時折明滅する豆電球に照らされた部屋で、アラン・ダレンとリムド・リンクリッツは向かい合って椅子に座る。
博物館に飾られていてもおかしくないほど古ぼけた、ジオン公国軍の制服のポケットから、リムドは紙巻き煙草を一本取り出す。
そして、彼はもう片方のポケットからマッチを取り出すと、慣れた手つきで煙草に火をつけた。
「……煙草はいつから?」
大気が有限な宇宙で、煙草を吸う者は少ない。
コロニーや月面都市の富裕層にもなると葉巻や紙巻き煙草を嗜むものはいるが、今日を生きるのがやっとの庶民にとって、煙草などはまさに百害あって一利なしだったからだ。
「地球に降下してからだ。たしか、ペキンを陥落させたときの祝いで。生憎と、空気の限られた宇宙で煙草を吸えるほど、贅沢な身分ではなかったのでね」
ふぅ、とリムドは紫煙の塊を口から吐き出す。
「馴染んでしまった。地球で戦い、過ごして。気がつけばもう十年以上だ。今となっては、あの暗い
アランは内心では驚いていた。
これまでアランが出会ったジオン残党を名乗る者たちと、このリムド・リンクリッツはまるで違ったからだ。
自らを死にぞこないと表現したこの老兵が纏う雰囲気はとても穏やかで、苔むした岩を前に座っているようである。
「地球で妻と出会い、多くの時間を過ごした。趣味の版画も、妻から教わったものだ。……もはや、スペースノイドだという自覚すら忘れつつある」
自嘲気味に笑うリムド。
「奥様が、いたんですか?」
「十年ほど前に亡くなった。共に地球連邦を倒す一矢となるのだと誓いあったが、熱病で先立たれた。ティターンズの弾圧も激しかったが、ジオンの残党兵を診てくれる医者など、どこにもいなかった」
アランはかける言葉が見当たらず、押し黙る。
リムドがその鈍い光を湛える目を細めたのは、
「最後まで、妻は戦い続けろと私を励ました。だが、その妻の手が、肌が冷たくなった瞬間に、私は己の愚かさをようやく理解したのだ」
自らの握った拳を、その細めた目でジッと見つめるリムド。
「愛する者の命すら救えずに、何のために戦うのだと。……それでも、状況が戦いを止めることを許さなかったがな。いや、それすらも体のいい言い訳か」
リムドの苦悩を、アランは我がことのように感じている。
アランもまた、リン・サザナミに出会うまではこうやって苦しみ、悩んでいたからだ。
戦いを続ける理由も見当たらないのに、戦い続けるしかない自分に。そして、それを状況のせいだと割り切り、生き残ってしまう己の愚かさに。
「この死にぞこない部隊を食っていかせる責任が、隊長である自分にはある。そう言い聞かせて、妻を亡くしたあとも地球の各地で戦った。金や補給がもらえれば、どんな旗の下にもついた」
地球連邦政府に反感を持つ者は、スペースノイドだけではない。
アフリカやアジアでは、貧富の格差や民族に対する差別などで地球生まれの人間であっても反連邦の旗を掲げる者も少なくなかった。
特に、貧困層については扱いがひどく、有限な地球の資源を浪費する貧困層を、宇宙へと強制移住させてしまおうとする法案まで作られているという。
地球も宇宙も、争いの種は尽きなかった。
リムドたちが食っていく飯のタネもまた、尽きることはなかっただろう。
「嘘にまみれた大義や、死んでいった戦友たちのため……。色々な言い訳を並べたが、結局は自分が戦いしかできない人間なのだと、認めるのが怖かったのだ。気づいたときには、既に遅かったが」
ため息交じりの紫煙を吐き出して、リムドはアランを見る。
老いと疲れ、そして苦悩によって濁った目には、アランに対する羨望があった。
────君は、
リムド・リンクリッツの目が、その姿がアランにそう言っていた。
短くなった煙草を床に捨てて、靴底で踏み消すリムド。
「さて……。自分のことばかり話すのは、老人の悪い癖だ。今度は、君の話を聞こう」
リムドの話に聞き入っていたアランは、話を振られて一拍も二拍も空いたあとでそれに気づき、咳ばらいをして頭を切り替える。
「質問は二つある。まず、シャーラという子について。あの子のことと、あの子を使ってサザナミ商会の農場で何をしようとしているのか」
