ちなみに安田はセリフォスかと思って飛び上がったらサリオスでした。
池添くんおめでとう!
てゆかヴェルサリ尊い……(幻覚)
『アリストテレスが伸びてきた! 並んだ! 並んだ!』
ずっと私は、あいつの背中を追いかけていた。
『勝つのか! 勝てるのか! 二人の激しい追い比べ!』
神様はいつだって残酷だ。
ドトウ先輩。
そしてシックスセンス先輩やウインバリアシオン先輩もそうだし。
『いや、抜けた! 先頭、先頭に躍り出た! そして! 今、ゴールイン! 積み上げた戦績は! なんと7戦7勝! 今、ここに! 無敗の三冠ウマ娘が誕生しました!』
もし、その時代に生まれていなかったなら。
彼女は慣れた手付きでリンゴの皮を剥き、出来上がったものを私に差し出す。
「ヴェルちゃん! ヴェルちゃん! はい、うさぎ」
「いや、普通に食べさせろっつの」
「えぇ~? だって上手くない? 私って、すっごい器用じゃない?」
「そりゃ……」
口から出かけた言葉を慌てて飲み込む。
「それよか、サリオス。あんた、こんなことしてる暇あんの?」
「あっ、そうだ! もう行かなきゃ! それじゃ、見ててね来週! グラン先輩もコンちゃんもブチ負かして、一気に私が時代のてっぺんゲットしちゃうんだから!」
「はいはい、はよ行けって」
「うん、じゃね。まったねぇー」
別れの挨拶をした後も、まだ彼女の視線を感じる。どうせニコニコいつも通り、いつまでも手でも振ってるんだろう。しかし冷めた態度を取り繕うとしても、顔が強張ってうまくいかない。結局はベッドに横になって顔をそらすのが精一杯だった。
正直、サリオスがうらやましい。
GⅠに出場できることが。
全戦無敗でいい気になってるあいつにリベンジできることが。
レースを走れることが。
サリオスと私は皐月ダービーとクラシックを競い合った仲だ。
成績は、仲良く負け。もちろん勝者はあいつ、あの三冠ウマ娘。
あいつは三冠ウマ娘同士の対決という伝説のJCを経て年明け初戦に大阪杯を選択した。サリオスにとってもこの阪神GⅠレースは新年最初の大舞台だし、あいつともダービー以来の久しぶりの対戦となる。
みんな未来に向かって走り出す。
でも私には次の予定なんてない。
他の子がレースで世間を湧かす中、私はずっと病院のベッドで寝ていたのだ。
屈腱炎。
今さら説明するまでもない、ウマ娘にとってはありふれた病名だ。
――そりゃ、あれだけリンゴ剥けば上達もするでしょうよ。
さっき言いかけた台詞は、それ。
折り紙で鶴が作れない系のサリオスですら包丁さばきがまともになるくらい、そんな長い時間を私は病室で過ごしていた。
完治できるのかは現時点では判断しかねる。医者の言い分はいつも文句のつけようがない。文句ないくらい曖昧で漠然とした、何も決めないから正しいも間違いもない馬鹿でも言える正答を繰り返し言う。
この先のことなんか誰もわからない。暗澹とした日々を過ごす内に、いつしか病室のカーテンは閉めっぱなしになっていた。窓を開けるのは嫌だ。ずっと空を見たくなかった。
空を見れば、飛行機雲を見ると思い出してしまうから。
大阪杯当日、レース後も律儀にサリオスは見舞いにやって来た。興奮した面持ちで短距離走のように言葉を次々と繋げる。
「すっごいんだよ! レイパパレちゃんって言ってね! びゅーんって前に出たらそれからずっと先頭で」
「いや、いいから。それより」
私には他に聞きたいことがある。しかし求めた答えは極めて短いものだった。
「コンちゃんなら負けたよ」
正直、耳を疑った。
あいつが?
