魔人ちゃんはがんばらない【完結】   作:難民180301

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4. 闇狩り

 手首のスナップを利かせてたゆのほっぺたをひっぱたく。束ねられたお札がぺしん、と気の抜けた音をたてた。

 

「くっ、さすが百万円の札束ビンタですね……もう一度!」

「ねえ、これ何が楽しいの?」

「何か貴重な体験してる感が超楽しいです! サフィ、早く!」

 

 仕方ないので追撃の札束ビンタをしてみる。たゆはわざとらしく錐揉み回転しながら笑っている。なんだこれ。

 

 ことの始まりは「サフィの権能って結構デタラメですよね?」というたゆの発言だった。逃避行の間、ATMから手品みたく無限の資金を取り出す私に思うところがあったらしい。

 

 私の権能は現代社会で何もせず怠惰に暮らすのに役立つものが幅広く含まれる。住環境のための欺瞞と改ざん、社会とつながりを保つ不思議なスマホ、そして資本主義社会に欠かせないいっぱいのお金。ただし何もないところから物を生み出すことはできず、ATMや配達などのサービスを経由する必要がある。

 

 と簡単に説明してやると、たゆが「じゃあじゃあ、たくさんおろして札束ビンタできますか? ぜひに!」と謎の好奇心をアピールしてきたので、減るもんじゃないしと実演してみたわけだ。

 

「ああん! 痛いけどなんかリッチな気分!」

「される側がリッチな気分はおかしいだろ」

 

 元からアホなたゆだけど、テンションが天井知らずだ。投げた棒を取って戻ってくる大型犬を彷彿とさせる興奮具合。ちぎれんばかりに尻尾振ってるのが見えそう。

 

 だけどはしゃぐのも無理はないかもしれない。

 

「追手は来ないしここも暮らしやすい物件だし。ようやく落ち着けるかな……」

 

 何もせず怠惰に暮らす日々にまた、戻れるかもしれないんだから。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 魔族必殺機構に追い立てられ楔野町を出た私とたゆは、適度に反撃しつつあてのない逃亡生活を送っていた。弱体化した私の権能でビジネスホテルやたまにラブホなんかに寝泊まりしてはすぐに移動する、てんやわんやの生活だった。何しろ少しでも滞在しようもんならレッドグラッジが建物ごと『魔族は必殺だよー★ 死ね』と戟の薙ぎ払いをお見舞いしてくるので、まったく落ち着けない。

 

 転機は今から一週間前、楔野を出て一ヶ月程度経った頃だった。

 

 レッドグラッジ率いる必殺機構の追撃が、ぱったり途絶えたのだ。

 

 最初の一日は私たちも警戒していた。だけど次の日には今のうちにゆっくりしよう、と開き直って拠点になりそうな物件を探し、勝手に居着いて今日までダラダラやっている。

 

 XX州久引(くびき)町の郊外、丘の上の住宅地にある一軒家。そこが私たちの新しい住処だ。

 

 前みたいに土地とマンションを丸ごと権能で支配するのは無理だけど、この程度の大きさなら弱体化していてもどうにかなる。私が「ここに住む」と決めた時点で止まっていたライフラインは復旧したし、荒れた室内も清潔になった。周辺住民はそもそも一人もいないから認識を誤魔化す必要がない。まさにお誂え向けの物件だ。

 

 一つ問題があるとすれば、

 

「あの封印、おっきいですねー」

「倒れてきたらたゆがなんとかしてね」

「無理無理、普通に逃げます」

 

 リビングの縁側のガラス戸から、殺意の魔人を封じる有刺鉄線の巨塔が見えすぎるくらいによく見えることだ。

 

 逃げてる最中は近づかないよう意識していたのに、気づけばずいぶん近くに来た。空を縦に断ち割る有刺の塔は、この上なく目障りだ。

 

 まだ数十キロ離れてるのにあのデカさ、円周何キロあるんだろう。作ったやつは日照権問題で訴えられちゃえ。

 

「にしても、なんで有刺鉄線なんですかね。封印といえば普通、御札とかじゃないですか?」

「抑圧と分断の象徴だからでしょ。古今東西、有刺鉄線ほど人類を抑圧してきたもんはないよ」

「そーなんですか?」

 

 封印といえば有刺鉄線一択。抑圧と分断は人の理性そのものだから、魔族の封印には有刺鉄線がうってつけなのだ。こんなの常識なのだ。

 

「サフィは物知りですね!」

「ふふん」

 

 あのトゲトゲした封印は目障りだけど、追われる身の私たちには恩恵もある。

 

 それは久引町の過疎化だ。かつて十二万人の心身に被害をもたらした上、いつかは確実に解ける怪物の封印と誰が共存できるかという話で、地価は暴落して町の半分以上が雑草だらけの田畑と潰れた企業の倉庫や工場で埋まってる。特に郊外には竣工直後に殺意が暴れたために未使用のまま放置された空き家が大量にあって、住まいは選び放題。まさか私たちが近くにいるこのタイミングで封印が解けるなんて都合の悪いことないだろうし、なかなか住みよい町だ。

 

 追手が来なくなり、新しい住居も手に入れた。たゆが私の権能で遊ぼうと言い出したのも、まあ内容はこの世のものとは思えないほどくだらないものだったけど、分からなくもない。

 

 私たちは久々に、気が抜けている。

 

「たゆぅ」

 

 リビングのソファを手でぽんぽんする。たゆは微笑みながらそこへ座って、私はすべすべした太ももに頭を乗せた。程よい弾力と温かみが気持ちいい。

 

「たーゆー」

「何ですか、サフィ」

「呼んだだけ」

「そですか」

 

 あー、くっそ中身がねえ。何のためのやり取りだこれ。

 

 時間の無駄、浪費としか思えない緩み切った空気。やっと戻ってきたんだ。何もできないししたくない、難しいことは考えたくもない、凄まじくだらけきった怠惰の時間に。

 

 たゆの指が私の髪をサラサラと梳く。手は頭の方へスライドしていって、頬から首へ、もっと下へ。

 

「今、変なとこ触ったら怒るからね……」

 

 ぴたっと手が止まった。

 

 えっちは好きだけど今は何もしたくない。全身全霊の全力全開で何もしたくないのだ。何なら呼吸さえ遠慮したい。怠惰万歳。

 

「生殺しですかぁ。あ、ちょっと、寝ないでくださいよ! サフィ?」

「君は……私を膝枕するために生まれてきた……」

「んもー」

 

 手は私の弱いところを離れて、頭をゆっくり優しく、何度も撫でてくれる。

 

 私は太ももに頬ずりをしながら、気の済むまで惰眠を貪った。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 私はたゆのちゅーによって生かされている。

 

 何もしないし望まないために生まれた私は、たゆと共にいることを望んだ時点で怠惰の魔人として生きる権利を失った。しかしたゆは魔族必生とかいう訳の分からん理不尽固有魔法に覚醒し、その運命的な力をちゅーで私に注ぎ込むことで、私が怠惰の魔人のまま生きることを可能にした。そしてこの固有魔法、定期的に更新しないと力が弱まってしまう。

 

 つまり私はたゆとちゅーしないと生きられない体になってしまった。

 

「さあさあサフィ? おちゅーの時間ですよ」

「注射みたいに言うな、ってか今? アイス食べたいんだけど」

「後にしてください! また消えそうになったらどーするんですかっ!」

「ちょっ、ま……むぐっ」

 

 これの困ったところは、たゆがその気になれば拒めないことだ。私のため、と真剣な顔で言われたら断れない。

 

 今もそう、定位置のソファから冷蔵庫へアイスを取りに行った帰り、いきなり捕まって唇を奪われた。

 

 壁際に追い詰められ、両手首は掴まれて動かせない。太ももの間にたゆが膝を差し入れてきて、30センチ近い身長差のせいで私はほとんどたゆの膝に座らされている感じ。念入りに動けなくされた。

 

「ん……サフィぃ……」

 

 早く終わんないかな、アイス溶けちゃう。

 

 と胡乱げに考えていた私の頭は真っ白になった。

 

「……っ!?」

 

 たゆの魔法の力が体に流れ込んでくる。蕩けるように熱くて甘いそれは、途方もない快楽として全身に染み渡り、その気じゃなかった体を臨戦態勢へ陥れた。

 

 魔族必生の一番反則的な部分はこれだ。人が砂糖を甘いと感じるように、生きるために極めて有用なこの魔法は私にとってどうしようもなく気持ちが良い。

 

 日に日に上手くなるたゆの舌使いもあって、私は頭のおかしくなりそうな快楽に身を任せるしかなかった。

 

「ぷはっ。これでよし! 無理やりみたいでごめんなさいでしたー」

 

 ようやく解放されたときには立ってる力もなくて、へなへなでへたりこんでしまう。汗とかヨダレとかいろんな水気で全身ぐっしょりだ。床には小さな水たまりもできてる。知らずのうちに落っことしてたアイスは溶けていた。

 

「あっ、アイス。新しいの取ってきます……サフィ?」

 

 床に身を投げ出すようにして、どうにかたゆの足首を掴む。

 

「どうしたんですか? アイス取ってきますってば」

「こんの……変態すけべ闇堕ち野郎」

「ひどい!?」

「ムチムチ巨乳、年齢詐称、アホ、天然!」

「な、なんですか急に! サフィこそ、えっとえっと、えー、好き!」

 

 悪口を諦めちゃったぞこいつ。語彙力。

 

 ゾンビよろしくたゆの足から這い上がり、シャツの上から豊満な胸を鷲掴みにしてやる。

 

「ひゃっ」

「熱くて暑くて……今更アイス程度で収まりつかないっての。責任取れコラ」

「それってつまり?」

「……えっちしよ」

 

 それからまる一日、私たちは体を貪り合った。

 

 というか主に私が貪られた。体格差で組み敷かれるのは仕方ないとしても、回を重ねるごとにたゆがメキメキ上達している。終わった後も私の方は腰が痛いのにあいつはピンピンしてるし。魔法少女って恐ろしい。 

 

 そんな風に、時折たゆから魔法と快感の詰め合わせを体へ叩き込まれながら、特に何もせずダラダラ過ごした。

 

 炊事洗濯掃除はすべてたゆが担当。必要なものがあれば権能スマホから通販で調達する。食料品や生活必需品は町の中心部にあるスーパーに定期便を頼んだ。

 

