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宇宙世紀百年の節目にある宇宙を、一隻の旅客シャトルがとあるコロニーに向けて進んでいた。
このシャトルは地球のある学校が貸切っており、内部は初の宇宙旅行を満喫中の学生たちが騒いでいた。
「すげー! この飲み物、傾いたままだぜ!」
「浮いてる、ホントに浮いてる! ね、写真撮って、写真!」
「なんか、まだ気持ち悪い……」
ある者は無重力空間で遊泳を試み、ある者はエチケット袋にその顔を突っ込んで、宇宙旅行を心ゆくまで楽しむ十代半ばの学生たち。
引率する教員二名は、その様子をシートに座ってひやひやしながら見ている。
今回貸切ったこのシャトルは、地球連邦政府の高官といった特権階級のみが乗れる
しかし、そんな学生たちとはまるで別世界にいるかのように、ただ静かに窓際の席で宇宙を眺めている少女がいた。
「────これが、宇宙。
その少女、
二重の瞼をゆっくりと動かして、いま自らが見ている光景を咀嚼するように瞬きをするその余裕。
きゅっと一文字に結ばれた口と、醒めているようでその奥底に熱を秘めたようなその眼差し。
そして何より、青春を自らの手で終わらせたような大人びた表情。
単なる女学生とは思えないほど、浮世離れした雰囲気をこの少女は纏っていた。
彼女の心にはいま、幾つもの感情や言葉が湧き出ている。
────この、暗くて冷たい星の海はスペースノイドたちにとってどれほど心細く、そして過酷なものだっただろう。
────たった一枚の窓を隔てた向こう側は、本来なら人間が住めない空間なのだ。
────この宇宙で、人類史上最も凄惨、かつ多くの憎しみと怒りを生み出した一年戦争が行われたのか。
その携帯端末で写真を撮るわけでも、何かの形で記録に残すわけでもなく。
彼女はただジッと、シャトルの窓越しに見える宇宙を眺めていた。その瞳に映る黒い星海を、自らの成熟しつつある心に刻んでいく。
未だに騒ぎ続ける学生たちの声など、いまの彼女にはまったく届いていなかった。
「────よし、お前たち! そろそろ席に座って、乗務員さんの指示に従うんだ! コラ、
その時、客室内の操縦室側の天井にあるモニターでランプが点灯し、引率教員の一人が大声で生徒たちを叱り始める。
「いいか、もうすぐこのシャトルは目的地であるスペースコロニー、サイド3に到着する。そこで三日後に行われる、宇宙世紀百年の記念とジオン共和国の自治権返還式典を兼ねたセレモニーに我がクラスは出席するわけだが……。そこ、私語は慎め!」
生徒たちに注意しながら、話を進める教員。
長々と続く話にまるで耳を傾けていなかった窓際の彼女だったが、あるものが自らの視界に映った瞬間、氷のようだったその表情に歳相応の好奇心と感動が滲み出た。
それはスペースコロニー、
地球から最も離れたスペースコロニー。
そして、かつてジオン公国という名で地球連邦と争い、一年戦争という未曾有の悲劇を生み出した根源。
宇宙世紀という歴史を語る上で、避けては通れない場所。
「あれが、サイド3……。ジオン公国、だったもの」
彼女の口から、独り言が漏れる。
一年戦争によるジオン公国の解体後、サイド3にはジオン共和国という国家が一応の存続を許され、曖昧な自治権と共に今日まで存在していた。
しかし、もうすぐそれも終わりを告げる。
宇宙世紀百年の節目に、ジオン共和国の自治権は地球連邦へと返還され、他の地球圏のスペースコロニーと同様に、地球連邦の支配を受けるのだ。
彼女の胸に好奇心と感動、そして一抹の不安がこみ上げる。
────父さん。アタシ、サイド3に来たよ。父さんの、生まれ故郷に来たよ。
彼女は、いまは亡き育ての父を想い、その瞳に僅かな涙を溜める。
だが、彼女はもう涙を流さない。そういう弱さは、戦士として生きると決めたときに捨てたのだ。
涙が零れぬよう、彼女は何回も瞬きをした。
「……ミ!」
────父さんが持っていたものを、アタシに与えてくれたように。
「……ナミ!」
────あたしもまた、多くのことを見て、知って、それをまた次に繋いでいく。繋いでみせる。
「……ザナミ!」
────父さんが、リムド・リンクリッツが生きた道は、決して間違いだけじゃなかったと証明するために。
だから、この宇宙の向こうで、アタシを見守っていて。
「…………
そこで、彼女はようやく自らの名が教員に呼ばれていたことに気づいた。
サザナミ。
そう呼ばれた彼女はゆっくりと、気怠そうに右手を挙げる。
先ほどまで騒いでいた学生たちが、何事かと彼女に視線を集中させた。
それもそのはず。サザナミといえば同じく日本系のヤシマ家などと並んで、知らぬ者の少ない有名な名家であった。
しかし、その程度のことで動じる彼女ではない。
何食わぬ顔で、彼女は黙って手を挙げていた。
「……この名前、まだぜんぜん呼ばれ慣れない」
彼女が、うんざりした表情で呟く。
その禿頭に青筋を浮かべる教員が、半ば怒鳴りながらサザナミと呼ばれた彼女の、フルネームを呼んだ。
「────
「……はい。出席番号十五番、シャーラ・サザナミはいます」
スッと、挙げていた手を下ろすシャーラ・サザナミ。
叱っていた教員の方も、愚痴を零しつつ他の生徒の点呼を優先する。
シャーラ・サザナミ。
かつての名を、シャーラ・リンクリッツ。
オーストラリア大陸で、アラン・サザナミと激闘を繰り広げた男の養女。幼くして多くの者の生と死を目の当たりにし、自らもまた戦士となることを覚悟した若き戦士。
彼女はいま、リン・サザナミとアランの養子となり、名前もシャーラ・サザナミと改めていたのだ。
そして、通常の学校生活、つまりは若者の青春というものを満喫することも大事だというリンの方針によって、この学校に編入させられたのである。
「はぁ……。温い環境と、腑抜けたツラ。こんな連中に、学ぶことなんてあるわけない」
そう愚痴を零して、シャーラは再び窓の向こうを眺めた。
彼女たちの乗ったシャトルが、サイド3へと近づく。
シャーラ・リンクリッツの戦いはここから始まるのだということを、いまの彼女はまだ知らない。
いまだ消え失せぬジオンの亡霊が、このサイド3に忍び寄っていた。