同世代をことごとく撫で切って無敗で三冠獲るようなやつが?
たしかに前走JCの後に、共に熱戦を繰り広げた三冠の1人は故障で長期休養となった。激走の後遺症で、あいつも体調が元に戻りきらなかったのだろうか。
「でもね、違うみたい」
「は? 何が?」
怒らないで聞いてねとかいう意味のわからない前置きをして、どれだけ促してもなおもサリオスは伝えるのを躊躇う。
「いや、意味わかんないから。早く教えてよ。いいから、あいつは何て言い訳してたわけ?」
「うーん……本当はね、コンちゃんって生まれたときから脚が悪かったんだって」
じゃあ、何だ?
脚部不安のあるやつが無敗で三冠獲ったのか?
それが先輩たちとやるようになって、化けの皮が剥がれたと?
そんなやつに、私たちは負け続けたというのか。
それから、あいつは低空飛行を続けた。脚部不安で宝塚記念を回避し、ようやく顔を出した秋の天皇賞でも先輩三冠ウマ娘の意地も矜持も示す暇なく年下の皐月賞ウマ娘にあっけなく屈する。
それから付いた渾名が最弱の三冠ウマ娘。
負け続きの中で引退も早々に決まり、あいつは最後のレースにJCを選んだ。
ちょうど1年前に、伝説が作られたのと同じ舞台で幕を引く。
涙を誘う悲劇のヒロインの終幕にしては、よくできた台本だ。
私はレースに出ていないから、菊花賞以来あいつと喋ってもなければ顔すら見ていない。そもそも、あいつは友達なんかじゃない。無敗三冠様に比べたら、しのぎ合うレベルに至っていないわけだからライバルと呼んでもらうのもおこがましい、ただのモブだ。だから最後のレースなんて微塵も興味はない。
でもサリオスは、まったく反対の考えをしていた。
「いいから! 絶対見て!」
「は? やだし。別にそんな義理もないじゃん」
「だってコンちゃんの! あの子のラスト・ランなんだよ! もう見れないんだよ!」
「知らない。そもそも私はレース出てないし、なんなら私もアメリカジョッキーがラスト・ランになるかもしんないのに、あいつから応援してるとか一言も聞いたことないんですけど」
「だから! 見てって言ってるの!」
サリオスは粘りに粘ってもう見舞いに来ないとかリンゴ剥いてやらないとか、口も聞いてあげないなどと何かとやかましいので、仕方なく。
私は仕方なく、あいつの最後のレースを見ることにした。
東京の長い直線を鮮やかに抜け出して。
勝ったのはコントレイルだった。
そして泣いていた。
泣いていた。
あいつは、彼女は、涙を流しながらインタビューに答える。
――今日で私は最後です。最後かと思うと胸に込み上げるものがありました。
――デビュー前からですが、すべて順調に進んでいたわけではなかったので、引退する今日まで、ずっと不安を抱えながらレースをして来ました。
――なかなか勝てない中で悔しい想いもしましたが、皆さんの応援で今日、こうして勝つことができて、感無量です。
映画のワンシーンが流れているみたいに、私はただ、ただ黙って画面を眺めている。
「ねぇ、ヴェルちゃん」
「……何?」
「私ね、ダービーでみんなに負けてからね、ずっとマイル走ってたじゃん」
サリオスはダービーの後、距離適正の壁にぶつかり菊花賞には出なかった。
「やっぱり楽しかったよ、大阪杯。久しぶりの中距離だったし。もっともっと、みんなと同じレース走ってみたかった」
私だって。
「私はまだ走れるけど、でもやっぱり、みんなとは走れなくて、スタミナがないから、でも、いつかは勝って、三冠ウマ娘より強いってなったら、じゃあ私が最強じゃんって」
私だって、そうだ。
――私は無観客の中でほとんど走ってましたから、こんなにたくさんの人の、皆さんの熱量を直に感じる機会があまりなかったので、感動しました。
