ようこそTS共存者のいる教室へ   作:河原鶸

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フデ、オモイ……カイシャク、チガイ……オデ、オマエ、クウ。


第二話:入学時クラス

 アイドリングの後ドアが閉まり、何度か聞いた特有のメロディが流れる。走り去るバスを背景に彼女は現れた。

 

「ねぇねぇ! 良ければ撮ろうかっ?」

 

 

 

 

 再会は案外早かった。というのも、櫛田桔梗は入学式の立て看板の前で自撮りに苦戦している俺に気がついたらしく、声をかけてきたからだ。

 

 遡ること二分前、綾小路清隆と堀北鈴音は階段で会話をしていた。彼らと入れ代わるようにして現れたのが彼女だったのだ。

 さっき、彼らがため息をつきながら俺の右を素通りしていったのに対し、今、櫛田桔梗はわざわざ声をかけてくれた。綾小路清隆や堀北鈴音の目には俺が写っていなかったのではないかと思うことなかれ。綾小路清隆は鬱陶しいほどこちらをチラチラ見ていたし、堀北鈴音は一瞥をくれた。

 だが、どちらも声をかけては来なかった。会話が弾んでいる女子三人組が、二人の視界を遮ったのもあるだろう。彼女たちは大きな声で笑っていた。うち一人はとてつもない引き笑いで、それがまた彼女たちを笑わせているようだった。盗み聞きしたつもりはないが、正直、聞こえてしまったこっちが面白くなるほどだ。それに、自撮りをしているところに話しかけるほどバスでの視線は気にならなかったのだろう。二人の会話を聞けただけでも儲けもの。

 だからこそ、左から聞こえた可憐な声の、その親切さには、気付かなかったフリをするどころか、頼まないという選択肢もなかった。

 

 今世さんと少し問答があった末、写真の瞬間だけ俺が出ることになり、その他の会話や対応は全部今世さんがやることになった。

 

 それを決める間、櫛田桔梗は笑顔で待っていてくれた。結構無言の時間が続いていた気がしたのに笑顔なのは、彼女が優しいからなのか、俺が思っていたほど問答に時間がかかっていなかったからなのか。

 二人での会話――会話が適切な表現かはわからないが――はお互いの思考を読み取るようなカタチなので、高速化されていても違和感はない。思考を読み取るようなカタチ、だと考えたのは俺の感覚的な話なので適切な表現かわからないが。それを言うなら、そもそもこんなことになった前例を俺は知らない。

 

 元々今世さんの身体なんだから、この高校生活は今世さんの為にあるべきだ。俺としても乗っ取ってまでもう一度やり直したい高校生活なんか送っていなかった。なんていうのは事実だが建前で、ただ面倒事を押し付けただけだ。

 

「ハイ、チーズっ!」

 

 パシャっとシャッター音がなる。この端末とはもうお別れになるかもしれない。データは保証されているので、卒業後にでもじっくり見よう。そこに俺がいる保証はないが。

 今日持ち込んだものは入学式の間に検査が行われるらしい。持ち込めないものは学校が預かって、学校を去る日までは保管することを保証してくれる、といつぞやか今世さんがファイルの中にあるハンドアウトを指して教えてくれた。持ち込み可能なものに入ると思っていたそうだが、俺の説明から、スマートフォンは持ち込めないかもしれないと思ったらしい。学校に関する発信や学区外の人間との接触が禁止されているだけだから、受信くらいは許してくれそうだが……確かに番号が変わっていないのだから、没収されるかもしれない。ここまで厳しいとは思っていないのも当たり前なので今世さんに落ち度は全くないのだが。国営なのにこんな教育をしている方がむしろどうかしている。落ち込んでいる今世さんを慰めながら思考に耽った。

 ……むしろ没収してほしい、なんて、おもしれー女ぶって何がしたいのか。聞いたところによると、校則を破ったことが発覚次第処分が下される、そうわかっていて連絡をとりたい相手なんかいないらしい。電話帳やアプリを見る限り、とれる候補が少ないのもなんだか可哀想だ。

