「この辺りの街は31バンチコロニー、ブリュタールで初めて作られたところなんだ。ヨーロッパのものを模して造られた石畳や、石造りの白い建物が目を引く街並みと、遠くに広がるぶどう畑は────」
「そういう、いかにもオタクっぽい豆知識はいいから。美味しい食べ物はどこ?」
熱の入ったエインズ・マーレイの解説を、
彼女たちはいま、ブリュタールのターミナルからコロニー公社の運営するバスに乗って十五分ほどの場所にある市街地を訪れていた。
「ターミナルで馬鹿共の相手をしたあと、座り心地最悪のバスに揺られて十五分……。シャトルの機内食は量が少ないし、そろそろ空腹で暴れたくなってきた」
一応、まだ知り合って半日も経っていない仲だというのに、あまりにも遠慮がないシャーラの態度に苦笑いを浮かべるエインズ。
シャトルで初めて話したとき、シャーラ・サザナミという少女はとても大人びているとエインズには思えた。
「け、けど、せっかくブリュタールに来たんだから、有名なワイン工房とか……」
「お酒なんて、アタシたちはまだ飲めないじゃん。それより食べ物」
拒否。
「じゃ、じゃあ、コロニーの完成を祝って建てられた庁舎とか……」
「お偉いさんの住んでる建物なんて、毛ほども興味ない。それより食べ物」
またしても、拒否。
あまりにも彼らの趣味嗜好が違いすぎた。二人仲良く、のどかなコロニーを観光しようというエインズの観光プランは、はやくも暗礁に乗り上げつつある。
しかし、歴史オタクでありこのブリュタールの観光を人一倍楽しみにしていたエインズも、そう簡単には引き下がらない。
「せ、せめてスペースコロニーの中でも最大の湖である
「────それって、ここからどれくらいかかるの」
ゆっくりと振り返り、据わった目でエインズの顔を見るシャーラ。
一拍の沈黙。
「い、一時間くらい……?」
はぁぁっ────。
石畳の塵を吹き飛ばしそうなほど、大きなシャーラのため息のあと。
ずいっ、と武道家が間合いを詰めるようにシャーラはエインズの鼻先にまで近寄り、彼の頬を右指で突く。
「歴史や、知識で、お腹は膨れない。そして、私は、お腹が、減ってるの。わかる?」
ぐいっ、ぐにっ、ぶにっ。
言葉を区切るたびに、エインズの頬を指で突くシャーラ。マシュマロのように白く柔らかい彼の頬が、シャーラの指によって蹂躙されている。
このまま彼女の空腹を放置していては、次に蹂躙されることになるのはエインズの生命かもしれない。
「ご、ごべんなざい……!」
観念したエインズは自身の脳内で組み上げた完璧な観光プランを大幅に変更し、露店が多く立ち並ぶ街の広場へと向かうことにした。
はじめからそうしろ、というシャーラの文句をその背に受けながら、ブリュタール市街地の案内をするエインズ。
そして二人は、噴水を中心に多彩な露店が軒を連ねる街の広場へとやってきた。
コロニーで採れた野菜や果物を売る店。
野菜や肉類を使った料理を売る店。
パンや加工食品、お菓子を売る店。
とにかく多種多様なものが売られているその光景に、先ほどまで据わりきっていたシャーラの目にも高揚感からくる光が表れる。
どうにか彼女の機嫌も直ったかと、エインズは胸を撫で下ろした。
「じゃ、じゃあ、何を食べたいのか言ってもらえれば……」
「
「…………えっ?」
もっとも、安堵するにはまだ早かったことをエインズが理解するのに、そう時間はかからなかったのだが。
彼は振り回された。
肉を、パンを、果物を、その底なしの胃袋に放り込むかのごとき勢いで食べるシャーラ。彼女の空腹を、エインズは甘く見ていたのだ。
「これは美味しい。これは……、あんまりね。果物とか野菜が、ちょっとパサパサしてるわ」
年頃の少女特有のダイエットだの、小食を装うことによる可愛らしさ狙いだのという考えは、シャーラにまったく存在しない。買っては食べ、買っては食べというサイクルを彼女は凄まじい速度でこなしていく。
その食べ方もおおよそ思春期の少女とは思えないほど豪快なもので、果物は切り分けることなく丸かじり、ハムやソーセージなども店主から渡された次の瞬間には獲物にとびかかる肉食獣のように貪っている。
そして、それらの支払いは確実に、エインズ・マーレイの財布を消耗させていった。
