魔人ちゃんはがんばらない【完結】   作:難民180301

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1. 出会い

 うちの近所に魔法少女がいる。

 

 その子は発育のいい曲線的な体にパステルカラーの装束をまとい、ハートを象った大剣を無造作に足元へ転がして、いつもベンチに腰掛けスマホとにらめっこしている。

 

 閑静な住宅街の公園では明らかに浮いてる存在なので、私含め通行人のみんながちらちら視線を送っているけれど、彼女は周りを気にしない。食い入るようにスマホを見つめては顔を青くしたり頬を赤く染めたりニマニマ笑ったり、百面相するのに忙しい。ショートボブの前髪ぱっつんなので表情がよく見える。それをご近所さんたちは微笑ましさと好奇心半々くらいの面持ちで見守っている。有名どころの魔法少女を見るとすぐ群がって握手やサインを求めに行くミーハー共とは一線を画した、穏やかな距離感がここにある。

 

 その距離感を私は今日、壊すことにした。

 

「う、ううっ、ぐすっ、うぇぇぇええ……」

「まだ泣くか。ほら、チーンてしな」

「ぶびぃーっ!」

「きたね」

 

 私は彼女を家に連れ込んだ。涙と鼻水でくしゃくしゃの顔にティッシュをあてがうと、美少女が出しちゃダメな効果音が広いリビングに響く。ずっとこの調子だ、嫌になってきた。

 

 丸めたティッシュの山が一つ出来上がった頃、ようやく魔法少女が落ち着いたので、風呂へ案内する。落ち込んだときはとりあえず寝るか食べるか風呂に入るかすればいい。

 

 魔法少女のきらびやかな装束は、きらきらした光の粒子に解けていった。全裸の少女を風呂にぶち込み、サイズ大きめの衣服をいくつか適当に脱衣所に置いておく。

 

 リビングに戻ると、ティッシュの山の隣にこんもり膨らんだコンビニの袋がある。しこたま買い込んできたホットスナックがすっかり冷めてしまった。全部あの魔法少女のせいだ。

 

 今さら食べる気にもなれず、だらだらとティッシュを片付けながらスマホで「魔法少女 パステルカラー」と検索する。

 

 現役魔法少女一覧のページをタップすると、パステル系装束の魔法少女たちのデータがずらりと並ぶ。さすがに顔写真はないので、武器・戦法の欄をスクロールしていくと、ハートを模した大剣の記述を発見。たぶんこいつか。

 

 詳細に目を通す直前、ほかほか湯気をたてる魔法少女が戻ってきた。腫れぼったい目元を差し引いても、目鼻立ちの整った腹立たしいくらいの美少女だ。私より身長が高い。胸と腰の肉付きもむちっとしてて生意気。着替えたスウェットが萌え袖になってるのもあざとくてムカつく。

 

「お、お風呂ありがとうございました……」

「おいよく聞けよ一般魔法少女この野郎」

「へ?」

 

 そこはありがとうじゃないだろうが。

 

「私が好きなのは食べる寝るだけの人生だ。毎日食べては寝て何も頑張らない日々を送ってる。食事は全部デリバリー、外に一歩も出ない日はザラ、オーケー?」

「お、おっけー……」

「そんな私が週に一度外に出るのが今日だった。コンビニだよ。目当てはホットスナックとお菓子。胸焼けするくらい脂っこいものを食べて炭酸水でキュッとシメる。それが私の楽しみなんだ」

「あ、そこはお酒とかじゃないんですね……」

「うるさい。いいか、お前は私のそんな素敵な一日に水を差した!」

 

 魔法少女はぽかーん、と口を開けている。

 

「ゴキゲンな帰り道にあんなところで泣いてる子見たら、モヤモヤしすぎて食べるも寝るもできなくなるでしょーが」

「それって私のせいなんですか?」

「当たり前だろ。というわけでワケを話せ。もう一生泣けないくらい完膚なきまでに悩みを解決してやるから」

「お悩み相談というか尋問ですねもはや」

 

 少女はドン引きしつつ、ラグの上にぺたんと腰をおろした。私とテーブルを挟んで向き合いながら、「んー」としばし考え込む。

 

「私って魔法少女なんですけど、知ってます?」

「そういやさっき調べてたわ。ええと」

 

 やはり魔法少女関連の悩みらしい。スマホを操作して、眼前の少女と思しきネット情報を表示する。

 

「『魔法少女名:パステルエッジ 武器:ハートの大剣 固有魔法:未覚醒 経験:5年 ランク11』、と。ふむふむ、ランカーなんてすごいじゃん、いかにもできる魔法少女って感じだけど」

「まさにそのランクなんですよ、私の悩み。これ見てください!」

 

 少女がずいっと突き出してきたスマホの画面には、例のランキングが表示されている。全国日刊魔法少女ランキング、その名の通り日毎の魔法少女たちの貢献度を順位付けしたものだが、日付は昨日だ。

 

 眼前の少女、パステルエッジの名は9位になっている。今日は11位。

 

「あれ、落ちぶれた?」

「落ちぶれた言わない! 泣きますよマジで!」

 

 頬を膨らませてこちらをにらみつけるパステルエッジ。かと思うと、テーブルに突っ伏してまた嗚咽まじりの声を漏らし始めた。

 

「私だって頑張ってるんです……朝の走り込みは毎日してますし、放課後の魔物退治も欠かしてません……クラスの子たちに誘われても泣く泣く断って、そのせいで友だちも少なくて、それでも毎日毎日……その頑張りが、無駄だって言われたんです」

「誰に?」

「ランキングにっ!」

 

 涙目で顔を上げ、また突っ伏してメソメソするパステルエッジ。

 

「今までは、頑張れば頑張るだけランキングが上がってたんです。だけど今日初めて下ぶれして」

「そりゃ、順位ってそういうもんでしょ。毎日更新ならなおさら。ずっと上にいるやつはいない」

「でも、だけど……私には、それしかないのに……」

 

 パステルエッジはスマホを握りしめ、画面上のランキングにすがりつくような目を向けている。さながら私を捨てないでと男にすり寄る限界女みたいだ。ドラマで見た。

 

 要するにこの少女は、自分の存在意義を魔法少女ランキングにしか見出していないのだろう。依って立つ基盤がランキングで浮上することへの自己肯定感しかない。だから流動性の高い日刊ランキングごときでここまで落ち込む。

 

 呆れた。毎日公園のベンチで何をしているのかと思えば、こんなことで一喜一憂していたのか。

 

「トップランカーのレッドグラッジさんなんてすごいですよ……日刊の常連ですし殿堂入りしてるし、あの英雄の妹さんですし、地上波にぽんぽん出てますし……SNSのフォロワーも世界レベルで、私みたいなミジンコ魔法少女とは比較にもなりません……ううっ、うぅうううぅ」

 

 またぞろ表情が陰ってきた。成功している誰かを見るだけでここまで卑屈になれるのは才能の一種だろう。

 

 とはいえまた泣かれても面倒くさい。ここは多少無理筋でも褒めそやして自己肯定感を高めないと。

 

「それしかない、というのは違うぞパステルちゃん。君はたとえ魔法少女でなくても素晴らしい女の子だ」

「見え透いた気休めをどうもですぅー……」

 

 うぜぇ。死んだ目で拗ねてやがる。

 

 ぐっとこらえて、とにかく目に付く部分を徹底的に肯定していく。

 

「まず顔と体がいい。すごい、すばらしい」

「はぇ?」

 

 おっとりしたタレ目にすっとした鼻梁、桜色の健康的な唇は小動物のような愛らしさと女性的な魅力にあふれている。簡単に言えば美少女ってことだ。

 

 さっきまで着てた変身装束もエロかわで、特に白いタイツとフリルの間に広がる絶対領域は太陽よりまぶしい魅力で輝いていた。通りかかった学生やらおっさんやらがいやらしい目で見ていたのも納得できるくらいに。

 

「えー、それと……あと声もいいな、甘ったるくて、耳からマカロンを突っ込まれているような気分になる。鼓膜が糖尿になっちゃいそう」

「えへへ、へ? それって褒めてる……?」

「あとあと、肝も据わってるんじゃない? たとえば名前も知らない女の家に上がりこんで悩みを吐露するなんて、相当な勇気がいるでしょう。つまりそう、君はすっごくてすごくてすごいんだぞ、パステルエッジちゃん!」

「そ、そですか? うぇへへへへぇ」

 

 パステルは頬を朱に染めて恍惚とした目をしている。チョロすぎだろ、どんだけ肯定感に飢えてんだこいつ。

 

 くねくねするパステルに若干引きつつ、リビングの時計に目をやる。午後六時半。そろそろ頃合いだろう。

 

「もう大丈夫そうね。家まで送っていくよ」

「えっ?」

「意外そうな顔しない。キミ未成年、明日平日、学校! ほら、立った立った」

 

 当たり前の理屈で帰宅を促した。

 

 初春の夜道は少し冷え込む。上着を一枚パステルに引っ掛けてから、マンションを出て、例の公園を通りパステルの案内のもと住宅街を進む。

 

「ここね。バイバイ」

 

 自宅の一軒家前でさっさと別れようとすると、袖口が掴まれた。振り返る。

 

