温水プールからトリップし老夫婦に拾われた中学生が、流されながら生きて失ったものを自覚する話   作:熊々楠

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こちらにきてもうずいぶんと経ってしまった。

 シガンシナ内なら小さな路地でも迷うことはなくなったし 顔見知りと言わず仲のいい同年代も徐々に増えていった。

 そしてある日、いつもの様にエレンの家へ訪ねると見慣れない女の子がいた。

 その子はミカサというらしく、詳しいことは解らないがイェーガー家の一員になったそうだ。

 同じ東洋人だな。というエレンの言葉にそれまで特に興味なさげだった視線がはっとしたようにこちらを向き、やはり少数民族なのだなと改めて認識する。

 よろしく、と自分では普通に笑ったつもりなのだが。やはり困ってるみたいに笑うなよな、とエレンに眉間をぐいぐいされた。

 

 *

 

 彼女は日本人の様な名前だし。同じ東洋人ということで何かあるのではないか。

 ここにないようなものを。と逡巡し、あるものに辿り着く。

「……ミカサ」

「……何?」

「海って……見たことある?」

「? ……海が何か解らないから……見たことはないと思う」

「……そっか」

 別に期待していたわけではないのだけれど。

 でも海をしらないとはどういうことだろうか。首を傾げていると、先ほどまでいないと思っていたエレンとアルミンに凝視されているのに気が付いた。

 びくりと肩をふるわせた僕をにがさないように、二人は腕をがしりとつかんで放さない。

「ヤヒロ、海を知っているの! ?」

「どこで知ったんだ! ? 本当に商人がとりつくせないほど沢山塩水があるのか! ?」

「えっ、ちょっと、二人ともなに……っ」

 ミカサが二人を落ち着かせてくれたおかげで、やっと話を聞くことができた。

 壁の外に海があるんだということ。でも、それを書いてある書物は憲兵団によって焚書されてしまったということ。

「それにしても……ヤヒロって記憶ない割にはいろんなこと知ってるよな」

「もしかしたら、僕のおじいちゃんみたいにどこかの本で読んだのかも」

「記憶……? ヤヒロには記憶がないの?」

「……ここにきたのは……一年くらい前だっけ」

「もうそんなになるのか。こいつ、調査兵団のことも知らなかったんだぜ」

 東洋人が珍しいのは誰でも知っていることだ。

 もし親族や知人が東洋人の捜索願いを出せば、程なくして連絡が来るはずである。

 それがこないということは、やはりそれなりの事情がある訳で。

 エレンもアルミンもそれを承知しているのか、それについては特に言及することはなかった。

 ……その代わりなのかなんなのか、炎の水やら、氷の大地やら、砂の雪原やら、改めてそう考えてみるとファンタジーだと感じることについては色々と聞かれたが。

 

 *

 

 養父母との暮らしは相変わらずだった。

 現代日本の食生活に慣れきっていた僕の舌は、海がないため高級品の塩を欲しがり。

 しかしないものはどうしようもないのだからと。なんとかそれを補おうと以前はやろうとも思わなかった料理なんかにこったりして。

 養母から教わったにんじんケーキも今は得意料理の一つとして数えられるほどだ。

 僕のつかっている部屋はルベリオさんが使っていたもので。片付けられているとはいえ、当然彼のものだったものを僕が使っていたりもする。

 その際に、彼の話をすることがある。

 家を出ていったのはずいぶんと前の話で、聞くのは彼が二十になるよりも前の頃の話だが。

 前に一度だけ、声を震わせて「ヤヒロは兵士になんてなるんじゃないよ」と言われたことがある。

 僕は「ならないよ」と返した。

 ふとした折りに、養母は噛み締めるように言った。

「亡くなった人のことを話すことはね、その人に花をおくるのと同じことなの」

「花をおくる……?」

「その人が亡くなっても、心の中ではまだ生きていると言うでしょう? あなたもあの子に花をおくってくれるというのなら、わたしはいくらでもあの子のことを話すわ」

 写真やビデオテープというものがないここでは、容姿も声も仕草も想像するしかないのだけれど、思い出される話の中で、彼は確かに息づいていた。

 

 *

 

