九
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メランコリー、という言葉のニュアンスの正確なところなど菫は知らない。しかし日本語で言うところの憂鬱とはまた違うのだろう、と思っている。そして今の自身の気持ちを表すならどちらの言葉を選ぶかと聞かれれば、菫は間違いなく前者を選ぶだろう。この感情は憂鬱に似てはいるが、どこかが決定的な部分で違っていた。
問題が山積しているというわけではない。常に問題はあるひとりの少女を中心にのみ展開されており、その規模がただ大きいというだけの話だ。それは大きな荷物を一度に運ぶか、それともその荷物を小分けにして複数回に分けて運ぶかの選択に似ている。菫が荷物運びそのものをしたくないと思ったところでそれは叶わない。そして菫が荷物を運びきれるかということもまるで考慮されていない。ため息くらいは許されて然るべきだろう。
宮永照に対する一般的な評価について触れておくことは無駄ではないだろう。そもそも中学時代に部活にすら入っていなかった選手に対してたった一年で一般的な評価がついてまわるという点でその異常性の一端が見て取れる。また二年前には戒能良子も同じような注目を浴びたが、続けてこういった選手が出てきている現状そのものも異常と言えよう。
春季大会で姿を見られなかったことは残念だったが、チームのことをきちんと考えている誠実な選手というのが一般的な麻雀ファンから見た宮永照の像である。それほどまでに彼女の取材対応は完成されており、そのイメージは彼女がメディアに姿を見せるたびに強固なものになっていった。嫌味なほどに完全無欠なその態度に、多くのファンが次のインターハイを期待した。宮永照は二度目の夏にさらなる進化を遂げるのだ、と。
現役の高校生雀士、つまりは照と卓を囲む可能性のある選手からの評価はまた異なる。全国制覇を達成するうえでの圧倒的な壁としての認識がそれにあたる。照と同卓したくないと考えることも自然なことと言えるし、逆に打ってみたいと考えることも自然であった。中間は存在しない。奇妙なことにも思えるが、彼女を知ってなお意識しないというのは不可能な話だった。彼女に向けられた評価はその根源が称賛であれ疎ましさであれ、最高のものであることに違いはなかった。
“宮永照は本当はシャイなのにあれだけの取材対応ができてすごい”。いつからかそんな声が部内から上がるようになって、菫はひどく驚いた。たしかに彼女の口数だけを見ればシャイに見えないこともないだろう。だがあの対局中の、能面もかくやの無表情を見て誰がそんな評価を与えられるというのか。彼女と卓を挟んで向かい合ったときのことを思い出して菫は身震いする。シャイなどという概念とあれほどかけ離れた存在など他にいないとさえ思える。菫は人の本質という短絡的な考え方など好きではないし見抜くつもりも毛頭なかったが、それでも照の本質が世間あるいは部内で言われているものとはまるで違うと確信していた。彼女にはこの一年間もっとも近くで照を見てきたという自負がある。
こと宮永照に関する評価については圧倒的に菫が正しかった。もちろんそれは競う類のものではないし、正しいからといってどうなるものでもない。どちらかといえばその正しい認識は菫の身に重くのしかかるだけだった。もし菫が迎合さえしてしまえば、彼女はどこまでもラクになることができただろう。しかし彼女は決してそれを選ばなかった。彼女にそう決断させた原因は本人以外の知るところではないが、彼女自身知っていたかどうかは定かではない。
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未だ鳴き方のおぼつかないウグイスの声が響く。窓の外に目をやれば、二度目の桜がその花弁を散らし始めている。風もないなかでただ地面にやわらかく舞うさまは、菫に雪を思わせた。天候としての雪は足元が悪くなるため好きではないが、情景としての雪は好きだった。どこか幻想的ですらある。あまり見慣れていないからかもしれないな、と菫は思い直しひとつ息をついた。
学年が変わって驚いたことが菫には二つあった。ひとつは春季大会直前で姿を消した照が当然のように登校していたことである。対外的には病欠ということで対応していたものの、連絡さえつかなかった経緯を考えるとそのまま二度と帰ってこない可能性すらあった。菫にそう思わせるだけの突拍子のなさが照にはある。常識がないという意味ではなく、宮永照を全うする義務が発生したときには何を措いてもそれを実行するだろうという意味だ。麻雀において一切手を抜かないということと、何も告げずに姿を消すことは菫の中では共通する部分のある事柄に感じられた。