 不満げに口を尖らせるパステル。すると萌え袖スウェットで口元を隠し、上目遣いに言う。

 

「また会いに行ってもいいですか?」

「ダメ」

「なんでぇ!? こちとら美少女ですよ!?」

「調子に乗るな。私の専門は食べて寝ること。人と話すのは面倒なの」

「あれだけペラペラ喋って何を……ま、待って!」

「はいはい元気でね」

 

 強引に別れた。

 

 帰ってから食べたホットスナックは冷え切った油分がやたらねっちょりしていて、あまり美味しくなかった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 私の朝は早い。

 

 まず六時に目を覚まし、無目的にスマホをいじることから始まる。特に面白くもないSNSやニュースサイト、匿名掲示板などを無気力に漁りつつ二度寝。お昼頃に寝過ぎで重くなった体を引きずり、冷凍庫から冷凍ピザを取り出して、凍ったままのそれをかじる。当然まずいけどチンするのはもっとだるい。

 

 お昼からの活動はより刺激的だ。リビングのソファにねそべって、冷凍ピザとコーラを喰らいながらワイドショーをザッピングする。内容はどうでもいい。どうせ中身はない。無駄な情報の波を浴びて無駄に食料と時間を浪費していく。

 

 そんな風に無駄極まる時間を夕方まで送ってると、最高に気持ちがいい。私、非生産的な時間が大好き。食べて寝てそれ以外は何もしない。呼吸だけしていたい、いやむしろ呼吸さえめんどくさい。

 

 あー、なんっもしたくねえ。

 

「おん?」

 

 ピンポンが鳴った。宗教と新聞と引っ越しの挨拶はお断りだ。居留守一択。

 

 と思ったら、ピンポンがしつこく連打される。この野郎、誰だか知らんが不退去罪で通報されたいらしいな法廷で会おうぜ。

 

 スマホに110を入力した状態で玄関の扉を開けると、昨日ぶりの顔に迎えられた。

 

「こんにちは!」

「ん、こんにちは」

 

 魔法少女、パステルエッジだ。今回は変身後の装束姿でも着替えたスウェット姿でもなく、ブレザーの制服を着て、制カバンと紙袋を提げている。

 

 紙袋の方をこっちに差し出して、

 

「昨日はありがとうございました。これ、返しに来ました」

「ああ、服ね。別にあげてもよかったのに」

「いえ、そんなわけにはいきません!」

「律儀にどうも。じゃあ──」

 

 バイバイ、と言おうとして言葉を切る。

 

 パステルが袋の持ち手から手を離さず、私と取り合うような形になる。返しに来たんじゃないのかよ。

 

 なんのつもりかと顔を見上げると、物欲しそうなタレ目の童顔が目に入った。餌の時間に皿の前で待機する犬とか、構ってほしそうに足元で佇む猫とかを彷彿とさせる、無言の圧力。スカートの後ろに尻尾のぶんぶん揺れるのが幻視できそう。

 

「もし万が一よかったら、上がってく?」

「はいっ!」

 

 ぱあっ、と満面の笑みを咲かせるパステル。言質は取ったとばかり、袋から手を離す。

 

 懐かれた。あまりにもチョロい。傷心に優しい言葉もらった程度でここまで懐くとは、親はどんな教育してるんだ。

 

「あーもーめんどくさい。何もしたくない、だるいめんどい」

「あっ、すみません、迷惑でしたか……?」

「いや別に、何もしたくないのはいつもだし。茶の一つも出さないけど、上がってくなら好きにしなよ」

「お茶は教えてもらえれば自分で入れます!」

「好きにしすぎだろ図々しいよ」

 

 散らかったコンビニ袋とペットボトルを蹴飛ばして、所定の位置すなわちソファの上に寝転がる。パステルはソファの前、私の眼前に腰を下ろした。

 

「改めて、私は楔野(くさびの)中学二年、由立(ゆたち)たゆ。魔法少女名はパステルエッジといいます。よろしくお願いします!」

「はいはい……え、待って中二?」

「そうですよ?」

 

 思わず身を起こしてパステル、改めたゆの体を見やる。ぺたん座りのたゆの胸は、ブレザーの上からでも分かるほど豊かに膨らみ、腰回りから黒タイツに包まれた太ももにかけてもむちっとした色気がある。これで中二は詐欺だろ。

 

 当のたゆは無邪気に小首を傾げ、「それより」と身を乗り出してきた。

 

「お姉さんの名前も知りたいです」

「お姉さんでいいよ、ただのお姉さん」

「えー」

「えーじゃなくて。いい? 人付き合いには適切な距離感がある。私たちはお互い名前を知らない方がいい距離になると思うの」

「私の名前はもう言いましたよ」

「忘れる」

「ダーメー! 今すぐ呼んでくださいっ!」

「近い近いそれと声でかい。分かったから、たゆ」

「はーい」

 

 にへら、と笑って体を離すたゆ。ヘドが出るほど自由奔放な女だ。

 

 たゆはそれから何をするでもなく、上機嫌に体を左右に揺らし、じっとそこに座っていた。垂れ流しにしていたテレビの方へ時折振り返り、床に転がったペットボトルを指でつついたり。一体何が楽しいのか。

 

「ねえ──」

「はい何ですか!?」

「超食い気味じゃん。いや、もう帰ったら? 日、暮れそうよ」

「こんな時間に女の子の一人歩きは危ないですよね!?」

「送ってけってか? まだ明るいでしょーが。帰れ帰れ」

「ちぇー」

 

 たゆは口を尖らせて抗議すると、一つため息をついて、しぶしぶといった調子で立ち上がった。

 

「また来ますね」

「来なくて──」

「来ちゃ、ダメですか?」

 

 明るい表情から一転、不安に瞳を揺らし消え入りそうな声でそう聞かれると、返答に詰まってしまう。目に付く範囲でこういう顔されると惰眠ライフがモヤるので、マジでやめてほしい。

 

「来たいなら勝手にしなさいよ、もう。鍵開けとくし私何もしないけどね」

「やったぁ! じゃ、また明日です!」

 

 声を弾ませて、たゆは風のように出ていく。結局何がしたかったのか、何を考えてるのかまるで分からなかった。分かったのは懐かれたのだろうということだけ。

 

 まあ、すぐに飽きるだろ。中二といえば学校で勉強に部活に、しかも魔法少女の活動もあるなら忙しいはず。茶も出さず歓迎の言葉も会話もないここへいつまでも通うわけがない。

 

 という私の予想は、以後の一週間毎日夕方にやって来るたゆに覆されることになった。

 

 その間、やることは初日と変わらない。私がソファで時間を浪費する快感に浸っている横で、たゆは嬉しそうに楽しそうに体を揺する。時折散らかったペットボトルやレジ袋を片付けてくれたり、一方的に話を振ったりしてくる。

 

「お姉さんお姉さん! 友だちができました!」

「ふーん?」

「私と同じぼっちの子にグイグイ行ってみたら、最初は無視されたんですけど、あっち行けって言ってくれたんです」

「拒否られてね? てかぼっちだったの君?」

「美少女が拒否されるはずないです! 私かわいいですから、あの子とはもう友だち!」

「とことん調子乗ってるなー」

 

 一回励ましただけですごい効き目だ。変にうじうじしているよりかはマシか。

 

 こんな具合に人生楽しくて仕方なさそうに話をして、私が時間を告げると名残惜しそうに帰っていく。

 

 さすがに7日もこうされると、無気力至上主義の私としても好奇心が湧く。何なんだこの女は。

 

 ある日の夕方、ついに私の方から聞いてみた。

 

「ねえ、たゆ。君は暇人なの? ここに入り浸って魔法少女ランキングとか大丈夫なの?」

「ランキングは大丈夫ですよ。土日の午前にまとめて活動してるので。むしろここに通いだしてから、調子もランクも上がりまくりですよう! 見てくださいこれ、戦闘シーンもあるんですよ」

 

 たゆのスマホには、魔法少女日刊ランキング9位パステルエッジの名があった。以前より2つランクが上がっている。

 

 続けざまに見せられたのはSNSのタイムラインで、一分程度の動画に大量のいいねが付いている。『ランカー魔法少女パステルエッジ、活動風景』の文章が添えられたその動画の中で、変身したたゆがパステルエッジとして戦っていた。

 

 パステルカラーの人影が、真っ黒な蠢く触手の周囲を縦横無尽に駆け回っている。人影が触手の吐き出す粘液の隙間を塗って動いた後に、桜色の閃光が幾筋も走って、それに沿った形に触手が切断された。

 

 バラバラにされた触手が黒い粒子となって散るのをバックに、パステルエッジが大剣を構え残心している。一拍遅れて鳴り響く拍手、歓声を最後に動画がループした。

 

「へー、これが魔物か。デザインはあんまりかっこよくないね。絡まりあった巨大ミミズみたい」

「ひえっ!? 気持ち悪いたとえしないでくださいよ! 戦いにくくなるじゃないですかっ!」

「巨大ミミズ、絡まりあった、ミミズ、ミミズ」

「やーめーてー!」

「いてて」

 

