ブリュタールで最も格式高いホテル、シャトーユニヴェルセルの一室に一組の男女が宿泊していた。
目も眩むような値段の調度品と、華美な装飾が施された家具に囲まれた部屋の中で、その男たちは椅子やソファーに座って自動小銃の手入れを行っている。
このホテルに宿泊する地球連邦政府の高官や富豪たちと同様に、二人も綺麗に仕立てられたスリーピーススーツを着ているが、警備員やボディガードの類ではない。
それもそのはず。この二人の正体はザクス・ランツフートとその部下、ネリス・ハーバーであった。
ゆったりとソファーに座り、自動小銃の点検を行っているのはザクス・ランツフートである。
「しかし……、モナハン・バハロもこういう根回し
ジオン共和国情報局。かつて、ジオン公国総帥ギレン・ザビの独裁政治を支えた
しかし、モナハン・バハロが外務大臣に就任してからは陰謀家である彼の裏工作を担当することが増え、外務大臣の小間使いと評されていた。
いま、こうしてザクスの一味がホテルに偽名で宿泊し、連邦政府高官に対するテロの準備できるのも、この情報局の支援によるところが大きい。
薄っすらと笑みを浮かべながら、自動小銃の弾倉に弾薬を込めるザクス。そんな彼に、椅子に座っている副官のネリスが淡々と報告を行う。
「先ほど、私たちと同様に各フロアで待機しているチームから連絡がありました。いつでも行動を起こせる、と」
彼女は現在、パッド型の端末を使って各部隊の状況や、モナハン・バハロより流された連邦軍の配置を逐一確認していた。
「ブリュタールの各地に潜伏させたモビルスーツ隊はどうです?」
弾薬を装填し終えたザクスが小銃に弾倉を装填し、ソファーの前にあるローテーブルの上に小銃を置いた。
「問題ありません。大尉殿の指示があり次第、市街地とターミナルを三十分以内に制圧予定です」
「よろしい。あとは、ズムシティの
同志。
このあまりにも薄っぺらい、空疎な言葉をザクスは心の中で笑う。
そのとき、ネリスの端末に連絡が入った。
「秘匿回線での音声通信、
ネリスの報告を受け、ザクスは彼女から端末を渡される。彼女の発した同志という言葉も、ザクスと同様に何の感情も籠っていない空っぽのものであった。
にやりと笑って、ザクスは端末を操作して通信に応答する。
「聞こえるか、こちらは『
「いえ、名乗りは結構ですよ。我々の間に名前など、何の意味も為さないでしょう」
あまりにも礼を失したザクスの物言いに、『赤き十二月』と名乗った通信相手はしばらく閉口していたが、咳払いをして話を続ける。
「……そうだな。では、手短に伝える。我らと、その志を共にする同胞たちの準備は完了した。定刻通りに武装蜂起を開始、ズムシティを含むサイド3のコロニーを占拠。そこで、我々の声明文を公表する」
『赤き十二月』とは地球連邦政府への自治権返還を良しとせず、サイド3主導で地球圏のスペースコロニーの政治・経済両面での独立を目指すジオン共和国軍の過激派である。
元々、ジオン共和国軍は一年戦争の再来を恐れた地球連邦軍によって非常に厳しい軍備制限を課せられており、このことに不満を抱く共和国軍将兵は大勢いた。
宇宙世紀0090以降、ジェガンへの更新が進む地球連邦軍を後目に、ジオン共和国軍はグリプス戦役の時点で旧式であったハイザックを未だ運用しているのが良い例である。特にこのハイザックはジオン共和国への当てつけに作られた連邦製ザクという印象を将兵に与え、一部の者からは敗戦による屈辱の象徴とまで言われていた。
この『赤き十二月』はそんな将兵たちの不満を煽り、共和国軍内での勢力を急速に拡大させたのである。
ザクスと同様にモナハン・バハロから支援されていたが、ザクスは彼らを意志と知性に欠ける夢想家もどきに過ぎないと内心で馬鹿にしていた。
「承知しました。互いに、スペースノイドの自治独立と、ジオンのために戦いましょう。次代のスペースノイドが、自由な地球圏の
「あぁ、分かっている。……ジーク・ジオン」
「えぇ……。ジーク・ジオン」
我ながら心にもないことをよく語れるものだと、ザクスはその可笑しさに笑みを浮かべる。
そして、通信が切れたことを確認したザクスは、誰に憚ることなく大声で笑った。
「ククッ、ククク……。ジオンの思想すら碌に分からん俗物がジーク・ジオンとは、聞いて呆れる」
ジーク・ジオン。
この言葉を好んで使う者ほど、哀れな者はいないとザクスは考えている。
まるで、唱えれば自らの無念や後悔、愚かさや弱さを打ち消してくれる魔法の言葉のように思っているのだと。
あまりに空虚、あまりに蒙昧。
ザクスはそう断ずる。
「ジオン共和国の自治権奪還、サイド共栄圏構想、スペースノイドの自治独立……。あの俗物連中らしい、浅い考えです」
「はい、大尉殿。地球圏に存在する有限の資源を、宇宙と地球で更に分割するこれらの考えは、大局を見ない愚かな発想としか言いようがありません」
ザクスの言葉に賛同するネリス。
それに気を良くしたザクスは、滔々と自らの思想を語り続ける。
「そうです、無限のものなどありません。この世の全ては有限で、だからこそ賢者が冷徹に管理しなければ。ギレン閣下は、このことを見抜いていた。……ジオン公国の政治家、という枠を出ることなく亡くなったのが悔やまれます」
大仰にその長い両手を広げ、ザクスは己に酔ったまま思想を言葉にし続けた。