 三年間の始まりを学校指定鞄一つで迎えたい人は少なく、学校側も配慮してくれるらしい。事前持込申請用紙なるものが入学関係の書類に紛れていたそうだ。事前に荷物を送ってもらうことで、登校の混雑や送迎を避けている面もあるのかもなァ。持ち込み可能なものはリスト化されていて、検査で弾かれたものは送り返されるらしい。何が送り返されるか気になる程度には寛容なリストだと今世さんはいうが、案外送れるものの方が少なそうだ。貴重品、食品、精密機器なんかは言わずもがな、衣服や勉強道具でさえも数が決まっているのが記憶のリストから読みとれる。

 今世さんも御多分に洩れず、当面の生活用品は先に送ってもらってあり、既に寮に届いているそうだ。

 

 写真を撮ってもらった後、今世さんと櫛田桔梗は軽く自己紹介をした。そして、天然石を連結加工した作りの門を手を繋いでくぐることにしたらしい。せーのっで一歩を踏み出した後、二人はどちらともなく笑いだした。

 そういえば、さっき自撮りに苦戦しているときに今世さんのざっとした過去について聞いたところ、なかなかハードな人生だった。さっき今世さんに連絡手段を断ってまでこの学校にずっといたい、と言わしめたのも、複雑な家庭環境のなせる技かもしれない。

 ちなみに、プライバシーは守られるべきだということで、お互いの記憶をこれ以降は許可なく覗かないことも取り決めた。今世さんは家庭環境から開放される喜び、櫛田桔梗は自分を知る者のいない新天地への期待から笑ったのではないかと勝手に推測してみる。案外、この学校は助けを求める者の駆け込み寺だったりしてな。

 

 せっかくだから、と会話をしながら学校へ向かうことにしたらしい。しばらく会話していると、急に櫛田桔梗が「そうだっ」と立ち止まった。どうかしたかと今世さんが声をかけると、手をとられた。多分、身体は同じなので感覚も共有なのだろう。どういう理屈かは知らないが、この調子でいくと意識のONOFFができないかもしれない。お風呂とかトイレとか――エッ? 今世さん幽体離脱できたの?

 

 ……ホントだ。チョット残念。離脱してるからこの声は誰にも聞こえないのが救いだ。離脱した体は見る限り白いもやだ。ぐーぱー手を握ってみても、もやに変化はなく、手足や触覚はなさそうだ。目も見えるし耳も聞こえるのに不思議だ。浮遊しているし移動もできるのに。口もないみたいだ。大声を出したつもりだったが、今世さん含め誰も反応しない。声を出したつもりにはなれるのに、なんでだろうなァ。

 

「改めて、さっきはありがとう!」

 

 すべすべかつ柔らかい両手で今世さんの右手を包み込むように握り、しっかり上目遣いをしていらっしゃる。ニコッと純粋そのもの、な表情をされると今世さんのようには直視しずらいというか……演技だとわかっているからこそ微妙な気持ちだ。いるよな~、学校に一人は。サークルクラッシャー、いわゆるサークラ。男を落とすのがゲームだと思ってる女。俺は高校生だったからサークル崩壊の経緯は大学の先輩からの又聞きだが、高校でも似たようなのはいた。

 騙されていた友達が何人もいた。可愛いんだよちきしょう、と彼らは決まっていて言っていた。騙されるためにやってるまであったなァあれは。櫛田桔梗の場合は同性にも好意的に接するし、誰かと付き合うこともないだろうからまだマシなのかもしれないが、逆にタチ悪いっちゃ悪い説ある。ちなみに胸が両腕で強調されていて視線誘導も完璧だ。

 男子限定だと思ってたけど、女子にもやるんだな。今世さんはどんな反応をしているか、ふと気になった。

 

 今世さんは釣られてそのデカさに一瞬固まった後、さりげなく自分の胸をチラ見して比べている。

 

「席に座ってから、おばあさんとっても顔色が良くなってたのっ」

「ッ」

「だからね、私――」

 

 ……なんか顔面蒼白になってるなァ。そんなにショック受けることある?

