機動戦士ガンダム 静かの海の守り人   作:ミズナス

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エピローグ① どこまでも青い空の下で

 雲ひとつない青空の下、リン・サザナミはある場所を訪れていた。

 サザナミ商会の所有する農場、その一画にある名もなき墓。墓標の下には、何も埋まっていない。なぜなら、本人はグフ・パサードのコクピット諸共、蒸発してしまったのだから。

 

 ここは、リムド・リンクリッツの墓であった。

 

 その墓の前には、一人の男が立っている。

「また、ここに来ていたんですね」

「……そう簡単に、拭いきれるものではないからね」

 アラン・ダレン。

 ホワイト・クリフスにおける戦いの後、アランとジャンは数日のあいだ連邦軍に拘留されたものの、サザナミ商会の手回しによって解放されていた。

 温かな陽光と青空に相応しい、平穏な日常がまた訪れる。

 しかし、アランの心には未だ暗い雲がかかっていた。

「トリントンの方を攻撃したジオン残党軍も、ほぼ壊滅。向こうはモビルアーマーや、ガンダムまで出現したという話もある。……そのガンダムが、こちらにもあればな」

 ぼそり、とアランが呟く。

 ガンダム。

 リンはいまアランの口から出たその言葉が、彼の中で呪いのようなものなりつつあることを理解した。

 

 まるで、ジオンという言葉と同じように。

 

「もし、ガンダムがあったら……。貴方がガンダムに乗っていたら、どうするつもりだったんですか?」

 問いかけるリン。

 アランは光の陰った瞳で、リムドの墓標を見ている。

「リムドを守るために、もっと何かができたかもしれない。少なくとも、もっと早くリムドの機体を無力化できていた。いや、連邦軍の機体だって止められただろう。ジャンをあそこまで危険に晒すことも────」

 スッと立ち上がるアラン。

 彼は自らの拳を握りしめながら、青空を見る。

「俺に力が、ガンダムがあれば……!」

 アランの空を見る目に、リンは戦場の残滓を感じた。

 それはホワイト・クリフスという戦場の残滓。

 荒涼とした砂漠の乾いた熱、モビルスーツがぶつかり合う重たい金属音、そして人の憎悪や怒りが入り混じった声。

 戦場という場所に魂を引っ張られている。ガンダムという力に、心を引っ張られている。

 リンはそう感じ取り、立ち上がったアランの肩をグッと強引に引っ張り、彼女の方を振り向かせると。

 

 パチンッ。

 

 アランの頬を叩いた。

 目を丸くして、リンを見るアラン。

 それに対してリンは、曇りのない瞳でアランをまっすぐに見つめる。

「アラン。それは呪いです。()()()()()()()()()()()

「だが、俺に力があれば救えたはずの命だ。その力がガンダムだと言うのなら、俺は……」

「力を、ガンダムを手に入れて、それからどうするのです? 世界中の人を、貴方ひとりで救えるとでも?」

 かつてないほどに力強い、リンの言葉。

「貴方は戦った。けれど、リムドは死んでしまった。……それでも、貴方が戦ったことで何も変わらなかったわけじゃない。何も残らなかったわけじゃない」

 リンの瞳に宿る、眩しいほどの光。青空の中で輝く太陽と同じくらい、晴れやかな瞳。

 かつて、月面のターミナルでアランが初めてリンと邂逅したときのように、アランは彼女の言葉に聞き入っていた。

「戦ったから変わったもの、抗ったから守れたものも、必ずある。だけど、わたしにも貴方にも、限界はあるんです」

 リンはゆっくりと自身の両手を伸ばし、アランの右手を握る。

「それでも……。それでも、誰かを救いたいという願い、何かを守りたいという思いの価値が、なくなるなんてことはないんです。己の限界の中で、必死に手を伸ばし続けるから、人間はいまもこうしているんです」

 リンのその言葉が、アランの瞳を晴れさせた。

 彼の目にあった戦場の残滓が、少しずつ消えていく。

「……まったくこの歳になってもまだ、迷いっぱなしだ」

「ふふっ。そういう貴方だから、リムドさんも惹かれたんだと思いますよ」

 

「────ちょっと。アタシの父親の墓の前で、()()()()()()()()ほしいんだけど」

 

