平等はよくわからないけど、公正なら……いや、成り立ってるかなんて誰が判断できるんだろう。ただ一つ事実としてあるのは、俺のこの状況は明らかに、一般的に誰しもに訪れるものじゃないということだ。
いわゆる、よう実の誰かの身体にTS共存してしまった件について。
な、なに言ってるかわかんないッピ~と思うだろうが、俺にはわかってしまったのだ。案外と思う暇もなく、そういうものだとすんなり受け入れられた。どういう原理かは知らないが、そういうものだった。もしかして俺、死んだんじゃないの~?
気付いたときにはバスの中にいた。どうやら今世さんが座席で寝てしまい、窓に頭をぶつけた拍子に、ぽろっと俺の意識が落っこちてきたらしい。今世さんいわく、うたた寝をしたのは初めてだそうだが、ちなみに、うたた寝と居眠りの違いは横になっているか否かである。転た寝の漢字を見ればわかりやすい。まったく、共存をきょうそんと読むのだと知らない人が多いように、世の中に誤った認識が広まるのは困ったものだ。モノにはちゃんとした意味と名前があるのだからハッキリさせてほしいし、知る努力もしてほしい。
涎を袖で拭おうとしてしまい、慌ててポケットから白いレースのハンカチーフをとり出す。ポケットどころか常にハンカチがないのが俺のクオリティ。だから袖で拭おうとしたわけだが、今世さんに猛烈に拒否された。女子力が高すぎて信じられない。俺としてはこのレースを涎で汚すことの方が抵抗あるんだがなァ。……エェッ、これ今世さんの手編みなの? ヤバ。エジングとか俺は存じ上げません。知る努力を怠った結果出たなァ。ちなみに採寸してもらってから初めての制服なので、普段着にありがちな糸屑とか、駅前でついもらってしまうティッシュとかもない。ハンカチーフを取り出した今、今世さんのポケットの中はもちろんビスケット一かけらもない。
隣の席にいるのは……佐倉愛里だ。膝上に鞄を抱えてうとうとしている。紺青色のラインの入ったスクールバッグは白を基調としていて、新品特有の輝きを放っている。
白って200色あんねん、を思い出すなァ。……いきなりブッ込まれたネタに夢中な今世さんは放っておこう。
ともかく、鞄は彼女のこれからの学校生活への期待を表しているようだ。縦に抱えているのでちょうど彼女の豊満な胸の置き場になっている。確か、実はアイドルでストーカー被害に遭ったんだっけ。それで助けてくれた主人公に惚れたと。よくある展開だ。茜色の溝掘りフレーム眼鏡は伊達らしいが、意識して見ないとちっともわからない。
アァ、今世さん的には逆ナイロールとか、アンダーリムって言った方がいい? 的確に伝えるためには本当の名前でなくても混乱しない方がいい。“ほう”か“かた”かさえ大切な違いである。……どちらでもいいだなんて、そんなァ。“いい”も“よい”もまた、大切な違いだと俺は思う。閑話休題。レンズに歪みがないとか気付けないよなァ、普通。今世さんによると、アンダーリムなのは多分、顔が短く見える効果を使った印象操作のため、か、もしかしたらアイラインやマスカラが映えるからかもしれない、だそう。前者は俺も思いついたけど、後者はお洒落な今世さんでなければ思いつかなかっただろう。これは、大きなアドバンテージかもしれない。おさげに結ってある長いリビングコーラルの髪には少し寝癖がついてしまっている。眠気を誘うバスの揺れによって彼女の頭がこくりと動く。ふわふわ、というよりピョコピョコと動く頭のてっぺんのアホ毛はいつまでも見ていられる。バスだからもうすぐお別れだけど。
ワ、優先席に近いあそこの席にいるの、主人公の綾小路清隆っぽい! あのココアブラウンの髪、触ってみたい。……エェッ、今世さんもわかってくれるんだ、嬉しい。サラサラしてそうだよなァ。根暗で地味っぽ……い?