 幽体離脱していて声が伝わってないからって、俺がいるの忘れてないか今世さん。なんか寂しいしそろそろ戻ろうかなァ。ちなみに離脱範囲の制限は無さそうだった。ウ~ン、櫛田桔梗はこの笑顔でも心の中では罵詈雑言が飛び交ってるんやろな。プロ意識だ。

 

「――さんのこと、尊敬しちゃった!」

「ま、まぁ……!」

 

 櫛田桔梗のお礼に今世さんは口元を隠してお上品に驚いた後、幽体離脱も試していて正直よく覚えていないから、と俺に意見を求めてきた。俺が勝手に動いていたし、何か考えこんでいたからそれもそうだよなァ。幽体離脱を試していてたのはさっき初めて知ったが。

 適当に話を反らして誤魔化せばいいんじゃないか、と伝える。ついでにさっきの行動について指摘すると、恥ずかしくなったらしい。耳が少し熱い。今世さんの言葉を待っている櫛田桔梗の可愛らしい笑顔から目をそらして俯く。櫛田桔梗からは照れたように見えたかもしれない。落ちた視線の先には整備されたコンクリート。平らで色落ちもない。その分、人の交通量も多くないんだろう。橋からこの島に入った後、バスは少し道路を走って初めにここに停留した。

 また、俺たちが降りた後も車内にはたくさんの大人たちが残っていた。車内アナウンスは覚えていないが、ここで働く人は街中で降りるのではなかろうか。

 それはそうと、今世さんには悪いが、視界を遮るものがないのが逆に強く印象に残った。

 

「えぇと、今更蒸し返さなくてもよいのではありませんこと?」

「えっ? ごめん、何かなっ?」

 

 そのままの目線で、あまりバスの件については触れたくないと俺のアドバイス通り素直に言外に告げた今世さん。指先を突き合わせていじらしい。だが、か細い反撃は届かず櫛田桔梗は陰キャのトラウマを繰り出した。顔をあげると、耳に手をあてて聞いてくれる姿勢をとっていてくれたのが予想外未経験の優しさ。これが反映されるのは女子限定なのかな。かわいいやーん?

 

「ま、ぅ……お気持ちはとても嬉しいのですが、当たり前のことをしただけですし、櫛田さんがお礼を言うことでもないと思いますわ」

「そうかな――」

「それに! なにより、櫛田さんの方が尊敬されるべきですわ! 私こそ櫛田さんを尊敬しましたわ! あそこで諦めずに呼びかけていたんですもの。誰にでもできることではありません」

 

 照れてる今世さんかーわーいーいー。追撃で褒めておくのも忘れちゃいけないって伝えたら、今世さんはすぐに行動に移してくれた。

 ナイスゥ! これが好きなんだろオラッ!

 この手のスペシャリストに嘘は通じないだろうが、実際に今世さんは思っているのでモーマンタイ。なんなら原作知識を伝えるのも控えた方がいい時もありそうだなァ。二つの人格で一つの器、という特殊な事情をうまく活かす方法をさっさと考えないと。

 

「そんなことないよ~」

「いえ、降りる前に車掌さんに騒動の謝罪をしに行っていましたし、マダムにも――」

 

 監視カメラやっぱり多いなァ。いや、監視って言うとちょっと怖いから防犯カメラって思っておこう。写ってるとこにいればCクラスにも殴られないらしいし位置もなるべく把握しておきたい。

 

「なんか照れるなぁ……ありがとうっ!」

「いえ、お礼を言われるほどのことはしておりませんわ」

「そんなことないと思うけどなっ。それにしても――」

 

 幽体離脱をして学校見学をしていたら、いつの間にか今世さんは女子特有の褒めあい合戦をしていた。

 

「――さんって、よく見てるねっ」

「そ、それよりお写真ありがとうございますわ! また夢の高校生活への一歩が踏み出せたって感じがしますもの!」

「全然大丈夫だよ。夢の高校生活?」

「ッ! ご、語感がいいでしょう?」

 

 ワァ、今世さんってもしかしてポンでいらっしゃる?