 そんな二人の間にわざと割って入るように、不機嫌そうに唇をへの字に曲げたシャーラ・リンクリッツが現れた。

「ごめんなさい。だけどわたしたち、仲良し夫婦ですから」

「……前々から思ってたけど、アンタ結構いい性格してるわ」

 リンを僅かに睨んだあと、シャーラはリムドの墓に花を手向ける。そして、名前の刻まれていない墓標を前で目を瞑り、リムド・リンクリッツという男を改めて弔った。

 彼女はいま、心の中でリムドが死んだという事実を受け入れたのだ。

「シャーラ、これから君は……。いや、それよりも先にすまない……」

 そんなシャーラに、アランは恐る恐る声をかける。

「アンタが負い目を感じたりすんの、意味分かんないから」

 アランの謝罪を遮るように、はっきりと言ってのけるシャーラ。

「父さんは最高の戦士だった。あのときは分からなかったけど、落ち着いた今なら分かる。あれが父さんにとって、一番望ましい方法だった。戦士として、最後に守りたいものを守ろうとした父さんの打てる、最良の一手だった」

 シャーラは決して、強がりで言っているわけではない。それをアランは彼女の目と顔から理解できた。

 迷いを振り切った目と、悲しみや苦しみを乗り越えた顔つき。子供のあどけなさを卒業し、一人の人間として立ち上がろうとしている覚悟。

 

 一人前の、戦士の眼差し。

 

 アランは思う。

 この子は、本当に強い子だと。

 そして、リムド・リンクリッツという男の育て方は、間違っていなかったのだと。

「ありがとう。君にそう言ってもらえるなら、救われる」

「で、言いたいことはそれだけ?」

「こちらの考えを見抜いてくるのも、()()()()だな」

 軽い笑みを浮かべて、アランは自らの上着の裏ポケットから、一枚の折りたたまれた紙を取り出した。

 それは、一人の少女の後ろ姿が描かれている版画だった。

 決して、手放しに褒められるほど出来のいいものではない。精緻に作り込もうとしたその意気込みは感じられるが、如何せん技術がそれに追いついていなかった。紙の質も、決していいものではない。

 しかし、シャーラはそれを誰が、どういう意図で作ったのかをひと目見ただけで理解できた。

「……父さんの、版画だ」

 この版画で描かれているのは、幼き日のシャーラなのだ。

 彼女がまだ、名もなき戦災孤児であった頃、リムドの乗るグフ・パサードを見上げていたときの背中。

 アランが初めてリムドと出会ったとき、彼が懸命に彫っていた版画はこれだった。

「もぬけの殻になったリムドたちの拠点にあったものだ。リムドが最後に座っていた机の上に、この道具箱と一緒に。君に渡すのが筋だと思ってね」

 アランは小さな道具箱も取り出して、同じようにシャーラへと渡す。

 

 ────力にしか依ることのできない人間になるな。

 

「あるじゃん。父さんが、やりたかったこと……」

 こぼれそうになる涙をどうにかせき止めようと、シャーラは瞬きをする。

「……父さん、モビルスーツの操縦は上手なのに、こういう手先だけは不器用だった。けど、亡くなった奥さんが自分に残してくれた、与えてくれたものだからって」

 シャーラの声は震えていた。

 僅かに残った最後の少女らしさと、彼女はいま向き合っている。

 しばらくその版画を見ていたシャーラは、やがてゆっくりとそれを閉じて、自身のズボンのポケットへと仕舞う。

 それが彼女にとっての、子供との決別であった。

 

「────アタシも。父さんが残してくれたものを、与えてくれたものを、無駄にしたくない」

 再び戦士の顔になったシャーラは、アランの目をまっすぐに見据える。

「だから、それを受け継いでいくだけの力が欲しい。()()()()()()()()()()。誰かに与え、残せるだけの力が欲しい」

 小さな戦士。

 一年戦争時に学徒兵だったジャンも、こんな顔をしていたとアランは思い返す。

「父さんと対等に渡り合ったアンタに、それを教えてほしい。アタシを、本物の戦士にしてほしい」

 本来なら、早すぎる()()()()()()()

 まだ十代になったばかりの少女が口にするには、あまりに過酷な道。このまま何事もなかったかのように学校へと通い、同い年の子供たちと共に青春を過ごすこともできるはずだ。

 だが、それこそが彼女の、シャーラ・リンクリッツという人間の選択。

 様々な人間の生き死にと、人生を目の当たりにした彼女が選んだ道。

「……リムド。お前は、しっかりとこの世界に()()を残せたんだな」

 それならば、仕方がない。

 アランはシャーラに手を伸ばす。

「俺で良ければ、教えよう。戦う術、そして生き残る術を」

 グッと、アランとシャーラが握手を交わした。

 

 この日の空は、ずっと晴れていた。

 まるで、シャーラ・リンクリッツという少女の新たなる人生を祝福するように。

 

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