【Web版】敵のおっぱいなら幾らでも揉めることに気づいた件について(なお、転生後の世界は若干シリアスな模様) 作:とがの丸夫
フランス哲学者―フランソワ=マリー・アルエ
「そうだね」
その声は実に淡々とした事実を肯定するような、目の前で叫び散らかした相手に向けての言葉としては、場違いも良い所だ。
しかも、その言葉を発したのは、日本直轄の特殊機関の長。これがもっと軽薄な人間がするような返答を、平和を守る機関のトップがするのだろうか。
可怪しい。
普通ならそう思い、相手の言葉に疑念を抱くのが正常なのかもしれない。
だけど、この時の俺はそう思うことは無かった。
俺はただ、混乱しただけだった。
「君は何も間違ってなどいないさ、奴等は犯罪者だ。国の敵であり、善良である国民の平和を脅かす危険分子であり……私たちにとっての餌だ」
「え……」
特務長は混乱する俺が、追いついてくる事なんて待つことは無く、一方的に話を続ける。
その顔に浮かべた奇妙なほどに吊り上がった口角を、口が開くたびに歪ませながら。
「奴等は敵だ。撲殺斬殺絞殺圧殺焼殺凍殺毒殺爆殺銃殺殴殺格殺畜殺撃殺滅殺射殺轢死etc、その全てを彼らに行ったとしても、それを誰が気に留める?」
淀みなく語るその目は、限りなく淀んでいる。
「奴等は巨悪だ、だからこそ奴等に何をしたとしても問題にはならない。流石に映像としてネットに上がれば、無意味なフェミニスト共が騒ぎ立てるかもしれないから、そこは注意する必要があるだろう」
「い、いいんですか……」
どうしてこんな言葉を返したのか、この時の俺ですらよくわからなかった。
「いいんだよ、私が肯定しよう。君が満足するまで殴ればいい、満足するまで犯せばいい、満足するまで市中引き回せばいい。追い、殴り、捕まえ、吊るし、遊び、飽きたら殺せばいい。だってそうだろ? 君たちはヒーローで、奴等は敵なんだから」
「あ……」
特務長が言った最後の言葉、『君たちはヒーロー、奴等は敵』それは俺がいつも心の内で囁いている、一種のまじないのような言葉だった。
その言葉の意味することも、俺と同じだと思えた。
「私は君の行動を否定などしないさ、むしろ肯定しよう。君の行動のすべてを無条件で、この私が、ね?」
そう言って微笑みを浮かべた特務長は、どうしてかこの時だけは、邪悪でも濁っているわけでも淀んでいるわけでもなかった。
全てを浄化するかのような笑顔に、優しくきらめく宝石のような瞳。それはまさしく、慈愛の女神だった。
「こちらにおいで」
ハンマーが何の予備動作もなく立ち上がり、扉の前に移動する。
まるで扉を守護するように。
そして唐突に、自身が座る長椅子の端に移動した特務長が俺に語りかけてくる。
何処に向かえばいいのか分からず、もしかしたらなにかの比喩なのかと思ったが。特務長は困ったような笑みを浮かべて、『隣に来るんだよ』と言い、空いている箇所を手で軽く叩く。
断わるなんて選択肢は俺の中にもはやなく、ただ導かれるようにして指定された場所。
特務長の隣に座った。
「頭を此処に」
「え……な、ど、どうして、ですか?」
「いいからここに、君は私の言葉に従っていればいいのさ。ほら」
そう言って特務長が指定したのは、自身の膝の上。
頭をそこに置くということは、所謂膝枕をするということで、流石の俺もどう対応したらいいか分からず、辛うじて疑問符を返すしか出来なかった。
だが半ば強引に、特務長は俺の頭をその小さな両手で掴むと、そのまま自身の膝の上に持っていく。
自分より一回り以上小さい体に、ほっそりとした足は想像通りに、自分が頭を乗せるには少々手狭だった。
どうしてこうなったのかと、訳の分からない状況に困惑していると、特務長は何も言わずに俺の頭を撫で始める。
優しく、腫れ物に触るようなその手は抗い難い程に、麻薬のように俺の心を侵していった。
「時にジョーカー君、ヒーローと警官の違いは分かるかい?」
「えっと、警察はPE能力者が出現するよりも前からある、国と人を守る人で。ヒーローは国が作ったPE機関に所属する、敵から国民と国家を守る人、ですか?」
「違うさ、僕が言っているのは概念のお話だ。ヒーローと警察、ああ、それと自衛隊を含めてもいい。これらの違いは何だと思う」