 涙目でぺしぺし叩いてくるのをガードしつつ、感心した。こんな何も考えてなさそうなむっちり中二女子でも、ちゃんとランク相応に戦えるのだ。魔法少女は見た目によらない。

 

 この日以降、私は気にするのを辞めた。たゆが何を考えているにせよ、毎日ここに来るのは変わらない。それなら利用した方が得だ。

 

 その考えに至り最初に目をつけたのが、黒タイツに包まれた柔らかそうな太ももである。

 

「たゆ、こっちに座りなさい」

「わ、わわ」

「あー、期待通りの寝心地。君はこのために生まれてきた」

「あはっ、やだ、くすぐったいですよぉ」

 

 たゆの太ももは程よい弾力と反発を備え、膝枕として一級品だった。思わず頬ずりをすると見る間に睡魔に襲われ、二時間ほど深い眠りに落ちた。起きたとき、「足しびれました……」と頬を膨らませるたゆの不満顔に迎えられた。

 

 そうして互いに近い距離で接していると、踏み込みたくもなるのだろう。

 

 たゆはある日、ずばりと切り込んできた。

 

「お姉さんは魔法少女なんですか?」

「どうしてそう思った?」

「だって──」

 

 いわく、私は中学生程度の見た目なのに学校に通う様子もなく、親とやりとりしている風でもなく、そのくせ生活にはまったく困っていない。通学義務を免除され、一定の活動を代償に生活を保証された魔法少女なのだろう、と。

 

 悪くない推理だ。

 

「当たらずとも遠からず、かな」

「やっぱり! あのあの、コンビ組みましょうよコンビ! あれ、二人だとタッグ、トリオ? なんでもいいや、一緒に魔族退治しましょう! お姉さんと一緒ならきっと魔人だってイチコロですよ!」

「大きく出たなあ。だけど私はそういうのヤなんだ。ただ食べて寝て食べて寝る。ひたすらに非生産的でいたいのさあ」

「ええ〜? 前から薄々思ってたけど、お姉さんちょっと変わってるかも」

「その可能性はある」

 

『魔人、襲来』

 

 ダンディーでしぶいナレーターの読み上げたその言葉に、私とたゆは揃って目を向けた。

 

 垂れ流しにしていたテレビ番組だ。内容は過去に出現した魔人の被害をドキュメント形式で伝えるもの。

 

 最初に、茫漠とした荒れ地が映し出された。カメラが右へパンしていくと、恐ろしく巨大な鉄柱が現れる。

 

 空高くまで伸びるそれは距離感が狂うほど圧倒的なスケール感で、カメラが徐々に寄っていくと、表面が棘で覆われているのが分かる。さらに寄ると、その鉄柱が途方もない量の有刺鉄線で構成されているのが判明した。

 

 ナレーションがおごそかに告げる。

 

『5年前の今日、XX州を襲った殺意の魔人。曝露した12万人の一般人は魔が差し、3人の魔法少女が殺害された』

 

「12万ってどのくらいなんですかね?」

「さあ……この町の人口が4万くらいだったから、町3つ分じゃない?」

「町3つ……」

 

 ごくりと喉を鳴らすたゆ。魔人を倒すというのがどれほど無謀な大言壮語か悟ったらしい。

 

『魔族は負の情念の権化。魔物は情念の欠片であり、魔人は高純度の結晶だ。殺意という情念から生まれた魔人は、その残酷な権能を使い、多数の民間人を殺傷。数百体の魔物も使役し、さらに被害が拡大した』

 

「あ、これ知ってます、魔人の仕組み! 学校で習いました」

「えらいえらい」

 

 ふんす、と胸を張るほどのことでもないだろう。一般常識だ。

 

 人類の情念には不思議な力があり、たくさん集まると凝結して形をなす。たとえば鋭利な何かを手にしたとき、とても腹が立ったとき、なんでもないふとしたようなとき、わずかでも殺意を抱いたとする。そのとき理性によって抑えられた殺意が、殺意の魔人の原料だ。

 

 反対に正の情念の受け皿になるのが、魔法少女である。

 

 画面にはデフォルメされた青い魔法少女と、おぞましい一対の角を持つ黒い影が表示される。衝突した両者は煙の中でケンカする古典的なアレを経て、最後は黒い影の方がばたんきゅーと倒れた。

 

『当時最強の魔法少女、ブルーグレイスが健闘するも追い詰められ、そして『固有魔法』に覚醒。刺し違える形で魔法の封印を成し遂げる。彼女は死の間際、「封印は永遠ではない」と言い残した』

 

「あわわわ、大変ですよお姉さんお姉さん!? 永遠じゃないんですって!」

「揺らすなこら」

 

『だいじょーぶ★ 安心して、みんな★』

 

 声質も相まって不安を煽りまくりなナレーションをぶった切り、甲高い少女の声がテレビから響く。画面にはいつの間にか、真っ赤な髪と装いのきらびやかな少女がダブルピースで陣取っていた。

 

『殿堂入り魔法少女、レッドグラッジだよっ★ お姉ちゃんの封印の後始末は、グラがちゃーんとやってあげる★ それだけじゃないよ? これから生まれてくるすべての魔物、人の社会に紛れ込んでるすべての魔人★ みんなみんな、地の果てまで追い詰めて惨たらしくやっつけちゃう★ きゃはっ★』

 

 すんっ、と少女はスイッチが切れたように表情を消して、

 

『魔族は皆殺す。ファック』

 

 立てた中指にモザイクがかかった画を最後に、スタッフロールが流れ出す。

 

『ああそうそう、魔人はみんな怖い角を生やしてるよ★ 見かけたらすぐ通報してね★ 殺すから』

 

 その最中にレッドグラッジの声がキンキン響いた。角ね。さっきのデフォルメされた黒いやつみたいなのかな。

 

 たゆはほう、と熱い息をつく。

 

「レッドグラッジさん、やっぱりかっこいいなあ」

「は? 物騒の間違いじゃない? BPOガン無視だったけど?」

「だってだって、相手は魔族ですよ? びーぴぴおーさんもきっと多目に見てくれますたぶん」

「その魔族ヘイトはどこからくるの」

「殺意の魔人だけじゃなくて、過去に何人もいた他の魔人も合わせたら、たくさんの人が犠牲になってます。そりゃ誰でも嫌いになりますよ」

「犠牲者の数で言えば、魔人が人をやるより人が人を殺した数の方が多いでしょ。そこはどう思う?」

「えーっと……それよりお姉さんはかわいいですね。ちっちゃくて、手とかほっぺたとかぷにぷにだし」

「はい、バカ。思考放棄脳死受売りアホアホ娘ぇ〜」

「うわぁん!」

 

 分からないなら素直にそういえばいいものを、下手にごまかそうとしやがって。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 たゆが先日私の素性について名推理をしたものの、私の方からたゆに踏み込むつもりはなかった。

 

 たとえば毎日顔を合わせるのに親や家族の話題を出さないこととか、たまに私の惰眠に付き合わせて夜更けに家まで送ったのに、家族が何のアクションも示さなかったこととか、色々な違和感をスルーしてきた。だるい、めんどい、何もしたくないし考えたくもなかったから。

 

 しかし事ここに至っては、向き合わざるを得ない。

 

 いつものように惰眠を貪っていたある日、開けっ放しの玄関に誰かやってくる気配。どうせたゆがすぐに小走りでやってきて、時間を浪費していくのだろう。

 

 半ば確信して数分待っても来ない。玄関からはすすり泣きの声が聞こえる。こういうパターンもあるのか。

 

 げんなりして様子を見に行ってみると、ずぶ濡れのたゆがしゃがみこんで泣いていた。そういえば今日は、朝からずっと雨が降っていた。

 

「いつまで玄関に突っ立ってるのかと思ったら……まったくもー」

「ぐすっ、お、お姉さん、お姉さぁん……っ!」

「はいはい泣く前にまずお風呂行きなさいね風邪ひくから」

 

 たゆの打ちひしがれた様子は、またランキングが落ちたとかそういう深刻さとは違った。おなじみのブレザーを着ておらず、下のブラウスの胸元が乱暴に開かれ、下着と谷間が見えている。スカートはホックが半端に外れてずり落ちそうになっていた。アホだバカだとは思っていたが、まさか脱ぎ方を忘れて力ずくで脱衣を試みたのだろうか。

 

 嗚咽を漏らすたゆの体から布という布を剥ぎ取って、浴室に押しやった。

 

「沸かすのは面倒だしシャワーで我慢してね。たゆ、離して?」

「いっ、ぐすっ、うぇっ、いっしょ、いっしょに……っ!」

「えー……どうしても?」

 

 ぶんぶん首を縦振りするたゆ。仕方ない、ギャン泣きされるよりマシだろう。スウェットと下着を脱ぎ散らして浴室へ。人前で裸になるのは初めてだ、ちょっと緊張する。

 

 熱いお湯がシャワーヘッドから降り注ぐ中、たゆは私をぬいぐるみか何かみたいに抱いて、床にへたりこんだ。これは素晴らしい。全身がふよふよした感触に包まれて蕩けそうだ。ちょっと窮屈だけど、女に抱かれるのは悪くない。

 