もうひとつは二年生に上がっても照とクラスが同じだったことである。白糸台は一学年に十ものクラスがあるために二年連続となると確率はそれほど高くない。仲の良い友達と離れ離れになってしまうというのはよく聞く話だ。それでも照とまた同じクラスになったという事実に、菫は驚くと同時にどこかで納得もしていた。どのみちこうなるような気さえしていた。
「甘いものでも食べる?」
「なんだ、いきなり」
帰りのホームルームが始まるまでのわずかな空き時間に、机を指で叩きながら考え事をしている最中のことだった。持ち帰るノートも教科書もすでに鞄にしまってあったが、どうしてか筆箱だけは机の上に置いてあった。
「ここのところ菫が難しい顔をしてる時間が増えたから」
なんだそれは、とまるで妹のヘンテコな発言を姉が受け流すように菫はちいさく笑った。
「ある意味で言えばお前が原因だよ」
「どういうこと?」
「私が感覚打ちに偏りすぎてるって話だ」
もちろん菫の言う原因に嘘はないが、それがすべてというわけでもない。いま菫が触れていないほうの原因は、あらゆる意味で繊細で複雑である可能性が高い。何かを間違えれば、まるでドミノのように止められない事態が発生するように感じられた。だからこの場で準備もなく踏み込むわけにはいかなかった。
菫の言葉を聞いて、ああそのこと、と照はそっけないように返す。しかし彼女は常に表情も声色も変えないのだから本当に興味がないのかどうかを確かめることはできなかった。
「でもそれは菫にとって必要になることだと思う」
「わかってるさ、だから今こうして必死に考えているんだ」
菫はおおげさにかぶりを振ってみせる。その様子を見るにどうやら成果は順調とは言い難いようだ。それなりに長い時間をかけて形成されてきたプレイスタイルはそう簡単には変えられない。
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それは去年の秋のことだった。インターハイが終わって菫が照に麻雀についての相談をするようになって何度めかのある日、いつものように視線を菫に向けることなく照は言った。彼女にしてはめずらしくはっきりとした口調だったことを菫はよく憶えている。
「菫はもっと論理を大事にしなきゃいけないと思う」
「きちんと牌効率などは意識しているつもりだが?」
「そうじゃなくて、菫は感性と論理のどちらにも自信が持てないときに必ず感性を選ぶから」
菫はどうにか反論を試みたが、まるで言葉が出てこなかった。今この場に至るまで一度たりとも意識していなかったことが、照の一言で鮮やかに脳裏に浮かんだからである。論理を理解していることと使いこなすことの間には深くて大きな溝がある。それは言葉の捉え方によって多少の振れ幅を持ちはするものの、その二つが決定的に違うという意味においては変わりない。菫の感性が他のプレイヤーに比べて鋭いことは事実だが、逆にそのせいで詰めが甘い部分があるというのも否定しきれない事実であった。
聡いがゆえに感情に身を任せるということができない菫が感性に頼った麻雀を得意としている、というのも妙な話に思われるかもしれないが事情はそう簡単ではない。むしろ性格と資質が完全に合致していることのほうが稀であるくらいなのだ。そういった意味では彼女は自らの資質を把握しているだけ恵まれているとさえ言えた。
「知性や理性をヒトの象徴とすれば、野性や本能は獣の象徴」
「照? 何を……」
「わかる? 菫。これは論理と感性の関係」
詩を紡ぐように照の口から流れる言葉は、まるで。
「ヒトと獣のどちらが優れているっていうことじゃない。それはただの戦い方の違い」
次の時代の様子を言葉で表現しているかのようで。
「でもヒトももとは獣で、そこにはたしかな違いがある。いい?」
菫の理解を遥かに。
「だから菫、獣でありながらヒトの知性を手に入れるの」
超えていた。
「野性と知性の同居。考え得る最高のかたちを菫は手にできると思う」
これだけ照が一度にしゃべったことも驚きではあったが、菫にとって衝撃的なのは何よりもその内容であった。いくぶん比喩に過ぎる表現ではあるが、筋そのものは通っているような気がする。いま照の連続和了を止めるために磨いている、あの他家の牌をピンポイントで見抜く力とその知性が組み合わされば、別の使い道が見つかる可能性は十分にある。それは単純にもっと考えて打てと言われるよりも、実感をもって菫に迫ってくる言葉だった。
その日から菫の猛勉強が始まった。徹底的に、それこそ初歩の教本から見直して打牌の意図を考えるようなことまでやった。もちろんそれはどこまでいっても確実にはならないものではあるが、ある程度のパターン化という意味では非常に役立つものであった。一方で獣の部分も完成とは程遠いものであったため、そちらも実戦で磨きつつの日々が続いた。
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いつの間にか始まっていたホームルームへと意識を戻す。およそ半年も前の出来事だというのにこれだけ鮮明に思い出せるということは、それだけ衝撃が大きかったのだろう。菫はやっと筆箱を鞄にしまって教室を出る準備を整えた。