あれェ、雰囲気結構違ってないか? ……マ、画面と現実だと差があるか。イケメンには変わりないし、あのぬぼーっとした目がいい味だしてるのもイメージ通りだ。実力を隠しているのはホワイトルームがどう、とか聞いたけど、俺は頭が良いわけではないので実はよくわかっていない。ただ、綾小路清隆には深い闇があることを知っている。アニメの最後のセリフが印象的だった。せっかく好きなアニメを間近で見られるチャンスなんだから、敵対されて退学させられるのは避けたい。そこは今世さんも同じだ。そうなると今はまだ関わらないのが一番だけど、遠くから眺める分には問題ないと信じよう。今世さんは積極的に関わり、助けてあげたいそうだ。退学しないことを優先するなら関わらないのが賢明な判断だろうが……アーハイハイ、今世さんのおっしゃる通りに。どちらにせよ今は動けない。
ウワ、綾小路清隆の横にいるの堀北鈴音っぽいな~~! 横顔だけでも美人とか最強か? ミッドナイトブルーの髪がどぅるんどぅるんしてる。白い紐の髪飾りが遠目からでも結構目立つなァ。その分映えるしよく似合っているのがまた。頭も良いし運動もできる。加えて容姿端麗ときたら、コミュ障になっても仕方がないのかもしれない。妬み凄そうだし、実際凄かったし。普段がクールビューティーな分、兄さんにたじたじなところや主人公にデレたときの破壊力は抜群だった。昔から主人公の最初の女は黒髪ロングなイメージがあるのはツンデレだからかもしれない。尚、黒や白、そして灰色は無彩色だから色ではないのかもしれないことを明記しておく。極限まで薄い灰色が白であったり、極限まで濃い灰色が黒であるように、ここらへんの問題は個人の捉え方にもよるだろう。文字通り、白黒つけられることばかりが人生ではない。
おっと失礼。じろじろ見てしまったからか、視線に気が付いた堀北鈴音に横目で睨まれた。なるべく変な行動は控えよう。目をつけられて良いことは多分ないだろうし、そこは今世さんも一緒だよなァ?
この身体の頭には、今までこの世界で生きてきた今世さんとしての意識と記憶、それから俺の意識と記憶ある。まずは擦り合わせが必要だ。
俺はTS共存する前は普通の男子高校生だった。『ようこそ実力至上主義の教室へ』は友達がしつこく勧めてきたのでアニメだけ見て、見事にハマってしまった。だが、流行病やなんやらでタイミングが悪く、その後のおおまかなストーリーはそいつの話やSNSで流れてきた程度しか知らない。だから、今世さんの名前を聞いてもピンとこないし、今世さんの記憶を覗いても辛かったねェ、としか思えない。正直辛すぎる過去なので直視したくはないが。外出が面倒くさくて、かといってオンラインショッピングするのも何か違う気がした俺は、ついぞ原作を買わなかったのだ。なんてものぐさなんだ。アイツもアイツで、もっと早く布教してくれたら良かったのになァ、とか思ったりするのはさすがに責任転嫁がすごい。ただ、おおまかであっても原作の流れを知っているのだから、それは大きなアドバンテージになるだろう。それを崩したくないし、原作のイベントも見たいので、俺はあまり原作には介入したくない。
少し時間はかかったが、今世さんも俺と同じく、この共存関係をそういうものだと受け入れられたようだ。一方で、方針としては原作の流れを変えたいらしい。なんでも、私は多分Dクラスだから、だとさ。レディファーストというか、この身体は今世さんのものだ。今世さんの意思を尊重するべきだろう。変わったら変わったで面白そうだしなァ。しかし、采配を振る気はないそうだ。触手を伸ばすなら、押しも押されもせぬ実力が必要だと言うのは確かにそうだろう。
