シャーラ・サザナミは、勝った。
目の前でナヴァロ・リードを失って。
ガンダム・ユリシスは右腕部を喪失して、各駆動系はもはや正常に動かない。
それでもシャーラ・サザナミとガンダム・ユリシスは、ザクス・ランツフートと
ガンダム・ユリシスの周囲で起こっていた戦闘も、
そうして大虐殺が回避された宇宙世紀百年の
もはや機動兵器としてのモビルスーツの体は成していない。
コクピット内のコンソールには幾つもの警告が表示され、ガンダムの象徴とも言えるトリコロールカラーの塗装は殆どが剥離してしまい、無機質な金属の色が露わになっている。
コクピットを覆う全天周囲モニターはその半分以上が明滅しており、もはや外部の情報すらろくに把握できなかった。
「……終わったんだ」
そう思った瞬間、シャーラ・サザナミの全身から力が抜けていく。
急速に冷却されていくユリシスと同調するかのように、シャーラの身体からも何かが憑依したかのような力と熱が去っていった。
代わりに、彼女の心を深い悲しみが覆っていく。
勝利したこと、生き延びたことの歓喜よりも、いまのシャーラにとっては悲しみが増さっていた。
「少尉、アタシ勝ちましたよ……。少尉……っ」
操縦桿から両手を離し、コクピット内のリニアシートで膝を抱えて涙を流すシャーラ。
彼女の両目からぽろぽろと零れる涙は、ノーマルスーツのヘルメットのなかで浮かぶ無数の水滴となっている。
かつて、孤高の戦士であることを望んでいたシャーラ・リンクリッツがいまの彼女を見れば、なんと弱々しい姿であろうかと笑っただろう。
しかし、これは決して弱さではない。
悲しみを悲しみであるとありのままに受けとり、それに涙を流せる心は
戦いは終わり、
兵器としての役割を終えたユリシスのなかで、何をするわけでもなくただ泣いているシャーラ。
だが、そのとき。
シャーラ・サザナミの名を呼ぶ誰かの声が聞こえた、或いは感じた気がした彼女は泣くのをやめてユリシスのコクピットハッチを開け放ち、その声の主を強く求めるように無我夢中で黒い宇宙へと飛び出す。
「シャーラさん! 生きてた……! 生きていてくれた……!」
その瞬間、ノーマルスーツを着た少年がシャーラに抱き着いた。
エインズ・マーレイである。
彼はコロニーに設置された毒ガスの解除に成功した後、この部隊の司令官であるバルカ・モリソンと共に小型の哨戒艇に乗ってこの宙域まで駆けつけたのだ。
抱き合う二人の近くには、停止して負傷者の回収を行う哨戒艇と、それを護衛する一機のジェガンがあった。
「エインズ、アタシ勝ったよ。けど、少尉が……」
シャーラ・サザナミがずっと聞きたかった声、ずっと感じたかった心に触れた彼女の涙は、いよいよ止めどなく流れ始める。
「うん、わかるよ。少尉の声が、僕にも聞こえたから……」
戦闘が行われていたこの宙域からは離れた位置でコロニーの毒ガスを解除していたエインズだが、ナヴァロの命が散ったその瞬間に彼は声のようなものを感じ取っていた。
毒ガスの解除後、何ら迷うことなくシャーラのもとに辿りつけたのは、その声が彼を導いたからである。
「アタシ、アタシはまた……。自分の弱さのせいで……!」
「でも、生きなきゃ。どんなに苦しくても、どんなに悲しくても。だって、少尉はシャーラさんに生きてほしいと思ったから、死ぬことを恐れなかったんだ」
シャーラとエインズは、当然ながら互いにノーマルスーツを着ている。
体温など感じ取れるわけがない。
しかし、このときの二人は確かに互いの熱を伝えあっている。
「生きるから……。アタシは、シャーラ・サザナミはこれからも生きるから。与えられたものを少しでも返せるように、受け継いでいけるように」
シャーラは自らのなかにある悲しみを癒すために、何よりここにエインズ・マーレイが居るのだという証明のために彼の熱を求めた。
「うん。僕は、そんなシャーラさんの隣にいるよ。いつまでも、シャーラ・サザナミの隣にいるよ」
