スペースコロニー群サイド3に所属する31バンチコロニー、通称『ブリュタール』はワインの産地としても知られている観光用コロニーであった。
スペースコロニーの中で最も大きいコノシア湖と、その周辺に広がる森林公園が有名なこのコロニーは現在、数日後に執り行われる記念式典を前に多くの人で賑わっていた。
「……なんだか、コロニーって感じがしない。上を見上げたときに青い空がないこと以外、サザナミのお嬢さまに連れていかれたヨーロッパみたいな感じ」
いまターミナルの出口に立つシャーラ・サザナミは、生まれも育ちも地球。初めて降り立つスペースコロニーの風景に未知への驚きと期待を感じずにはいられなかった。
宇宙から見たときは、なんとも頼りない金属の筒でしかなかったスペースコロニーの内部に、こんなにも地球に似た景色が広がっていること。
そして、そんな金属の筒の中で幾千、幾万の人々が地球と同じように生活しているということ。
彼女にとってはすべてが新鮮で、知らないことばかりだった。
普段は冷静沈着で大人のように気取るシャーラも、いまは年相応に目を輝かせる。
「まず、どこから巡ろう」
面倒な手続きや、教師陣の長い
夕食までに与えられた自由時間を存分に楽しもうと、高揚感と期待を胸いっぱいに膨らませてターミナルの外へと一歩踏み出そうとしたとき。
「なぁ、マーレイ。オレらと一緒に行こうぜ? ついでに、オマエの金でいろいろと買わせてくれよ。オマエの親父、金持ちなんだろ?」
ターミナル出口の隅にある人気のない場所で、先ほど知り合ったエインズ・マーレイが不良学生たちに恐喝、所謂カツアゲをされているのをシャーラは目にしてしまった。
不良学生のリーダー格と思しき少年が、エインズの頬を馬鹿にするように
「連邦政府の議員サマ、だもんな。なぁ、俺たちのような友達に、恵んでくれよ」
にやにやと陰湿な笑みを浮かべて、エインズの周りを取り囲む五人の不良学生。
対するエインズは抵抗するわけでもなく、嵐が過ぎ去るのをジッと耐えるかのようにへらへらと薄っぺらい笑みを浮かべていた。
不快なものを見せられたと、舌打ちをするシャーラ。
戦災難民や不法移民が集まる難民キャンプでも、富裕層の子弟が通う名門校でも、徒党を組んで弱者を虐げる下劣な輩がいるのは同じかと彼女は思う。
しかし、ここで下手に暴れまわってしまうと、後々で面倒なことになるのは分かりきっていた。ただでさえシャーラは他の学生たちと比べて、普段の態度の悪さやサザナミ家の経歴不明な養子ということで教師陣から睨まれている。
これ以上、サザナミ家や育ての親であるアランたちに迷惑はかけられない。
だが。
────力を振るうことは、怖いことだ。だが、目の前で起こる悲劇や不幸を見過ごすことは、もっと怖いことなんだ。
アラン・ダレンの言葉が彼女の脳裏をよぎったとき、シャーラはあとで自らに降りかかる面倒を想像して再び舌打ちをしながらも、エインズと不良学生たちの方へと向かっていた。
「──友達ってのは、他人に寄生するダニを指す言葉じゃないわよ」
「なんだ、オマエ」
後ろに立っていたシャーラの言葉に、不良学生たちが一斉に振り向く。
「ダニが五匹……。自由時間は多くないから、かかってくるなら早くすれば?」
「オマエ、前に噂になってたサザナミの養子か。正義の味方ヅラして、こいつを助けようってか?」
あっという間にシャーラを取り囲みはじめる、五人の不良。
彼女は五人の足運びや身体の重心の動かし方、視線の向きを瞬時に確認して彼我の戦力を推し量る。
五人のうち、四人は素人同然。
シャーラからすれば、人を本気で殴ったことすらなさそうな動きや構えだった。無抵抗の人間を脅すだけで自分を強者だと勘違いしている、典型的な雑魚だと彼女は的確な分析を下す。
一方、シャーラの目前に立つリーダー格の少年は何らかの格闘技、おそらくボクシングを齧っているような動きだ。
左の手足を前に出し、やや腰を落として重心を低くし、両膝を柔軟に曲げて如何にも格闘技をやっているといった構えである。
なるほどこいつがこのダニの群れの頭かと、シャーラは理解した。
先に仕留めるのは、コイツにしよう。
極めて落ち着いた様子で不良たちを品定めしていたシャーラの顔の手前を、リーダー格の少年の拳がシュッという空を切る音とともに掠めた。
「へっ! 威勢のいいセリフは終わりかよ、
少年が、シャーラを挑発する。
安っぽい挑発だった。しかし、
「ずっと、生きるか死ぬかの世界にいたの。────アンタらみたいな
このシャーラの言葉が、開戦のゴングとなった。
リーダー格の少年が、怒りで歯を剥き出しにしたまま彼女に殴りかかる。
左足の強い踏み込みと、右肩から右腕にかけての捻りが伴った彼のねじり込むような右ストレートが、シャーラの顔面へと放たれた。
まったく手加減のない、素早く強烈な一撃である。
「振りが大きい」
それがシャーラに当たれば、だが。
彼女は首と上体を僅かに自身の左へ傾けて、少年の右ストレートを回避。さらにその回避行動と同時に、彼の顎に向かって右掌底を放っていた。
攻撃に意識を集中していた少年は、自身の右ストレートの間隙を縫うように差し込まれたシャーラの右掌底をもろに喰らう。
顎から伝わった掌底の衝撃は少年の頭蓋を、脳を激しく揺らした。