 急いで誤魔化そうとしているのも、いかにも高校デビューをした人、な雰囲気を醸し出すのに一役買っている。表情筋がバグったぎこちない笑顔に、絞り出したような震えた声。ぽたり、と垂れた汗は冷や汗だろうか。触れられたくない過去を匂わせてしまっているし、これはもう取り繕えなさそうだ。

 ――いいや、逆に考えるんだ。人の弱みを握りたい櫛田桔梗にはピッタリな餌だろう。ナイスうっかりだ、今世さん。こうやって弱みを握らせることで櫛田桔梗にいい気分になってもらうのも一つの手なのかもしれない。

 

「そうだね! あ! あそこにクラスが貼り出されているみたいだよっ」

 

 一瞬空気が固まったが、自然に助け船を出して櫛田桔梗は話題を変えてくれた。なるほど、こうやって信頼させていくのか。そりゃみんな落ちるわなァ。理屈ではそうした方が得だとわかっていても、感情を完璧に抑え込んで自然に人と仲良くできる人間は少ない。

 

 二人して櫛田桔梗が指した方向にすたこら駆けていく。俺からすれば気まずい空気をそこに置き去りにしたい、とでも言わんばかりの不審な駆け出しかただった。

 十三秒後、そこまで走っていないのに今世さんが息切れをして櫛田桔梗に心配をかけた。疲れやすいのは女の子だからかなァと思っていたが、そんなことはなかった。櫛田の反応を見るかぎり、今世さんが特別体が弱いだけみたいだ。

 

 失礼ですわね。これでもさっきから――そう、ちょうどあなたが来てからは調子がいい方ですわ。

 俺が来てから? 調子が良くてこれなら異常とまで言っていいのではなかろうか。

 異常は言い過ぎではなくて? いつもなら走ることなんてはしたないことしませんもの。櫛田さんとあなたのおかげですわ。

 おかげはイヤミだろ……。

 そ、そういう意味ではございませんわ。

 いや、待てよ。――それって、もしかして。

 

 ふと思い付いたので試しに幽体離脱すると、怠さは消えた。その代わりに今世さんの顔色が更に悪く、息が荒くなったように感じる。彼女の病的な白さの細い頬の顎を伝って、日焼け止めで白っぽくなった汗がぽたりと垂れた。櫛田桔梗が心配そうに、淡い桃色の生地のやわらかそうなハンカチを取り出す。

 

「良ければこれ使って?」

「……あ、……りが……とう、ございますわ~! でも、もう、大丈夫みたいですわ!」

 

 語尾だけ元気な人みたいになってしまった今世さん。これも俺のおかげかにゃー?

 櫛田桔梗が一瞬怪訝な顔をして、すぐに心底安心した顔をつくるのが見えた。急に顔の赤みがひき、ゼェゼェハァハァしなくなった今世さんに対してツッコまないのは優しさなのか、ただ混乱したのか。彼女は差し出していたハンカチをブレザーのポケットにしまってこう言った。

 

「そっか、良かった!」

 

 

 

 東京都高度育成高等学校のクラス表は、校門から少し離れた三箇所に貼り出されている。

 どうしてこんなに歩く距離を設ける必要があったのかしら、とだいたいの場所へは車で送迎されていた今世さんが不思議がるくらいには確かに離れていた。今世さんでこれなら、坂柳有栖も移動でへとへとになってしまうかもしれない。彼女のそんな姿はあまり想像できないが。

 B5のサイズの紙が四枚連なって一つのクラス表になっているものが、昇降口の透明な引戸に二つ、等間隔で貼ってある。それぞれに二三人くらいの人だかりが出来ていて、キャーわー騒ぎながら仲良くクラス表を見ている女子グループと、静かに見ている人たちで二極化している。

 開け放たれたドアとは別に、自動ドアが左側に一つあり、自分のクラスを確認したのであろう数人が誘導に従ってそこから入っていくのが見えた。どうやら1年生の下駄箱はまだ決まっていないらしい。みんな持参した袋に靴を入れて、指定の上履きを履いている。

 今世さんはどうやら目がとんでもなく良いらしい。

 一つだけ大きなクラス表が校門に一番近いホワイトボードに貼ってあり、櫛田桔梗と今世さんはちょうど誰もいないので、これを独占することに決めたようだ。

 

「ど、ドキドキしますわ〜ッ!!」

「あははっ、私もっ」

「えぇと……自分の名前を探せば良いのですわね?」

「そうそうっ! 上にクラスがあって、下にみんなの名前が載ってるでしょ?」

 

 初めての作業に戸惑う今世さんに、櫛田桔梗が懇切丁寧に説明してくれた。ホントにお嬢様なんだね〜、と軽く流してくれる彼女はもしかしたら聖女の生まれ変わりかもしれない。転生なんて前世では信じていなかったが、今俺がいることが何よりそれを証明している。俺でさえ本性を信じられないくらいなのだ。何も知らない今世さんの櫛田桔梗への好感度はうなぎのぼりだろう。