 そんな私の多幸感はしかし、涙まじりにたゆが語ったドロドロ闇深エピソードに根こそぎぶっ飛ばされてしまった。

 

 いわく、たゆは数ヶ月前まで母子家庭だった。母親は夜の仕事に従事し、たゆとはほとんど顔を合わせない。

 

 そんな母親がある日、若い男を家に連れてきた。男は学校に出るたゆと鉢合わせるたび気味の悪い笑みを浮かべ、母親はそれに気づく様子もなかった。

 

 男が家に通いだして数日経った頃、母親は「あの人と再婚したから」という。寝耳に水だった。大いに動揺するたゆには取り合わず、母親はその男と笑い合っていた。

 

 そうして男が当然のように家に居座り始めて一ヶ月──すなわち今日のこと。帰宅したたゆを男が押し倒した。目的は言わずもがなだ。

 

 一応、たゆは五年間戦い続ける魔法少女だ。パニックになりながらも男の手から逃れ、母親に連絡を入れた。電話口の母親は迷惑そうな雰囲気を隠そうともせず話を聞き、唐突に激昂した。『あの人がそんなことするはずない、お前の方から誘惑したんだろう、淫乱売女』

 

 そのような罵倒を耳にした後から記憶があやふやになり、気がつけば私んちの玄関で泣いていたという。

 

「人類、怖っ」

 

 14歳の女の子にどうすればこんな仕打ちができるんだろう。怖い。

 

 魔族は人類の負の情念が具現化したものだから、みんな心がきれいで優しいなら何も生まれないはずだけど。この調子じゃ生まれ放題だろうな。

 

 とりあえずたゆの気の済むまで泣かせておく。下手な慰めで誤魔化せる感情じゃない。好きなだけ吐き出すといい。

 

 のぼせないようシャワーを止めたり出したりして一時間弱。

 

 やっと落ち着いてきたたゆが、鼻をすすりながら、

 

「すんっ、ごめんなさいお姉さん……こんな話聞いても迷惑ですよね……」

「いや別に。それより落ち着いた? 大丈夫?」

「はい、もう平気で……あっ」

「何どうしたの? あーはいはい、そんなに赤くなんないでよこっちまで恥ずくなるでしょ」

 

 首を捻って見てみると、たゆは耳まで真っ赤にして固まっていた。裸で抱き合ってるのを思い出す程度には冷静になったみたいだ。これなら話を進めてもいいだろう。

 

「もう面倒だしこのまま話そう。これからの話だ」

「こっ、これから、ですか」

「そう。とりあえず君、今からここで暮らしな」

「……え?」

「部屋は余ってる。お金もたくさん。学校にも通えばいい、手続きはこっちで簡単にできるし、必要な荷物は私が後で取りに行く。どうせ他に行くあてもないでしょ?」

「で、でも、どうして」

「このまま君を帰したら、何食べてもまずいし夜の寝付きも悪くなる。単にそれだけ」

 

 面倒な性格なのは自覚している。地球の裏側で何万人の子供が餓死していても私は余裕で惰眠を貪れるけど、目の届く範囲で誰かが苦しんでいると我慢できない。恐ろしくモヤモヤして何も手につかなくなる。損な人格に生まれてしまった。

 

 何か考えているのか、浴室にしんと沈黙が落ちる。

 

 私の首元に回されたたゆの両腕が震えている。顔を伺おうとする直前、その腕がきゅっと絞まった。痛い痛い、体格差を考えろ。

 

「ずるい。ずるいですよ、お姉さん……」

 

 掠れた吐息みたいな囁きが湯気に溶けていく。もう一泣きくるかもしれない。

 

 時間の浪費は大好物だ。私はたゆに体を預け、気の済むまで付き合ってやった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

「お姉さん、行ってきます!」

「いえああーい」

 

 ベッドの中でスマホを惰性でいじりつつ、自室の外へ投げやりに言い返す。がちゃんと扉が閉まり、軽やかな足取りが徐々に遠ざかる音が聞こえた。

 

 そのまま体がだるくなるまで惰眠を貪り、起きると午後一時。キッチンの電子レンジをチンして数分後、中身のお盆を取り出してリビングの食卓へ着く。

 

「いただきます」

 

 今日のご飯は白米、味噌汁、鮭の切り身、切り干し大根とたくあん。先週と比べるとずいぶん腕を上げたな。作り置きを冷蔵庫ではなくレンジに置いておく気遣いもありがたい。私は面倒が嫌いだ。

 

 たゆがここで暮らし始めて一週間。私の生活リズムもあって顔を合わせる時間は以前と変わらないけれど、一番変わったのがこれ、食事だ。

 

『お姉さん、冷蔵庫がコーラと冷凍ピザで埋まってるんですけど……』

『好きなだけ食べな。レンジはここね』

『とか言いながらそのまま食べてるっ!?』

『チンすんのだるい。慣れたらおいしい』

『待ってくださいまさか三食これ? 何かの修行ですか?』

『不摂生は気持ちいいのさ。あと学校帰りにコンビニで脂っこいの買ってきてよ、できるだけ体に悪そうなやつ』

『ええー……』

『ドン引きしないでよ。ああそうか君、成長期だもんなぁ』

『そーゆー問題じゃないですよねぇ!?』

 

 三食とおやつ共にピザとコーラでいける私と違って、中二のたゆは成長期だ。不摂生と不健康で気持ちよくなってはいられない。それで体調を崩したらモヤるのは確実だ。急遽スーパーの宅配サービスで食材を取り寄せ、栄養満点のちゃんとした食事というものを作ることにした。

 

『こりゃひどい。料理というか一種の死体損壊に見えるね』

『お姉さんだって同じようなもんじゃないですか』

『わっはっは』

 

 しかし私もたゆもろくに包丁を握ったことすらなかったため、当初は出来上がったタンパク質と繊維質のスクラップめいた何かに乾いた笑いを浮かべたものだ。およそ三日かけて私たちは、無駄な考えは捨ててスマホのレシピ通りに作れば不味くはならないとの真理に到達し、たゆが私の後を継いだ。私は飽きた。

 

 食事はたゆが用意してくれる。洗濯も掃除もやってくれる。週一のコンビニ爆買いもたゆをパシる。私は食べて寝るだけでいい。何一つ生み出さない無駄な生活はサイコーだ。

 

「ごちそうさま」

 

 食器をシンクに運んでから、ソファに体を投げ出す。見る気も起きないテレビをつけっぱなしにして、スマホのブラウザでどんどん時間を無駄にする。スマホで見るのはもちろん、無価値なゴシップや便所の落書きに等しい匿名投稿、信憑性皆無のデマ、その他あらゆる低俗な情報群だ。見るだけで人生をドブに捨てている感がたまらん。

 

 冷蔵庫から飲みかけのコーラを持ってきて、空にしてその辺に捨てる。たゆが捨ててくれるだろ。

 

『やっほーみんな★ みんなの味方で魔族の敵、魔法少女レッドグラッジだよっ★』

 

「うるせえ」

 

 テレビから怪音波めいた高い声が響いた。見てみると、前のドキュメントに出ていた赤い魔法少女が笑顔を振りまいている。

 

『魔族皆殺すべし★ でも魔人と人を見分ける自信がなーい? そんなアナタでも大丈夫、魔人にはおぞましい角が生えてるよ! 角の生えた不審者を見つけたら、ご覧の番号へ通報してねっ★ みんなで力を合わせよう★』

『魔族必殺機構は、この活動を支援しています』

 

 魔族皆殺すべしー、と耳に残るメロディ。角の生えた黒い影のピクトグラムと通報先の番号を最後に次のCMへ。こんなもんが地上波に流れてるとは世も末だ。

 

 それからは特に変化もなく、無目的に無意味なネットサーフィンを続ける。お昼を食べたからか、うとうとしてきた。

 

「ただいまでーす」

 

 はっとして顔を上げると、リビングに西日が差し込んでいた。テレビは夕方の情報番組、時刻は午後五時。うたた寝していたみたい。

 

 とたとた軽やかな足取りで、制服姿のたゆがやってくる。

 

「おかえり。いつもより遅いね?」

「商店街で魔物が出たので、ちょっと倒してました」

「ほーん」

「あっ、またペットボトルポイ捨てしてる! 行儀悪いですよ、自分で捨ててくだいね!」

 

 と、口では言うけど私は知ってる。どうせもう二、三本追加で置いてればぶつくさ言いながらたゆがやってくれるんだ。私は何もせん。

 

 おざなりな唸り声で空返事をしていると、たゆは深くため息をついた。

 

「まったくもー。お夕飯何がいいですか?」

「何かまずくないもの」

 

 ソファの向こうでたゆが弁当箱を出し、自室に引っ込んで部屋着に着替え、冷蔵庫の中身を見ながら唸っている音が聞こえた。

 

 晩ごはんはたらこスパゲッティとサラダだった。特に何も思わない程度の味。

 

 たゆが食器を片付け、お風呂にお湯を張っている間。この時間を私は一日で一番楽しみにしている。

 

「たゆぅ」

「はいはい」

 

 たゆがソファに座り、その太ももの上に私が腰を下ろす。対面で抱き合うとたゆの柔らかさと温もりが直に伝わってくる。背中と頭をゆっくり撫でてくれるのも気持ちいい。

 