 ちゅーしてえっちして、後はソファでだらけながらテレビやスマホで時間の無駄遣いに励む。情報のシャワーを無目的に浴びるのは怠惰のコアによく効く。

 

『闇堕ち擁護派の活動家が治安紊乱の疑いで拘束──』『魔法少女研究の第一人者、大輪道大八郎氏が魔法少女に性的暴行を──』『今夏誕生日を迎える魔法少女グリーングリームさんに、最年長魔法少女としての意気込みを──』『反魔過激派グループと機動隊が衝突し死傷者多数──』

 

 テレビの報道は私とたゆのことはすっかり忘れ、えらい人のやらかしとか、芸能人の痴情のもつれとか、誰かが誰かを傷つけたとかの話題をおもしろおかしく伝える通常営業に戻っていた。有名魔法少女の闇堕ちも、二ヶ月経てば流れちゃう。人類って忙しない。

 

 たゆは学校をやめたせいか時間を持て余し、新しい趣味を見つけた。

 

 それは庭いじりだ。リビングに面する広めの庭は、住み着いた当初雑草だらけだったが、たゆがせっせと草むしりしてキレイに。今はホームセンターに届けてもらったレンガと土、花の種なんかを植えて花壇を作ろうとしている。

 

「ふんふふんふーん」

 

 汗を拭い、土に汚れながらもたゆは楽しそうだった。

 

 別にしなくてもいい苦労をして何かを作ろうとするあたり、たゆも人間なんだなと思う。何もせず、ただのうのうと怠惰に生きることが可能でも、頑張らずにはいられない。まあ私もたゆのためになることなら、頑張らないこともないでもないけど。やらんでもいいことをなぜ人は頑張ろうとするのか。

 

「やはり人間は愚かだ……」

 

 今このときにでもレッドグラッジが「やっほー★」とか言って訪ねてきたら全部引払わないといけない。その点ちゃんと考えてるのかな。考えてないんだろうな、あいつは。そのときは慰めてあげよう。

 

「サフィー、一緒にやりませんかー?」

 

 愚かな人類が何か言っている。炎天下の作業なのに愚かにも帽子を被っていない。仕方なくたゆの部屋から麦わら帽子を取ってきて、ついでに水と塩飴を縁側にセット。フリスビーの要領で麦わらを投げると、狙い通りたゆの頭に着陸した。

 

 たゆは目を丸くして振り返り、ふにゃっとした笑みを浮かべた。

 

「えへへ、ありがとーです」

「へいへい。暑いから戸、閉めるぞー」

「えっ」

 

 サウナみたいな熱気がリビングに入ってきてヤなんだよサウナ行ったことないけど。

 

 縁側のガラス戸をピシャリと閉め切って、私はソファにふんぞり返った。

 

 この生活はきっと長く続かない。いずれ追手がやってくるのもそうだけど、魔法少女はいつか大人になる。少女の心が大人になったとき、魔法少女の資格が失われ、魔法も変身もできなくなる。人のたゆはともかく、たゆに生かされる魔人の私は今度こそ死ぬ。

 

 だからせめてそのときまで、今ある幸福と怠惰を精一杯噛みしめて生きていこう。

 

 なーんて決意をしながら、心地よいまどろみの中に堕ちていく。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 レッドグラッジ率いる魔族必殺機構の存在は、私たちにとってあまりに大きかった。だって、赤いレーザーをぶっぱして戟をぶん回しながら満面の笑みで迫ってくる女と、町中で躊躇なくチャカを向けてくるイカれた連中だ。印象にも残ろうってもんだ。

 

 だけどあいつらに気を取られ、他の追手のことをすっかり忘れていたのは失敗だった。

 

「こんにちは、闇狩りに来ました!」

「……こんにちは」

 

 たゆが庭いじりに夢中なときに限って呼び鈴が鳴る。どうせまた通販だろうと油断しきって玄関に行ってみたら、そこに居たのは変身済みの魔法少女三人組だった。

 

 普段から角をしまっておくようにしてて良かった。じゃないと今頃とっくに死んでる。

 

「ここに怪しい女の子たちが暮らしてるって噂を調べに来たの。いくつか質問させてもらっていいかな?」

「めんどくさい、無理」

「待ってぇ!」

 

 ドアに足を挟んできやがった。ちぇっ、強引なやつめ。

 

 観念してドアを開け、三人の魔法少女と向き合う。いかにも魔法少女らしくへそや腋、内ももなどを大胆に晒した色彩豊かな装束だ。朱色、濃紺色、橙色と信号の三色になりそうでならない微妙なトリオ。

 

「まずは自己紹介だね。私、クロウバーミリオ!」

「あたしはオレンジシリンジ」

「ネイはネイビーバラージュ……三人揃って出来損ない信号隊」

「あ、やっぱり」

「やっぱりって何!? 出来損ないじゃないよ、変なこと言わないでネイちゃん」

「てへ」

 

 ネイビーは無表情で舌を出し、クロウが気を取り直してという風に口を開く。

「えっと、あなたの名前は?」

「サフィ、だ。世界一いい名前でしょ」

「う、うん。素敵だねサフィちゃん!」

 

 揃って首肯する三人。たゆが付けてくれた最高の名前の良さが分かるとはいい子たちじゃないか。話くらいは聞いてあげよ。

 

「あのね、この家に怪しい女の子たちが住んでるって噂になってて、その一人があのパステルエッジさんに似てるらしくてね、調べに来たの」

 

 思わず頭を抱える。情報源はおそらく通販か食料品の配達業者だろうか。

 

 この家は登記上では空き家になっている。その家になぜか人がいて電気もガスも通ってて、しかも宅配の依頼まであるんだから違和感が出るのは当然だ。

 

 そういった小さな違和感さえ誤魔化せるのが私の権能だったのに。まだまだ弱体化から抜け出せてはいないみたい。

 

「何か知ってることがあったら教えてくれ。あたしたちはあの人を助けたいんだ」

「……助ける?」

「闇堕ちした魔法少女を説得して正気に戻す。それが闇狩りの役目だからな」

 

 闇狩り。出会いばなにクロウも言っていたけれど、やはり三人は必殺機構とは別口の魔法少女らしい。

 

 追手の情報はスマホから調べられる範囲で把握している。闇狩りは「闇堕ちした魔法少女の更生」を目的とする慈善団体で、代表からメンバーまで大半が魔法少女で構成される。ぶっちゃけ字面からして暗殺者みたいなの想像してて、調べたときは拍子抜けした。

 

 だけど説得すると言っても、この子らは恐ろしい魔人のこと知らないのだろうか。

 

「たしかパステルエッジは怖い魔人に操られてるんでしょ。君たち三人で大丈夫なの?」

「う……」

 

 クロウとオレンジが痛いところをつかれた風に怯んだ。

 

 ここを押せば追い返せるか、と思ったものの、ずいっとネイビーの子が前に出てきて胸を張る。

 

「大丈夫。このネイは一回だけランカーになったこともある。魔人からパステルさんを取り返すくらい訳ない」

「末席に一日だけだったけどな……」

「そこ、うるさい」

「ま、まあまあ。心配してくれてありがとう、でも私たちは大丈夫だから。それで何か知ってることは……」

 

 じーっと物問いたげな視線で見つめてくる三人。これ以上ははぐらかせないか。

 

 どーしよ。とりあえずこの子達をたゆに会わせるのはなし。何をどう説得されてもたゆが闇堕ちを辞めるとは思えないし、そもそも簡単に辞められるもんでもないだろう。三対一の不利な争いを仕掛けられたら分が悪い。だけど「あっちの方へ行きました」系のウソで追い返してもまたここに来られたら意味ないし。

 

 あーめんどくさい。考えるのだるい。

 

 思考放棄に陥りかけたそのとき、

 

「サフィ? 誰と話してるんですか?」

 

 この場で一番の影響力がある声がした。

 

 振り返ると、軍手に麦わら帽装備のたゆがきょとんとこっちを見つめている。園芸作業に一段落ついたみたい。

 

 一拍遅れて私の後ろに目をやり──黒い旋風が吹き荒れた。

 

「何をされたんですか、サフィ?」

「ほ、ほほほほんとにいたぁー!」

「お、落ち着けまずはボスに連絡を……あ、でもバレたら怒られる……」

「……」

 

 文字通り目にも止まらない高速でたゆが変身し、私と三人の間に割って入っていた。トゲトゲしたアーマードレスは前面に比べて背面がほぼ丸出しで、首筋から尾てい骨のあたりまで滑らかな背中が丸見えだ。

 

 と、見とれてる場合じゃない。たゆは後ろ手に構え、いつでも空間から大剣を引き抜いてフルスイングできる体勢だ。

 

「何もされてない、大丈夫だよ」

「……よかった」

 

 たゆがほっと力を抜いたとたん、三人娘が語りかけてきた。

 

「パステルエッジさん、目を覚まして! あなたは闇堕ちするような人じゃなかったでしょ!」

「一生懸命に魔物と戦ってたじゃんか。あたしらみんな、あんたのフォロワーだぜ」

「闇堕ちは不可逆じゃない。時間はかかるけど、闇狩りの施設できちんと治療をすれば元に戻れる」

「さあ、私たちと一緒に行こう? 怖い魔人が戻ってくる前に!」

「……はぁー」

 

 うわっ、たゆのこんな重たいため息初めて聞いたかもしれない。私としては、道を違えた先達を説得する熱い魔法少女たち、みたいな絵面にじんと来ていたのだけど。たゆはお気に召さなかったのかな。

 

 クロウが差し伸べた手を完全に無視して、たゆは私の後ろに回った。首に手を回し、頭に顎を乗っけてくる。

 

「怖い魔人、ですか」

「そうだよ? 魔人はみんな人のふりをしてひどいことをするの。パステルエッジさんもきっと騙されて……」

「はい、分かりました。分かり合えないことがよぉーく分かりました」

「えっ」

 

 これも、なかなか聞かない冷え切った声音だ。聞いてるだけなのになんか怖い。

 

「帰ってください」

 

 明確な拒絶だった。よかった、もし万が一たゆがこの子達側につくなんて言ったら、私は一生立ち直れないと思う。つい首元のたゆの腕を握る。トゲトゲした装甲板に覆われていて触っただけで痛かった。なんちゅー物騒な鎧だよ。