その話はもはや哲学の領域であり、俺がこの答えを返すには難易度の高いお題目で、どう返したらいいのか分からず、言葉を詰まらせてしまう。
特務長はそんな俺に困った表情で視線を向けてくる。まるで出来の悪い生徒を相手にしているようで、俺はたまらなく気恥ずかしくなってしまう。
しかし膝枕をさせられているこの状況では、顔を隠そうにも、隠せる場所があまりにも少なく、結局顔に熱が上がるさまを見せつける結果になってしまった。
「仕方ない、君に分かりやすく教えてあげよう。ヒーローと警察の違い、それはかっこいいかだよ」
「え?」
驚く俺に、特務長は悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべ、再度口を開く。
「ヒーローはね、強くて見た目が良くて、派手で目立って、誰の記憶にも印象強く残り、自分が困っている時に颯爽と現れて助けてくれる人の事をいうのさ。敵が現れて、それっぽい状況に、それっぽく登場して、それっぽい言葉を言って、それっぽい展開で敵を倒す。それが世間で言われるヒーローだ」
強力なヒーローを束ねている長にしては、少々投げやりで、心なしかバカにするような言葉をもって、特務長は続ける。
「警察はね、有事の際にはその組織力と人的資源を使って、事態の収束を目指す。だけど、警察本来の目的はその前、有事を起こさせないのが仕事さ。小さな芽を見つけ、花開く前に摘む。治安が乱れないよう、取り締まり、憎まれ役を担う。それが警察」
「それじゃあ、ヒーローと警察の違いって、ただそれっぽいかの違いしか無いんじゃ……」
言葉にすれば分かる簡単で明確な答えだ。
ヒーローがヒーローと呼ばれるタイミングとは何時だろう。
答えは敵と相対したとき、怯えず、逃げず、立ち竦むことなく。颯爽と敵に立ち向かう。
まさしく漫画やアニメに出てくるヒーローだろう。
じゃあ、警察は?
同じく犯罪者が現れれば立ち向かい、時として自身の使命を果たすために命を賭す人もいる。
だが、そういったことはのちの時代で語られ、大抵はニュースに数として取り上げられるだけ。
ヒーローと目的を同じくし、行動し、ヒーロー以上に地道な活動を何十年と続けている彼らが、ヒーローと呼ばれる機会は如何程なのだろう。
「ふふ、ヒーローをヒーローたらしめるのは何か、それは愚かな国民の偶像だ。誰か人が困ったときに、簡単明快に解決し。高等な思想をもって、ド派手な力で敵とド派手に戦い、傷つき、それでも立ち上がり、カッコいいセリフを持って国民の眼前に立つのがヒーロー」
君はヒーローのジレンマを知っているかい?
そう続ける言葉の意味を、俺は知っていた。
ヒーローのジレンマ。
ヒーローがヒーローと呼ばれるためには、明確な敵が必要になる。
街を破壊し、国民の平和を脅かし、明確な脅威として立ちふさがる敵が、ヒーローには必要なんだ。
もしも、敵が敵として表舞台に出てくる前に対処したとしよう、それを行った人間を国民がヒーローと呼ぶだろうか?
答えは、否だ。
ヒーローとは、国、そして人に危険が明確な形で迫った状況が無い限り、ヒーローはヒーローになれない。
人として考えるなら、危険な出来事は起きる前に対処するのが最良。
だが、それをしてしまうとヒーローは誕生しない。
皮肉にもヒーローを求めるということは、危険を求め、自ら平和を否定する行為になってしまう。
ヒーローが居ない世界こそが、最も平和で理想的な世界のはずなのにだ。
ヒーローがヒーローらしくあるためには、世界は平和であってはいけない。
「そう、その通り。そして人をヒーローにする最もな理由は、助けられる人間から見た“助けられ方”だ。愚かだろ? 人間はね、自他の危機ですら物語のように享受してしまうんだよ。自分の考えるヒーロー像が、自分の想定した状況で、自分の望む言葉と力で、自分が楽しめる結末を用意する人間を」
顔を上げる、そこには未だ優しい母のような微笑みを浮かべた幼い見た目の少女の顔が映る。
話している内容は目を覆いたくなるほど残酷なのに、矛盾をはらんだ、自分たちの根底を揺るがす話をしているはずなのに。
少女の見た目をした化け物は微笑む。
「“ヒーロー”と、そう呼ぶんだ」