俺、今世では行動力を大事にするんだ。
「西砂二丁目__」
決意を新たにしたとき、バスが止まった。なんだなんだと窓の外を見ると、杖をついているおばあちゃんと、いかにもこれから出勤します、というやつれた顔の大人が並んでいるのが見えた。社畜お疲れ様で~エェす。これもしかしてかの有名なバスイベントが始まる流れか? 機内アナウンスとして、動画でよく聞いた女性ボーカロイドの声が響いていることに、俺の地元じゃ運転手さんがアナウンスしてたのに、と軽い衝撃を受けた。今世さんは慣れているらしく、顔には出ていないはずだ。
プシュー、とバスの前扉が開いて続々と人が入ってくる。初めて乗るのか、数人は先払の仕組みに苦戦していた。わかる、俺の地元も横扉から整理券とって後払いするタイプだった。今世さんは車で送迎されていたらしい。ごめん、あえて言わせて。……ウワァ。多数の大人は慣れたようにピッとICカードで済ませている。おばあちゃんは定期券のようで、バスの段差でついた少しの遅れを取り戻している。既に高校の制服を身にまとった若者がたくさんいるので、乗車客は窮屈そうだ。
フム、今世さんの質問に答えるなら、搭乗は飛行機・艦船などに乗り込むことを指すので、この場合乗車と言った方がいい。お嬢様だから搭乗の方が使う機会が多かったにしろ、俺がいるからには言葉は正しく使ってもらいたい。どちらでもいいなんて、そんな。傷つくわァ。
ア、お嬢様だからDJ先生も知らないのか。今世さんに聞いてもあの炭酸飲料があるのかもわからないので、仕方ない。精々、俺の記憶でも覗いてわかるように頑張ってくれ。……待ってくれ。断じて嫌味ではない。精々はできるだけ、という意味だからな。誤用の広まった言葉を正しく使うときの弊害出たなァ。
降車口と前扉の前で溜まってないで、通路の奥まで詰めればいいのに。どうせみんな高等学校前で降りるんだし。
あれェ? このシーンってこんなに人多かったっけ……? よく覚えていないしマ、いいか。
「このバスは東京都高度育成高等学校行き__」
ピンポン、ピンポン、と前扉が締まり、バスはゆっくりと動き出した。おばあちゃんが杖をついたままで、手すりに掴まっていないのが少し気にかかった。だが、まだ安定して立てているし、これもイベントの一環だ。俺としては座って高みの見物をしていたい気持ちもあるし今世さんもまだ大丈夫そうだと判断してくれた。なんなら、少しハゲかかったサラリーマンさんが、使い込んで光沢が出てきている革鞄を両手で大事そうに抱えていることの方が目立つ。
バスはしばらく安定した走行を見せていたが、カーブに差し掛かったときに恐れていた事態は起こった。さっき見たときと、おばあちゃんの印象が全然違う。しっかりバランスをとれていないというか、ハッキリ言うと、ヨタヨタしていて心配だ。今世さんは俺と同じく心配していても、声をかける勇気が出ないらしい。文字通り、代わって俺が譲ろうかとも思ったが、老人扱いされて怒る人もいるし、ここから高校までずっと立ちっぱはなァ。エェッ、降りるの次のバス停留所なの? しきりに腰を擦っているし、本当に辛そうで見ていられない。逡巡の末、俺が重い腰を上げかけたときだった。
「席を譲ってあげようって思わないの?」
突然、キャリアを積み上げていそうな風格のOLさんの声が車内に響く。
あれェ? アニメでは櫛田桔梗が声をかけていたような……?