 

 重苦しい沈黙が玄関先に満ちる。クロウとオレンジは取り残された迷子のような心細い顔で、差し伸べた手を寄る辺なく揺らしている。

 

 一方、まったく動じない剛の者もいた。表情の読めない濃紺色、ネイビーバラージュだ。

 

「そうはいかない。ネイたちは闇狩り」

「それが?」

「心に巣食う闇を狩り、魔法少女を救う。そのためには実力行使も認められている──パステルエッジ。ネイたちと一緒に来てもらう。たとえ無理やりにでも」

「ネイちゃん!?」

「いや、クロウ。手ぶらで帰ったらボスが……」

「あっ、そっか」

 

 決然としたネイビーの横でクロウとオレンジが密談している。

 

 一方、ケンカを売られたたゆことパステルエッジはというと、

 

「上等ですよ。表に出なさい」

 

 大剣をずるりと引き抜き、全力で買う姿勢だった。

 

 そのときの表情は、いつものぽわぽわしたものとは違って獰猛に牙を剥き出す猟犬のようで、あまりのかっこよさに私は声も出なかった。私の恋人カッコイイ。

 

 そんなこんなで、三対一の魔法少女バトルが勃発するのだった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

「参った、降参する」

「えぇ……」

 

 あっさり両手を上げて敗北を認めたネイビーバラージュに対し、たゆは振り上げた大剣を所在なさげに漂わせる。困惑顔で私の方を振り返るけど、こっちもどうリアクションしたらいいのか分からん。

 

 人気のない表の路地で勃発した魔法少女バトルは、戦いというかむしろ蹂躙の様相を呈し、およそ三十秒で決着した。

 

 大体十メートルくらい距離を取って向かい合い、武器を構えた。クロウは朱い鉤爪、オレンジは橙色の巨大な注射器、ネイビーは濃紺色のガトリングガンで、素人の私から見ても強そうな布陣だった。

 

 だけど私が合図した瞬間にたゆが一条の黒い光線と化し、気づけばクロウとオレンジがたんこぶをこさえて倒れていた。

 

 最後の一人、ネイビーに向けて大剣を振り上げているのが見えたと思ったら、ネイビーが降参して今に至る。

 

「痛いよー!」

「うう、頭がくらくらするぜ……」

「えっと……だ、大丈夫ですか? そんなに強く叩いてないはずですけど」

 

 たゆは大剣を空間にしまって、半べそをかくクロウを助け起こしている。なんだこれ。

 

 正直もっと苦戦するか、最悪負けそうにはなるかと思ってた。レッドグラッジと一対一で戦った結果が印象に残ってるし、その後の逃避行でも逃げに徹して戦うことはなかったから、三人相手に勝てる訳ない。だからいつでも割って入れるように同席した。たゆが負けたら私も終わりだし。

 

 なんて風に半ば覚悟を決めていたら結果は圧勝だ。固有魔法とかランキングとか、魔法少女の力量ってよく分かんない。

 

『そりゃこうなるよぉ〜。パステルちゃん、闇堕ちで出力上がってる上に地力でも勝ってるからねぇ〜』

「そうなの?」

『そだよぉ〜。そもそも、魔法少女を五年続ける時点で相当希少なんだぁ〜。魔物って見た目怖いでしょぉ〜? せっかく変身できたデビュー初日に魔物に出くわして、即日引退する子がほとんどだからねぇ〜。ランキング常連のパステルちゃんに敵う子はあんまりいないのさぁ〜』

「レッドグラッジは?」

『あの子と他の魔法少女を比較するのはぁ〜、三輪車と自動車を比べるようなものだよぉ〜』

 

 ということは、たゆは闇堕ちと運命の固有魔法で自動車と張り合ってる三輪車。一般三輪車魔法少女たちに遅れを取るはずがないわけだ。勉強になった。

 

 なったけども。

 

「えっ、何この声、誰!?」

 

 このやけに間延びした女の声は何だ。どこから聞こえるかはっきりしない、強いて言えば私を包む空気そのものが喋っているような声。当たり前みたいに話しかけられたせいで気づくのが遅れた。

 

 たゆは頭を抑えて涙ぐむクロウを心配していてこっちの異常に気づいていない。

 

 ひとまずたゆの元へ避難しようとすると、謎の声は厳かに告げた。

 

『わ、我こそは夏の風物詩ぃ〜、天の声だよぉ〜』

「天の声? えっ、何それ?」

『夏になるとたまーに聞こえるぅ〜、夏の妖精さんの声さぁ〜』

「いやいやいやいや、ないでしょ。妖精さんなんてそんな聞いたことないし……」

『そりゃ誰も話題にしないからねぇ〜。たとえば夏に蝉の声が聞こえることを、殊更に話す人はいないでしょぉ〜?』

 

 言われてみればそんな気がしてきた。

 

 もとより私が生まれ持っている知識や価値観なんて、完全なものじゃない。情念の持ち主である不特定多数の知識の寄せ集めだから一般常識に穴があるのだろう。天の声が夏には当たり前とは知らなかった。

 

『それよりぃ〜、キサマって魔人ちゃんでしょぉ〜? 天の声だから知ってるよぉ〜』

「あ、あんまり言いふらさないでよ」

『この質問に答えてくれたらねぇ〜。キサマ、五年前に生まれたでしょう?』

「えっ、二年前だけど」

 

 やけに自信のある口ぶりだった。質問というか確認の意味合いを感じるほどに確信のある問いかけ。

 

 でも私の生まれは二年と少し前で間違いない。たしか春頃に楔野の町中にぽつんと発生して、暦が二周するまで怠惰に過ごし、たゆと出会った。五年も前の話じゃない。

 

 天の声は唐突に途切れ、気味の悪い沈黙が後に残って、

 

「ちょっと待って私二回夏を経験したけど天の声とか聞いたことない。さっき言ってたのウソでしょ、ねえ?」

「サフィ、一人で何言ってるんですか……?」

 

 周りの空気にしゅっしゅっと魔人パンチを放ちながら問い詰めていると、たゆがかわいそうなものを見る目で近づいてきた。その手には敗北した魔法少女、クロウバーミリオの腕をガッチリ掴んでいて、もう二人が不安げな表情で後ろからついてきている。

 

 そうだ、今は胡散臭い謎現象より先に、この三人の扱いを考えないと。このまま帰してたゆの居場所を吹聴されたら何が訪ねてくるか分からない。

 

 夏の暑さで幻聴を聞いたことにして、ひとまず玄関の方へ踵を返した。

 

「まあ上がってよ。外は暑いし」

 

 変な声も聞こえるし。

 

 

 

ーーー

 

 

 

「すーずしー!」

 

 冷房の利いたリビングに足を踏み入れるなり、敗北魔法少女トリオは変身を解除し、普通の少女の姿でくつろぎ始めた。クロウとオレンジがソファに陣取ってテレビを点け、ネイビーは寝転がって「冷たい」と床に頬ずりしている。自由かよ。

 

 この子たちはたゆに手も足も出ないけど、この家のことをもっと厄介な勢力に告げ口されたら面倒くさい。いい感じの処遇を考えなきゃ。

 

 食卓でたゆと向かい合い、捕虜の扱い会議を始める。

 

「記憶を消す魔法とかない?」

「そんな都合のいい力ないですよー。あっでも、存在ごと消そうと思えば消せますよ。跡形もなくどかーんって」

「こら」

「冗談ですって」

 

 舌を出して笑うたゆ。かわいいけど、それを聞いたクロウとオレンジは抱き合ってぶるぶる震えている。大丈夫、そのつもりならさっき戦ったときやってただろうし、冗談に決まってる。冗談だよね?

 

「ずっと気になってたけど」

 

 話し合っていると、いつの間にかネイビーが食卓の横にしゃがんで顔だけを覗かせていた。眠そうな半目が上目がちに見上げてくる。

 

「銀髪のあなた、サフィちゃん。パステルエッジとどういう関係? そもそもなぜこの家に?」

 

 言われてみれば、という風な視線をクロウとオレンジが送ってくる。二人と同じような表情で私とたゆも顔を見合わせる。そういえば私の立場が曖昧なままだった。魔人の角を隠して一見普通の銀髪幼女な私が、お尋ね者のたゆとなぜ一緒にいるのか。

 

 早く答えなきゃ怪しまれる。たゆには任せろの意を込めた目配せをして、アドリブ十割の身の上話をでっちあげた。

 

「私の父は海外の資産家で、この家を別荘として買ってくれたの。訳あって一人で暮らしてたら、この子がお腹を空かしてるのを見かけてね。ご飯をあげたらそれ以来懐かれて同棲してるってわけ」

「ふぅん」

「サフィちゃんは優しいんだね!」

「そんなに小さいのに一人暮らしなんて、えらい子だな」

 

 三人は納得したように見える。ふふん、これでも欺瞞と改ざんの権能でダラダラ過ごしてきたんだ、女の子三人言い包めるなんて造作もない。

 

「でも、パステルエッジさんを操ってる魔人は? 一緒にいるはずだよね?」

「そ、それは……お茶をしに行った。殺意の魔人のとこに」

「お茶!? 魔人ってお茶飲むのか!?」

「お茶くらい飲むよ、そりゃ」

 

 造作もない、はず。三人の目が訝しげになったような気がするのはきっとおそらく気のせい。

 

「むぅ……」

 

 たゆの目がちょっと怖い。犬や猫に餌付けして懐かれたような響きが気に入らない、とアイコンタクトだけで伝わってくる。細かいこと気にしてんじゃないよ。

 

 しばらく不満顔のたゆだったけど、唐突にぱっと瞳を輝かせて立ち上がった。三人の注目を浴びながら食卓を回り込み、私の後ろに陣取って首に腕を回してくる。なんだなんだ。

 

「三人とも、もう帰っていいですよ」

「えっ?」

「いいのか?」

「しめしめ、これで援軍をたくさん呼んで──」

「たーだーし」

 

 ぎゅーっと私を後ろから抱きしめて、

 

「私たちがここにいることを誰かに話したら……サフィがどうなっても知りませんよ?」

 

 あー、なるほど。

 