 あのときお風呂で抱き合い、判明したことだ。女を抱いたり抱かれたりするのは素晴らしく心地いい。

 

「こんなに甘えん坊なんて知りませんでした」

「甘えてるわけじゃない。ただ気持ちいいだけ」

「そですか。ねえ、お姉さん」

「おん?」

「お姉さんって、結局何してる人なんですか?」

 

 なんだ急に。

 

 黙って先を促すと、たゆは言葉に詰まりながら続けた。この町にたゆ以外の魔法少女はおらず、しかし近隣地区にも私っぽい魔法少女はいない。魔法少女ではないはずなのに、私は学校にも通わず通信制の形跡もなく親や援助の類もない。そのくせびっくりするくらい怠惰に時間とお金を浪費している。共に暮らす中で疑問は深まるばかりだった。すなわち、

 

「貴様は何者だ、ってマンガみたいに言ってほしかったぜ」

「いやあの、もちろん言いたくないなら大丈夫ですけど……」

「じゃあ言わない。めんどくさいしどうでもいいでしょ」

 

 お風呂が溜まるまでは五分もない。その間の気持ちいい時間を脳死で味わっていたいのだ。もはや脳みそのリソースをわずかでも使うのがめんどくさい。

 

 柔らかい、温かい。中二美少女のいい匂い。バクバク、となぜか激しい鼓動を感じる。吐息が首にかかってくすぐったい。背中をさする手の感触が、少しずつ下の方に伸びて──

 

「っん、ひぅっ……!」

「お、お姉さん!?」

 

 爪先から頭まで、びりっと衝撃が走った。自分の声とは思えない熱っぽい音が口から漏れる。

 

 なんだこれ。伸びをしたときの気持ちよさを、何百倍にもしたような。なんかお腹のあたりがぽかぽかする。足の指が勝手に丸まる。

 

「お姉さん……?」

「たゆ、それ、だめ……っ!」

 

 たゆが耳元で囁き、その手が尾てい骨の辺りで動くたび、小刻みな快感が体を突き抜ける。

 

 もう気持ちよすぎて怖い。ふらつきながらどうにか体を離して、逃げるように自室へ向かう。たゆの心配げな視線を背中に感じる。

 

 私は少し触られただけなのに、前後不覚で一切の余裕がなくなるくらいに動揺していた。

 

 だからだろう。突然の浮遊感と、ぐるりと回る景色に、まったく反応できない。視界の隅に舞うペットボトルは、お昼にポイ捨てしたものだ。自業自得の足元不注意、踏みつけてすっ転んでいる。

 

「うきゃん!」

 

 お尻を打ち付け、涙が出てくる。こんなに痛いのは生まれて初めてだ。

 

「お姉さんっ、だいじょう──えっ?」

 

 たゆが立ち上がって呆然とこちらを見つめている。その様子から私も、靴下を脱いだのとよく似た開放感を覚え、事態を察する。魔法が解けた。

 

 おそるおそるベランダの引き戸を振り返る。外が暗いから鏡のようにリビングの光景を反射している。

 

 そこに写った私の頭には、

 

「つ、つつつ、角ぉ!?」

 

 おぞましくねじくれた、一対の角が生えている。

 

「たんこぶ、って言い訳は一周回ってアリかな?」

「何周回ってもないと思いますよっ!」

 

 ダメか。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 ツッコミが聞こえたと思った次の瞬間、私は床に押し倒されていた。

 

 馬乗りになったたゆはパステルカラーの装束をまとい、ハートを象った大剣の切っ先を私の喉元に突きつけている。両腕が膝で抑え込まれて私は動けない。

 

 瞬時の変身と制圧。頭ゆるふわなアホ巨乳に見えてもさすがに抜け目ない動きをするものだ。

 

 だけど精密な動きとは裏腹に、たゆの顔には困惑の色が強い。しきりに瞬きをして言葉を探すように口をパクパクしている。

 

「何してんの、後一息だよ。すっごい模範的な動きだったじゃん。サクッとぶっ刺しちゃいなよ」

「な、えっ、なん、なんで……?」

「ただし、刺すのは首じゃなくて胸だからね。人でいう心臓のとこにコアがあるから──」

 

 ごしゃっ、と破砕音。

 

 大剣が顔の横に突き立てられ、フローリングが捲れ上がっていた。

 

 こっわ。戦うのも痛いのも嫌だけど死ぬのが怖くないわけじゃないんだぞ。今にもちびりそうというかちょっとちびった。やるならひと思いにやってほしいお願いだから。

 

 縮み上がる私にたゆはうわごとみたいに畳み掛ける。

 

「待って待ってほんとに待ってください、えっ、お姉さんその角と魔力、魔人なんですか? 魔族なんですか?」

「そ、そうだね。魔族の上位個体の魔人ちゃんだね。魔法少女の敵だ」

「じゃあ、じゃあじゃあ……全部、嘘だったんですか? 私に優しくしてくれたのも、受け入れてくれたのも、ここに居ていいと、言ってくれたのも全部……! 私を騙してバカにしようとして……」

「う、ぐ……」

 

 しなやかな指が私の首に食い込んでくる。苦しい。ためらいと怒りに震える手先のせいで失神することもできず、拷問に近い時間が過ぎる。魔人とはいえ普通に苦しいのに。

 

 視界がチカチカしだしたとき、ようやく力が弱まる。こちらを見下ろすたゆの顔は悲痛に歪み、涙で濡れていた。泣きたいのはこっちだよ。

 

 やがてたゆはひとりでに変身が解け、咳き込む私にすがりついて嗚咽を漏らし始めた。面倒くさい、世話が焼ける。

 

「無理だよぅ……だってお姉さんだもん……初めて認めてくれた人だもん……」

 

 床に押し倒された体勢では動くこともできず、落ち着くまで頭と背中を撫でてやるほかなかった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 小一時間後、私たちはテーブルを挟んで向き合っていた。大剣に穿たれたフローリングは逆再生をかけたようにゆっくりと自己修復しており、たゆが息を呑む。

 

「これって……」

「魔人の権能。魔法少女でいう魔法だね。怠惰の魔人ちゃんは何もしないために全力なんだ」

「怠惰の魔人?」

「そう。何もしたくない、が私の本質」

 

 また癇癪を起こされても困るので、隠していたことをすべて明かす。

 

 まずは私の正体についてだ。

 

「たとえば君は朝起きたとき、学校に行きたくない、面倒くさい、だるいと思ったことはある? 友だちとの約束をすっぽかして昼寝しときたいとか、やるべきことがあるのにやりたくないとか。でも人間って、そういう気持ちを押し込めて真面目に生きるよね。そのとき押し込めた怠惰な気持ちが集まって、私になったってわけ」

 

 だから怠惰の魔人。真面目な人たちが見ないふりをして押し込めた、ダラダラしたい気持ちの集まり、それが私だ。

 

 たゆはしばし考え込んでから、

 

「殺意の魔人と比べてめちゃくちゃしょーもないですね……?」

「ほっとけ」

 

 このムチムチ巨乳中学生ひっぱたいてやろうか。

 

 ちなみに衣食住が充実しているのも魔人の特別な権能のおかげだ。何もしたくない思いの結晶である私は、何もせず怠惰に過ごすための環境を整える力に特化している。その力のおかげで一生お金には困らないし病気にもならない。登記の不都合や周辺住民の認識は勝手に辻褄が合うよう改ざんされ、私は脳死でダラダラ生きることができる。

 

「君に隠してたのは、立場上さっきみたいなことになるのが面倒だったのと……あと、角出しっぱだと寝返り打てないから、普段から隠してんのよ。目立つし」

 

 私はおぞましくねじれた一対の角に手を添え、魔法をかけて消したり生やしたりしてみる。

 

「だから君を騙そうとか、バカにする意図はなかった。以上、おっけー?」

「おっけー、ですけど……その……」

「何? 抵抗はしないけど殺すなら痛くないようにしてよ」

「も、もうしませんよっ! あのあの、ごめんなさい!」

「うるせえ! ウジウジすんなだるいうざいめんどくさいっ!」

「ひっ」

 

 どうせさっきの暴力行為を謝りたいんだろうけどもうだるい。魔法少女としては正しい行動だったし結局今はやる気をなくしてるし、それならもう終わりでいい。これ以上シリアスな話し合いなんてやってられっか面倒くさい。

 

 私はソファに身を投げ出してテレビをつけ、スマホいじりを始めた。

 

「さっさとお風呂入ってきなさいよ。てかお湯止めた? 溢れてんじゃない?」

「は、はいっ……お姉さん、一つだけ」

「何」

「何もしたくないのに、なんで私を助けてくれたんですか?」

 

 馬鹿げた質問だ。ひどく不安そうに声を震わせて、真剣に聞いてきた割には、答えの分かりきった無駄な問いだった。

 

「一人で泣いている子供を放っておくわけがないでしょ」

 

 それこそ悪名高い殺意の魔人でもないかぎり、同じ状況なら誰だって声をかけていたはずだ。知らんけど。

 

 たゆはちょっと不服そうに眉をひそめた後、くすりと微笑を漏らしてお風呂の方へ身を翻した。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 魔人バレをきっかけに、たゆは私から距離を取るはずだった。