俺は絶妙な姿勢で固まったまま彼女を見る。そんなことより声のかけ方下手~~! 初期の堀北鈴音並みのコミュ力だ。眉間にシワを寄せていても結構な美人さんなので、余計に迫力が出て圧迫面接並みの威圧感になっている。正直ビビる。仕事でストレスが溜まっているのかもしれない。
「そこの君、お婆さんが困ってるのが見えないの?」
車内の視線が集中しているのに、大した度胸でやんすねェ!? キツい物言いとその剣幕にドキドキした俺は、ここどうぞ、と言いかけていた口を、上げかけていた手で抑えた。今世さんも怯えてしまって出てこない。
「実にクレイジーな質問だね、レディー」
高円寺六助だ~~ッ! 藪からスティックな口調とナルシストな部分を除けばアイツもアイツでめっちゃイケメンすぎる。ガタイが良くて頭も多分べらぼうに良い。加えて金持ちときた。自分で羅列しといて完璧すぎてびびる。絶対モテるし人生楽しそうだし。よく考えたら、櫛田桔梗はまだ見つけられていないから、これは一度様子を伺うべきではなかろうか。
「何故この私が、老婆に席を譲らなければならないんだい? どこにも理由はないが」
御曹司節が炸裂してんなぁ。ヨッ、色男! ニヤリと笑って足を組み直すところが様になっているのも彼ならではだろう。言い合いが本格化してきて、いよいよ俺が出る幕も隙もない。エェッ、今世さん知り合いなの? 詳しく聞かせてほしい。いちいち記憶覗くの面倒だし。
「君が座っている席は優先席よ。お年寄りに譲るのは当然でしょう?」
正義感はご立派だし、おばあちゃんを思う気持ちも本物だろう。だが、伝え方に問題がある。始めからそうだ。高圧的に声をかけられると不快な気持ちになる人の方が多く、もう少し柔らかく伝えないとかえって意固地にさせかねない。マ、今回高円寺六助はそもそも譲る気がないと思うが。優しく声をかけるとわざと座っているような輩を助長させかねないとしても、本当に気が付いていなかったり具合が悪い人もいる。加えるならば、俺のような小心者がこの言い合いに口を挟む余地もなくなってしまう。
「理解できないねぇ。優先席は優先席であって、法的な義務はどこにも存在しない。この場を動くかどうか、それは今現在この席を有している私が判断することなのだよ。若者だから席を譲る? ははは、実にナンセンスな考え方だ」
ナンセンスきたッ! 優先席が前すぎて、前の人が頭をあげていると見えなくなっちゃうけど、こうして脳内一人実況をしていると結構楽しい。ショーを見ているみたいだ。陽キャに急に振られた会話のノリに陰キャがついていけなかったときのように、完璧に席を譲るタイミングを失った俺は現実逃避に走るしかない。
「私は健全な若者だ。確かに、立つことに然程の不自由も感じない。しかし、座っている時よりも体力を消耗することは明らかだ。意味もなく無益なことをするつもりにはなれないねぇ。それとも、チップを弾んでくれるとでも言うのかな?」
いや、不自由感じないんかーい! 体が力ついたり、常識的な紳士だって周りに思わせられるのが利益じゃないか? マ、もう無理だろうけど。アスペか? とか言ったら叩かれるんだろうなァ、今の時代。純粋な善意は存在しないし、対価は当然、的な考え方が流行っているし。俺の妹も、『ネズミーねじねじ不思議世界』というスマホゲームをやっていた。推しの好きな食べ物がタコ焼きだからって、誕生日プレゼントが銀だこ一箱でいいのかネェ。安上がりで助かるが、俺にはよくわからない感覚だ。ちなみに、今世さんは一人っ子なので俺が少し羨ましいらしい。さらに、なんと箱入り娘だったようで、スマホゲームやSNS、さらにはテレビなんかも御学友の交際相手伝手や、教科書でしか知らないらしい。時代錯誤も甚だしい。今までどうやって生きてきたのか聞くと、趣味は刺繍だったというなんとも微妙な返答が返ってきた。ドラマに出てくる顔がいい俳優の話なんかはもちろんせず、傘は家政婦さんが用意してくれていたらしい。流石に箸より重いものは持てないとかは言わないんだなァ。安心したわ。
「そ、それが目上の人に対する態度!?」
会話がヒートアイランド現象してるゥ~!! やっぱり席を譲った方が良さそうだけど、優先席が遠いし、ここまで来るのにおばあちゃんを疲れさせてしまっても本末転倒だ。