シャーラ・サザナミの、
「でも、新鮮な魚とか加工されていない肉とかはないのね」
広場の隅にあるベンチに腰掛け、無尽蔵の食欲のままに食べ物を貪っていた手を止めて、シャーラが言う。
手品のようにお金が消えていく自らの財布を見て、白目を剝いていたエインズが我に返り、彼女の質問に答えた。
「あ、あぁ。それは、スペースコロニーだと仕方ないことなんだよ」
「そうなんだ」
もしやこれは、食べ物からシャーラの気を逸らす絶好の機会なのでは。
そう考えたエインズは、己の知識と語彙を総動員して話し始める。
「このブリュタールが属するサイド3は、地球から最も遠い位置にあるからね。植物ならコロニーでも栽培できるけど、動物のお肉や魚はどうしたって地球のものを輸入せざるを得ないんだ」
「ふぅん……。牧畜用や魚を養殖するコロニーとかって無いワケ?」
ある程度の食欲が満たされたことで、彼女の心にも余裕ができたのだろう。
この機を逃してはシャーラの飲食代だけで自らの財布から硬貨一枚すら無くなりかねないと、エインズは話を続ける。
「ないことはない、と思うけれど。ただ、どうしたって牛や豚なんかを飼育するには飼料や空気──、もっと大雑把に言えば地球にあるような自然が必要になるから。だから、シャーラさんが食べていたものも、殆どは加工食品だったよね?」
「たしかに」
その細い顎に手を当てて、頷くシャーラ。
「新鮮な野菜とかお肉、お魚っていうのはやっぱり、
悲しそうに、目を細めるエインズ。
そんな彼の表情を見たシャーラは、ふと自らの手に持っていた食べかけのパンに視線を落とす。
上等なものではなくとも、泥も埃もついておらず、焼き立てのいい匂いがして、ちゃんと食べられるパンを。
「……そうよ。世界って、理不尽でいっぱいだから」
シャーラは自らが呟いた言葉で、幼き日を思い出す。
リムドに拾われるまで、戦争で肉親を失った彼女は各地の難民居住区や不法移民が暮らす土地を転々としていた。
砂の味がする残飯を齧り、ごみを回収して小銭を稼ぎ、地べたを這いまわる虫のように彼女は生きていたのだ。
その頃のシャーラはいつも世界の理不尽に怒り、同時にそんな理不尽を甘んじて受け入れるしかない己の弱さを恨んでいた。
自分が、もっと強ければ。
もっと、もっと強ければ。
もっと、もっと、もっと────。
「…………さん、シャーラさん。そ、その、大丈夫?」
いつの間にか俯いていたシャーラの顔を、心配そうに覗き込むエインズの言葉で、シャーラは現実に戻る。
「……大丈夫。なんでもないから」
努めて平静を装うシャーラ。
誰かに弱さを見せることは、彼女が何よりも嫌うことだった。弱さを見せれば、そこにつけ込まれることをシャーラは知っている。
「た、食べ過ぎてお腹が痛いなら、トイレを探そうか?」
パチン、と小気味良い音を鳴らして、エインズの頭をシャーラが叩く。
「乙女に対するデリカシーに欠けてんのよ」
「お、
再度、エインズの頭を叩くシャーラ。
エインズは痛がって、涙目になりながら自らの手で頭を撫でている。やれやれ、とため息をついて辺りを見回すシャーラ。
その時、シャーラの前を歩く一人の老婆の姿が、彼女の目に入った。
色とりどりの果物がぎっしりと詰まった紙袋を両手で抱え、時折よろけながら歩く老婆。
それを見たシャーラは、そのあまりにも危なっかしい姿に居ても立っても居られず、ベンチから立ち上がって老婆の元に寄ろうとした。
そのとき、彼女の予想通り老婆が大きく体勢を崩して、紙袋に入った果物がこぼれ落ちそうになる。
それを間一髪のところで、老婆と紙袋を支えたシャーラが止めた。
「お、おぉ。ありがとうね、お嬢さん」
「……別に。見て見ぬふりはしたくなかったから」
「優しいねぇ、お嬢さん」
にっこりと、シャーラに向けて柔和な笑みを浮かべる老婆。屈託のない、心底から感謝を示す笑顔。シャーラにはどれだけ年をとってもできそうにないほど、綺麗な笑顔であった。
そして老婆は紙袋の中からオレンジを一つ取り出して、シャーラに見せた。
「お礼、というにはなんだけど……。美味しいオレンジでも食べながら、この年寄りと少しばかりお話しないかい?」