資源衛星B79を巡る戦いから、数か月の時が経過した、ある日のこと。
「……結局、俺はコクピットから離れることはできないんだな」
操縦席で、アラン・ダレンが呟いた。
彼は左右の腕と足を動かして、巧みにレバータイプの操縦桿とフットペダルを操作し、機械を
一年戦争の頃からずっと、アランが生き残るために磨いてきた術は、ここでも遺憾なく発揮されていた。
「────もうちょい、もうちょい! うーし、良い感じッス。やっぱ隊長、モビルワーカーの扱いが上手いッスね」
「デミ・ドーガやプルス・ガンダムに比べたら、資材運搬用のモビルワーカーなんて目を瞑っていても扱えるさ」
地球、サザナミ商会が所有する大規模農場の建設予定地。
そこでいま、アランたちは働いていた。
業務内容は多岐にわたり、建設の手伝いから予定地の警備、搬入される資材の管理まで行っている。
しかし、これまでのアランたちの人生とは異なり、血は流れず、人が死ぬこともなかった。
「いま運んだ資材で今日は最後ッスね。いやぁ働いた、働いた。今日はもう、仕事は終わりッス」
「まだ昼過ぎだぞ、ジャン」
「せっかく地球に来たのに、働きづめじゃあつまらないッスよ、隊長。この土と風、空を存分に満喫するためにも、たまには休まないと」
ジャンは大きく欠伸をしながら背筋を伸ばすと、作業ズボンのポケットに入れていたスナックバーを取り出し、かじり始める。
「まったく、お前というヤツは。あまりサボっていると、またマリアから怒られるぞ」
「まぁまぁ。幸い、マリア副隊長はいま、リンのお嬢と一緒に買い物へ出かけて留守ッスから。鬼の居ぬ間になんとやら、ッスよ」
へへへ、と笑いながら、あっという間にスナックバーを食べ終わるジャン。
そんなジャンにアランは呆れつつ、彼も額の汗をぬぐってモビルワーカーのコクピットから降り、地球の大地に燦々と照りつける太陽を仰いだ。
輝く太陽。
踏みしめる大地。
頬を撫でる風。
いま、アランが
これが、自然というものか。
スペース・コロニーと宇宙だけが世界だったアランにとって、この自然というものはすべてが衝撃だった。
「……こんなものにコロニーを落とすのだから、ジオンは負けるはずだ」
一年戦争で、地球へ降下したジオン兵の中には、宇宙へと帰りたがった者も少なからずいたという。
確かに気温や湿度、天候に至るまで、全てが人の手で管理されているコロニー内部の環境に比べれば、快適さでは遠く及ばないだろう。
だが、アランはこの
「しっかし、地球ってのは暑いッスねぇ。ここよりちょっと西に行った所だと、かなり砂漠化も進行してるみたいッスよ。まぁ、俺はここからちょっと東に行った街で、冷たいお酒でも飲みながら……」
そんなアランを他所に、財布の中身を確認しながらその場を後にしようとするジャン。
しかし、ジャンは小銭と紙幣を数えるばかりで、自分の前に誰かが仁王立ちしていることに気がつかなかった。
「────どうやら貴方には、勤労のありがたさを骨の髄まで教えこむ必要があるようですね。ジャン」
怒気が混じったマリア・リアスの声を聞き、ゆっくりと、恐る恐る顔を上げるジャン。
暑さを物ともせずに背広を着ているマリアが腕を組み、ジャンの前に立ちはだかっている。
「あー……、マリア。お嬢との買い物は?」
「もう終わりました。リンお嬢様も、もうすぐここに来られます。あと、仕事中は副隊長と呼ぶようにと、何回言ったら分かるのですか?」
一拍の間。
どうにか労働という魔の手から逃れようと、ジャンは逆方向へ走り出す。
しかし、時すでに遅し。
見つけた獲物を逃すほど、マリア・リアスという女は甘くない。
ジャンが動くよりも先に動き出したマリアは、素早く距離を詰めて右手を伸ばし、グッとジャンの服の襟首を掴んでいた。
万事休す。労働からは、逃れられない。
「ちょうど、倉庫の整理をしようと思っていたところです。そのあり余っている力を、存分に発揮してください」
「嫌だァ! 隊長、助けてください! アラン隊長────ッ!」
マリアにずるずると引っ張られていくジャン。
手を振ってそれを見送るアランの頬に、
「お疲れ様です、アランさん。冷たいコーヒーとお水、どちらがいいですか?」
ペットボトルの水と缶コーヒーを持った、リン・サザナミであった。
白いワンピースを着て、日中の陽光の中で笑う彼女は、何とも絵になっている。
「そうだな……。なら、水を貰おうかな」
「あれ? マリアさんの話だと、アランさんはコーヒーが好きと聞いていたんですが」
ペットボトルの水を差し出すリン。
アランはそんなリンの言葉に思わず笑いながら、水をひと口ほど飲んだ。
「別に、好きだったわけじゃないさ。