白糸台の新入生のうち、例年より多い数が麻雀部に集まったのは当然のことと言えたし、仕方のないこととも言えた。もちろん彼女たちの目当ては宮永照であって、例外は一人としてなかった。それがただの憧れであるならばよかったが、照と卓を囲み、あるいは勝つことさえ考えている者がいることが問題であった。新部長も菫もその気概は買っていたが、不用意に同卓させることだけはどんなことがあっても避けようと話し合っていた。新入部員を歓迎する対局でさえ照を打たせるわけにはいかないという結論が出ていた。
それは照が新入生を壊してしまいかねないからだった。手を抜くことは対局相手に失礼である。去年の予選のときに菫が聞いた照の言葉だ。たとえ相手がどんな状況に陥っていたとしても、その考え方を貫くことを照は自身の行動で証明してみせた。間違いなく彼女は新入部員であることなど考慮に入れず、一年生を対局相手として認識するだろう。それはある意味においては高潔な振舞いと言うこともできよう。だが彼女はその振舞いの与える影響を考慮しないのだ。照自身にそれらのことを考える能力が備わっていることは周知の事実だが、その優先順位のなかで対局の位置が高いこともまた同様である。照の闘牌は去年の夏に比べて技術的な意味合いではなく、明らかに凄みを増している。異常とさえ呼べるほどの精神力がなければ心が折れてしまうだろうことは疑いようがなかった。
最終的に新部長が下した結論は、照に初心者向けのルール解説を任せることだった。これならば間違っても彼女が卓につくことはない。加えて言えばあれだけ見事に取材対応をこなせるのだから人前に立っての解説もお手のものだろうとの読みもあった。これの評判は上々で、照も期待通りの働きをみせた。一方で念願の照との対局が叶わず、へそを曲げてしまった一部の跳ね返りの鼻っ柱を折るのは照を除いた部員たちの仕事となった。多くのスポーツにおいてそうであるように、中学と高校では競技のレベルがまるで変わってしまう。麻雀もその例にもれず、中学において全国で鳴らしたところで高校では歯が立たないことなどざらにある。たとえば菫がそうであったように。今は宮永照という名前が圧倒的に先行してこそいるものの、白糸台という名前は十分に強豪として通用するものである。そんな部の部員が圧倒的な実力を目の前にしてただ指をくわえて見ているだけのはずもなく、その名に恥じないための研鑚を積んだ彼女たちに新入生が敵う道理などなかった。
少なくともレギュラー候補のチームに名乗りを挙げない限りは照と打つことさえままならない。その印象を植え付けることは白糸台麻雀部という部活を守るうえで何よりも重要なことであった。照に手加減することの意味を伝えるという手段もあったのだが、理解はしても実行するかどうかという点において確実ではなかったため菫たちはそちらを軸には置かなかった。
もちろん実戦も大事にしていたが、ここしばらくは資料室に入り浸ることが増えていた。目的のなかで一番大きなものを挙げるとすれば学習であり、それはやはり菫自身の成長へとつながるものであった。もし最近の菫の貪欲さについて白糸台の部員たちに尋ねてみればさまざまな反応が得られるだろう。あるいは心配するかもしれないし、あるいは対抗心を燃やすかもしれない。ただひとつだけ言えることは、彼女のその姿勢は白糸台にあってなお頭ひとつ抜けたものであったということである。その原因など改めて考える必要もないだろう。
ここがひとつの転換点であったのかもしれない。白糸台の麻雀部に限らずすべての物事は複雑に絡み合っており、なにかひとつを解決すればあらゆることがうまくいくなどということはほとんどない。しかし一方で、以後に影響を与える選択を突きつけられる場面も確実に存在する。手段こそ誰にもわからないが、菫は、彼女たちは宮永照の成長を止めるべきだった。あるいは彼女から公式非公式を問わずに対局の機会を取り上げるべきだった。
だが、宮永照は確実に成長を遂げようとしていた。同じ部の仲間である菫たちでさえ気が付いていなかったことだが、やっと高校二年生になったばかりの彼女が麻雀という競技において完成しているはずもなく、それはまた成長の余地を残しているということであり、手を抜くことを良しとしない彼女がそれを放っておくわけがなかった。現時点で圧倒的な高次元にある照の麻雀が劇的に変化するようなことはなかったが、それは間違いなく前進していた。
このことは宮永照ならびに弘世菫の未来の大枠を決定した。あるいはその規模は彼女たちだけに留まらないものだったのかもしれない。しかしそんなことは誰も知らないことだった。
こっちの進行は冗談でなく遅れてしまっているので、まとめて更新が無理になりました。
本当に申し訳ありません。
また数か月後に。