 立場上は一般銀髪幼女な私を人質に取ろうってことか。レッドグラッジとは違って普通に人の良さそうな三人は効果てきめんみたいで、驚きに目を見開いている。

 

「ひ、ひどいよ! 親切にしてくれたサフィちゃんを人質にするの!?」

「そこまで堕ちたか、パステルエッジ……!」

「鬼畜の所業、外道の極み」

「ちょ、ちょっと」

 

 すごく効いてるけど、これじゃたゆが悪者になっちゃうじゃん。

 

 私が振り向いて抗議するより早く、耳たぶに甘美な感触が迸った。

 

「ひゃぁん! や、ダメぇ……っ!」

「やめてっ、サフィちゃんにひどいことしないで!」

「あたしらはあんたのことを誰にも話さない。噂はウソだったって町の人に報告するよ、それでいいんだろ!」

「約束する。だから放してあげて」

「ふっふっふ、いいでしょう」

 

 ちくしょー、耳たぶ甘噛みだけでこんなに気持ちよくされてしまうとは。ぐったりテーブルに突っ伏して横向きになった私の視界の中で、三人が悔しげにたゆを睨みつけながら、泣きそうな顔で私を一瞥し退室していくのが見えた。玄関の扉の開閉音が聞こえて、それきり三人の気配は消える。

 

 私は机に伏せたまま、隠していた角を露わにした。

 

「……サフィ、怒ってます?」

「たゆが悪者になんなくていいのに」

 

 体を起こしてのけぞり、角をたゆの胸のぐりぐり押し付けてやる。おっぱいがたゆんたゆんするばかりでダメージにならない。

 

「いつもサフィばっかり悪者扱いでしょ。少しは私にも背負わせてください、ね?」

「ふんっ、君みたいな能天気に悪者は似合わないっての」

 

 余計な気を回しやがってこいつめ。

 

 こうして私たちは、初めての闇狩り魔法少女たちとの遭遇戦をどうにか切り抜け、事なきを得た。

 

 一つだけ大きな誤算があったとすれば──この日の出来事は終わりではなく、始まりだったことである。

 

 

 

ーーー

 

 

 

「たのもー!」

「今日こそお縄についてもらうぜ、パスエルエッジ!」

「年貢の納め時っ」

「まーたですか」

 

 闇狩りの三人は翌日から毎日やってきた。

 

 数は三人で固定だし、テレビやネットを見てもたゆの居場所については流れてないので、秘密は守られている。ただ、三人は口を噤む代わりにたゆへ挑戦することで正義感を満足させてるみたい。結果は初日と変わらず、一分もたずに大剣の腹で叩かれて降参。うちのたゆが強すぎて惚れそう。もう惚れてるけど。

 

「うう、強い……」

「こんな力があるのに、どうして人質なんか……」

「心の闇を狩る……命ある限り……がくっ」

「はいはい、適当に涼んだら帰ってくださいね」

 

 瞬殺したあと真夏の路上に放置するわけにもいかず、冷房の効いたうちのリビングまで運び、回復したら勝手に三人は帰っていく。帰り際に私の手を両手で握って、「必ず助けるから。私たちを信じて!」とか「気を強く持て。正義は必ず勝つ」とか「ここは涼しくて、アイスもある。だからもう少し待ってて」とか真顔で言い置いていくから、私はもうどんな顔すればいいのか分からなくなる。特に最後、涼しくてアイスがあるから何だよ。

 

 あまりにもいいとこなしな負けっぷりのため、オレンジが盛大に負け惜しみを吐く日もあった。

 

「むむぅー! ボスに知らせたらパステルさんでもイッパツなんだからなっ!」

「あ、そーですか。じゃあサフィはどうなってもいいんですね?」

「やっ、たゆ、こんな人前で……!」

「だ、ダメだダメだ! やめろ!」

 

 この日分かったのは人前でたゆに触られると興奮するってことと、三人のボスについてだった。

 

 直接聞き出したわけじゃない。だけど『闇狩り ボス』で検索すれば、たゆをイッパツで伸すらしい魔法少女のことがすぐに分かった。

 

『魔法少女名:グリーングリーム 武器:マンキャッチャー 固有魔法:翠緑深深(草木や岩石の色に擬態する力) 経験:79年 ランク:殿堂入り 備考:慈善団体「闇狩り」の代表。史上最年長の魔法少女』

 

「少女とは……?」

 

 異常な経験年数で目が点になった。レッドグラッジと同じ殿堂入りなのも気になる。

 

 だけど固有魔法が存外にしょぼいというか、たゆやグラッジの運命系のそれに比べて見劣りする感は否めない。闇狩りの長というからてっきり闇堕ち魔法少女を必ず殺す力かと思ってたのに、実際はカメレオンみたいな力だ。うっかり出くわしてもたゆと一緒なら大丈夫。たゆの運命の方が強いもん、平気平気。

 

 スマホを眺めてたゆでマウントを取っていると、クロウとネイビーが憂鬱なため息をつく。

 

「どっちにしろボスには言えないよー」

「相談もせずにここに来たから……バレたら怒られる」

「ホウレンソウしっかりしていけー」

「サフィ、今日はホウレンソウが食べたいんですか?」

「違うわ」

「私、ホウレンソウは茎のところが好き!」

「やかましいわ」

 

 当たり前のように会話に入ってくるな。三人はいまいち緊張感があるのかないのかよくわからない。

 

 こういった三人のふにゃふにゃした空気にあてられたのか、それとも暑さにやられたのか。たゆは日常の中で前触れもなく変身して大剣を振り回すようになった。

 

「曲者ぉっ!」

 

 と叫んで何もない空間を切り裂くのだけど、この場合曲者なのはたゆだ。うちは床下や天井裏に忍者が潜めるつくりはしていない。たぶん気が緩んだタイミングでまた闇狩りなんてのがやってきたから、情緒に多少不具合が出てるのかもしれない。

 

「ほんとに怪しい雰囲気がしたんですよ!」

 

 平和な昼下がりのリビングを油断なく睨みつけるたゆは、獲物を威嚇する猟犬みたいだった。ちょうど蚊が入ってきていたのでついでに退治を頼んでみると、一閃。残心を取るたゆの足元に真っ二つの虫が落ちている。達人かよ。

 

「なんならコバエだって全部斬れます!」

 

 ドヤ顔のたゆをしゃがませて頭をわしゃわしゃしてやった。それが効いたのか、空気を切ろうとする奇行はぱたりと止んだ。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 夏休みは休みだ。休みとは何もせず何も考えずだらだらと時間を浪費するものであるはず。

 

 なのに闇狩りの三人は毎日勝ち目の見えないたゆにボコボコにされて、合間に宿題をやったりうちの家事を手伝ったりしてる。誰かに頼まれたわけでもないくせに、どうしてそこまで苦労したがるんだろう。

 

「別に義務があるわけでもなし、そんなにがんばらなくてよくない?」

 

 ある日、助けられる身の上なくせについそう聞いてみた。毎日毎日たゆに挑んではあしらわれる三人を見てると、怠惰の魔人として疑念を抑えられなかった。なんで人はがんばろうとするのか。

 

「ですよねー。あっ、これかわいい!」

 

 たゆも同意した。私を膝の上に抱えて、髪をツインテールにしたりお団子にしたりして遊んでいる。最終的にツインテで固定された。ちょっと子供っぽくないだろうか。

 

 三人は顔を見合わせると、代表してクロウが言う。

 

「闇狩りが好きなの。とってもかっこよくて、私たちの憧れなんだ」

「えー? どこにかっこいい要素あるんです?」

「誰でも、たゆちゃんみたいに強い魔法少女でも、間違えることはあると思うんだ。だって人だから。闇狩りはね、真っ直ぐな気持ちで間違えた人に向き合って、心の闇を狩る。その人は間違いに気づいて、また前に歩き出せる。ねっ、これってすごく素敵でしょ?」

 

 だから、と続けるクロウ。

 

「私たちはたゆちゃんを見捨てない。たとえ何回負けたって、あなたの闇を狩るまで諦めないんだから!」

 

 力強い笑顔で手を差し伸べるクロウと、彼女に寄り添うネイビーにオレンジの三人組は、紛れもない正義の味方。世が求める魔法少女像そのものといっていいきらめきを放っていた。魔人の私でもかっこいい、と少し思った。

 

 負の情念の塊である魔族とは逆に、魔法少女は捨てられた正の情念の受け皿。たとえば憧れの誰かのようになりたいとか、将来の夢を叶えたいとか思ったとき、その思いがすべて報われることはない。夢見がちな人々は現実に急かされて、なりたかった自分になれないといつか悟る。そうして人々の諦めた願い、望み、憧れを受け取り力とするのが魔法少女だ。

 

 三人はその定義にこの上なく適う、模範的な魔法少女に見えた。

 

 だけどたゆは構わず私の髪をリボンで束ねながら、

 

「私は私の闇を含めて、自分のことを気に入ってます。それでも狩りますか?」

「……えっ?」

 

 三人は意表をつかれたように目を見開く。呆然と開いた口を震わせて何かを言いかけ、噤み、目を泳がせる。

 

「でも……闇堕ちは、いけないことだし……危ない、から……」

「危ないって、どこが?」

「えっと……」

 

 たゆは私のツインテールを完成させると、頭に顎を乗せてきた。口ぶりからしてからかうような目をしているのが分かる。

 

 しどろもどろのクロウは縋るような目をオレンジへ向け、オレンジもまた首を捻って黙り込む。

 

 沈黙を割ったのは、ネイビーの静かな声だった。

 

「たゆは人質を盾にネイたちを脅迫している。少なくともこれは危ないし、いけないこと」

「そ、そう! そうだよ。だから闇狩りを諦めない!」

「そうだそうだ!」

「くふふっ」

 

 たゆが忍び笑いをこぼし、私はなんだか申し訳なくなってきた。三人が縋った動機は都合の良いウソである。

 

 純粋な正義の魔法少女を嘘っぱちで揺さぶるなんて、私たちもようやく世評に近づいてきた感がある。三人はいつもよりも若干元気のない足取りで帰っていった。

 

 しかし翌日、朝一番でやってきた三人の元気はざっと百倍に燃え盛っていた。

 

