このクラスの問題児たち、その犠牲にな……
イシュタルとの会談を終え、愛子たちは神殿からハイリヒ王国の宮殿へと移動した。全身に金属製の防具を装備した王国の騎士が、彼女たちを先導する。彼はアラン・ソミスと名乗った。
はじめて見る魔法技術による移動、地球とは異なる異世界の風景。それらに心を躍らせる生徒たちとは対照的に、その生徒たちより一回りは小柄な大人、畑山愛子は今後の展望について考えを巡らせていた。
(……失態でした。)
本来であれば、大人である自分がイシュタルと交渉し、話をまとめなければならなかった。あのとき、イシュタルの言葉を聞くまでは、教師としての矜持と信念をもって断固としてイシュタルの要請をつっぱね、生徒たちだけでも帰還させるのだと意気込んだ。
しかし、現実はそう甘くはなかった。日本への帰還が困難だと聞かされたとき、愛子の視界は真っ暗になった。必死で大丈夫だと言い聞かせてきた心の糸が切れた。
光輝が発言する間、愛子はずっとそれに聞き入ってしまっていた。脳が現実に対する理解を拒んでしまったのだ。
そして、あろうことか守るべき生徒に重荷を背負わせた。取り返しのつかない失態。教師失格。そんな言葉が愛子の中で湧き上がる。
しかし、自責の念に囚われるわけにはいかない。愛子にはまだまだ、やるべき事が山ほどあるのだ。
愛子についていく光輝たちは、愛子が考え事をしている間、周囲の生徒たちに気を配っていた。
イシュタルに宣言された時のような恐慌状態からは脱したが、依然として戦争への不安、先の見えない現状に対する絶望感は残っている。
そんな生徒たちを励ましながら、光輝たちは目的の場所に到達した。
王国側はこちらに誠意を示したいと、長机がある会議室へと案内した。イシュタルとの会談で使用した大広間ほどではないが、それでも広い。重要な会議の場で使用される部屋だ。王国側がどれだけ転移者に期待しているか、それを考えると恐ろしい。
生徒たち全員が座れるよう、座席も人数分が用意されていた。羽毛が敷かれた座席は思ったより柔らかく、不快感を与えない。
さらに、部外者だからと監視役のアランも席を外した。
「ごゆっくりなさってください。何か御用があれば、こちらの魔法陣に手をかざしていただけますか?」
会議室で全員が着席したのを確認すると、愛子はまず、光輝たち五人を叱った。
最初に、生徒たちに頭を下げてから。
「や、止めて下さい畑山先生!」
「そうだぜ先生!」
「先生が頭を下げることなんて無いよ!」
面食らったのは生徒たちだ。誰もが困惑した様子で愛子を見ている。
愛ちゃん先生、愛ちゃん先生などと親しみを込めて接してはいるが、それでも相手は大人だ。頭をさげさせるなど、あってはならないと思っていた。
「いいえ。まずは、不甲斐ないわたしを責めて下さい。大人として、イシュタルと交渉することが出来ませんでした。」
「いきなりあんな無茶苦茶なことを言われて、まともに対応できる方がおかしいんです。畑山先生は何も悪く何てないです。」
そう雫は話し、女子たちも賛同する。しかし、愛子は首を横に振ってそれを否定する。
「あの場の責任者は私です。責任者が途中で仕事を投げ出すことは許されません。大人として、恥ずかしい行為でした。」
「……」
生徒たちは何も言えずに黙るしかない。責任、という言葉が重くのしかかる。
しかし、と愛子は続ける。
「それでも。あの場面で、一時の感情に流されて戦争に参加する、と言ったことは責めさせてもらいます。天之河くん、坂上くん、八重樫さん、白崎さん、衛宮くん。」
「はい。」
五人は愛子の叱責にうなだれる。
「……一度参戦を表明した以上、王国側はそのつもりで対応すると思います。ですが、参戦を止めてはくれませんか?」
その愛子の言葉に、光輝たちもそれぞれの考えを話す。
「俺は、自分の意見を覆すつもりはありません。必ず戦争に勝って、みんなが帰還できる方法を探します。」