 前方から歩いてくる少年三人が、何やら毒づきながら傷のついた頬を擦っていた。

「くそっ、あいつらなんて……!」

「ミカサを相手にするのは分が悪すぎるだろ……!」

「仕方ねぇだろ! いつの間にかいるんだから! ……異端者を異端者っていって何が悪いんだ!」

 どうやらいつもの喧嘩の後らしい。

 彼らは「人類は外の世界に行くべきだ」と主張するアルミンが気に入らないらしく、こうやって頻繁に暴力を振るう。

 とはいってもいつも何処からか駆けつけたミカサによって返り討ちにされるのだが。

 大人はせいぜい子供の絵空事の衝突くらいにしか思っていないようだが、彼らは至って真面目だ。

 彼らは僕に気が付くときっと眉を吊り上げずかずかと向かってくる。

 僕に対してはいきなり暴力をふるってくることはないが、彼らの頭の中での派閥としてはアルミン側に位置しているのだから仕方ないだろう。

「おい、ヤヒロ! あの異端者どうにかしろよ!」

「どうにか……って言われても」

「あんなのがいるから俺んとこだって、……っ」

「……どうかしたの?」

 言葉を途中でとぎれさせて彼はうつむいてしまった。

 手はきつく握りしめられ、ぶるぶると震えている。

 いつものような剣呑さとはまた違った様子に腰を折り、背中をさすってやる。

 泣くかと思ったから。

 いつも睨まれているとはいえ、一応でも年上の僕に何か思うところがあったらしい。手が振り払われることはなかった。

 しかしそれでも彼のプライドや、外に行きたがっている、と思われている。所謂敵側に位置する僕に話すことはないらしい。

 それはそれでいいのだけれど。

 唇をきつく噛み締める彼の背中をそのままさすっていると。他の二人が顔を見合わせて口を開いた。

「……そいつの兄ちゃん、今度兵士になることにしたんだ」

「家族が多いから、兵士が一人でもいた方が待遇がよくなるからって」

「っ、言うなよ!」

 彼の兄のことは僕もそれなりに知っている。

 気さくで、程よく大人が許してくれる程度の羽目の外し方をしっている、とても賢い人。

 なるほど、兵士となるためにはまず訓練兵という段階があるのだが、その時点で既に死という危険がつきまとう。

 僕は勿論話でしか知らないけれど、やはりこの国の軍なのだから、中途半端にできるようなものではないのだろう。

 それなりに彼のことを知っているといっても、それはあくまでも知人としての付き合いのようなレベルだ。

 話したことがないわけではないが。かといって何か特筆すべき間柄にあるという訳でもない。

 そんな僕が何を言ってもおかしい気がして、「そっか、」と、また彼の背中をさすることしかできなかった。

 

 *

 

 その日、僕は養父母と共にシガンシナの中心部へきていた。

 夕暮れ時のごくありふれた日常のひとこま。

 しかし、それらはあまりにもあっさりと終焉を迎える。

 突如として鳴り響く轟音。

 誰もが状況を理解できずに唖然としていると、空から岩が降ってきた。

 岩。

 それは、いままでウォール・マリア突出部のシガンシナ地区と巨人とを隔てていた壁だった。

 飛んでくる小さな破片をうまく避けきれず、服を突き抜けて腕が少し切れる。

 じわじわと血が滲んでいくが、僕が感じたのは破片があたった衝撃のみで、痛みは全く感じない。

 しかしそれがきっかけとなり、意識が現実に引きもどされた。

 唖然としながらも近くにいるはずの養父母の存在を思いだし、口々に「なんてことだ」「巨人がくる」と一気に膨らんだ不安と恐怖の感情を吐き出す周りに呑まれそうになりながら周りを見渡す。

 ヤヒロ、悲痛な声が聞こえた。

 そちらにすぐさま視線をずらせば、養母が大きな岩の横で座り込んでいた。

 彼女の名を呼び駆け寄る。養父はどこに。そう問いかける必要もなかった。

 岩。

 僕の背丈よりもう少し小さいくらいのそれの下に、真っ赤になった、先程まで並んで歩いていた人物と同じ服を着たものがいた。

 理性では理解なんてできない。しかし、本能が理解した途端腹の底からとんでもなく重く黒いものがえぐるようにせり上がってくるのを感じた。

 思わずうずくまりそうになるが、ヤヒロ、先程よりも更に悲痛な声に、それは強制的に押し込められた。彼女の足に乗っていた瓦礫をどかし、思わずその赤さに目を背けたくなる。