「おはよー!」

「おはよーです。今日は早いですねー」

「うんっ。昨日は悩んだけど、結局難しいことは分からないからさ」

「とにかくサフィだけ解放して他は後で考えることにした!」

「魔法少女秘奥義、問題の先送り」

 

 まさかの思考放棄である。このタイミングで私が魔人バレしたらこの子ら縋るものがなくなるんだよな。実際やりはしないけど、いたずら心が湧く。

 

「そーですか。じゃ、心置きなくやりましょうか」

「痛いっ」

 

 今日もたゆと闇狩りが衝突している。人気のない寂れた住宅街の路地に、ごん、ごん、ごんと痛そうな音が響き、朱色と橙色、濃紺色の少女たちがたんこぶを抑えて悶絶する。黒いトゲトゲアーマーのたゆは私の方を振り向いてドヤ顔で胸を張り、獲物をとってきた猫を思わせる。

 

 八月半ば、蝉しぐれが遠く響く盛夏の、慣れきった日常。四色の魔法少女がじゃれ合う様は毎日代わり映えせず、怠惰に眺めるにはもってこいの見世物で。

 

 そこにどぎつい緑が差し込んだことで、あっけなく壊れるのだった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 ツインテールの銀髪幼女。薄手のTシャツとフリルスカートで着飾った私が、玄関に入ってすぐの姿見に写っている。自分じゃなんとも思わないけど、たゆが選んでくれた髪型と服だから、たぶんかわいい。

 

「だーかーらー! 変身が遅いし武器の実体化はもっともっと遅い! 魔力運用が赤ちゃんなんです! まずは素振り千回っ!」

「うう、鬼ぃ……」

「ネイはガトリングガンのため、素振りは不可能」

「やろうと思えばできますっ! 正しいフォームではいせーのっ!」

「いち、にっ、さんっ!」

 

 外からは熱血コーチと化したたゆの怒鳴り声が聞こえる。かわいそうなほど進歩しない三人組にたゆの方が我慢できなくなったらしく、警察に手錠の使い方を教える犯人めいた構図になってる。もちろん今日の分の戦いはとっくにたゆの勝ちで終わった。

 

 熱血指導員のたゆは見ていて新鮮だけど暑い中付き合うのはしんどい。夏は冷房の効きすぎた室内で凍えるに限る。

 

 リビングのソファに身を預け、無目的にテレビをつける。ごうごうと冷房の唸る声と雑多な情報のごった煮が広い空間に満ちた。

 

『さあ、みんな一緒に★ 魔族皆殺すべしー★』

「変なCM」

 

 赤黒いあいつが不意打ちで電波に乗ってきてももう動揺はしない。どの局のCMでも出てくるからさすがに慣れた。

 

 ただ、レッドグラッジは最近めっきりテレビで見なくなった。生放送だけでなく収録番組からも姿を消し、唯一出てくるCMがやけに印象に残る。

 

 弱体化した私の権能でヤツの嗅覚を欺くことはできない。なのにヤツが私たちを放置するばかりか魔族必殺の普及さえ疎かにしているのはなぜか──答えは一つだ。

 

「夏バテかな」

 

 こんなに暑い中、炎天下で私たちと鬼ごっことかさすがにやりたくないのだろう。メディア出演を減らしたのも暑さのせいだ。だっていくら魔族憎しといっても、あんなに一生懸命やってたらしんどくなるに決まってる。今頃ヤツは死んだ目でベッドに寝転がり、スマホで魔族への悪口を書き込みまくってるに違いない。「魔族氏ね」とか。

 

「むふふ」

 

 かわいいところもあるじゃないか。頑張りすぎな人類代表としてせいぜい怠惰に溺れるといい。

 

 妄想に浸っているとCMが開け、お昼の情報番組が始まった。

 

『ニュースの時間です。魔法少女グリーングリームさんが本日誕生日を迎え、現役最年長記録を更新しました。魔法少女としては史上初めて傘寿を迎え、全国各地からお祝いのメッセージが届いています──』

 

 老若男女、様々な年代の人々がインタビューに答えていく。彼ら彼女らは緑色の帽子や布、服などを身に着けて「実にめでたい」「これからも頑張ってほしい」「これからも闇に灯る薄明かりで在り続けてもらいたい」などなど、にこやかな祝賀の言葉を連ねる。

 

 グリーングリーム。表でうちのたゆに扱かれている三人組のボスだ。

 

『グリーングリームさんは闇狩りの長として広く知られており、数多くの闇堕ち魔法少女を更生へ導いた功績が讃えられ──』

 

 アナウンサーの読み上げと共に、どぎつい緑の装束が映像に映り込む。

 

 人の形をした古木のような印象だった。肩から足元まで覆う緑のローブと、同色のつば広帽子を被り、つばの切れ目からエメラルド色の瞳が周囲を睨めつけている。ローブと帽子の表面は、陽光を照り返す夏山のような万緑で覆われ、森の中に入ればよく擬態できそう。ギリースーツっていうのかな。

 

 手には不良が改造した刺叉みたいな長柄の武器が握られている。U字金具の内側に返しのスパイクが乱杭歯みたいに生え揃い、映像越しにも禍々しい威圧感がある。魔法の武器、マンキャッチャーだ。

 

「誰か突っ込めよ」

 

 傘寿て。八十年魔法少女やってるってなんだよ。当たり前みたいに受け入れて称賛してんじゃないよ。

 

 魔法少女は心が大人になったとき力を失う。瑞々しい変身願望が無機質な現実に砕かれたとき、諦められた希望の受け皿でいられなくなる。

 

 ってことは、グリーングリームは八十年経ってもまだ心が夢見がちな少女のままってわけだ。それは果たして褒められるようなことなのか。

 

『いやぁ〜お手本になる大人が全然いなくてさぁ〜。ずっと子供でいいやぁ〜って思ってたらこうなっちゃってぇ〜。お祝いありがとねぇ〜』

 

 コメントを求められたグリーンがそう答え、大衆の笑いを誘う。

 

 原色の緑の装束が消え、スタジオのアナウンサーに映像が切り替わる。

 

 にも関わらず、緑は依然としてそこにある。

 

「子供でいいやっていうかぁ〜、ほんとはこんな腐った大人たちはヤだなぁって感じだよぉ〜。言葉選べるのえらいでしょぉ〜」

「……は?」

 

 ソファのすぐそば、フローリングに緑色の人影が横座りしている。

 

 たった今テレビに写っていた人物とまったく同じ色合い、装束。ギリースーツのような深緑のローブとつばの広い帽子。

 

 つばの切り欠けから緑色の瞳が覗き、ばっちりと目が合う。その目はにっこりと、人好きのする笑みに細まる。

 

「こんにちはぁ〜。天の声改め、最年長魔法少女のグリーングリームだよぉ。『最早魔女だろ』は言っちゃダメぇ〜」

「こっ、こんにちは?」

 

 条件反射であいさつを返すのが精一杯だった。

 

 いつの間に入ってきた? なぜここに、いやたゆを狙ってきたとしてなぜここが分かった? まさかクロウたちが情報を漏らしたのか──

 

「天の声聞こえたでしょぉ〜? あの日からずーっとこの家にいたんだよぉ〜。キサマとたゆちゃんのラブラブも見てたぁ〜」

「なっ」

「どうやってかというとぉ〜、『るいるいと みどりかさねつ』」

 

 グリーングリームが消えた。かと思うと、出どころの分からないぼやけた声が聞こえる。

 

「こうやって固有魔法でぇ〜、空気に擬態してたんだぁ〜」

「く、空気? 草木や岩石じゃなくて?」

「ネットの情報はちょっと古いよぉ〜。今の魔法は翠緑深深じゃなくて、万緑累累。『万物の形相と色彩に擬態する力』なんだぁ〜」

「何それずるい」

「八十年も魔法少女やってるとぉ〜、魔法だって成長するよぉ〜」

 

 成長しすぎだろ。もうそれ擬態というか変身じゃん、ずるい。赤いのとたゆの運命といい、なんで魔法少女の固有魔法は理不尽な力ばかりなのか。

 

 一つ大きな深呼吸をしてみる。よし、落ち着いた。私には心臓がないから緊張が尾を引かない。

 

 次の瞬間、目と鼻の先に爛々とした緑の瞳があった。空気への擬態を解いて膝立ちになっているらしい。

 

「魔人ちゃんの目はキレイだねぇ〜。お空の色みたいだよぉ〜」

「……赤いのには、抉りたくなるって言われたけど」

「あははぁ、グラちゃんならそう言うだろうねぇ〜。ところで、紙とペンない?」

「えっ? 確か電話のとこにあると思うけど」

 

 グリーンはひょいと身を翻し、なぜかつながる電話の横のメモをちぎって、何かを走り書きする。

 

 それからこっちへ戻ってくると、私は抵抗する間もなく横抱きにされた。

 

「何するのっ」

「ちょっと時間がないみたいでさぁ〜、誘拐させてほしいんだぁ〜」

「ゆ、なっ、ふざけないで!」

 

 もうバレてるなら隠す意味はない。おぞましいねじれ角を生やし、首を振って二の腕を狙う。たゆとのじゃれ合いとは違って刺すつもりの一撃だ。

 

 が、返ってきた感触は肉じゃなくて硬い壁にぶつかったようなそれだった。逆に私の首が痛い。分厚い緑の装束がそのまま鎧みたいになってるのか。

 

 帽子の陰にある素顔の中に、緑の瞳がぼんやりと瞬いている。生き物とは思えない冷たい眼光に思わず身がすくんだ。

 

「先に謝っておくねぇ〜」

 

 震えを抑え、せめて睨みつけているうちに、グリーンは庭へ出る。たゆたちはまだ戻ってこない。

 

「結構辛い目に遭わせるよぉ〜。ごめんねぇ〜」

 

 グリーンがそう言ったとたん浮遊感に包まれ、眼下に小さくなっていく我が家が見えた。魔法少女の膂力で跳躍したみたい。

 

 下手に抵抗して落ちたら死なないにしてもめちゃくちゃ痛い。おとなしくたゆが助けに来てくれるのを待った方がいい。

 

 ふん、辛い目に遭わせるだって? うちのたゆは強いんだ。年増の緑女なんかすぐこてんぱんだからなざまあみろ。

 

 私はひとまず抵抗を諦め、流れに身を任せた。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 丘の上の住宅地から連れて行かれたのは、麓にある廃倉庫群の一画だった。