 

 だって魔法少女と魔人は水と油、お互い殺し合ってしかるべき関係だ。いくら私が何もしない魔人とはいえ、多少気まずくなるくらいは覚悟していた。

 

 が、実際は正反対だった。

 

「えーっ、二歳!? ほとんど赤ちゃんじゃないですか!」

「赤ちゃん言うな」

「サバ読みすぎですよぉ、こんなにしっかりした二歳いるはずないですって」

「私、魔人ぞ? 情念集合体だから知識や価値観は生まれつき成熟してるわけ」

「じょう……? なるほど、すごいです!」

 

 たゆは翌日もその次の日も変わらず学校へ通い、家では私に実年齢や魔人の生態についてぐいぐい質問してくるようになった。余った部屋を私室として貸しているのに、リビングで私と話す時間はむしろ増えた。

 

 私を膝枕したり対面で抱いたりしながら話すのだけど、何が嬉しいのかたゆはずっとニコニコしている。不思議になって聞いてみると、「お姉さんのことがたくさん知れて嬉しいんです」だって。まあ変に気遣わなくてよくなった分、こっちも気が楽だ。

 

 ただ、スキンシップが激しくなりつつあるのには少し参っている。お風呂やベッドを共にするのはまだいい。問題は触られる部位だ。

 

「やっ、んん、そこだめ……っ!」

「お姉さん、ここが好きなんですね。かわいい声……もっと聞かせてくださいっ」

「だめ、って言ってんでしょーが!」

「いだぁ!?」

 

 対面で抱かれているとお尻の少し上、尾てい骨のあたりをまさぐられる。指先でこりこりされながら耳元で囁かれると、気持ちよすぎてヘンな気持ちになるし、お腹のあたりがムズムズするしでちょっと怖い。やめてと言ってもしつこく続けるもんだから毎回たゆの太ももをつねって脱出している。たゆは少し意地悪なところがあるみたい。

 

 しかし毎回そうされるとは分かっていても、抱かれる誘惑に負けて乗ってしまうあたり、私も結構アホかもしれない。女に抱かれるの好き。

 

 そうして食べて寝てたゆに抱かれて、怠惰の魔人としての生を満喫していたある日、異変が起きた。

 

「たゆ、遅いな……」

 

 時刻は午後六時。すでに日が落ちて外は暗い。リビングにはポイ捨てしたコーラのボトルがもう三本も転がっていた。

 

 いつもなら一本捨てた時点でたゆが居る。学校帰りに食料品の買い出しと魔法少女活動をこなして五時には帰ってくるのだ。まさか今更両親に絡まれたり、魔族に苦戦していたりするのだろうか。

 

 気づけば私は着の身着のまま、つっかけを履いて外に飛び出していた。

 

 魔物は人の多く集まる場所に生まれる。このあたりなら駅前、商店街、繁華街あたりか。近いところから順に回っていこう。

 

 いやいや、そんなことして何になる。仮にたゆが魔物に苦戦しているのを見つけたとして、怠惰に過ごす力しか持たない私では何も出来ないし、何かしたいとも思わない。だって何もしたくないのが私なんだから。

 

「たゆ先輩、ちょーかっこよかったっす!」

「えへへ、そですか?」

 

 マンションを出てすぐ、あいつの声が聞こえた。

 

 声の元は、たゆと初めて出会った公園のベンチだった。そこにたゆと同じ制服の少女が並んで座っている。

 

「そーっすよ! あんなに気持ち悪い触手オバケをこう、ズバーっと。憧れちゃうっす!」

「まーこれでも経験だけはありますし? 日刊ランキングにもそこそこお邪魔してるので、あれくらいはねぇ、えへえへ」

 

 たゆは鼻の下を伸ばして照れているようだ。なんか腹立つ。

 

 木立に隠れて聞いていると、事情が分かった。話し相手の少女は中学一年の赤井さん。魔物に襲われていたところをたゆに助けられ、今は感謝のあまり話が弾んでいる状態らしい。

 

「たゆ先輩みたいなかっこいい先輩がいる町に来られて良かったっす! 先輩は地元の誇りっすね!」

「ほめても何も出ないですよぉ……えへ、この時期の転入なんて大変でしょう。困ったことがあったら何でも、このたゆ先輩に頼ってくださいね!」

「ありがとうっす!」

 

 赤井がたゆを持ち上げてたゆがくねくねするとかいう地獄みてえに退屈な会話がようやく終わり、二人が立ち上がる。私も大急ぎで自室へ取って返した。

 

 その日の夕飯の気分は最悪だった。聞いてもいないのにたゆが赤井を助け出したことを語ってくるのだ。

 

「壁際に追い込まれた赤井さん! そこに颯爽と現れたのが、そうこの私、パステルエェッジっ!」

「うるせえ」

「まあそう言わずに、ここからがすごいんです。私は勇ましく剣を振りかざして──」

 

 大仰な語り口の戦闘シーンまでは良かった。だけどその後、赤井が季節外れの転入生だとか不慣れな町なので道に迷っていたとかかわいい後輩ができたとか、そういった話に差し掛かったとたん、イライラとモヤモヤが頂点に達した。

 

「ごちそうさま。今日はもう寝る。一人でね」

「えっ、抱っこ……」

「抱くのもお風呂も今日はなし! おやすみ!」

「ふえぇー!?」

 

 部屋の扉を閉める直前、涙目で追いすがってくるたゆを見ると、不思議とスッキリした。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 あの巨乳と尻と顔以外に大した取り柄のないアホアホ魔法少女パステルエッジことたゆは、事あるごとに赤井について話すようになった。学校で会うと声をかけてくれるとか、クラスではうまくやれてるみたいとか、魔法少女の活動に興味があるとか。聞いてねえよ畜生。

 

「あのー、お姉さん?」

「何?」

「角が当たって痛いです」

「おらおら」

「いだだ痛い痛い!?」

 

 そんな話を聞くたび引きこもりたくなるけど、たゆが寂しそうだから妥協して角を体にゴリゴリさせている。いつも私の弱いところを触ろうとする仕返しだ。他意はない。

 

「んもー、最近のお姉さん変ですよ」

「だって魔人だもん。人からすれば変にも見える」

「屁理屈だなぁ。あ、そうだ。赤井さんがですね、私んちに遊びに来たいらしくて。つまりはここのことなんですけど」

「ケンカ売ってんの?」

「痛いっ、なんでぇ!?」

 

 知るか。私だってどうして赤井の話を聞くたびイライラモヤモヤするか分からんわ。

 

「あっ、でもお姉さんその顔っ、かわいいです! ほっぺたぷくーってしてますつついていいですか!?」

「君はどうやら死にたいようだな?」

「いだぁぁああ!?」

 

 こっちの気も知らないで、たゆは私の反応を楽しんでいるようだ。角で抉れて死ねばいいのに。

 

 たゆが遅くに帰ってきて、言葉と角を戦わせて、赤井と呼ばれる転入生に苛立ちを深める。その毎日も慣れてしまえば案外悪くなくて、ちょっとずつ遠慮のなくなってきたたゆとの距離感は私も気に入っていた。赤井への苛立ちを抜きにすれば、普通に楽しくてバカみたいに何も生まれない、怠惰の魔人らしい非生産的な日々だった。

 

 唐突に魔人として生まれ、唐突にたゆと出会い、始まった楽しい毎日。

 

 だからこそ、それが壊れるのもまた唐突だった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 また、たゆの帰りが遅い。

 

 ベランダに出ると藍色の空が頭上に、眼下には街灯と斜陽でうすぼんやりとした町並みが広がる。その中から聞き慣れた女の甘ったるい声が聞こえた。糖分の滴る音波と言っても過言ではないその声は間違いなくたゆのものだ。

 

 話し相手はというと、最近おなじみの赤井。こっちはきんきん甲高い声で最上階まで聞こえてくる。先輩後輩同士まーた仲良く話し込んでいるらしい。

 

 そう理解したとたん、モヤモヤとイライラが爆発した。部屋を飛び出し、エレベーターを待つのももどかしくて階段を駆け下りる。

 

 もう我慢の限界だった。たゆはうちの子であり私のものだ。魔法少女に助けられた大多数のうちの一人に過ぎないだろうに、あの赤井とかいうガキはうちの子に構いすぎだ。いいかげん文句を言ってやらんと気がすまない。

 

 玄関ホールを飛び出し道路を横切って、たゆと出会った公園にズカズカと踏み入っていく。もちろん角は魔法で隠しているけど、ジョギングや散歩にいそしむ近所の連中が私の迫力にびびっているのか、視線を投げかけてくる。

 

 私は何もしない怠惰の魔人。だけど何もしないでいるには安心が必要だ。不安要素でしかない赤井には退場してもらう。

 

 二人の座るベンチへ近づいていく。たゆが気づいて不思議そうに首をかしげた。

 

 赤井はたゆの視線を追って振り返り、私と目が合う。

 

 瞬間、赤とパステルカラーの旋風が吹き荒れた。

 

「……は?」

 

「魔法少女だ!」「本物?」「本物だよ、ありゃパステルエッジと」「あの衣装ってもしかして……」

 