あまりに素早い、攻防一体となったシャーラの動き。リーダー格の少年も、その取り巻きの不良たちも、何が起こったのかを把握する猶予すら与えられない。
攻撃は最大の防御、というのは最善ではない。
最善とは、攻撃と防御を同時に達成すること。
これは、シャーラがアランから教わったことのひとつであった。
掌底によって脳を揺さぶられ、構えすら碌にとることもできずにふらつく少年に、シャーラは容赦のない追撃を加える。
掌底を放ってすぐに、伸びたバネが縮むかのような速度で素早く引いた右拳で、今度は少年の
男は急所に攻撃を喰らい、呼吸すらままならない内臓の圧迫と痛みに悶えながら身体をくの字に曲げる。
そこへ、とどめと言わんばかりに少年の後頭部へと、シャーラの体重を乗せた右肘が振り下ろされた。
無論、いまの彼が回避などできるわけもない。
少年は気を失い、その場に倒れ伏してぴくりとも動かなくなってしまった。
それで終わり。
倒れた少年が完全に無力化されていることを確認したシャーラは、次の獲物を見定める猛獣のような目を残りの四人に向ける。
先ほどまで、エインズに対して攻撃的かつ嗜虐的な笑みを浮かべていた不良少年たちは、いまや蛇に睨まれたカエル同然であった。
「今すぐこの馬鹿を担いで失せるか、この馬鹿と同じ目に遭うか。三秒以内に選んで」
シャーラのこの言葉を聞いた四人が、どちらを選択したかなど言うまでもない。
顔面を恐怖で歪ませた四人はリーダー格の少年を担いで、瞬く間に逃げ出していた。
「……はぁ。逃げるくらいなら、
ため息をつきながらそう呟いたシャーラは、あまりにも現実離れした事態に呆然と立ち尽くすエインズを一瞥もせずに立ち去ろうとする。
「ま、待って────!」
そんな彼女を、エインズは慌てて呼び止めた。彼に背を向けたまま、シャーラは立ち止まる。
「……何?」
「えっと、あの、その……! お、お礼とか……!」
「お礼? お礼なんていらない」
くるりとエインズの方を向き、シャーラはまっすぐに彼の目を見ながら言った。
「アタシは、
堂々としていた。
シャーラ・サザナミのその言葉には、欠片ほどの虚栄も遠慮もない。
彼女は本心から、そう言っているのだ。
「それじゃ」
再びエインズに背を向けて、歩き始めるシャーラ。
しかし、エインズが立ち去ろうとする彼女を必死に止めるように、シャーラの着ている制服の左裾を引っ張っていた。
流石にうっとおしくなったのか、いつもの鋭い目つきでエインズを睨もうとするシャーラ。
だが、そんな彼女の目つきを前にしても、エインズはわざわざ背伸びをしてシャーラの鼻先まで顔を近づけ、今にも泣き出しそうな面持ちで言う。
「な、なら僕だってそうだ! 君に助けてもらったから、僕は何かお礼をしたい! そ、そうじゃなきゃ、僕が納得できない!」
臆病で、遠慮がちなエインズが勇気を振り絞って紡いだ言葉。
そう言って、彼はぷるぷると震える右手で制服の裾を掴んだまま、まっすぐにシャーラの目を見つめている。
そんな彼を見たシャーラは、言いようもないほどの嬉しさと恥ずかしさ、そして愛おしさに頬を紅潮させてしまう。
そして、そんな表情をエインズに知られまいと、彼女は右手で彼の柔らかい頬をぐいっと押しのけながら言った。
「……顔、近いって」
「け、けど、こうしないとシャーラさんがどこかに行っちゃう……」
それでもなお、シャーラを逃がすまいと制服の裾を引っ張り続けるエインズ。
はぁ、とまたしても大きくため息をついた彼女は、エインズの奇妙な頑固さに観念した。
「分かった。じゃあアンタ、このブリュタールの案内をして。シャトルであれだけ喋りまくってたんだから、どうせこのコロニーのことも調べてるんでしょ? あと、お腹も空いたから何かおいしいものでも奢って」
シャーラのその言葉を聞いたエインズは、ぱあっと目を輝かせる。
「も、もちろん! ここの観光ガイドは暗唱できるくらいに読み込んだから、任せて!」
よほど嬉しかったのか、エインズは興奮気味の表情で再びシャーラに顔を近づける。
「だ、か、ら。顔が近いっての」
「ご、ごめんなさい……」
そんな彼の顔をまた手で押しのけるシャーラ。
まったくの予想外だと、彼女はまたしてもため息をつく。気まぐれで餌をやった妙な小動物に懐かれてしまったような気分だと、シャーラは自らの心の中で呟いた。
「そ、それじゃあ気を取り直して……。今日一日、よろしくシャーラさん」
シャーラが見たこともないほど、純粋で楽しそうな笑みを浮かべるエインズ。
この少年は、両親の愛情と平和な家庭の中で大事に育てられたのだろうと、彼女はまた少しエインズに嫉妬した。
「よろしく、エインズ」
けれど、この少年にも辛いことや困難は例外なく降りかかっているのだということも、いまのシャーラは知っている。
つい先ほど、不良どもからいじめられていたときに見せた彼の表情は、心の痛みや屈辱をどうにか耐えようという痛々しいものだった。
シャーラが不良どもを撃退したとしても、彼の心の痛みや屈辱が完全に消えるわけではない。
一度心につけられた傷や痛みは、そう簡単に消えないことをシャーラも知っている。その傷や痛みはやがて他者に向ける
だが、いまのエインズは彼女に対して、こんなにも眩しく笑っている。
「……
思わず口から漏れたシャーラの言葉。
なんとも楽しそうにブリュタールの観光名所について話しはじめていたエインズには、それが聞こえなかった。