 

 まばらに資材の放置されたがらんとした空間に着地し、グリーンが私を下ろす。

 

 すぐに距離を取ろうとしたけど、どこからか取り出したマンキャッチャーの横ぶりで体を叩かれる。

 

「え……?」

 

 と思ったら、マンキャッチャーは私をするりと通り抜けた。

 

 何のつもりだと聞くより早く、意味が分かった。マンキャッチャーの穂先を模した、棘だらけの光の輪が、私の両手首に嵌められている。

 

 光の輪はひとりでに動いて、両手首を頭上で固定した。動こうとするたび輪の内側の棘が手首に食い込む。

 

「無理に動くと手が千切れちゃうよぉ〜」

「……何がしたいの、君」

「すぐに分かるさぁ〜」

 

 と言って、グリーンが私のシャツに、たゆが選んでくれた服に手をかけ、左右に引き裂いた。

 

 長い手指が触手みたいに体の上を這い回り、思わず顔をそらす。たゆに触られたらどこだって気持ちいいのに、グリーンの手付きには嫌悪感しか覚えない。

 

「いやっ、やめろぉ……っ!」

「不思議だよねぇ〜。人の気持ちが集まっただけなのに、どうして女の子の形になるのかなぁ〜?」

 

 指はお腹を焦らすように撫で回し、下へ下へと徐々に進んでいく。気持ち悪い、怖い。

 

「だーれも考えようとしないんだぁ〜。魔族は人の思いから生まれるって、小学校で習う。子どもたちはぁ、赤ちゃんの作り方より先にぃ、魔族の生まれ方を知るんだよぉ〜」

 

 下着が下ろされた。足で蹴り上げようとすると光の輪が手首を締め上げて、鋭い痛みに動きが止まってしまう。

 

「なのに考えない。絶対悪のレッテルで事実にフタをしてぇ〜、レッテルが真実だと思いこんじゃう〜」

「ひぁっ、やだ……!」

「やだ? じゃ、考えてみてよぉ〜魔人ちゃん。キサマの心はどこから来たのぉ?」

 

 手指の動きが止まる。まつげの当たるような距離に、恐ろしく冷たい緑の瞳があった。

 

「人類の抑えた怠惰な気持ち。抑圧された心の落屑。そんなものが集まっただけでぇ〜、人格と呼べるかなぁ? 心が、本当に生まれるかなぁ〜?」

「知ら、ないよ……っ。私は怠惰の魔人のサフィ。それだけ覚えてればいいの」

「よくないよお願いだよ考えてみてよぉ〜」

 

 手首が千切れそうなほど痛む。気持ち悪い手指が体中を這って、全身に虫がまとわりついているみたい。

 

 考える? 私の心、人格?

 

 そんなもの考えるまでもなく決まっている。私はサフィ、魔法少女パステルエッジこと由立たゆが世界一大好きな、怠惰の魔人だ。それ以外の何者でもない。

 

 それからどれくらい経ったのか分からないけど、グリーンの指が止まった。力を抜いてうなだれる直前でどうにかこらえた。体重をかけたら手首が冗談抜きで切れそうだ。

 

 汗だくで浅い息をつきながら、目の前の緑色を睨む。

 

 グリーンは首をかしげていた。

 

「この程度じゃ刺激が足りないかなぁ〜? あ、ナイスなタイミングぅ〜」

 

 何を言っているのか、考えているのか分からない。こいつは魔法少女の形をした怪物だ。

 

 でもたゆなら、運命を味方につけたたゆならきっと大丈夫。

 

 そんな思いが通じたのか、グリーンが振り向いた先。倉庫の開け放たれた正面入口に、真っ黒な人影が降り立った。逆光で生じた陰の中、深淵のように黒い虹彩がはっきりと浮かび上がっている。

 

「要求通り一人できました。サフィを返してもらいます」

「いらっしゃぁ〜い」

 

 パステルエッジへ変身済みのたゆだ。

 

 私とばっちり目が合い、大きく見開くや否や、大剣を空間から引きずり出して獣みたいに低く構える。

 

「よくも……よくもサフィをっ!」

「はいはい、動かないでねぇ〜」

「う、ぐううぅぅ!?」

「サフィ!?」

 

 我慢は無理だった。手首を基点に焼きごてを突き入れられるような痛みが全身へ広がり、生理的な呻き声とともに涙がぽろぽろこぼれ落ちる。

 

「パステルちゃんが動くとぉ、この子がもっと苦しんじゃうよぉ〜。武器は実体化したまま下へ置いてぇ〜」

「この卑怯者……っ」

 

 まずい。たゆが歯噛みしながら武器を手放した。

 

 声を出すのも辛いけど、ここは私が根性を出さなきゃ。どんなに苦しくても魔人の私はコアさえ無事なら大丈夫なんだから。

 

「た、たゆ、このくらい私、平気だか……あぅ」

「お口ちゃっく〜」

 

 口が塞がれた。さっき緑のやつが引き裂いた私の服だ。猿轡が頭の後ろで固く結ばれ、まともに声が出ない。

 

 私は拘束され、たゆも私が人質になっているせいで動けなくなった。私の頑丈さはたゆも知ってるけど、私が苦しむのを無視して突っ込んでくる性格じゃない。そんなこと、ずっと空気に擬態して見てたグリーンは百も承知だろう。

 

 圧倒的優位に立ったグリーンが帽子の下に薄笑いを貼り付けて、耳打ちしてきた。

 

「社会勉強だよぉ〜。レトロな闇狩りを見せたげるぅ〜」

「サフィから離れてください、この外道!」

「は〜い」

 

 グリーンはたゆの叫びにしたがって、軽やかに私から離れる。マンキャッチャーをバトンの如くくるくる回しながら、弾む足取りでたゆの方へ近づいていく。

 

 ゆっくりと見せつけるように、マンキャッチャーが振るわれた。光の輪がたゆの腰元に現れ、両手を気をつけの姿勢で固定する。

 

「何のつもりですか……」

「もちろん闇狩りだよぉ。女の子の心から闇を狩り出しちゃぅ〜。さあ、一緒に大きな声で言ってみよう!」

 

『闇堕ちしてごめんなさい。私が間違っていました。もう二度と悪いことしません』

 

 そこだけ間延びせずハキハキと発された文言に、たゆは不敵な笑みを浮かべた。

 

「馬鹿げてますね。それを言ったら元の色に戻るとでも?」

「違うよぉ〜」

「うぐっ!?」

「……!」

 

 たゆが。

 

 たゆが殴られた。グリーンがマンキャッチャーの長い柄を振って、お腹を殴った。

 

「元の色に戻るまで、何億回でも唱えるんだぁ〜。反省の言葉以外、何も喋れなくなるまでねぇ〜」

「げほっ、ふざけないでくださいっ、そんなのただの暴力……うぁっ!?」

「闇狩りだよぉ〜、ちょびーっと古風なやり方だけどねぇ〜」

「く……こんな……他の魔法少女たちが許すわけ……!?」

「反省の言葉が聞こえないぞぅ〜? えいえいっ」

 

 たゆが。レッドグラッジ相手に何度も逃げおおせてきたあのたゆが。すごく強くて頼りになるたゆが、何も抵抗できずに殴られ続けている。反論をすべて封殺され、膝を折ろうにも棘付きの光の輪で無理やり立たされ続け、執拗にお腹を打撃されている。

 

 反抗的な言葉はいつしか荒げた息だけになり、呼吸音に異音が混ざる。吐き出す唾液に血の色が混じり、鎖骨と胸元を赤く染めた。

 

 それでも眼光だけは衰えず、どんよりした黒の瞳が前を見据えている。

 

 グリーンはマンキャッチャーを地面に刺すと、たゆの両頬に手を添えた。

 

「いい目だねぇ、かわいい〜。ぐちゃぐちゃにしちゃいたいなぁ〜」

「やれるものなら……!」

「やらないよぅ〜。昔の闇狩りもね、女の子の尊厳に配慮してたんだぁ〜。傷をつけていいのは目立たないところだけ。人類の賢明なる理性を感じるよねぇ〜」

「おとといきやがれ、です」

「お口悪ぅ〜い。さてさて、ちょっと失礼して」

「サフィに近づかないでっ!」

 

 グリーンはたゆの元から、私の方へ。万歳で拘束されている後ろへ回って、耳元で囁いてくる。

 

「パステルちゃん、痛そうだねぇ〜。血を吐いてるよ? 内臓も痛めちゃってるねぇ〜」

 

 言う通り、たゆはとても苦しそうだ。肩で息をして滝のような汗を流し、気力だけで立っている状態に見える。

 

「まともにやりあえばボクでも面倒なのにぃ〜、もうあんなにボロボロだよぅ? どうしてかなぁ、誰のせいかなぁ?」

 

 誰のせい?