 

「あっ」

 

 自分の名前を見つけて喜びの声を抑えられなかった今世さんは、手をワキワキさせてから慌てて口を塞いだ。なにその手の動き。

 推測通り今世さんはDクラスか~~。それもそうだよなァ。体が異常に弱いのが気になって許可を得て今世さんの過去を流し見した感じでは、中学校では見学や早退ばかりだったし。多分他にも要因はあるんだろうが、詳しく覗いていなかったからなァ。また許可を貰うか、今世さんから話してくれるのを待とう。

 あら、今からでも良いですわよ。櫛田さんもまだのようですし。

 ちらり、と彼女を横目で見やると、確かにまだ探していた。少し待ってみるか、それとも手伝うか。どうするかは今世さん次第だ。

 

 今世さんの熱烈な希望により過去を少し聞くことになった。なんでも、櫛田さんにもこの感動を味わって欲しいから、だそうだ。櫛田桔梗は今世さんと違ってクラス替えもあっただろうしそこまで感動しないと思うが。聞けるときに聞いておきたいし、共有しておきたい情報もあったので俺もそれに賛同した。

 

 俺の体はないが、体感時間でかなり今世さんと話し合っているというのに櫛田桔梗から声がかけられてこないので不安になる。今世さんも、ちょうどこの区切りが良いところで話を打ち切り、声をかけることに決めたようだ。

 

「私はDクラスみたいですわ。櫛田さんはどうでしたか?」

「ごめんっ! まだ見つけられてない~。急いで探すねっ! えっと、えぇと、……くぅ、く……櫛田、櫛田……」

 

 もしかしたら、今世さんの名前を探してくれていたのかもしれない。今世さんもその可能性に思い当たったのか急いで言った。

 

「よろしければ手伝いますわ」

「ほんとっ? ありがとう! 助かるよ~」

 

 何か妙だと俺は思い、今世さんに櫛田桔梗の目線を辿るように頼んだ。今世さんも、こんなに時間がかかるものかしら、とは思っていたらしい。

 

 どうやら今のうちから新入生全員の名前を覚えているようだ。櫛田桔梗は明らかに、か行を横流しで見ているというよりは、下から舐め回すように上までじっくりと見ている。

 ほへーっと今世さんがため息をついたが、まったくもって同じ気持ちだ。頭が下がる。これって……二心同体、ってコト!?

 

 ――横顔も、可愛らしいですわね。

 ――こういった努力が彼女を彼女たらしめているのかもしれない。

 

 ……全然ニシンのパイしてなかった。アタシきらいだった。

 

 今世さんのズレた論点とどうにも噛み合わない会話からどうにか話を広げていたそのとき、ある一点で櫛田桔梗の視線が止まった。今世さんが恐怖からハッと息をのんで固まるほど、彼女は一瞬とても険しい顔をした。でもそれは一瞬に留まり、すぐに上へ上へと目線が移動していく。

 するすると動いた今世さんの視線の先には、俺の予想通りの名前が載っていた。堀北鈴音。バスで睨みを、校門で一瞥をくれた彼女の名が。

 

「あったぁー! 私もDクラスみたいっ!」

「まぁ! 本当ですわね! 同じクラスになれて嬉しいですわ!」

 

 顔を上げた櫛田桔梗にはさっきの面影は微塵もない。今世さんは白昼夢って初めて見ましたわー、と感動している。脳内お花畑で大変結構なことだ。その純粋さが今世さんの魅力だと思う。是非そのままでいてほしい。

 

「私も嬉しい! 同じバスで同じクラス……もしかして、運命っ?」

「運命、いい響き……。素敵な出会いに感謝を、ですわ!」

 

 学校側が同じクラスは同じバスに乗るよう仕組んだのかもしれないと俺は思ってしまったなァ。ハッと手を口に当てて運命かもだなんて、言い出せる櫛田桔梗もだが、乗っかれる今世さんも中々で尊敬してしまう。頬に手を当ててうっとりするだなんてテレビでしか見たことなかったのに、まさかリアルで、それも文字通り体験するとは。

 