「ヤヒロ、ヤヒロ、あぁ、どうしたら、あのひとが……」

「っ……」

 ここまでうろたえる養母の姿を見るのは初めてだった。

 伴侶を亡くした、それも予想だにしていなかった瞬間に。当然なのだろうが、上ずった声と赤らんだ目元と、震える肩は見ているのもつらい。

 僕は彼女の冷えきった手を握って、人の流れにしたがって走りだそうと力を込める。

「逃げよう、巨人がきちゃうって」

「でも、この人をこのままおいていくなんて…」

「っ……お、落ち着いてから、落ち着いたら、また戻ってこれるから! ね、行こう」

 うろたえる養母をなんとか立たせて、いつもよりずっと遅いスピードで走る。

 定期的に鳴り響く重い音は大きく、ここからどれぐらいの距離なのかはわからない。

 怖くて後ろも振り向けないのだ。

 追い越していく人の中には、先ほどの養母のように家族が岩に潰されてしまいただただ泣くことしかできない人もいる。

 視界の端、屋根の上を二つ薔薇の紋章の駐屯兵団の人たちが立体機動装置で飛んでいく。

 夕焼けに照らされたシガンシナの街が、やけに赤い。

 亡くなった人たちの血の色に見えて、肌が粟立った。

 

 *

 

 つないでいた手が、くん、と引っ張られる。

 振り返ると、瞳孔の開いた目で養母が小さく何事かをつぶやいていた。

 その方が荒く上下しているのは、走ってきた疲れだけでは無いだろう。

 地響きはあちこちから聞こえてくる。焦れた僕ははやく、と声を荒らげた。

 

「ねぇヤヒロ、あの人は、ルベリオに会えたのかしら、あの子がいなくなってから、ずっと部屋の中が暗かったの」

 

「でもあなたが現れて、わたしもあの人もとてもたすけられたわ。とてもうれしかった」

 

「ありがとう、ヤヒロ」

 