 

 とっても強いたゆが、あんなに痛めつけられているのは。

 

「キサマのせいだよねぇ〜」

 

 そうだ。私が人質になっているから、たゆは反撃できず捕まってしまった。私のせいでたゆを苦しめている。

 

 でも私には何もできない。怠惰の権能は快適な暮らしに特化していて、争いごとに使えるものは一つもない。

 

 だけど、だけどこのままじゃたゆが。

 

「よぅ〜し。じゃあ社会勉強を続けるよぉ〜」

 

 グリーンがスキップでもするみたいに軽い足取りで、たゆの方へ戻っていった。地面に突き立てたマンキャッチャーを道中で回収してる。

 

 グリーンは私とたゆの中間で足を止め、帽子の切り欠けから覗き込んでくる。

 

「魔法少女はねぇ〜、重機並みの膂力と兵器並みの火力があるって言われてるんだぁ〜」

 

 マンキャッチャーがたゆへ突き出され、ばちん、と音を立てて穂先の金具に獲物を捕らえた。たゆの細い首が、棘だらけの金具の内側に収められる。棘はたゆのなめらかな肌に食い込んで、今にも突き破りそう。さっきはすり抜けていたくせに自由自在かよ。

 

 手首だってこんなに痛いのに、首に棘が刺さったら、痛いじゃ済まない。

 

「そんな子たちが闇堕ちで正気を失ってぇ〜、捕まったのに反省の色も見せなかったらぁ〜、社会はたった一言、こう言うんだよぉ〜」

 

『くたばれ』

 

 グリーンの顔が嗜虐的に歪む。マンキャッチャーを乱暴に引いて、たゆの首の肉を致命的に抉ろうとしている。闇狩りが今にも執行されようとしている。

 

 私のせいだ。

 

 私が捕まったからたゆが傷つけられた。反抗も許されず、殺されそうになっている。

 

 だけど仕方ないじゃないか。私は怠惰の魔人だ。何もできないし、したくない。やらなきゃいけないことを全部面倒くさいからと怠け、だらけたい人類の思いの体現。たゆだって、何もしたくない私をそのまま好きになってくれた。だから仕方ない。

 

 頑張りたくない。それが私、魔人ちゃんの生き様だ。魔人ちゃんはがんばらない。

 

 と、前までの私なら考えていただろう。

 

「ふぬ……っ!」

 

 思考が加速する。痛みがすべて意識の彼方へ置き去りにされ、明瞭な万能感が心を満たす。

 

 今の私はただの魔人ちゃんじゃない。がんばらないことが生きがいの怠惰の魔人でもない。たゆに命と大切な名前を貰った、一人だけの特別なサフィ、それが私だ。

 

 好きな女が目の前で殺されそうになってて、それでもがんばらないとほざくのは私じゃない。

 

 怠惰の魔人のサフィはがんばるんだ。いざってときは死ぬ気でがんばる。

 

 そんでまさに今こそいざって感じがする。

 

「うむむーっ!」

 

 全体重を前へ傾けると、手首がぶちぶち音をたてる。次の瞬間には体が自由になっていた。

 

 猿轡もそのままに、むき出しの本能が千切れた手首の断面をグリーンへ向ける。すると、明らかに断面よりも太くたくましい黒い触手が飛び出した。

 

 魔人が魔族の上位個体なら、その気になれば魔物の触手のマネごとだってできる。実際できたんだからできるできる。

 

 加速された世界の中、尖った触手の先端がグリーンに迫っていく。不意打ちだからきっといける。この年増めその顔ふっとばしてやる。

 

 だけど、

 

「そうじゃないよぅ〜」

 

 グリーンのマンキャッチャーがたゆの首をすり抜け、穂先が私に向く。

 

 先端の金具が化け物のアギトみたいに巨大化して、私の触手を両手首の二本ともばちん、と捕らえた。瞬時に金具が収縮し、内側の棘に触手がもぎ取られていく。触手は繊維がほつれるように消滅してしまった。

 

 触手に痛みはなかった。なら問題ない。そのまま両手首を突き出してグリーンに突進する。

 

「頑張ったのはえらいよぅ〜でも違うのぉ〜そうじゃないのぉ〜」

「うぐぅ……!」

「サフィぃっ! やだ、やめてぇっ!」

 

 気づけば、地面に叩きつけられていた。後頭部を掴まれて引きずり倒されたみたい。

 

 視界がチカチカして体が動かない。両手首の激痛がまた主張を強めてる。痛い、つらい、しんどい。

 

「えいえいっ、がんばってぇ〜もう一息」

「サフィ……!」

 

 視界が上下左右に揺れる。背中が何かにぶつかった。何かを蹴りぬいた姿勢のグリーングリームと、涙を流すたゆの姿が見える。蹴飛ばされたみたい。

 

 地面に顔から倒れ込むと、足音が近づいてくる。角を掴まれ、持ち上げられた。たゆに結んでもらったツインテの方を触られなかったのは運が良かった。

 

「がんばれ、がんばれぇ〜。うーん、追い込み方を間違えたかなぁ?」

「やめてっ、何でも言うこと聞くから! やめてください!」

「あー、今日の目当ては闇狩りじゃないんだぁ〜。そのつもりなら、最初から魔人ちゃん使ってパステルちゃんの説得してるしぃ」

 

 ということは、最初から私が狙いだったのか。

 

 私を追い込む。そんなことをして何になる。

 

 もう何も分からない。

 

 ごめん、たゆ。私なりに初めてがんばってみたけど、全然ダメだった。

 

 好きな女の子を泣かせる悪い魔人で、本当にごめんなさい。

 

 たゆの泣き叫ぶ声が聞こえる。

 

「ボスの人でなしぃーっ!」

 

 それとは別の涙声を最後に、私の意識は闇に溶けていった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

『魔人は預かった。▲▲運輸の廃倉庫へ一人で来い』

 

 千回の素振りを終えたたゆと闇狩りトリオは、リビングの食卓に置かれたメモ書きの意味を数瞬理解できなかった。魔人とは誰のことか?

 

 先に動いたのは、平和ボケから素早く復帰したたゆである。

 

「どこの倉庫ですか、これ」

「え? 丘の下の、この町で一番大きな倉庫だけど……たゆちゃん!? どういうこと──」

 

 必要な情報を得るや否やたゆは庭に飛び出し、くしくも下手人と同じように跳躍。上空から丘のふもとを俯瞰し、もっとも大きな建物を確認すると、着地と共にその方向へ再び跳んだ。

 

 浮かれていた、油断していた。現役最強と名高いレッドグラッジの追跡を何度も撒いたことでついた自信。久しぶりのサフィとの落ち着いた生活。闇狩り魔法少女の思いがけない弱さ、親しさ。様々な要素に気を抜いていたことを自覚し、たゆは情けなさに泣き出したくなるのをこらえ、サフィの元へ急いだ。

 

「ナイスなタイミングぅ〜」

 

 指定された倉庫に着くと、思いがけない緑の魔法少女が出迎えた。

 

 グリーングリーム。レッドグラッジと同様殿堂入りかつ現役の最年長魔法少女だ。過激な姿勢のレッドグラッジとは対照的に、穏健で優しい手法の闇狩りをすることで知られる。

 

 しかし穏健なはずのグリーングリームの傍で、サフィは無残な有様だった。

 

 魔法によるものか、光の輪で両手を頭上に拘束されている。シンプルなシャツとフリルスカート、ショーツが乱暴に引き裂かれ、美しい裸体が露わにされている。その表情は苦痛と恥辱に歪み、涙に潤んだ目がたゆを見上げた。

 

「よくも、よくもサフィを……っ!」

「はいはい、動かないでねぇ〜」

 

 間髪入れず武器を引き抜き、跳びかかろうとしたものの、サフィを人質にしたグリーングリーム相手に成すすべはなかった。思うつぼとは分かっていても、サフィを苦しませるから動くなと言われれば従うほかない。

 

 あっさり無力化されたたゆは、闇狩りの暴力を受けた。腹を一発殴打されるたびに鈍痛が背筋を駆け上がり、吐き出す胃液に鉄の味が混ざり出す。

 

 それでもサフィが苦しむよりはずっとよかった。この程度の暴力ならいくらでも耐えてやる、と覚悟を決めた。

 

 しかしグリーングリームの狙いは、最初からたゆではなかったのだ。

 

「サフィぃっ! やだ、やめてぇ!」

 

 暴行を受けるたゆを前に、頑張らない魔人のサフィは頑張ることを選んだ。光の輪に両手首を切断され、その断面から魔族の触手を引っ張り出し、グリーングリームに向けた。

 

 逆襲の触手はたやすくマンキャッチャーに食いちぎられて、サフィは地面に引きずり倒され、執拗に踏みつけられる。挙げ句にはボールのように蹴り飛ばされ、ピクリとも動かなくなった。

 

 たゆの慟哭を受け流し、グリーングリームはサフィへ近づいていく。度重なる殴打を受け、たゆにはもう無茶する体力も残っていない。絶望に呑まれかけたそのとき──

 

「ボスの人でなしぃーっ!」

 

 ぎゃりん、と金属質な音が倉庫に響き、たゆの視界に朱色が舞い込んでくる。

 

「なんでこんなひどいことするの! こんなの闇狩りじゃなくてイジメだよっ!」

 

 魔法少女クロウバーミリオだ。両手の甲に装備した鉤爪をがむしゃらに振り回し、グリーングリームに追随している。グリーンは何も答えずただひらひらと、掴みどころのないステップで爪を躱している。

 

「もう大丈夫」

 

 倒れ込むサフィをそう言って抱き上げたのは、濃紺色の魔法少女、ネイビーバラージュだった。自慢のガトリングガンは背中に担ぎ、サフィを横抱きにしてたゆの方へ駆けてくる。

 

 すると、たゆは拘束が緩むのを感じた。

 

「ぐぬぬ、外れねぇー! ネイ、手貸して!」

「がってん」

 

 腰のあたりに固定された光の輪に、橙色のオレンジシリンジが手をかけている。寄ってきたネイビーが傍らにサフィを安置し、二人がかりで拘束を左右へ引っ張ると音を立てて二つに裂け、やっとたゆは自由になった。

 

 助けてくれた二人にもお腹の痛みにも構わず、たゆはサフィに飛びついた。

 

「サフィ、サフィっ! しっかりしてください!」

 

 サフィはボロボロだった。乱暴に破られた衣服の下に、蹴られた際のアザが浮かび、いたいけな顔は鼻血と涙にまみれている。両手首の断面からは血ではなく魔物のように黒い粒子がはらはらとこぼれている。

 

「大丈夫。魔人なんだろ?」

「魔人はコアが無事なら死なない。きっと元気になる」

「そりゃそうですけど……あっ」

 

 たゆは反射的にサフィを背中に庇い、ネイビーとオレンジに警戒の目を向けた。

 

 サフィは角を出している状態だ。角は魔族の証。その正体が善意で闇堕ち魔法少女を拾った普通の女の子ではなく、たゆと共に行動している魔人なのは二人も分かっているだろう。

 

 ネイビーは無表情のまま、オレンジは苦笑した。

 

「ウソついてたんだよな。ったく、何がどうなっても知りませんよだ」

「サフィは魔人。私たちの敵」

「……っ」

 

 たゆはお腹を抑えて息を呑む。普段なら三人がかりでも軽くあしらえるものの、グリーンに散々痛めつけられた今は分が悪い。ダメージの回復と変身の維持に割くので魔力が逼迫し、大剣の実体化もできない。目の前の二人が敵に回ったら万事休すだ。

 

 しかしネイビーはふいっと目をそらし、

 

「だけど敵だからって、いじめていいわけじゃない」

「そんでサフィは敵かもしんないけど、友達だ」

 