「あははっ! 結構ロマンチストなんだねっ!」

「そうかしら。私はただ、神の導きに感動していただけですわ!」

 

 櫛田桔梗の反応からしても運命は冗談で言ったのだろうが、今世さんには通用しない。お嬢にツッコミなんていう高度なスキルを期待しなさんな。もしくは、対話能力をはかろうと、気付かれない程度にイジワルした説もありそうだが。

 うっとり今世さんには櫛田桔梗もドン引きなようで、今世さんがそうかしら、と目を瞑って悩んでいるとき、堪えきれなくなった頬が一瞬ひきつった。俺じゃなきゃ見逃しちゃうね。ひくっと運命という言葉に反応していたから、偶然でしょって思ってるんじゃないかなァ。否定から入る会話でまた好感度が下がった音ォー。ロマンチストと運命という単語には少し開きがあるが、それも少しなので大体一緒と言っていいものを、今世さんもだいぶ俺に影響されている。いや、毒されている。否定から入る会話はあまり良くないのも有名な話だろうに。

 

「うーん、確かにちょっと違ったかも。神聖とか敬虔とかかなっ?」

「それは、光栄ですわね?」

 

 宗教関連の話題を直接言わずぼやかしたのも、ひとえに高いコミュニケーション能力のおかげだろう。今世さんがこんなにヤバい人だとは俺も知らなかった。

 

「私、みんなと仲良くしたいの。せっかくだから、って言うのも変だけど――とにかく、これからも仲良くしようねっ!」

「えぇ、もちろんですわ! 私、対等なお友達って初めてですの! 不束者ですが、優しくしてくださいましね?」

 

 なっ! 何をするだァーーーッ ゆるさんッ! ……一度言ってみたかっただけだからそんなに思い詰めないで、と先に言っておく。許すから。

 

「そ、そうなんだ~。初めてなんて光栄だなっ! 優しくかどうかはわからないけど、慣れてないことも多そうだからなるべくフォローするね?」

 

 櫛田桔梗でさえ動揺を隠しきれないこの威力。恐れ入りますお嬢様。

 

「ありがとうございます! 櫛田さんがいれば心強いですわ!」

「期待されてうれしいよっ。そろそろ行こっか! クラスまで一緒に!」

「そうですわね、後から来る方々の妨げにならないようにしないと……」

 

 ここまでうっかり過去をバラされると、わざとかと思えてくる。あまり知られたくないって言っていたのはこの口かにゃ~??

 ……それは、すまない。櫛田桔梗には何でも相談していい、それを彼女は望んでいるから。そう伝えてしまったのは悪かった。詳細を話さずに誤解を招いてしまった俺が。

 ――いやそれ本当か? それでも俺を信頼し過ぎだろう。共存しているが一応初対面と言えば初対面なんだ。さっきの幽体離脱でお互い隠し事が出来ないわけではないこともわかった。嘘とまではいかないが、からかっていたらどうするつもりだったんだ。

 ……よくそんなこっ恥ずかしいことが言えるなァ。……ぅ…や、……わ、わかった。わかったってば。わかったからもうやめてくれェ~~。

 

 今世さんはどうやら人たらしらしい。

 

 ひどい恥ずかしめを受けたので幽体離脱をしてしまった。

 これをすると今世さんの具合が悪くなるのでやりたくなかったが、今世さんのせいなので今回ばかりは受け入れてもらおう。俺の心に代わるものはないし、なにより激しく運動しなければそう今までと変わらないだろう。体の異常は限界を知らせるためにあるとも聞いたような気もしなくもない。どういう理屈で今世さんの負担が減ったのかは知らないが、もし俺がいなくなったとき限界がわからなくなっていたら困るのは今世さんだ。今世さんの為でもある、と誰に聞かせるでもない言い訳を俺はぶつぶつと呟こうとした。

 

 昇降口は少し高くなっていて、数段の階段と、左側に金属の手すりのついたスロープがある。身体障害者には配慮されているが、金属アレルギーの人には自分で手袋をつけてもらうしかなさそうだ。櫛田桔梗は平然と階段を昇り、今世さんは少し遅れてスロープから昇った。昇降口の庇は広く、その下は暗かった。




セツメイ、クド……ヨミ、ヅラ……ウマク、ナリタイ……。
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