アラン・ダレンがザク・プロキシムを完成させる前日。
彼の部下であり弟分でもあるジャン・ミンウェイは、通話用端末を片手に夜のアデレード市街を歩いていた。
向かう場所はアデレードでも最悪の評判を持つバー、ホワイトヘブン。
オーストラリア北東部にある海岸の名を借りたこの店には、素性の知れない者や地元のごろつきたちがたむろしており、犯罪の温床となっているという。
そんな碌でもない場所に、ジャンが向かう理由はひとつ。
アデレード周辺の連邦軍基地にある物資を横流ししている元士官が根城にしている、という情報を得たからだった。
その情報をジャンにもたらしたのは、いま彼が端末で話している女性、マリア・リアス。
現在の名前はマリア・ミンウェイで、ジャンの妻だった。
「……何度も言いますが、くれぐれも注意するように。貴方は頭に血が上りやすい。一児の父なのだという自覚をもっと────」
「はいはい、分かってるって。そんなことより、リースは? もう寝ちゃったか?」
自分がこれから危険極まりない場所に向かうというのに、ジャンは自らの息子であるリース・ミンウェイのことが気になってしょうがないという様子だった。
はぁ、とため息をつくマリア。
「えぇ、もうぐっすりです。夜更かしをすると、パパみたいになるぞと言い聞かせました」
「ひでぇ! ……心配しなくても、必ず帰るよ」
ジャンの声は、落ち着いていた。
あの生意気な元少年兵が随分頼もしくなったものだと、マリアはジャンに悟られぬよう静かに笑う。
本来なら、自分もジャンの隣にいたい。
相手は連邦軍の元士官。物騒な取り巻きもそれなりの数いるだろう。いくら腕っぷしに自信のあるジャンでも、一人で乗り込むのはあまりに危険だとマリアは考えていた。
しかし、今の彼女はもう戦士ではなく、一人の母親であった。
若干三歳の我が子を、夜に独りで放っておくことなどできない。それがジャンとマリア、二人の結論だった。
「その言葉、信じていますよ。
耳元でささやくようなマリアの声に、ジャンはぞわっと身体を震わせる。
「……昔のマリアなら、死んでもそんな台詞は言わなそう」
「いまでも、仕事のときは
そう言って、通話を切るマリア。
早く仕事を終わらせて帰ろう。
ジャンはそう決心しながら、いつの間にか到着していたホワイトヘブンの入口のドアを開けた。
いかにも社会不適合者という身なりの連中を後目に、まっすぐカウンターに向かうジャン。
愛想など欠片もない店主は、挨拶のひとつもせずカウンターの向こうでグラスを磨いている。
「ポートモレスビーを一杯。ライムは抜いてくれ」
ジャンが注文を言うと、店主の目が僅かに動いた。
ポートモレスビーというのは、現在の地球連邦軍総司令基地の名称である。無論、こんな名前のカクテルは存在しない。
これは所謂
店主が磨いていたグラスを置き、ジャンの方をじろりと見る。
そして、手元の端末を触って短いメッセージを何者かに送ると、カウンターの奥にある扉を指さした。
「そこから厨房を通って、まっすぐ地下に降りろ。道案内はしねぇぞ、坊主」
「どうも。あと、ここは客層も接客も最悪だって、後でレビューサイトに書いとくぜ」
ジャンは店主の言うとおり扉を開け放ち、慌ただしく店員たちが働く厨房を通り抜けて、僅かな照明が照らす地下への階段を降りていく。
かつん、かつんと、薄暗い階段に音が響く。
ジャンはいま、一切の武器を持っていない。
アナハイムという巨大な企業の元で好き放題やれた警備部時代と異なり、いまのジャンはサザナミ商会という真っ当な企業のいち警備員である。
非常時ならまだしも、平時から拳銃を携帯していてはかえって面倒なことになる上、リンやアキオ・サザナミに余計な迷惑がかかるというのが、アランとジャンの考えであった。
そして、階段の最後の一段を降りて、地下室への扉を開けたジャンを待っていたのは、自身に拳銃を向けた二人の護衛と思われる男だった。
「……君が、私に会いたいという若者かね」
その二人の護衛より奥にある大きなソファーでふんぞり返っている、恰幅の良い中年男性がジャン話しかける。
こいつが件の横流し野郎だと、ジャンは確信した。
「しかし、困った。私は君のようなしょぼくれた若造に用事はない。かといって、連邦軍の内偵というワケでもなさそうだし、自己紹介をしてもらってもいいかね?」
男の高圧的な態度に、ジャンは早くもイラつく。
ゆっくりと両手を上げながら、話し始めるジャン。
「アンタが、連邦軍の物資を裏で流しているって聞いて、やってきたんだ。金は払うから、武器を売ってくれ」
ジャンの話を聞いて、男は嘲るように笑う。
「ハハハ、何を言うかと思えば。私が相手にするのは、君のようなチンピラよりもっと大口の相手だ。起こす戦争が大きいほど、私は儲かるからな。……おい、この小僧に身の程ってヤツを叩き込んでやれ。
嫌な笑みを浮かべて、護衛の二人に指図する男。
だが、ジャンはこうなることまで織り込み済みだった。
相手は拳銃を持つ男、二人。
体格は相手の方がジャンより僅かに大きいが、拳銃の構え方や身体の動かし方から、一度も戦場を経験していない新兵同然の練度と判断。
地下室には高級酒を陳列している棚や、武器弾薬が入った木箱が幾つかあるが、いずれも遮蔽物にはならない。
ジャンは一瞬で状況の観察を終え、戦い方を決めた。
そして、護衛の一人が拳銃を悠長に片手で構えたまま、両手を上げているジャンに近づいた瞬間。
ジャン・ミンウェイが動いた。
まず両手を上げた状態のまま、右肘で護衛が構えていた拳銃の銃口を逸らす。
相手がそれに反応するより先に、ジャンは右の裏拳を相手の鼻面に思いきり叩き込み、そのまま一歩踏み込んで相手の手首をきつく捻り、拳銃を奪った。
そこから素早く両手で拳銃を構え、もう一人の護衛の右肩と右足に一発ずつ発砲して無力化。
最後に拳銃を奪った方の頭部に銃口を向けて、制圧完了。
あまりに鮮やかで、手慣れた暴力。
僅か十五秒の間に、形勢はすっかり逆転してしまった。
「身の程ってヤツを叩き込まれるのは、テメェらだったってコトだ」
唸り声をあげながらうずくまり、撃たれた右肩を必死に左手で抑える護衛が落とした拳銃も奪い、二挺拳銃で男と護衛を威嚇するジャン。
「早いとこ撃たれたヤツを医者に見せねぇと、腕と足を失うことになるぜ」
ジャンがそう言うと、まだ動ける方の護衛は撃たれた護衛に肩を貸して、一目散に地下室から逃げ出した。
男は護衛たちを口汚く罵りながら制止するが、ジャンとの格付けは既に済んでおり、護衛たちは聞く耳を持たない。
勝算のない戦いを続けるほどの金は貰っていないということだ。
そして、地下室に残ったのは男とジャンの二人だけ。
二挺の拳銃を男に向けながら、ジャンはにっこりと笑った。
「大丈夫。
こうなった以上、ジャンが男から欲しい情報を得ることは、自分の口座からお金を引き出すように簡単なことだった。