「一度言ったことを反故にしたら、余計立場が悪くなっちまう。それに、帰る方法を探すなら組織に所属した方が効率がいい、と思います。」
光輝と龍太郎の言葉に、愛子は頷く。二人の目に全くぶれが無かったからだ。
(……二人を説得するのは、難しそうですね。)
なので、残りの三人に声をかける。
「……八重樫さん、白崎さん、衛宮くん。あなたたちはどうですか?」
「俺も意見は変わりません。ただ、白崎や八重樫や、戦いたくない人は戦っちゃいけない。」
士郎の言葉に、雫は毅然とした態度で反論した。
「……私は、自分自身のために、自分の意志で戦うことを決めました。この世界で生きていく上で、自衛できるだけの力があった方がいい、と思ったからです。」
「八重樫、おまえ……」
「雫。強くなるその過程で死ぬ可能性だってあるんだぞ!?」
「光輝と衛宮くんには悪いけれど、私は自分の意見を変えるつもりはないわ。」
その言葉に、愛子は悲し気に目を伏せる。
「……白崎さんは?」
「確かに先生や衛宮くんの言う通り、戦争で自分や周りの人が死ぬ可能性はあると思います。
……それでも、それでも、私はその人たちに何かをしてあげたい。」
「香織……」
幼馴染たちを見る光輝の目に、いつもの輝きはなかった。
(俺は、みんなに死んでほしくないのに……!)
結局、その後の愛子の説得にも五人は折れてくれなかった。
心の中で五人に謝罪した愛子は、せめてにと言葉をなげかける。
「貴方たちは、まず何よりも自分自身のことを優先しなさい。見ず知らずの人のため、友達のため、。それは結構です。ですが、危なくなったら逃げて下さい。逃げずにあなたが亡くなったら、先生は心が痛みます。ご両親や……ご親族にも、申し訳が立ちません。」
深呼吸して、愛子は続ける。
「私も、戦争というものをニュースや活字でしか知りません。ですが社会科教師として、教え子が死ぬという選択肢を肯定したくはありません。」
それは理想だ、と雫は思った。
あの場には、武装した神官が三十人も控えていた。もしもあの場で参戦を表明しなければ、どうなっていたか分からない。
だからこそ光輝の案に乗って、雫も参戦を表明したのだ。そうすれば、イシュタルの心象が悪くなることはなく、当面の身の安全は保障される可能性が高い。
戦争までの間に力をつけ、自衛できるようにする。それがこの世界ですべきことではないだろうか。
「……ここまでは、道徳と理想の話です。」
と、愛子先生は続けた。
「ど、どういうことですか?」
思わず雫がツッコミを入れる。
「あの場は……異様な雰囲気でした。最終的にこちらが参戦するように、意見を誘導されていました。恐らく、誰かが参戦を表明する必要はあったでしょう。
ですが。」
愛子は深呼吸をして言葉を続ける。机の上に用意されたグラスのワインが震えた。
「軽々しく命は賭けない、という姿勢は見せるべきです。」
「戦争で命を懸けるのは当然じゃないんですか?」
光輝は言葉の意味を尋ねた。光輝の中では、軽々しく命を懸けたつもりはない。
「大人というものは、相手に応じて態度を変えるものです。相手が、軽々しく、何の文句も無く動くと踏めば、それに応じて軽々しく相手を扱います。相手の無知に付け込んで、自分だけ安全圏で得をするように。」
それこそ地球にも、命を物のように扱い、少年兵を利用する汚い大人が存在する。
大人たちは子供の無知に付け入り、選択肢のない状況に追い込み、逃げ道を塞いだ上で子供たちを搾取する。
ハイリヒ王国やイシュタルの所業はそれと変わりない、悪そのものだった。
愛子から見て、光輝たちが命を懸ける必要などない。それでも、賭けざるを得ない状況に追い込まれている。
ならばせめて、自分の命を最大限重んじることを教えるべきだと判断した。
愛子は、戦争を体験したことはない。それでも、社会科教師になるより以前に、大学で講義を受けて知識としてその実例を知っている。
愛子は少年兵の末路をかいつまんで生徒たちに話した。生徒たちの顔から血の気が引いていく。救いなど存在しない、陰惨な結末だったから。