 それぞれの武器を一つの方向へ構えた。狙いは、鉤爪を回避し続けるグリーンだ。

 

 クロウは二人の言葉を引き継ぐように、爪で引っかきながら吠えた。

 

「闇狩りは友達をいじめる人を許さない! たとえボスであってもだよ!」

 

 まっすぐな少女の声に、たゆは胸が熱くなるのを感じた。世の中の魔法少女がみんなレッドグラッジのような過激派ではない。頭では分かっていても、実際体感するのとは違った。サフィと出会う前はたゆ自身も魔族敵視が強かったこともあって、三人組の純粋な思いには少なからぬ衝撃がある。

 

 敵だからっていじめていい訳じゃない。友達をいじめるのはいけないこと。

 

「バラージュ、バラージュ」

「きゃーっ!? ネイちゃん待ってぇ!」

 

 ネイビーが両手首に懸架したガトリングガンを斉射した。機械じみた駆動音と魔法の破裂音が混ざり合い、濃紺色の弾幕がグリーンに向かっていく。クロウごと巻き込んで。

 

「はぁ〜、手詰まりだなぁ」

「ボス!?」

 

 グリーンは素早くマンキャッチャーを閃かせ、柄の先端でクロウの首根っこを引っ掛ける。そのままぶん回して弾幕の範囲外へ放り投げ、胡乱げな瞳でたゆの方を向いた。

 

 何を言うでもなく、意味深に笑うグリーン。それをふっとばす勢いで弾幕が着弾し、濃紺色の爆炎を噴き上げた。

 

「やったか!?」

 

 炎と煙の晴れたそこには、抉れた床と大穴の空いた壁だけが残され、誰の影もなかった。たゆには知る由もないが、空気の形相と色彩に擬態して離脱したのだ。

 

 しばし周囲を警戒していた四人だが、他に気配はない。

 

 脅威が去ったことをじわじわと理解し、

 

「うーん……」

「ぱ、パステルぅー!?」

 

 蓄積したダメージに耐えられず、たゆはサフィと折り重なるように倒れ込んだのだった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 冷房でよく冷えたリビング。おなじみのソファの上で、私とたゆは全力で抱き合っていた。

 

 たゆの太ももにまたがって顔は胸に埋め、両手は脇の下から背中へ回す。両足はたゆのそれとがっちり絡み合って離さない。たゆの体温と柔らかな肌で全身が包まれ、贅沢なおっぱい越しにさえ確かに感じる鼓動とたゆの匂いで多幸感がヤバイ。ムチムチ女子中学生の体は最高、ではなくたゆの体最高。細胞の一片すらたゆと溶け合って一つになりたい。

 

 頭上から、愛しいたゆの熱っぽい声が聞こえる。

 

「サフィ、こんなにくっつかれると……変な気持ちになっちゃいます」

「バカモノ。病み上がりで運動はダメ」

 

 もう完治したとはいえ、念の為だ。えっちの消耗はバカにならない。大人しく私のたゆ浴に付き合っているがいい。

 

「変な気持ちって何?」

「クロウは知らんでいい」

「禁断の愛、不純同性交遊……いいぞもっとやれ」

 

 余計な声も三つ聞こえた。少し腰を浮かしてたゆの肩からソファの向こうを覗くと、食卓でだべる三人の魔法少女が見えた。ぽんこつ闇狩りトリオことクロウバーミリオ、オレンジシリンジ、ネイビーバラージュの三名だ。なぜかネイビーは鼻血を流してサムズアップしながらこっちを見ている。目が血走っててちょっと怖い。

 

 私とたゆが抱き合うのに邪魔なんだけど、無下にはできない。こいつらは私にとって初めての友達な上に、私とたゆの恩人でもあるからだ。

 

 グリーングリームの襲撃から五日後のお昼頃、ベッドの上で目覚めた私を迎えたのは、泣き腫らしたたゆの顔だった。

 

『サフィ! 大丈夫ですかどこか痛いですか無理しないで頑張らなくていいですから!』『たゆっ、君怪我してるだろ何普通に起きてるんだお腹見せろ傷が残ったら大変だぞ寝てなさい養生しなさい!』

 

 と、お互い開口一番に言い合って涙目で顔を見合わせ、無事の確認含め情報共有を済ませた。

 

 あの緑の怪物は、闇狩りトリオの魔法少女たちが乱入して追い払ってくれたらしい。たゆのお腹の外傷は一眠りで完治し、内臓のダメージも魔力をサッと巡らせて数時間で治ったとか。魔法少女すごい。そういえばあのトリオも毎回たんこぶを作るのにいつの間にか治ってたものな。

 

 むしろ深刻だったのは私の方で、両手首が千切れて四日間意識を失っていた。魔人だから病院には連れて行けず、両手首の怪我は不定形の靄が覆っていて手当ての方法も分からない。たゆとトリオは途方に暮れる他なかった。

 

 このまま目覚めないんじゃないか。誰ともなく不安を抱き始めたとき、やっと目が覚めたんだって。心配かけて悪かった。

 

 でもたゆの流した涙の意味は、私への心配だけじゃない。そのくらいは怠惰に思考を止めていても余裕で分かる。

 

 絡めた足を解いてたゆの耳元に口を寄せ、頭をナデナデしてやる。

 

「たゆ、君はがんばった。いつもいつもがんばってる。だから何も悪くない。むしろいっつもありがとーね」

「……っ」

「よしよし」

 

 たゆが大きく身じろぎする。鼻をすすり、震える手で抱き返してきた。

 

 私が守らなきゃいけなかったのにサフィが誘拐された、私って最低だ。アホ真面目なたゆがそう思い込むのは明白だった。私でさえ「頑張ったけどダメだった、ごめんなさい」なんて柄にもなく後ろ向きになったくらいだし。

 

 だけど私たちはなんにも悪くない。言動から動機までみんな意味不明なグリーングリームにすべての非がある。

 

 あいつは何がしたかったのか。たゆを無理やり闇堕ちから救いたいならあのまま私を痛めつければよかった。魔人の私が狙いなら、空気に擬態していた間いくらでもチャンスがあった。なのに結局は「手詰まり」と言い残し姿を消したというのだから、まったく分からない。後期高齢魔法少女だからボケてたのかな?

 

「そこんとこ、闇狩りとしてはどう思う?」

 

 すすり泣くたゆを慰めながら、私はクロウ、オレンジ、ネイビーに水を向けた。

 

 クロウが指を口元に当て、難しい顔をする。

 

「分かんない。ボスはあんなひどい人じゃないのに……」

「あたしらはボスに闇狩りを教わったんだ。説得がダメなら正面からぶつかって気持ちを通わせろって……あんなやり方、らしくないぜ」

「……極めて不可解」

 

 三人とも分からないみたいで、口をへの字にして黙り込んでしまった。

 

 人がよく、純真なこの子達がしらばっくれているとは思えないし、思いたくなかった。もしウソついてるなら私は人間不信になる。

 

 もちろん希望的観測だけじゃなくて、他にも三人を信じる根拠はあった。私がまだ生きているこの状況だ。

 

 たゆの頭に当たらないよう気をつけて、にゅっと角を生やした。おぞましい一対のねじれ角に三人そろって息を呑む。

 

「不可解といえば、君たちこそ。私が魔人なのにどうして何もしないの?」

 

 私は意識を失ったあのとき角を露出していて、三人は助けに入ると同時に私の正体を知った。たゆが無力化されていたあの時点だけでなく、私が眠っていた四日の間に私を傷つけようと思えばタイミングはあったはず。なのに私は生きている。

 

 クロウはむっとして身を乗り出した。

 

「友達にひどいことしないよ!」

「ウソついてたのに?」

 

 すかさずオレンジが割って入り、

 

「必要なウソなら仕方ないだろ」

「必殺機構に通報したら、すっごく褒められるかもよ?」

 

 ネイビーは太眉をぐっと寄せて渋面になる。

 

「簡単に死ねとか殺すとかいう魔法少女がトップ。あの組織は気に食わない」

「そうだよ! たしかにレッドグラッジさんはすごい人だけど、なんかイヤ!」

「それにサフィって、怠惰の魔人なんだろ? 殺意に比べたらただのマスコットじゃん」

「誰がマスコットだコラ」

 

 好き放題言ってくれるな。

 

「魔法少女と魔人の禁断の恋。甚だしく捗る。いいぞもっとやれ」

「君は何を言ってるんだ」

 

 ネイビーは鼻血をだらだら流しながら親指を立てている。オレンジはうわぁとドン引きし、クロウは首をかしげていた。

 

 私が眠っている間に、たゆの口から私との関係を聞いたらしい。だからってネイビーは何が捗るというのか、謎だ。

 

 でも三人の反応は、ちょっと嬉しい誤算だった。魔人バレしたときのたゆの行動や、魔族絶対殺す丸のレッドグラッジで先入観があったけど、魔法少女みんなが魔族必殺の価値観を持ってるわけじゃないんだ。

 

 もちろん闇狩りトリオが飛び抜けて純情な可能性もないでもない。だけどひとまず、友達として信用できる子たちだと思う。

 

 三人は引き続きこの家のことは秘密にすること、それと引き換えにいつでも闇狩りの続きに来ることを約束して、昼過ぎには帰っていった。いつもなら日が暮れるまでたゆに付きまとうのに、「弱ってるときにつけこむのは闇狩りじゃないから!」ということらしい。

 

「ありがとう」

 

 別れ際、しぜんと口をついてそう言った。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 グリーングリームの真意はまったくの不明。突然追撃を止めたレッドグラッジの動向も不明。たゆは今回の件ですっかり落ち込み、慰めるには骨が折れそう。私も生まれて初めてがんばった結果が散々で、実はちょっぴりしょげてる。

 

 だけど世間一般では絶対悪でしかない私とたゆのことを、友達と呼んでくれる人がいる。味方になってくれる人がいる。それが分かっただけでも、手首が千切れるような苦労をしたかいがあったと言えるんじゃないか。

 

 うん、そう思うことにしよう。うじうじ落ち込むのはめんどくさくてしんどいからな。

 

 怠惰な魔人ちゃんはダラダラと、傷ついたたゆを慰めることにする。

 

 頑張りすぎず、のんびりと。


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