「ふふっ、また理解したつもりになってました。気をつけないと」
そうして、アランとリンの間に、静かな時間が流れ始めた。
二人とも喋ることはない。時折、二人の間を吹き抜ける風と、その風になびく草花だけが心地よい音を鳴らしている。
「……なぁ。あのとき、資源衛星が落ちなかった理由を教えてくれないか?」
なにか喋らなければリンが退屈だろうと思ったアランが、会話を振った。
リンもそんなアランの意図を汲み取る。彼女自身は、この状況を退屈などと思ってはいなかったが。
「いいですよ。……結論から言うと。あの資源衛星は、最初から絶対に落ちない手筈だったんです。あれはアランさんたちと、ハルパー部隊をあの場所に引きつけるための餌だったんですよ」
「最初から? 待ってくれ、最初からというのはいったい……」
「アランさん、わたしと出会う前に資源衛星の周辺で、モビルスーツと戦闘をしていますよね」
リン・サザナミとアラン・ダレンが出会う前、つまりはプルス・ディアス受領前に資源衛星で戦ったザクⅢのことである。
「あぁ、不審船から出撃してきたザクⅢだ」
「そのザクⅢは、ハルパー部隊からの内通者だったんですよ。資源衛星に船がいた理由は、衛星に細工をしていたからなんです」
「なに?」
内通者。
そのひと言が鍵となって、アランの脳内で今回の事件というパズルのピースが次々とはまっていく。
「俺たちに、用済みになった内通者の始末をさせたのか?」
「そうです。アナハイムって企業は本当に怖いんだと、わたしも父もこの一件でよく分かりました」
それからも、リンはこの一件の真相について語った。
内通者が慌てふためき、アランたちに投降することなく反撃することも。
資源衛星を止めるために、アランたちが命懸けで戦うことも。
アナハイム・エレクトロニクスの上層部にいる人間たちにとっては想定内だった。
最初から想定していたからこそ、プルス・ディアスのみならず、そこから発展したプルス・ガンダムというモビルスーツをごく短期間で準備できたのだ。
全ては、アナハイム・エレクトロニクスという企業の掌の上。
アランたちも、ハルパー部隊の面々も、サイコフレームという未知の素材を使ったモビルスーツ、その実戦データ収集に使われた駒でしかなかったのである。
彼らにとって想定外の出来事は、ハルパー部隊の雇ったごろつきが、陽動の目的でインダストリアル5を身代金目当てで襲ったこと。
そして、リン・サザナミという少女が、アランたちを密かに助け出したことだけであった。
「こうして部下たちと共に生き延びられたことは、奇跡だな」
「けれど、実戦データを収集するということは……」
「あぁ。宇宙ではまだ、戦いが続くんだろうな」
ペットボトルの水を、アランが飲み終わる。
ふと、アランは自分の方を、リンがじっと見ていることに気がついた。
「……アランさん。アランさんはいま、生き延びられてよかったと、思っていますか?」
「もちろん。俺のような戦士が、こうしてなにひとつ欠けることなく、地球で暮らせている。これ以上を求めたら、それは贅沢というものだ」
そう答えて、アランは青い空を見上げる。
何処までも続いていそうな、青く透き通る温かい空。
しかし、この空の向こうには黒く冷たい宇宙があり、そこではまた様々な理由で戦いが続いている。
地球と宇宙。
連邦とジオン。
ニュータイプとオールドタイプ。
そういうものが螺旋のようにうねる争いの渦を、アラン・ダレンは運よく、そして多くの人のおかげで抜け出すことができた。
これこそが奇跡だろうと、アランは思う。
「……あのガンダムに乗ったとき。俺は一瞬だけ、自分に
プルス・ガンダム。
サイコフレームによってアランの意思を力にして動き、オーロラの波に乗るように宇宙を駆けたガンダム。
まぎれもなく特別な機体、特別な力だった。
「だが……。そんな機体も、所詮は単なる力でしかなかった。誰かを殺すことはできても、誰かを救うことはできなかった。つまるところ、
アランもまた、リンの方を見る。
「俺を、俺たちを救ってくれたのは、同じ人間だった。リンさんやアキオさん、あのメカニックもそうだ。人間を救うのは、人間しかない。少しずつ、そういうことを理解できるようになったよ」
二人に、温かい日差しが降り注ぐ。
宇宙の暗い冷たさとは真逆の、熱を持った明るい光。
そんな光の中に大切な人たちと共にいられることを、アランは感謝する。
「改めて──、ありがとう。約束を、守ってくれた」
「どういたしまして。……そして」
少し間をあけて、リンが照れくさそうに頬を僅かに赤らめながら、はにかんだ。
「これからも、よろしくお願いいたしますね。アランさん」
「あぁ、よろしく頼む」