そんな中でも、光輝と士郎の表情に恐れはなかった。
「自分の命を一番大切にできるのは、自分です。ですから交渉相手には、できる限りそれを重く見せるべきです。」
「自分の命を大切に扱うからこそ、相手もそれを尊重するのです。社会とはそういうものです。」
「……肝に銘じます。」
「愛子先生、ありがとうございました。」
と光輝と龍太郎が答える。尊敬すべきと思った人間の言葉は素直に聞き入れる。光輝や龍太郎の美点の一つだった。
「分かってくれましたか。」
と、愛子は満足げに頷く。
愛子はこのとき、この言葉を受けて、それでも、自分の命を粗末に扱う少年が存在することを理解していなかった。
「……それで、先生。これから、どうするんですか?」
そう聞いたのは、転移前に愛子になにごとかを相談していた園部優花だ。
「……そうですね。
今の私の話を聞いた上で、戦争をしたいと思いますか、園部さん。」
「思いません!」
「そうでしょう。明日、講習を受けた後、午後に高官と会談する予定です。天之河くんたち五人以外は参戦出来ないと言うつもりです。皆さんも、それでいいですね?」
愛子は生徒たちを見回す。
大勢の生徒たちは、もう参戦しよう、という気力を失っていた。彼らを見たハジメは思う。
(これって不味い、かな……?)
異世界ものにおける失敗パターンの一つに、”地球の倫理観を現地に持ち込む”というものがある。
地球の文化、価値観、常識に基づいて下された愛子の判断は、必ずしもいい結果を生むとは限らないのでは?
そうは思ったが、ハジメは意見を表明出来なかった。元々、授業でも指名された時以外は発言したことはない。ハジメには積極性というものが徹底的に欠けていたのだ。
……ただし、畑山愛子は、そんなハジメを見逃さなかった。
彼女にとっては、ハジメは大切な教え子の一人だ。一人一人の顔を見渡し、何か言いたいことがあるならば、それを話して欲しかった。
なので、ハジメを指名した。
「南雲くん?何かありますか?」
「えっ!?」
突然指名されたハジメは驚いた。
「何かあれば、ちゃんと言ってくれていいんですよ?」
「あ、いえ……ただ、僕たち、この世界のこと何も知らないし、この国の常識とかも知らないから、それで断っちゃって本当にいいのかなって。」
「何言ってんだ、良いにきまってんだろうがよ。こっちは拉致された被害者だぜ?」
檜山の意見ももっともなのだが、ハジメも退けなかった。
「こういう時に、地球の価値観を相手に押し付けちゃうのはどうなのかなって思ったんです。相手だって、事情があるだろうし……」
「そうだね。その通りだよ、ハジメくん。」
すかさず香織がハジメを肯定し、檜山はあっさりと口をつぐんだ。
「……?外国で、日本のルールを押し付けるなってことか?」
「そう、そんな感じ。」
光輝の疑問に答えるハジメ。内心は心臓がどきどきと脈打っている。
(ああ、言ってしまった……)
この場面で皆が意見を表明しなかったのは、動揺しているせいもあるだろう。
だが、実際には皆、自分の意見が通るのが怖いのだ、とハジメは思っている。
これから先、生きるか死ぬかも分からない瀬戸際の会議で、自分の意見がもし間違いだったら?
もし、後になって間違っていたと分かったら?
……そのリスクを嫌って、頭の良い遠藤や常識人の永山らは発言しなかったのだ、とハジメは思っている。
(南雲、お前スゲーよ……)
そんなハジメを、幸利は尊敬のまなざしで見ていた。
「それは、大丈夫ですよ。」
愛子はにっこりとハジメに微笑んだ。
「ハイリヒ王国の高官には、私たちの現状や文化などについても教えるつもりです。同様に、私たちも彼らから知識を得る。今は、そうやって相互理解を深めていくべきです。」
「はは、は……そうですよね。」
(……本当にそうだろうか。)
と、ハジメは一抹の不安を抱えながら、納得したように着席するのだった。
発言権があるってこととそれを行使するかどうかには天地の差がある。