 コマ落ちした映画、もしくはラグから復帰したライブ配信というべきか。ベンチに座っていたはずの二人が、なぜか私の眼前で鍔迫り合いをしている。突然の魔法少女登場に周囲がざわめくのがどこか遠くで聞こえた。

 

 たゆはパステルカラーのひらひらした衣装で、ハートを象る大剣にぎりぎりと力を込めている。

 

 相対するは、見覚えのある赤黒い魔法少女だ。黒のレオタードに赤いレースとフリルをあしらったその姿は、浮き出た腰骨と広い肌色面積が色っぽい。魔法の武器は長大な槍、いや、穂先に三日月型の横刃を備えた戟だ。鮮血のような赤地にマーブル状の黒が散らされ、その色合いは血流のように流動している。

 

 獰猛な赤。その中でさえ輝く満面の笑みで、そいつはたゆの向こうからこっちを覗き込んだ。

 

「見つけたよっ、魔人ちゃん★ あなたは随分隠れんぼが得意なんだね★ のこのこ出てきてくれてありがとう★」

「ど、どういうことですか!? え、だって赤井さん、なんで、ていうかその格好その魔力……!?」

「どういうことってこっちが聞きたいんだけど、うん、改めて自己紹介だねっ★」

 

 がきん、と激しく火花を散らし、鍔迫り合いの両者が距離を取る。たゆは私をかばう位置に立ってくれた。

 

 赤井と呼ばれた女は、脈動する戟をくるくると片手で弄びながら、歌うように告げる。

 

「みんな大好き魔族必殺★ 殿堂入り魔法少女のレッドグラッジちゃんだよ★ 黙っててごめんねたゆちゃん★」

 

 レッドグラッジ。テレビを垂れ流しにしていると一日一回は必ず出てくる、おそらくこの国でもっとも有名な魔法少女だ。テレビで見かける魔法少女としての印象が強く、変身前の赤井と結び付くことがなかった。

 

 では正体を隠してまでなぜたゆと接触していたのか。大方予想はつくな。

 

「グラは鼻がいいの★」

 

 レッドグラッジは形のいい鼻を指差す。

 

「でもね、魔人の匂いを追ってこの町に来たんだけど、居場所がぜんぜん分かんないっ★ その手がかりがたゆちゃんだったんだよ★」

「わ、私ですか?」

「うん★ あんまり匂いが強いから、てっきり魔人が魔法少女に化けてるかと思って、様子見してたんだ★ そしたらびっくり、たゆちゃんが魔人を匿ってたんだね★」

「え、いや匿ってるというか」

「いいのいいの、細かいことはどうでもっ★ 肝心なのは、目の前に魔人がいるってことだもん★ つまり──死ね」

 

 不意に、赤とピンクの閃光が瞬く。二人はまたも大剣と戟を切り結んでいた。

 

 動きが速すぎて何も見えない。

 

「うーん、困ったな★ グラは魔法少女ちゃんと戦う気はないんだけどな★」

「じゃ、じゃあ話し合いましょう! 大丈夫、お姉さんは悪い魔人さんじゃないんです。怠惰の魔人といって、ただダラダラするだけのかわいい生き物で」

「どうでもいいよっ★」

 

 二人の姿がブレる。パステルカラーの光の帯と、炎のように揺れる赤い光が絡み合い、交差し、またも鍔迫り合いの体勢で現れる。たゆの額に汗が浮かび、一方のレッドグラッジは貼り付けたような笑顔のままだ。

 

「魔族は悪いことをするから悪いんじゃない、魔族であることが悪いんだよ★ コアの情念が何であろうと必ず殺す。それが魔法少女。我々の果たすべき使命」

「な……お姉さんっ、逃げて!」

 

 距離を取ったレッドグラッジが柄の突端を握り、馬鹿げたリーチの戟を振り回す。赤黒い暴風雨のような連撃にさらされながら、たゆが叫んだ。

 

 言われずともそのつもりだ。この赤い魔法少女はどうかしている。たゆが食い止めている間に逃げないと。

 

 幸い、レッドグラッジの鼻も全能じゃないらしい。私の部屋にこれだけ近づいてもすみかを特定できなかったのだから。おそらく一度距離を取れば、怠惰の魔人としての権能で撒くこともできるはずだ。私は死ぬのも痛いのもできればヤダ。

 

 くるっと背中を向け走り出そうとしたそのとき──

 

「邪魔立てするなら殺す。魔法少女も人間も関係ない。魔族は必ず殺す。殺す殺す殺す」

「きゃあっ!?」

 

 刺すような殺意と痛々しい悲鳴が、私の足を縫い止めた。

 

「覚醒もしてないひよこちゃんが図に乗っちゃダーメ★」

 

 振り返ると、戦いが決着するところだった。レッドグラッジが下段突きから素早く戟を引き、横刃にたゆの足を巻き込む。足を払われたたゆに一歩で詰めたレッドグラッジが、たゆの首を片手で絞めにかかった。

 

 たゆは武器を手放し、つま先立ちを強制されて苦しげに足をばたつかせている。このまま放っておけば殺されるだろう。レッドグラッジなら本当にそうする、と確信があった。

 

 だけど私は何もしない。何も出来ないし、頑張れない。

 

 私は怠惰の魔人だ。真面目に頑張らないと生きていけないかわいそうな人類が託した、頑張らないための存在だ。魔人の権能で場を脱し、何もせずのうのうと生きるのが私の役割なんだ。

 

 そのはず、だったのに。

 

「いったーい★」

「けほっ、ごほ……おね、えさん……?」

 

 気づけば勝手に動いていた。足元の砂利から石を拾って投げつける。レッドグラッジの頭に当たり、たゆが解放されてえづいている。

 

 私はなぜかそのまま、レッドグラッジの方へ歩を進めていく。赤黒い笑顔の死が少しずつ間近に迫る。

 

「お姉さん、ダメです……」

「あっち行っててね★」

「……っ」

 

 レッドグラッジはたゆの胸ぐらを掴みあげ、力任せに公園の外へぶん投げた。乱暴なやつだ。

 

 文句をこらえて進んでいくと、間合いに入った瞬間に戟を突きつけられた。眉間のすぐ先に、脈動する赤黒い切っ先がある。

 

「潔くって感心、感心★ 言い残すことはある?」

「たゆに手を出さないで」

 

 レッドグラッジの表情から笑みが消え、きょとんと目を見開く。すぐに元の貼り付けた笑顔に戻って、

 

「もっちろん★ 魔族を殺す邪魔をされない限りは、誰も傷つけないよ★」

「じゃあいいさ。核はここだ、よく狙ってよ」

「まっかせてー★ 死ね」

 

 私がとんとんと胸を叩いてやると、レッドグラッジが大弓を引絞るみたいに戟を腰だめにして。

 

 全身を貫く刹那の激痛。次いで命が砕かれる絶望的な実感を最期に──すべてが黒く染まった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 由立たゆのもっとも古い記憶は、寒いベランダだった。膝を抱えて寒さに震えているのに、扉は開かない。開けてくれない。次の日風邪を引いて寝込んだけれど、誰も一緒にいてくれなかった。

 

 物心ついたそのときから、たゆは寒さと寂しさに満たされていた。自分は誰にも必要とされていない。幼くして諦念と達観に満ちたたゆを誰もが遠巻きにした。

 

 魔法少女のランキングはその孤独を多少なりとも和らげてくれた。たまたま才能があったために成り行きで始めた活動が、五年目にしてランキング圏内に浮上。存在が認められた気がしてたまらなく嬉しかった。

 

 だからこそ初めてランキングが下がったとき、たゆは絶望した。ここでも必要とされていない。居場所なんてない。記憶に刻まれたあの寒さが全身を襲い、ただ震えるしかできなくなった。

 

「へ……?」

 

 その寒さを癒やしてくれたあの人が。存在を肯定してくれたあの人が。

 

 どうして大きな槍に貫かれているのだろう。

 

 投げ飛ばされたたゆが焦燥に息を切らして公園に戻ってきたとき、事はすでに終わっていた。

 

 呆けたたゆの眼前で、レッドグラッジの戟が引き抜かれる。あの人の小さな体は、光の糸が解けるように崩れ、宙空へと消失していった。

 

 後に残ったのは地上波でよく見る赤い魔法少女と、公園の周囲に集まったざわつく野次馬たち。それから茫然自失のたゆである。

 

「魔人、討伐! みーんなー★ この町に隠れていたこわーい魔人は、今やっつけたからねっ★ もう安心だよ★」

 

「うおおおお!」「レッドグラッジさんありがとー!」「えっ、魔人が隠れてた!? こっわ」「パステルエッジちゃんはどうしちゃったんだ……?」「魔人をかばってたよな」

 

「パステルエッジちゃんを責めないであげて★ 魔人のせいでちょっと魔が差しちゃったみたいなの★ ねっ、そうだよね?」

 

 歓声に湧く野次馬。輝く笑顔を向けてくるレッドグラッジ。

 

 ようやく理解の追いついたたゆは、ぞっとした。その感覚はあのときの寒さだ。あのとき、誰からも必要とされず、誰も隣にいてくれないことを悟ったベランダで味わった、あの寒さだ。