「我々は、ギレン閣下の思想を受け継ぎ、より高みへと持っていかねばならないのですよ。単なるジオンの残党ではなく、人類を次なる段階に導く革命者に我々がならねば、人類という種は己の愚かさによって潰されてしまう」
大きく見開いた目で、部屋の天井を見るザクス。
しかし、彼の目にはその天井など初めから映っていない。彼が見ているのは、己の理想とこれから起こる記念すべき闘争だけである。
「弱者と愚者を地球圏から駆逐し、人類種のために必要な者のみを選定、そして鍛える。……戦争という、無慈悲で凄惨な
ザクス・ランツフートの思想は、極めてシンプルなものだった。
増えすぎた人類を戦争によって淘汰し、生き残った者たちによって地球圏を再構築する。
一年戦争以降、凄惨極まる戦争の中でニュータイプと呼ばれる者たちが覚醒を果たしたように。モビルスーツ技術とニュータイプ研究の急速な発展によって、社会の様相が一変したように。
戦争は社会を、技術を、そして人類を進化させる。
流血はその進化の対価に過ぎず、その流血を忌避するヒューマニズムこそが人類を甘やかし、停滞させる害悪なのだとザクスは信じて疑わない。
彼は広げた手をゆっくりと下ろした。
そしてザクスは右手でネリスから渡された端末を持ったまま、左手で近くのラウンドテーブルに置かれていた開栓済みのワインボトルを手に取る。
「宇宙は、過酷だ。このまま人類が母なる地球に甘えていては、決して宇宙に適応などできない。新たな環境に適応できない生物がどうなったかは、旧世紀の歴史が嫌というほど語ってくれている」
彼は左手のワインボトルを傾け、同じテーブルに置かれたワイングラスにとくとくとワインを注ぐ。
赤い、底なしに赤いワイン。
人の血液にも似たそれを上機嫌で眺めるザクス。
「……作物の成長を阻害する雑種を剪定し、より優れたものに栄養を集中させる。農業と同じですよ、これも」
狂信と陶酔。
美酒を飲む前から、彼は己の思想ともたらされる闘争に酔っている。
ザクスはテーブルにボトルを置いた左手でグラスを持つと、一気にワインを飲み干した。
そのまま彼は顔色ひとつ変えることなく、右手の端末を操作して自らの乗機であるドルニエのデータを確認する。
Me―01E、ドルニエ。
頭頂高、約24メートル。
本体重量、29トン。
ギラ・ドーガやギラ・ズールといった、0090年代のネオ・ジオン系機体の流れを汲むモビルスーツである。
あくまで量産機の枠を出なかったそれらの機体とは異なり、このドルニエはジェネレーターの改良やガンダリウム合金製装甲の採用など、単機での戦闘行動が十分に可能なほど性能向上が図られていた。
この設計思想には、開発を行ったアナハイム・エレクトロニクスのある思惑が絡んでいる。
来たる宇宙世紀百年のジオン共和国再統合による地球圏の政情安定化で、地球連邦軍の敵がいなくなることをアナハイムの上層部は危惧していた。
敵がいなくなれば兵器の需要がなくなり、その需要を満たすことで地球連邦政府に対して強い影響力を保持していた自分たちの地位が危うくなると踏んだのだ。
その危惧に対処すべく、アナハイム上層部は元よりジオン系技術者が多く在籍していたグラナダ支社で、地球圏の不穏分子や過激派に供与するモビルスーツの開発を決定。
アナハイム設計の機体であることを断定できず、かつ数を揃えずともテロ行為や局所的な戦闘では連邦軍の優位に立てるモビルスーツの試作型として、このドルニエは開発された。
とどのつまり、アナハイムはテロリストに供与するためのモビルスーツを開発したのである。
「地球圏に、次代の闘争の種を蒔くために作られた機体……。ククッ、私にこそ相応しい機体ですよ、ドルニエは」
またドルニエは、キメラと表現できるほどフォルムの特徴に統一感がなかった。
モノアイが光る頭部や右肩部のスパイク付きアーマーは、ザクから続くジオン系モビルスーツのものに極めて近い。
しかし、見る者にマッシブな印象を与える脚部や、エアインテークの配置された胸部などはガンダムやジムなどの連邦系モビルスーツが備えていたものだ。
これは前述したように、製造元がアナハイムであることを地球連邦に悟られぬよう、敢えてちぐはぐな意匠を施した結果だが、そのちぐはぐさがこのモビルスーツに不気味な印象を与えていた。
そして、ザクス・ランツフートはドルニエのそういったところが特に気に入っていたのである。
連邦でもなく、ジオンでもなく。
突然現れ、戦禍を巻き散らす機体。
純粋に、暴威を振るうために作られた機体。
ザクス・ランツフートの専用機としてこれ以上なく相応しいと、彼は端末を眺めながら思う。
愛おしそうに端末の画面を撫でながら、彼はもうすぐ始まる戦いを想像し、小さく震えた。
「……大尉殿。作戦開始予定時刻が近づいてきました」
そんな風に自らの思惟に浸っていたザクスにも、ネリスは躊躇することなく話しかける。
感情というものがおおよそ欠落しているかのような、その冷たく無機質な言葉で現実に戻されたザクスは、端末をネリスに返して深呼吸をする。
そして、彼は顔を上に向けながら目を瞑り、ゆっくりと息を吐き出してからしばらく黙った。
パンッ!
ザクスは手を叩き、目を大きく開いて言う。
「……宇宙世紀の、次なる百年を決める
ザクス・ランツフートは、確信した。
この後に起こる出来事は宇宙世紀という歴史を必ず変える、と。