 いつの間にか彼女の目は、とても穏やかなものへと変わっていた。

「なんで、そんな、最期みたいなこと言うの」

 助けられたなんて、僕のほうがずっと助けられていて、救われていて、まだ何も返していないのに。

「わたしはもう走れないから、ヤヒロは早く逃げなさい」

「駄目だよ、一緒に逃げよう」

「腕も、ちゃんと治療してもらうのよ」

 やめて。

「あの人と、……あの子に、ルベリオに、やっと会えるわ」

 彼女がそういった瞬間、僕達に影がさして、彼女は地面から離れていった。

 彼女は、あの時もう既に壊れてしまっていたのかもしれない。

 うろたえる彼女の姿はとても普段どおりになんて見えやしなかったけれど、それでもまだ僕には人として普通の反応のように見えた。

 けれど、ルベリオさんと養父のことを口にする頃にはその瞳はいやに凪いでいて、かさかさの手のひらで僕の手を優しく撫でる彼女の肩の印象は薄くなっていて。

 僕を気にかける言葉を紡いでは居たけれど、それも後になって思い出して見れば本当に僕を見ていたのか判断もつかなくて。

 たおやかな雰囲気をまとっていた彼女はどこに言ってしまったのだろうといくら考えてもわからない。

 わからないんだ。

 僕が彼らの家にお世話になっていたのは、息子のルベリオさんの存在が大きかっただろう。

 息子や孫がまた出来たみたいだ、とは言われていた。彼の話もたくさん聞いた。

 僕が料理や、山菜について学んでいる時、いつもとは違う目で見られているのは知っていた。

 とても深い慈しみに満ちた、けれど僕を見ていないその瞳。

 ルベリオさんと僕とを重ねていたのは間違いない。

 あの家に住まわせてもらっている以上、そういうことも仕方ないだろうと、僕自身、彼らと家族になるには距離があった。

 勿論、だからといって養父母との暮らしが窮屈だったりなんてことはなかった。ただ、ルベリオさんと僕はそんなに重ねるほど似ているのか、

 それともただ一緒に住んでいる、そういう年頃の少年という条件ならだれでもいいのかが不思議だった。

「元気でね、ヤヒロ」

 彼女の胴体を容易に包むことのできる大きな手。

 気味の悪い笑みを浮かべるそれに抵抗することもなく。

 養母はその口の中に飲み込まれた。

 むしゃむしゃ、むしゃむしゃと。

 実際はそんなかわいらしい音ではなかったが。

 そうでもしないと、とても耐えられそうになかった。

 とても美味しそうに「家畜」を頬張って。

 彼女を飲み込んだそれはまたなんでもないように立ち上がり―――何かがあたったのか、不自然にその巨体を揺らした。

 ゆっくり倒れていく巨体の後頭部のあたりに足をかけている人物と目が合うと、その人は僕に駆け寄ってくる。

「人がいたのか……君! 怪我は無いかい?」

「……僕は大丈夫、です。……でも、食べられて」

「っ……ご家族かい? ここは危険だ。ウォール・シーナへの船が出るから、早く君もそちらに行かないと」

 その人の団服は二つ薔薇。駐屯兵団だ。

 心配そうに、いたましそうに僕に声をかける彼に僕は呆然と問いかけた。

「……何なんですか、これ」

 しゅうしゅうと蒸気をたて、早くも骨が見えている大きな身体を、僕は今までに見たことなんて無い。

 

 *

 

 ぎゅうぎゅうに人が押し込められた船の中、本当に運良くエレンとミカサに会うことができた。

 彼らと共に両親は居ない。先生は仕事で内地にいくとは聞いていたけれど、沈んだ表情と震えた声の二人から何があったのか察するには十分すぎた。

 僕は唇を噛み締めて、

「二人が無事でよかった」

 彼らをきつく抱きしめた。

 もう、人々が巨人が来ると恐慌状態に陥ったときや、養父が潰されているのを見た時に感じた重苦しさはなく、その代わりに喪失感が、そこかしこに転がっていた。

 今回の超大型巨人の出現で、家族や家、全てを失った人も多いだろう。

 僕は二回目。

 二年前に、それまでの人生を全て全否定されて、それでも何とか周囲の人に助けてもらい暮らしていた。

 確立されているように思っている平穏でも、知らない間にすべて壊れてしまうのを僕は知っていたはずだ。

 今回は運良く助けてもらえたけれど、次もそうである保証なんてどこにもない。

 これからこのまま変える気がないのなら、僕たちは開拓地へ移って作物を育てることになる。

 けれど、「一度きたのだから次は無いだろう」というあやふやな望みにすがりつくよりも、僕は少しでもできることを増やしたかった。

 そうなれば、することは決まっていた。

 

「訓練兵になる?」

「……兵士にはならないって言ってたじゃないか」

「うん……でも、そうも言ってられない状況だよね。もしまたああいうことがおこった時、何もできないっていうのは駄目だと思うから……手段を、増やしたいから」

「……俺はいいと思う。訓練兵になれば、開拓地行きなんて奴隷じみたことしないですむし」

「それは、……僕だって反対してる訳じゃないよ」

「ただ、怪我が心配」

「……怪我、かぁ、兵士には多分つきものなんだろうけど……うん、気をつけるよ」

「ヤヒロ、……あと二年したら、俺も訓練兵に志願する」

「……調査兵団、だっけ」

「ああ。……あいつらを……駆逐してやる……!」

 きつく手を握り空を睨むエレンは誓った。

 僕はそんなエレンに何か言葉をかけようとして。でもどうすればいいのか相変わらずわからなくって、「そっか」と言うだけだった。

 いつもなら僕の眉間をつんつんとつっつく小さな手は僕には触れず、へたくそな笑顔の僕の服の裾をアルミンが、エレンの手をミカサが握った。

 いつだかに、巨人が居て、それによって人が死ぬことは「当たり前」なんだと知った時があった。

 でも、それは違う。当たり前なんかじゃなかった。

 百年という時間に保障された鳥かごの中で、与えられた生暖かいものに浸りきっていたんだ。

 そう、例えば、平和ボケをしていると揶揄される日本人のように。

 大人は子供を安心させるためにぬるい笑顔であれこれいうが、少しでも難しそうな表情でひそひそと話していればそれは瞬く間に伝染していく。

 子供は難しい話なんてわからないだろうとばかりに、お構いなしに話すどこかの承認だという男が居たが、子供は彼らの本質をとうに見抜いている。

 大人が思う以上に子供は場の空気に敏感で、むしろそのあたりでげらげらと下品な笑い声を上げている者達よりも、よっぽど現状を理解していた。

 

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