 

 激情に反応したパステルカラーの大剣が光り輝き、たゆの手元に飛来する。掴み取ると同時、力任せに振り抜いた。

 

「うああああっ!!」

「あれれ★ どうしちゃったのかな★」

 

 淡い三日月型の光波が、尾を引いて刃から射出される。何度も何度も。レッドグラッジは首をかしげつつ、軽やかなステップだけで回避していく。

 

 いくら剣を振っても、たゆの心は冷え切ったまま温まることがない。

 

 パステルカラーの光波は徐々に黒く濁り、一撃の速度と密度が右肩上がりに上昇していく。

 

 たゆはすでに思考を放棄していた。感情のままに力を振るう。

 

 素早い二連撃で光波を飛ばし、そのうち一つの影に隠れて距離を詰める。飛び道具に追い縋れるほどの俊敏性で、瞬く間にレッドグラッジへ肉薄した。

 

 光波からするりと抜けて、レッドグラッジの背後へ。その心臓目掛けて大剣を突き出した。

 

「あっぶなーい★ パステルちゃん、闇堕ち寸前だねっ★」

 

 しかし届かない。

 

 レッドグラッジは戟のひと薙ぎで光波を迎撃しつつ、振り返りざまに足を大きく振り上げ、たゆの大剣を踏みつけた。前につんのめるたゆ。

 

 普段なら、さすが殿堂入り魔法少女はすごい、と素直に感心していただろう。

 

 だが今のたゆは、寒くて寂しいとしか考えられない。踏みつけられた大剣を必死で持ち上げようと力を込めながら、嗚咽を漏らす。

 

「なんでっ……どうしてお姉さんが、殺されなきゃいけないの……悪いことしてない……私を助けてくれたのに……!」

「繰り返すけど、魔人だからだよ★ 存在が悪い★ 助けてくれたっていうか、それって弱ったところにつけこまれたんだと思うよ★ 魔人はそういうこと平気でやるから★」

「うるさい……っ」

「優しさが欲しい人に優しさをあげる★ 怖いよね、魔人★」

「うるさ──」

「もういいから黙れ」

 

 問答の間に、レッドグラッジはぬかりなく動いていた。するりとたゆの懐に入り、たゆのみぞおちに拳をめり込ませる。呼吸困難に陥り、たゆは崩れ落ちた。

 

 ざわつく観衆に、レッドグラッジが笑顔で告げる。

 

「怖かったぁ★ まだ魔が差してたみたい★ 今ので心を浄化したから、今度こそ大丈夫だよっ★」

 

「ありがとう、レッドグラッジ!」「魔法少女同士の戦いなんて初めて見た」「やっぱりトップランカーは違うな」「パステルエッジはもう見た目以外いいとこなしだ」「魔が差したんだから仕方ないよ」

 

 観衆の声が遠ざかっていく。

 

 酸欠に喘ぐたゆを、レッドグラッジは一瞥する。笑顔の中に路傍の石を見るような冷たさが垣間見えた。

 

 たゆの霞む視界の中から程なくレッドグラッジが退場し、ついで観衆のざわめきが潮の引くようになくなっていく。数分後、その公園にはたゆ一人だけがぽつんと取り残されていた。

 

 誰にも声をかけられることはない。たゆは魔法少女にもかかわらず魔が差し、魔人を庇い立てした挙げ句より強い魔法少女に成敗されたのだ。かける言葉などあるはずもなかった。

 

「うっ、ううっ、ひっぐ……」

 

 体を引きずってベンチにすがりつく。無駄とは分かっていても涙は止まらなかった。

 

 どうしようもない寒さと寂しさ。それはどこにも居場所のない確信であり、たゆがそれを味わうのは三度目だった。最初はあのベランダで、次はランキングで順位の下がったあのときで、その次が今だ。

 

 世の中は優しくない。一人ぼっちで泣いている誰かに構うほど、人は暇ではないのだ。

 

「君さぁ、泣き虫か?」

「ふぇ?」

 

 だからこそ魔人が生まれる。頑張ることに必死な人たちの分まで、優しくあるために。

 

「泣くならせめて部屋に戻ってからにしなさいよ。マンションすぐそこなんだから」

「なん、で……」

 

 顔を上げたそこには、魔人がいた。

 

 初めて会ったときと同じ、だぼついたグレーのスウェット上下。白く滑らかな素足に無骨なサンダルをつっかけている。お尻のあたりまで伸びたふわふわの銀髪が、街灯の光をつややかに反射している。

 

 ひとつあのときと違う点は2つ。まず身長が五センチほど縮んだ。少女から幼女に近いサイズ感になっている。

 

 もう一つは角だった。普段から隠しているおぞましくねじくれた魔族の角を堂々とさらけ出していた。

 

 魔人はサファイアのような碧眼をぱちぱちと瞬いて、手を差し伸べる。

 

「あの赤いのに見つかったらたいへん。さっさと帰るよ」

 

 

 

ーーー

 

 

 

 死ぬかと思った。

 

 いや、正確には一回ほんとに死んだ。魔人は心臓部のコアを砕かれない限り死なないけど、言い換えればコアを砕かれたら絶対死ぬってこと。レッドグラッジの戟でコアを砕かれ、私は確かに死んだ。

 

 で、すぐ生き返った。

 

 私は人類の頑張りたくない気持ちの集合体だ。だるいつらいめんどい一生ダラダラして過ごしたい、という思いが一定の量あると私になる。元になる気持ちを人類が抱いている限りリスポン可能なのだ。たぶん、殺意の魔人が倒されず封印されてるのも、リスポン阻止の意味合いがあるんだと思う。

 

 とはいえ普通は死んで即復活とはならない。思いが形を成すにはかなりの量が必要になる。ちょっと身長が縮んだ状態だけど、すぐ復活したってことは、今の人類はよほどしんどいのを我慢して頑張ってるってことなんだろう。もっと休もうよ人類。

 

「まあそういう理屈で生き返ったわけなんだけども……聞いてる?」

「……ん」

 

 私の居城であるマンションの一室、リビング。いつものソファでたゆに抱かれながら、スマホいじりのついでに解説してみると、後ろから気のない返事が聞こえた。

 

 暗かったカーテンの向こう側が白んでいる。もう朝みたいだ。

 

「ねえ、たゆ? 昨日の晩から徹夜でこの状態だね?」

「ん」

「そろそろ離してくれない?」

「ヤです」

 

 にべもない返答。目の前で死んだのはまずかったかな。

 

 でもあれは仕方ない。まさかレッドグラッジが正体を隠してたゆに接触していたなんて分かるわけないもの。

 

 私は何もせずだらだらと呼吸だけして生きていたい。そのためには、あの魔族絶対殺す丸への対策が必要になる。

 

 ひとまずの参考資料として、スマホでレッドグラッジを検索してみたのだけど、これがなかなか厄介そうだ。

 

『魔法少女名:レッドグラッジ 武器:滾る怨みの戟 固有魔法:魔族必殺(あらゆる魔族を必ず探し出して殺す運命) ランク:殿堂入り』

 

 殺す力じゃなくて運命ときた。魔族に親でも殺されたのかってくらいヘイトが高い。

 

 一応、復活してから魔人の権能に可能な範囲で欺瞞と改ざんを強化してはみたけど、どの程度通じるか分からない。運命とやらに引っかからないよう結局は祈るしかないだろう。

 

「はむっ」

「うひゃあ!? にゃっ、なに?」

 

 首筋に生暖かい感触が走り、スマホを落っことしてしまった。

 

 このぬめっとした感じは、舌? なめてんじゃねーぞ。

 

「あんな女のことは考えないでください」

「ちょっ、たゆ、どうしたの?」

 

 振り返ってみると、どこか晴れ晴れとした表情のたゆと目が合った。

 

 ただしその瞳に光はなく、開ききった瞳孔が深淵みたく光を吸い込んでいる。

 

「私は騙されました。赤井さんと話して、人と仲良くできるんだと勘違いしました。でもそうじゃない。みんな嘘っぱちです。騙そうとしてる。自分のことしか考えてない。外にあるのは寒さと寂しさばかりで優しさがちっともない」

「たゆ、一回落ち着こう、ね?」

「だけどお姉さんだけは違います……嘘じゃない、温かい……本当に優しいのはお姉さん、あなただけ。だから──」

 

 大好きです、と言った瞬間。

 

 唇に、柔らかで水気のある感触が重なった。すぐ間近に、泣き腫らしたたゆの顔がある。

 

 数秒か数分か知らないけどちょっとしてから顔を離して。カーテンの隙間から差し込んだ朝日が、たゆの横顔を照らした。

 

 唇に指を当て、照れたようにはにかむたゆ。

 

 その瞳にはやはり光がなかったけど、呼吸を忘れるくらいきれいだった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 私は怠惰の魔人だ。何もしないししたくない。食べて寝て呼吸するだけが私の存在意義だ。

 

 拾った魔法少女が病んだとか、告白してきたとか。赤黒いイカレた魔法少女に目をつけられたとか。面倒な変化に見舞われたって、私は決してがんばらない。

 

 魔人ちゃんは、がんばらない。

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