「なるほど、君はサザナミの関係者か。あの商会がお人よしで、スペースノイドや貧困層も広く雇用しているという噂は、本当だったようだな」
アランの問いに対するリムドの答えは、至極簡潔であった。
「何も企んではいない。ただ、あの子に平穏な暮らしをさせてやってほしい。それだけだ」
「それは、あの子があなたの子供だからなのか?」
「血は繋がっていないが、そうだ。アジアの戦地で、モビルスーツを羨ましそうに眺めるシャーラを拾って、今まで近くに置いてしまった。妻との子供のように、思えてな」
リムドは二本目の煙草に火をつける。
「だが、あの子はジオンの呪いも、生まれの不幸もない。もっと自由に、もっと平穏に生きてもいいはずだ。そう思って、サザナミ商会への潜入だと偽り、シャーラをそちらに向かわせた。思った以上に勘と腕のいい警備員がいたのは誤算だったがね」
「それが、あの子にとっての最善だと?」
「それは分からん。だが、少なくともこんな死にぞこないのジオン残党と一緒にいるよりは、幾らかマシだろう。……それに、もう時間がない。あの子を逃がせるのは、今しかなかった」
リムドが煙草の灰を床に落とす。
そして、そのあとリムドの口から語られた言葉は、アランのもうひとつの質問の答えであり、アランを驚かせるものだった。
「近いうちに、我々は連邦軍陽動のため、アデレードの連邦軍基地へ強襲をかける。これがおそらく、私の最後の戦いになるだろう」
「馬鹿な! 勝算も、生き残る見込みもゼロに等しい!」
「そうだろう。装備の質も、頭数も、圧倒的にこちらが劣っている。我々のグフやザクでは、奇襲で少数を仕留めることはできても、基地の制圧など不可能だ」
「分かっているなら、何故────!」
声を荒げそうになるアランを制止するように、リムドは彼の言葉を遮った。
「袖付き、という残党勢力から依頼があってな。トリントン基地襲撃のための、陽動を頼むと。……運命だと思った。宇宙世紀も、もうすぐ百年だ。これが時代の終わりを告げる戦いになるのなら、そこが私の終わりでもある」
────時代は変わり、人も変わる。
その変化について行けないのなら、時代と共に朽ち果てるしかない。
リムドは、暗にそう語っているかのようだった。
誰も彼も、時の流れに逆らうことはできない。
「戦いによって生きてきた身だ。戦いによって死ぬのが道理だろう」
リムドが自棄になってこう言っているわけではないのだと、アランには理解できた。
そしてこうなってしまったら、言葉では最早解決できない。
アランもまた覚悟を決めて、席を立つ。
「行くか、若者よ」
リムドはアランを止めない。
彼もまた、アランを止めても意味がないのだと、理解していた。
「……話せてよかった。もうひとつ、この戦いに意味ができた」
互いに、目を見る。
進んできた道も、失くしたものも、何もかもが違う二人。
だが、互いに数多の戦いを生き延びてきた戦士として、二人は既に互いを理解していた。
この二人に、別れの挨拶など必要ない。
「俺は、あなたを止める。それが戦士としての、俺の最後の選択だ」
「……物好きだな。黙っていれば勝手に死ぬ老兵を助けるために、自らの命を懸けるのか」
「あなたは、
次に会う時は、戦場で。
例え言わずとも、リムドには伝わっていた。
「待て。最後にひとつ、聞きたいことがある」
リムドが、部屋を出ようとするアランを呼び止める。
「アラン・ダレン。君は、アクシズを止めた極光を見たか?」
極光。
アクシズ・ショック。
人の心の光が見せた、奇跡の輝き。
それを見たことがあるか、という問いの意図は分からない。だが、アランの答えはひとつだった。
「あぁ。あの温かい光は、いまも覚えている」
「……そうか」
その言葉を聞いたリムドは、目を伏せる。
そして、まるで肩の荷がひとつ下りたかのように、彼は大きく息を吐いた。
「また会おう、アラン・ダレン。もう少し早く、君に逢えていればな」
「遅かった、なんてことはない。俺はある女性からそれを学んだ。……必ず助ける」