不思議な空間だった。
先ほどまで戦場の中心でザクス・ランツフートの乗る
そして、その空間には彼女の目前で死んだはずのナヴァロ・リードもいた。
シャーラを庇い、乗機のグスタフ・カールもろとも消え去ってしまったナヴァロだったが、そんな彼女が浮かべる表情は極めて穏やかなものだった。
「気に病むことはないわ。これが戦争だもの。貴方が死ななくて、本当に良かった」
そう言って穏やかに微笑むナヴァロの顔を見た瞬間、シャーラはボロボロと大粒の涙を流す。
「ごめんなさい、少尉……。アタシが、弱かったから。アタシが……」
「だから、謝る必要なんてないのよ。私は自分の意思で貴方を庇った。貴方を守りたかったから。そこに後悔や恨みなんてあるはずがない」
幼子を諭すように優しく穏やかな声で話すナヴァロ。
一方、シャーラは普段の勝気な彼女からは想像できないほど、弱々しいただ子供のように顔を伏せて泣き続けている。
彼女の両親。
リムド・リンクリッツ。
そして、ナヴァロ・リード。
シャーラ・サザナミという少女の目の前で、彼女にとって大事な人物が死ぬのは三度目だった。
どれだけ強がり、信念で奮い立たせようともまだ十代半ばの少女であるシャーラの心に、この過酷な現実は耐えられないほどの負荷を与えている。
「でも、アタシがあのとき迷わなければ、少尉は────」
壊れかけの心から溢れ出る涙で、シャーラの頬は濡れるばかりだった。
「シャーラ・サザナミ! お前は泣くために、悔いるために
一転して、ナヴァロは新兵を訓練する鬼教官のような気迫の籠った大声で、シャーラを叱咤する。
そして、そんなナヴァロに驚いたシャーラが泣き止んだのを見て、彼女は申し訳なさそうにはにかんだ。
ナヴァロも理解している。
どれだけ戦士としての技術と資質を備えていようとも、シャーラはまだ十代の少女だ。
本来ならば学校に通い、友人たちと他愛はなくとも大切な青春を謳歌する年齢である。モビルスーツに乗り、戦場を飛び回ることなどあってはならない。
数奇な運命でシャーラ自身がガンダムのパイロットとなることを選択したとはいえ、彼女に戦うことを強いるなど大人のすべきことではない。
しかし、いまとなってはそれを言うには遅すぎる。
ナヴァロは死に、シャーラを戦場に残していってしまう以上、ナヴァロ・リードには例え厳しく叱咤することになったとしても、シャーラ・サザナミに
「子供は迷いや過ちを重ねて大人になるものよ。そして、大人はそれを支えながらも見守るのが役目。それが子供に与えてあげられる、一番の贈り物だから」
「でも、アタシは少尉から……。ううん、ナヴァロ・リードから与えられてばかりだった。結局アタシは、ナヴァロに何も……」
シャーラは思いだす。
亡き養父であるリムド・リンクリッツの墓前で、彼女は自分もまた何かを受け継いでいける者に、その強さで何かを与えられる戦士になろうと誓った。
だが所詮自分はか弱い子供でしかなかったのだと、シャーラは情けない気持ちで心が押しつぶされてしまいそうだった。
そんなシャーラの頬を、ナヴァロがゆっくりと撫でる。
まるで幽霊のような姿になってしまったナヴァロだが、その手には確かな温もりがあった。
「そう思ってくれるなら、貴方はまた別の誰かに、何かを与えていきなさい。与えられたものを次の時代に、貴方が大人として受け継いでいくの。……今なら私にも理解できる。
自分が流した涙に濡れて冷たくなっていたシャーラの頬に穏やかで、けれども確かな温もりが宿っていく。
死にゆくナヴァロ・リードから与えられた心の熱が広がるようにシャーラの頬から頭、やがて身体全体へと熱が伝わっていった。
「貴方を見れば、よく分かる。貴方は色んな人から色んなものを与えられたことを、よく理解している。そして、それを強さに変えて次へと受け継ごうとしている。自分がしてもらったことを、他の誰かにもしてあげようとしている」
少しずつ、ナヴァロの姿が蜃気楼のように曖昧なものになっていく。それに従って、彼女の声も壊れかけたラジオのように、途切れ途切れとなった。
「……だい、じょうぶ。シャーラ・サザナミ、貴方なら、できる。その心は、きっと、貴方を助けてくれる」
そして、別れのときが訪れる。
「前を、向きなさい、まっすぐに。貴方の隣には、みんなが────」
ナヴァロ・リードの声が、途絶えた。
彼女の姿もまた、まるで最初から見えていなかった幻かのように消える。
シャーラの目の前でまた一人、彼女が好きだった人間が死んだ。
「……ナヴァロ、少尉」
震える声でそう呟きながら、宇宙の暗闇が映し出されている全天周囲モニターへと手を伸ばしたシャーラは、自分がガンダム・ユリシスのコクピットに座っていることを思い出した。
大きな悲しみが、シャーラの心に生まれている。
だが、彼女はもう涙を見せない。もう怒りで我を忘れない。
シャーラは、理解していたからだ。
ナヴァロが最期に遺そうとした言葉を。彼女が己の命を賭してまでシャーラに伝えようとしたこと、受け継がせたかったものを。
だからこそ、シャーラ・サザナミは前を向くのだ。
「分かってる……。泣くことも、怒ることも後回し」
あてどなく暗い宇宙へと広げていた掌、その指の一本一本に力を込めてグッと握り、シャーラは
悲しみと怒りを押さえつけ、溢れ出そうになる涙を堪えて、シャーラは前を向いた。
だがそれは目前の敵、ザクス・ランツフートを殺すためではない。
彼女が見るのは、自身が生きていく明日。
敵や戦場、纏わりつく過去やしがらみ。
そういった壁の向こうにある、エインズ・マーレイと生きる明日、大切な居場所で生きる未来を目指すために。
シャーラ・サザナミは、前を向くのだ。
「……翔ぶんだ。あの壁を超えて、前に」
彼女のその声に、ガンダム・ユリシスのサイコミュが応えた。
機体背部にある四本のスラスターアームの形状が変わっていく。
これまでの機械的で十字架のような形状だったスラスターアームの表面から放熱板が展開され、スラスター噴射の青い光を放つ有機的な見た目の翅へと変化。
ガンダムという名が相応しい、或る種の煌めきを放つ機体となった。
ガンダム・ユリシス、それに搭載されたコンピューターがシャーラ・サザナミを、ユリシスのパイロットとして認めたということである。
まるで蛹から蝶が孵るように。
幾多の悲しみを乗り越えて、いまここに青き蝶が星の海を翔る。