宇宙開拓記念館に駐留している地球連邦軍は、どうにかテロリストの襲撃を退けた。
現在は負傷者の救護や被害状況の確認のため、連邦軍の兵士やモビルワーカーが記念館の敷地内を慌ただしく動き回っていた。
現状は、惨憺たる有り様である。
記念館の壁にはギラ・ドーガのビーム・アックスで切りつけられた生々しい傷跡が残り、死傷者も決して少なくない。装甲車などの車両もほとんどが破壊され、未だにコロニー外部との通信は途絶。
何より、駐留地である記念館に残っていたモビルスーツのうち動ける機体はグスタフ・カールと、とある企業から供与された試作機であるガンダム・ユリシスのみとなってしまったのだ。
現在も正体不明のテロリストによる襲撃が続いているブリュタールのターミナルや、政府高官が多数宿泊しているホテル方面への救援など、到底できる状態ではない。
記念館を歩く連邦軍の兵士たちの表情は、いずれも決して明るいものではなかった。
そんな中、記念館の裏手でシャーラ・サザナミはつい先ほどまで自らが搭乗し、戦っていたガンダム・ユリシスを見上げる。
自らの身長の数倍はある、白い巨兵を見ながらシャーラは思う。
「……そうよね。モビルスーツは兵器、
地面に膝をつけた状態で待機しているガンダム・ユリシスの姿は勇壮で、無慈悲な兵器というよりは英雄の彫像である。
また、ユリシスの背部には特徴的な四本の可動式スラスターアームが、上下二本ずつでまとまって畳まれていた。そのスラスターアームも相まり、花に止まって翅を休める蝶のようでもあった。
白と赤、青の色を纏った19メートルのそんなモビルスーツを、シャーラは何をするわけでもなくただ眺めている。
彼女の手は、小さく震えていた。
シャーラはまだ覚えている。
一機目のギラ・ドーガを無力化したあと、エインズ・マーレイが二機目を発見して叫んだときのことを。
操縦桿を強く握った手や、フットペダルを踏み込んだ足の感触。
全天周囲モニターを介して視界に映った、二機目のギラ・ドーガの姿。
ユリシスの腰部ビーム・カノンから放たれた二本の光線が、ギラ・ドーガのコクピットを貫通した瞬間。
すべてが、彼女の感覚と記憶に焼き付いていた。
人殺し。
多くの人が経験することなく生涯を終え、倫理や道徳の中で最も唾棄すべきものだとして語られるそれを、シャーラは行ってしまったのだ。
「分かっていたんだ。父さんも
そう呟き、自らの行いがもたらした重さに押しつぶされそうなシャーラの瞳に、いつもの輝きはなかった。
「……シャーラさん。ナヴァロ大尉が呼んでるよ。今後のことで、話があるってさ」
そんな彼女に、背後から恐る恐る声をかけるエインズ。
「無断で試作機を乗り回したから、軍法会議にでもかけるつもり? アタシがユリシスに乗ってなかったら、この記念館は今頃テロリストに占拠されてたってのに」
エインズに、この少年にだけは弱いところを見せられない。
シャーラは迷いや苦しみで満たされた自らの心に無理やり蓋をして、エインズの方を向く。
「それとも、連邦軍のパイロットとして臨時に雇うとか? まさかアタシが、連邦軍に雇われる日が来るなんてね。まぁ、とりあえず行ってみるわ」
いつもより饒舌に話すシャーラ。
そんな彼女の強がり、その仮面の裏に隠れた苦悩を、エインズは理解している。
シャーラが先ほどの戦闘で人を殺め、そのことを悩んでいることなど、エインズはガンダム・ユリシスを見ていた彼女の背中から感じ取っていた。
だが、どう言葉をかければいいのか、エインズには分からない。
誰かを殺し、生き残る。殺さなければ、自らが殺される。
日常を生きているだけでは想像すらできない、そんな非日常を生きることになった少女になんと言葉をかけることが正解なのか。
その問いの答えが分かるほどの知識や経験を、十代の少年が持ち合わせているわけがない。
いまの人類でさえ、その問いに対する明確な答えを見出せていないのだから。
何も気にしていないように皮肉屋を気取って、エインズに手を振ってから歩き出すシャーラ。
エインズはそんな彼女の後ろ姿を、ただ見送るだけしかなかった。
否、断じてそうではない。
例え正解が分からなくても。論理的な言語化ができなくても。
その思いを何らかの言葉にして伝えることくらいはできるはずだ。
目の前で悩む少女の小さな背中に、少しだけでも力になる言葉を贈ることはできるはずだ。
また一歩、エインズ・マーレイはシャーラ・サザナミに向かって前に進む。
そして、自分の頼りない心の中からどうにか言葉を掴み取って、それを声にする。
声にしなければ、伝わらない。
伝わらなければ、思いは形にならない。
思いを形にしなければ、人と人とは繋がらない。
「────ありがとう! 君がいなかったら、僕は死んでいた!」
エインズの言葉に、シャーラが立ち止まって振り返る。
彼の方を振り返ったシャーラの顔にはもう、強がりの仮面はない。
「君がどんな罪を背負っても、君がどんな過去を歩んでいても、僕にとってはずっとシャーラ・サザナミだ! それだけは変わらない、絶対に変わらない! あの事務室からずっと、これが言いたかったんだ!」
拳をぐっと握りしめて、エインズは言葉を続ける。
少しでも自らの思いが迷い、悩む少女の心に届くように。一人で悩むシャーラに、あなたは孤独ではないのだと伝えるために。
「だから……。だから、君が僕を守って戦ってくれたように、僕も君の隣に居続ける! 誰が何と言おうと、僕は居るから! だから……、だから……」
涙目になり、顔も真っ赤にしながら叫ぶエインズ。
そんな彼の様子があまりにおかしかったのか、シャーラはこらえきれずに笑ってしまった。
「落ち着きなさいよ、もう」
「でも、でもシャーラさんがずっと、悩んでいると思ったから。なにか伝えないと、って思って……」
「変なヤツ。アンタ、思ってた以上に変なヤツね」
そう言って笑うシャーラの瞳には、いつもの強い光が少しずつ戻ってきていた。
それと同時に、彼女は僅かながらに見つけつつあった。
これまで、シャーラが大人たちから投げかけられていた問いの答え。
何のために戦うのか。
何のために力を振るい、その結果とどう向き合うのか。
そして、自らが守りたいもの、居場所はどこなのか。
そういった問いの答えが、シャーラは少しずつ分かってきたのだ。
「……ありがと」
「えっ?」
ひとしきり笑って、そう呟いたシャーラ。
あまりに小さい声だったため、エインズは聞き取れずに聞き返す。
「なんでもない。とりあえず、行ってくるわ」
もう一度言うのが恥ずかしかったシャーラは、くるりとエインズから背を向けて歩き出した。
しかし、エインズのかけた拙くとも温かい言葉の熱は、シャーラにも確かに届いている。
彼女の心にはまだ、悩みや迷いもある。
戦うということはその悩みや迷い、苦しみとも永遠に向き合い続けることだ。人の命のやり取りの中で生き続けるとは、それだけ過酷なものなのだ。
それでも、いまの彼女にはそれらと向き合い続けるだけの温かい熱が確かに芽生えている。
ブリュタールに来る前からシャーラが持っていた強さと反骨精神。
そして、いま彼女が新たに手に入れた温かな熱を胸に抱いて、シャーラ・サザナミは再び歩き始める。
新たなるガンダムと、それを駆る新たなる戦士が、宇宙世紀百年の節目に目覚めようとしていた。