「──―宇宙、初めて来たんです」
少女の透き通るような声を、アランはただ聞く。
「父が、アナハイムとの商談をするからって、その付き添いで。最初は少し怖かったんですけど、来てよかったです」
「……なぜ?」
アランのようにベンチへ座らず、少女はコーティングされたガラスの向こうにある宇宙へと手を伸ばしている。
地球出身の人間は、その大半が宇宙に対して恐怖心や嫌悪感を示す。
酸素や重力。ふと見上げた時に映る青空や雲、自身の足で踏みしめる大地。
自らが地球に住んでいた時はあって当然と思っていたそういうものが、宇宙にはないのだ。そういった拒絶反応を示しても何ら不思議ではない。
コロニーの壁やノーマルスーツで保護されているように思えても、それらを隔てた向こうにあるのは何もない空間なのである。
「静かな、海みたいだから。星の光だけが輝く、少し怖くて、けれど落ち着く場所。シャトルの窓から宇宙を見た時、そう感じたんです。地球の空とは違う、どこまでも続く本当の星の空」
それでも、少女は宇宙に来たことを喜ぶ。
宇宙を見るその碧い瞳には、好奇と希望の光が満ちていた。
「……この海には酸素も、何もないぞ。ノーマルスーツを着用していても、俺たちはそう長い間、この海にいることはできない」
生まれてからずっと、宇宙だけが
地球育ちの人間が抱く贅沢な感情だと、アランは思った。
「モビルスーツのパイロットだから、分かるんだ。この暗く、無限に広がる冷たい海は、静かに何もかもを飲み込んでいく」
このアランの言葉は、彼の体験から滲み出たものだった。
これまでの戦争で散った者の死体。
破壊されたモビルスーツや艦船の残骸。
こういったものが誰に拾われるわけでもなく、宇宙空間を永遠に漂い続けている光景をアランは嫌というほど目にしてきた。
まるで人の魂や夢、戦いの記憶の墓場のように風化することも、弔われることもなく、ただ暗い宇宙を彷徨い続けるその様は、とても悲しいものであったとアランは記憶している。
「そうやって宇宙に飲まれた戦友が俺にも一人いてね。死んだのをこの目で見たわけじゃないが、あの性格じゃあ多分生きてはいないだろう。そういう、怖いところでもあるのさ、宇宙は……」
アランは、かつて自分と同じ宇宙移民独立の志を抱いてジオン兵になった戦友、カミロ・カーダに思いをはせる。
共に厳しい訓練を耐え抜き、ブリティッシュ作戦まで行動を共にしたアランとカミロ。
だが、コロニーが地球に落ちたその日、アランはあらゆる戦いに恐怖を感じるようになった。
最前線から遠のいていくアランをカミロは臆病者のオールドタイプだと誹り、それ以来アランはカミロと会っていない。
おそらく、ソロモンかア・バオア・クーで戦死したのだろうとアランは思っている。
──なぜ分からないんだ、アラン! この戦いは、人類の革命なんだ! いつまでも地球にへばりつくオールドタイプを、オレたちニュータイプが無理矢理にでも持ち上げてやるんだよ!
ふと、アランの脳裏にカミロの最後の言葉がよぎる。
「そんな簡単に、人類が変われるものかよカミロ……。現にこうして、ニュータイプがいても戦いは続いているじゃないか……」
つい呟いてしまった言葉で、我に返るアラン。
そこで彼は、少女が深々と頭を下げていることに気づく。
「……ごめんなさい。わたし、傲慢でしたね。宇宙に住む人の悲しみや辛さも知らずに、ただ自分がそう思ったからって」
少女の謝る理由が見当たらず、アランはただただ面食らう。
「傲慢?」
「知らないこと、分からないことを、知っている風に語るのは傲慢ですから」
「そうなのか」
頭をゆっくりと上げ、少女は話を続ける。
「はい。父が常に言っているんです。誰にでも知らないこと、分からないことはある。だって、神様じゃないから。それに、知らないことを知っていくことができるから、人間はこうして宇宙でも暮らしていける。だから、知らないことは悪いことじゃないはずだって」
少女の言葉は、不思議とアランの心に響いた。
「……けど、ニュータイプという存在が、人をより傲慢にさせる。分かること、できないことなんて誰にでもあるはずなのに。時の流れさえ、理解したつもりになって。分からない相手の方が悪いんだって、責任を押し付けて」
おそらく、少女は年齢だけでいえばアランよりはるかに年下だろう。どう見積もっても二十歳は超えていない。
だが、その言葉にはアランがいくら考えを巡らせても至れない、新しい可能性があった。
「……ねぇ、モビルスーツのパイロットさん。わたし、できればもっとあなたとお話がしたい。あなたは、わたしが知らないことをもっと教えてくれる気がするから」
そして、目の前の少女はいまの自分よりもっと色々なことを知りたいと願っている。
「それにわたし、傲慢で世間知らずな人間には、なりたくないから」
まっすぐに、偽ることなく少女はアランの目を見る。
自らの失くしてしまった瞳の輝きを持つ少女の期待に、アランはすっかり応えたくなっていた。
それは、失くしたものに対する憧憬からか。
或いは、失くしたものをまた取り戻せるかもしれないという期待からかは、いまのアランには分からなかった。
「……この後は、少しばかり仕事の予定は入っているが。その後でよければ」
「決まり、ですね」
突っ立っているアランの手を取り、少女は握手を交わす。
「わたし、リン・サザナミです。日本っていう場所の生まれだけど、母がこの髪と目の色だったから。あなたは?」
アランの身長は176センチ。それに対してリン・サザナミという少女の身長は160センチに満たない。
好奇心で目を輝かせたリンが、下からアランの顔を覗き込むようにして彼をじっと見ている。
その視線がなんともむず痒く感じたアランは、似合わないほど優しげな笑みを浮かべて応える。
もしも彼の部下二名がこの場に居たなら、大層笑われていたことだろう。
「アラン……、アラン・ダレン。サイド3に近いコロニーで生まれた、しがないモビルスーツ乗りだ」
「よろしくお願いします、アランさん」