「目上? 君や老婆が私よりも長い人生を送っていることは一目瞭然だ。疑問の余地も無い。だが、目上とは立場が上の人間を指して言うのだよ。それに君にも問題がある。歳の差があるとしても、生意気極まりない実にふてぶてしい態度ではないか」
絶妙なドーナツ化現象~~! 周りの人たちは関り合いたくなさそうに距離を置いているが、既にぎゅうぎゅうなので僅かに隙間ができる程度の効果だ。それでもおばあちゃんは少し楽になったもようなので、OLさんは元からこれが狙いだったのかもしれない。それに、あの大きな声での会話から、居心地の悪そうな咳払い、身動ぎによるジャンパーやナイロン生地の摩れる音、ざわめきやらなんやらで、俺こと、このお嬢様の身体で今声を上げてもあのOLさんには聞こえないかもしれない。
「なっ……! あなたは高校生でしょう!? 大人の言うことを素直に聞きなさい!」
OLさんの心がスプロール現象。ペースは完全に高円寺六助がもってるな。OLさん、ムキになちゃっててかわい~~♡♡♡ なんならもうペロペロキャンディーを舐めたい。エェッ、ペロペロキャンディーも食べたことないのか今世さん。安心して、俺もない。大人の言うことは素直に聞けって、素直に聞かないでいいのは子供の言うことってことになるよな。命題が真なら対偶も真だから。
「も、もういいですから……」
当のおばあちゃんはこれ以上騒ぎを大きくされたくないようで、手ぶりでOLさんをなだめる。だが、彼女は高円寺六助に夢中になっていて耳を傾けることない。元はおばあちゃんを座らせたいだけだったのに、いつの間にか高円寺六助√攻略しようとしてて草生える。高円寺に虫食いにされた心の葉は俺の草で代用してもろて。しょっぱなからあの高圧的な態度は自分からフラグバキバキにしてるでしょ。あれが許されるのはおもしれー女だけだから。乙したー。
「どうやら君よりも老婆の方が物分りがいいようだ。いやはや、まだまだ日本社会も捨てたものじゃないね。残りの余生を存分に謳歌したまえ」
高円寺六助は、キラッと爽やかなスマイルをキめると、イヤホンを耳につけ爆音ダダ漏れで音楽を聞き始めた。いやうるせ~~。なんの曲だろ。結構アップ・テンポだからイメージと違うけどロックとかポップスかな。バスドラムの重低音がいい感じに車内に響く。世界一華やかで優雅な私にはオペラこそがふさわしい、とか言いそうだけどなァ。
「すみません…」
OLさんは涙を堪えながらおばあちゃんに小さな声で謝罪する。これでバスイベントは終わったようだ。……あれェ? 櫛田桔梗いないの? なら私が席譲った方がいいかな、でも人ぎゅうぎゅうだしなァ。そんなことを悶々と考え合いながら、この鬱々とした空気を入れ替えるために先んじて換気をしていると、待ち望んでいた可憐な声が聞こえた。
「あの……私も、お姉さんの言う通りだと思うな」
大天使櫛田エルキター!!! いや焦った~~! あと一秒遅かったらアニメ版と全っ然ちげェじゃん! 聞いてた話と違うんですけど~~??
ってキレ散らかそうと思ってたわ。てか、リアルにめちゃくちゃ可愛い。おず……と彼女が手を挙げるのに合わせて丁子色の髪がさらっと動いた。あの白いカチューシャっぽいのどうなってるんだろう。ホワイトブリムではないよな。もしかしてヘアバンドなのかな?
「今度はプリティーガールか。どうやら今日の私は思いのほか女性運があるらしい」
いやホントにな~~?? お前いっつも女性侍らせてるイメージだわ。うらやましいがすぎるんだが???? はァ~~!? 代われよマジで。
「お婆さん、さっきからずっと辛そうにしているみたいなの。席を譲ってあげてもらえないかな? その、余計なお世話かもしれないけれど、社会貢献にもなると思うの」
換気をしたせいで隣の席の佐倉愛里を起こしてしまったようだ。入り込んでくる外気の風圧が強すぎたかもしれない。今世さんの髪の毛はそんなに長くないが全部横に流れている。佐倉愛里も寝癖とは別に、風で髪が少し乱れてしまっている。縛ってあってもピョコピョコ寝癖のついたおさげが可愛らしいが何より肌寒い。そんなに目で訴えられなくてもすぐ閉めるって。今世さんにもしこたま怒られたし。
