐いたかとなると誠子自身よくわからないところが残る。もちろんそのこと自体に否やはないが、言葉にできない何かが胸の片隅にわずかに居心地の悪さを置いていた。とはいえなにせ白糸台にありながらあの宮永照を標的としているくらいだ。自由人と言ってしまえばそれで終わりだが、それだけではどうにも腑に落ちないというのが誠子の実感だった。

 くりくりとした丸い目が疑問の色を帯び始めた辺りで誠子は我に返って、状況の整理を始めた。今は休憩時間だが淡の様子を見る限りそれほど短い話とも思えない。観戦中がとくに静かというわけではないが、仮に麻雀の話題でないとすれば何も気にせずに話し込むのはマナーを外しているだろう。選抜された高校の対局を見逃すことに惜しさを覚えないわけではなかったが、他にも試合はあるのだしと考えた誠子は淡を外に連れ出すことに決めた。

 

「うん、じゃあコンビニ行くついでにしようか」

 

 薄い雲が一面を覆っているだけ、といった空模様だった。太陽の位置は当たり前のようにわかるし日差しがないとも感じられない。晴れとも曇りとも断言するのが難しい。煮え切らない印象の天気、と誠子は心の中で評した。

 誠子と淡は女子にしては珍しく、最低限の持ち物をポケットに入れるだけで、ちょっと出かける程度ではハンドバッグのような手荷物を持とうとしなかった。いずれはその意識も変わるのかもしれないが、今はまだその時期ではないようだった。そのぶんだけ彼女たちは話すときに動作が連れ添った。手や体の動きに合わせて表情もまたよく動いた。誠子と淡のどちらもが人に親しみやすい印象を与えるのももしかしたらそういったものが手伝っているからかもしれない。

 

「そういえば上着なしで寒くない?」

 

「ちょっとは寒いけど今はこのブレザー見せつけたいかな、白糸台ってカンジだし」

 

「あ、自然すぎて気付かなかった。そっか、それうちの制服だね」

 

 注文されたように淡はくるりと回ってみせた。おしゃれはガマン、なんて格言がなるほどまかり通るわけだとアーミータイプの上着を羽織っている誠子が思わされるほどに似合っていた。

 

「あれ、考えてみたら難しいな、どの順番で話せばいいんだろ」

 

「なにそれ、そんな大変な話なの」

 

 まるで推理ものの探偵のように顎に手をあてて考え込む彼女には、誠子の言葉はまったく届いていないようだった。しかし誠子はそのことを意に介さなかった。大星淡がそのように自分勝手に振る舞うことは珍しいことではなかったし、それを受け入れさせる何かが彼女にはあった。

 短いあいだのうつむきから顔を上げて、淡は口を開いた。おそらく筋道が立ったのだろう。

 

「ね、いま高校生でいちばん強いのって誰だと思う?」

 

「そりゃ宮永先輩でしょ。別の意見があるのは否定しないけど」

 

 私もそう思う、とうんうん頷いて淡は歩を進める。普段より歩幅を短くしているぶん、誠子が淡を後に置いて進むようなことはなかった。

 

「じゃあさ、亦野先輩は麻雀の上達ってどう考えてる?」

 

「……判断力を磨くことだと思ってるよ。実戦での勘の領域も含めてね」

 

「私ってさ、天才じゃん」

 

「ん? うん」

 

「だからどっちもわかっちゃってさ」

 

 具体的に指すところが何なのかは判然としないが、誠子はこれを淡にのみ発生する問題なのだと理解することに決めた。彼女が自身を天才と呼ぶときは常に小憎らしい態度と愛らしさが伴っていた。けれど今はそれがない。落ち込んでいるわけではないがハッピーな調子でもない。真面目なトーンに寄っている。

 

「亦野先輩みたいな考え方が正しいとして、じゃあテルーはどう強くなるんだろうね」

 

 間違っても気温のせいではない寒気が誠子の背すじを駆け抜けた。なんとなく、だが疑う余地のないはずだった麻雀に対する当然の論理の基盤が突然揺らいだ。宮永照は強い。そしてそれが異能に基づいているだろうことは明白だ。そしてその関係性を肯定する限り、宮永照というプレイヤーの伸びしろは一般的なプレイヤーのそれに比してはっきりと少ない。このことが何を意味するかを察することができないほど亦野誠子は鈍くできてはいない。判断力の入り込む余地が常人に比べて少ない彼女は、経験を糧として成長を遂げるしかないのだ。おそろしく柔らかい言い回しにしてだが。

 意味もなく手が震えていた。声も出せばそうなるだろうことは考えなくてもよくわかった。打ち砕かれたのは前提であって、その上に積み重ねてきた思考ではない。そして誰もがまず人生で出会うことのない経験であるように、彼女は前提をなくすことを初めて体験した。その衝撃は頭の中に同じ考えを何度も何度も繰り返させ、何度も何度もそれが正しくないと確認させた。

 

「あ、いや、待っ、結果論なのはわかるけど……」

 

「腹立つけどさ、二、三か月前にアタゴとかいうのと打ってわかったんだよね。上手さでいったらテルーより上はいっぱいいるって。よくよく見てみればスミレもそうじゃん」

 

 ぐらり、と視界が歪むような気がした。先の自分の発言が淡の言葉を補強していることに遅れて気付いて誠子は愕然とした。宮永照は誠子が言うところの判断力の世界でほとんど息をしてはいない。ほとんどは言い過ぎにしても彼女が棲んでいるのは異能に規定された世界であって、言い換えれば感触そのものから違うはずなのだ。

 異能、と何気なく認識してきた言葉が字義通りの意味を持って匂い立つ。

 

「やっとテルーがスミレを壊そうとする目的がわかったけどね、でもダメだよ、認めない」

 

「淡、ちょっと待て、さっき “どっちもわかる” って」

 

 その言葉を聞くや否や、淡の顔がぱっと弾けるように明るくなった。彼女が麻雀部の練習に参加するようになって優に半年以上を数えるが、これだけの笑顔を見た覚えは誠子にはない。それは、満面の、とかそういったものをはるかに超えて、純粋に100%隠すところのないまったくの無防備なものだった。

 淡の言葉を理解し呑み込むことに脳のリソースのほぼすべてを割いていた誠子に、目の前の笑顔に意味を見つける余裕はなかった。そこになにか意味があったのだとしても意識を向けることはできなかった。ただ目の前でかわいい後輩が笑っていると認識することが限界だった。

 

「そうだよ。私はテルーにもなれるしスミレにもなれるの」

 

「……でも、淡の倒すべき目標が宮永先輩だって言うなら」

 

「私も最初はスミレになるのかな、って考えたよ。でもやっぱ違うんだよね」

 

「なあ、淡、いったい何を」

 

「言ったじゃん、私は天才だって。どっちにもならないの。新しい最強になるの」

 

 言葉の指すところが抽象的すぎて、誠子にはそれが何を意味しているのかはよくわからなかった。しかしその一方で目の前の少女が、口にしたことを冗談などではなく本気で達成するつもりなのだということは理解できた。

 

 

 

 

 

 

 




だいたい一年ぶりなのに主役がいねえや!

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。