エインズは彼女の無事を確かめるために、そしてシャーラ・サザナミの隣にはいつまでもエインズ・マーレイがいるということを伝えるために、彼女に熱を与えた。
そうして、少女と少年はしばらくそのまま抱き合っていた。
もう彼女たちの邪魔をするものはなく、戦いが終わって静かになった星の海は二人を包み込むように受け入れている。
一方、無数の星が煌めく黒い海で抱き合う二人を見て少し微笑んだあと、哨戒艇の操縦室にいたバルカ・モリソンはこの宙域での戦闘を生き残った部下の報告を受けて、やりきれずに瞼を閉じた。
「そうか……。守り切ったのだな、少尉は」
バルカの瞼の裏に、敬礼をしていた彼女の姿が蘇る。
彼はこのブリュタールというコロニーの記念館に駐留してすぐ、ナヴァロが語ったことを思い出していた。
ナヴァロ・リード。
彼女はかつて、地球連邦軍内の過激派であるティターンズが起こしたテロ行為である三十バンチ事件で、父親と兄を失っていた。
技術者であったナヴァロの父と兄は仕事でサイド1の三十バンチコロニーを訪れており、その際にティターンズの毒ガステロを受けて三十バンチの住民と共に死亡。
しかし、三十バンチ事件はティターンズ主導によって行われた権力者側の虐殺行為であり情報は殆どが闇に葬られてしまったこと、グリプス戦役期のゴタゴタによって事件自体が有耶無耶になってしまったことから、ナヴァロはそれを周囲には黙っていた。
そんな彼女だったが、バルカ・モリソンが反ティターンズ派の軍人であったと知り、自らの過去を打ち明けたのである。
────今でも覚えていますよ。遺体も入っていない、空っぽの棺を前に泣いている母の姿は。三十バンチ事件が毒ガスを使ったテロだと知ったのは、地球連邦軍に入ってからです。
バルカを前にそう語ったナヴァロは、普段の彼女からは想像もできないほど冷たく暗い表情をしていたことを彼ははっきりと記憶している。
それでも、ナヴァロは言った。
自分は復讐をしたいんじゃない。
もう二度とあんなことが起こらないようにしたいから、誰かが誰かを失う悲しみを繰り返したくないから、いまでも連邦軍の軍人として戦っているのだと。
「ナヴァロ・リード。大人として、何より一人の人間として……。君は自分ができることをやり遂げたのだな」
彼はゆっくりと瞼を開くと、操縦室の向こうに広がる宇宙を見ながら敬礼をした。
軍人としての儀礼ではなく、同じ人間としての敬意を表して行った彼の敬礼の向こうには、戦場だった宇宙があった。
モビルスーツだったものの残骸が散らばり、デブリと化している空間。
だが、そんななかでも星々は輝き、少女と少年は互いの愛を確かめ合っている。
きっと、これが希望なのだろうとバルカは思った。
戦いの後に勝利者などいない。誰も彼もがみな、傷ついては散っていく。
剣をとる者は、剣によって滅びるのが世の定めだ。
だが、それだけが人の世のすべてではないこともまた、多くの者が証明してきた。
星の海に生まれた新しい愛と、それを守ろうとした崇高な精神を目の当たりにして、バルカ・モリソンは改めてそれを信じてみようと思えたのだ。
────時は、
地球から最も遠いスペースコロニー群、サイド3のズムシティとブリュタールで同時に発生したテロは、地球連邦軍により数日の間に鎮圧された。
事件終結後、地球連邦政府はテロの規模をごく小規模なジオン残党勢力によるものとして報道し、事件の影響は極めて軽微なものであると宣言して予定通り式典を続行。
これにより、宇宙世紀百年の節目にジオン共和国の自治権は返還され、地球圏は再び地球連邦政府の統治下に置かれることとなった。
この事件の詳細が民間に公開されることはなく、その後始末の殆どは陽の光が当たらぬ場所で闇から闇へ。
やがて、この事件や記念式典のことなど多くの人々は日常という時の流れのなかで忘れていき、ジオンという名と共に風化していった。
それでもこのときに生まれたもの、受け継がれたものは決して消えていない。