その日の天之河光輝は、いつもと同じようにありふれた日常を謳歌していた。
「龍太郎、士郎。そっちの部はどうだ?いい後輩が釣れたか?」
四月に入ってのこの時期は、新入生を巡って各部での争奪戦となる。本命の部員は既に確保しているが、まだ入る部を決めかねている新入生も多い。
「うちはさっぱりだな。練習が厳しそうだからって引いてく連中ばかりだ。弓道部は?」
「そもそも弓道をやりたがるヤツが居なくてな。集中力を養うにはもってこいなんだがなぁ。」
「それは、士郎の入部動機が渋いだけだ。武道なら精神修養は当たり前のことだしな。」
そして、精神力を養うというのは当たり前だからこそ難しい。
厳しいトレーニングに耐え、その訓練に耐えきったことで、己の成長を実感する。そして、仲間たちと技術を磨き、自信の技術の到達を歓び、同時にそれを試合以外では用いないように己を戒める。
武道とはあくまで己を高めるための道であり、他人を傷つけるためのものではないのだ。
「当たり前、ってことが本当にあるのかー」
士郎がそう話し出したとき、光輝の周囲が突如として光り輝く。
かと思えば、その光はあっという間に光輝から輪を広げ、教室全体へと広がっていく。
「ど、どうなっているんだ!?」
光輝がそう疑問を投げかけるが、その答えを知る人間はいない。
そして、何の抵抗も出来ず、光輝たちはその光に飲み込まれてしまった。
「……皆、無事か!?」
謎の光が目の前に広がったあと、光輝は咄嗟にそう呼びかけた。反射的なものだったが、不思議と声がよく通った。
「……俺は大丈夫だ。龍太郎、八重樫、白崎、いるか?」
「私は大丈夫。香織、立てる?」
「ありがとう雫ちゃん。」
「おいおい、一体こりゃどうなってんだ……」
「分からないが、皆を起こそう。」
周囲を見れば、教室にいた筈の光輝たちは何やら見知らぬ施設の中にいる。この施設が何のためにあるものなのか、光輝たちを取り囲んでいる集団が何なのか、疑問を浮かべるより前に光輝はクラスメイトたちの方へと向かった。
「大丈夫かい、谷口さん、中村さん。」
「光輝くん!一体何なのここ!?私たちさっきまで教室にいたよね!?」
「それは後であの人たちに聞いてみよう。立てるかい?」
それから光輝たちは怯える女子たちや、呆然としている永山たち男子に声をかけていく。
全員の様子を確認したが、ひとまず問題は無いようだった。
(だが、おかしいな。妙に体が軽いような……)
剣道の大会当日のような体の軽さと、全身が波を受けているような重圧感がある。どういうわけか、普段より高揚感に満ちていて、やれば何でも出来そうな気さえしてくる。
どこか矛盾したような自分の体の感覚に戸惑っていると、光輝たちを観察していた集団から進み出る老人がいた。
その異様な雰囲気に、光輝たちは圧倒されていた。
「ようこそ、トータスへ。勇者様、そしてご同胞の皆さま。歓迎いたしますぞ。私は聖堂にて教皇の地位に就いているイシュタル・ランゴバルドとー」
(何を言ってるんだ、この人は。)
その後もつらつらと歓迎の言葉が投げかけられるが、光輝たちを驚かせたのはその表情だ。先ほどの高揚感が一気に冷めていった。
まるで恋焦がれていた異性に告白したときのような陶酔感のある表情。それを、よりによって光輝に向けている。勇者という言葉も、気のせいでなければ光輝の方を見て言ったものだった。
(勇者だって?)
冗談じゃない、と思う。
思うのだが、気になるのは召喚されたときのあの光だ。
光輝の気のせいでなければ、あれは、自分を中心に広がっていたものだった。
(駄目だ、今は考えるな。)
そう思い深呼吸して心を落ち着けていると、檜山たちが騒ぎそうになった。
「おい、ふざけたこと言ってんじゃ……」
檜山たちの怒りは至極もっともなものだった。だが、今彼らに歯向かっても何の得もない。
「待て檜山!今はまずい。気持ちは分かるけど堪えてくれ。」
「天之河。……わーったよ。」
光輝は必至で檜山たちを止め、イシュタルが事情を説明すると告げたことでその場は収まった。
「私より教師らしいですね、天之河くん。」
畑山先生がそう言う。弱冠25歳の社会科教師も、突然の事態に動揺を抑えきれていなかった。
「御冗談を。今は畑山先生だけが俺達の頼みの綱です。」
そう言いながらも光輝は思案する。何とかして、今皆の間で漂っている不安を解消する術はないものか、と。
召喚された場所から、光輝たちは案内を受けて移動する。大理石で出来た床を踏みしめ、見事な彫刻が彫られた柱や何かの模様が刻まれた扉を何回かくぐると、光輝たち全員が座ってもまだ余裕があるテーブルがずらりと並ぶ大広間に導かれた。
光輝たち五人は、当然のように畑山先生に付き添って上座に近い席に座った。他の生徒たちは誰も、この異様な状況で上座になど座りたくなかったのだ。
つまりは、貧乏くじだ。
そこから始まったイシュタルの話は、手前勝手なものではあった。
人間族、魔人族、亜人族の住まう国があり、人間族の国と魔人族の国との間で戦争が起きようとしている。
人間族を救うために、異世界から神の使徒として召喚された光輝たちに、魔人族を打倒してほしいと。自分たちにはその力があるのだと。
光輝はこう思う。
冗談じゃないと。
自分はまだ、現実世界でやりたいことが山ほどある。
雫に告白だって出来ていないし、体育祭でリベンジしたい。剣道で頂点を取るという夢もあるし、祖父のような弁護士になるために、受験勉強だってしなければならない。まだ向こうでやりたいことが山ほどあるのだ。
だが、同時にこうも思う。
イシュタルという宗教家は別として、戦争が始まった時に犠牲になるのは誰だろう。
イシュタルのような宗教家か。それとも、ハイリヒ王国の兵士たちか。
実際はそれらより大勢の、罪もない弱者たちだ。
(……見過ごしていいのか?)
力があると言われた。その力がありながら、救われるべき人々を助けないのか?何の罪もない人間が、罪人の如く逃げまどい、咎人のように意味もなく、法の保護もなく死ぬことをよしとするのか?
法による正義は、社会の秩序を維持するためのものだ。だが戦争は時として、その秩序を破壊してしまう。
暴力という理不尽によって。
(そんなこと、許されていいはずがない。)
そう光輝が考えていると、畑山先生が怒り、イシュタルに抗議する。
「あなたたちのしている事はただの誘拐ですよ!ええ、そんなことは許しません!今すぐこの子たちをご両親のところへ返してあげてください!」
それは人として当然の抗議であったが、続くイシュタルの言葉が場を凍らせた。
「お気持ちはお察しします。ですが、貴方たちの帰還は現状では不可能なのです。」
その言葉に崩れ落ちる畑山先生や動揺するクラスメイトを見て、光輝は思う。この場でイシュタルに抗議することは、自分たちの立場を悪くすることになるのでは、と。
(……なら。)
光輝は立ち上がり、話をはじめた。
光輝くんの内心は想像して書いてます。
ただ原作でもこんな風にクラスメイトを気遣ってはいたはずです。
雫ちゃん関連の伏線は書き忘れましたが、失恋から半年以上経ったし色んなイベントがあったんでしょう。そのうち幕間で触れます。