パチン、と指を鳴らす音がバスの中に綺麗に響く。俺は指パッチンできないから正直憧れる。今世さんもそうらしい。
「社会貢献か。なるほど、中々面白い意見だ。確かにお年寄りに席を譲ることは、社会貢献の一環かもしれない。しかし実に残念だが私は社会貢献に興味がないんだ。私はただ私が満足できればならばそれでいいと思っている。それともう一つ。このように混雑した車内で、優先席に座っている私をやり玉に挙げているが、他にも我関せずと居座り黙り込んでいる者たちは放っておいていいのかい? お年寄りを大切に思う心があるのなら、そこには優先席、優先席でないなど、些細な問題でしかないと思うのだがね」
……いや、空気わる~~!!! さっきした換気の意味ね~~!!! ほら、さすがの櫛田桔梗も困ってんじゃん! おもいやりとか曖昧すぎる道徳の問題にするなよ! 俺そんな授業受けてる世代じゃないし! アッ今世さんもそう? この世界の一般常識と合っているかわからないのがボトルネック。
一呼吸おいて櫛田桔梗はすぅ、と息を吸った。
「皆さん。少しだけ私の話を聞いてください。どなたかこのお婆さんに席を譲ってあげて貰えないでしょうか? 誰でもいいんです、お願いし」
「良ければここどうぞ!!!」
二つの人生合わせても多分一番早く挙手したと思うけど櫛田桔梗の言葉遮っちゃって申し訳ねェ~~!! この最悪な空気と櫛田桔梗にそこまで言われて黙ってるほど俺は男廃れてねェ。アッ今ジェンダー問題ですごく叩かれそうな発言したかも。性根腐ってないって思ったことにしとこ。元々譲るか迷っていた今世さんもいることだし。
「優しい子だねえ。本当にありがとう」
紆余曲折を経ておばあちゃんは今世さんが居眠りしていた席に座った。聞くところによると、おばあちゃんの行き先は、俺たち新入生の行き先の次のバス停留所よりだいぶ遠かった。譲って正解だったな。そのままだと倒れていた可能性もある。ただ、俺の席は窓側で、俺が席を譲るには佐倉愛里も無関係ではいられなかったのが問題だった。杖を使った歩行の関係で、佐倉愛里が一度退かないことにはおばあちゃんは俺の席に座れなかった。それで、佐倉愛里に協力を強要し、俺がおばあちゃんに席を譲るというしち面倒なことをするはめになったのだ。優先席付近から移動するときも降車口の前を通らせざるを得なかったので、おばあちゃんにも乗車客にも大きな負担をかけることになってしまった。もしかして俺はある意味一番余計なことをしたのではないか。
今世さんの身体は思った以上に虚弱のようだ。脚が疲れてきたので周囲を見渡してみるも、高円寺六助の大きな体と鞄が占領する優先席以上に空きがある座席はなかった。彼にこちらが見えていないはずがないのだが、知り合いの今世さんも助ける気はないらしい。妙な視線をよこされただけだ。俺は力なくオレンジ色の棒を握った。
遂に待ち望んでいた停留所が見えた。それと同時か、少し早いくらいに日差しが強くなった。高速道路の遮音壁がなくなると、こういう問題も出てくるのが辛い。今世さんいわく、日焼け止めは小まめに塗り直しているからあと一時間は大丈夫、だそうだ。ならいいかァ。今世さんの身体だし。
ピンポーンと降車ランプが赤く光る。停まるってわかっててもやっぱり押したいよな。チラ、と横を見るとボタンを押した体勢のままの櫛田桔梗と目が合った。彼女はパチリと長い睫毛と大きなマゼンタの目を瞬かせたあと、ニコッと微笑んだ。なに?? かわいいよ? 俺を惚れさせる気? もう成り代わり前から顔がよ杉田玄白だと思ってるが??
プシュー、と扉が完全に開いたら移動開始だ。身勝手ながらするする人混みを避けながら華麗に降りていく高円寺六助のサラサラブロンドを見ながら列に並ぶ。俺の方が彼より降車口に近かったのになァ。文句を垂れると、今世さんに窘められた。運転手さんに騒動の挨拶をしにいきたかったが、素早く横扉から降りる。早くしないと俺と同じここの新入生が詰まってしまうからだ。同上の理由で、残念ながら櫛田桔梗は待っていられなかった。グッバイ櫛田桔梗。今世さんの推測が正しければ教室で会うだろう。
伏線回収できるかな。