――私はトレーナーさんがいなかったら……私は誰に教わっても三冠ウマ娘になれるほど才能があったわけではないのです。トレーナーさんたちのお陰で、ここまで来れました。
「でも、もうコンちゃんは走らないし。それに私は、私はマイルより長いレースに出れないから」
寂しい。
そう言って、サリオスも泣き出した。
モニターの向こうでは、彼女のインタビューはずっと続いていた。
ずっとずっと、途切れない飛行機雲のように、彼女の一語一句に拍手が続いていく。
『さぁ! 宝塚記念投票も始まりまして、春のグランプリも目前となりました! その前哨戦となります第75回農林水産省賞典! 鳴尾記念GⅢを制するのはどのウマ娘か!』
医者が、もう大丈夫ですなんてまともに聞ける台詞を喋ったのは実に1年半ぶりのことだった。コントレイルが去った今でもサリオスは走ってるし、ディープボンドはなんかフランスに行ってたし、アリストテレスもなんかぼちぼちって感じだ。昔、クラシック戦線途中の神戸新聞杯で1回戦って、その時はいまいちパッとしなかった子も今じゃドバイのGⅠを勝ってる。
彼女らに比べたら私には勲章なんて何もない。期待を寄せられるような身分じゃない。
その証拠に1年以上間隔を空けた復帰戦は、重賞勝利経験どころかGⅠ出場経験もない年下の子に1番人気を譲っている。クラシックを争ったと言ってもその後はただ病院で寝てたんだから、当然と言えば当然だろうけど。
「ん? あんた、たしか……んだよ、もう脚は大丈夫なんか?」
ゲート前でストレッチをしていると、なんかオラついた格好の子が話しかけてきた。ガラの悪さを私に言われたくはないだろうが、それにしたって彼女の格好はなんというかセンスが厨二病っていうか小学生男子が好みそう。私は見覚えないけれど、向こうは私を知っているようだった。
「ま、医者が平気って言ったから」
「は! せいぜい頑張るこったな!」
「何? 応援してくれんの?」
「バッカじゃねぇの! 応援なんかすっかよ! また病院で寝てろって意味だわ! 今日勝つのは、この俺だ! 2000mくらい余裕で逃げきってやっから覚悟しろ!」
「ふーん」
「……こんのっ! お前らはいっつもそうだ! ちょっとクラシック出たからってエリートぶりやがって! いい気になってんじゃねぇぞ! そんなもん1年経ったら何の意味もねぇ!」
「同感。言えてるわ」
「くっそ! バカにしやがって!」
なんかプンプンしながら彼女は去って行く。
クラシックと言ったな。そうか、私と同世代だったか。そういえばちょっと前にディープボンドと同じレースに出ていた気がする。
――クラシックレースなんか、1年経ったら意味はない。
それな。
わかるわ、コントレイルは先輩方とやったら勝てなかったもんね。
クラシック戦線なんて、過ぎてしまえば思い出の他には何も残らないのかもしれない。
だからって、さ。
『なんという直線の伸び脚! これはすごい! 屈腱炎で長期休養もなんのその! 1着はヴェルトライゼンデ! 勝ったのはヴェルトライゼンデです! 圧勝でゴールイン!』
脚の調子は、それなりによさそうだ。あの医者もいい仕事したのかも。
軽く息を整えてから振り返るとちょうど視線の先で、スタート前に私に絡んできた子が地面で寝ていた。
「……ぐっは。はぁ、はぁ……うっそだろ。今まで病院で寝てたやつの脚じゃねーよ……」
「あー、あんた、大丈夫?」
「……うっるせ、敵の情けは受けねぇ……」
「タメなんでしょ? 仲良くしよ」
「……黙れ、クラシック組と群れる気はねぇ……」
「そう言われましても、私はほら、無冠だし」
「……くっそ」
手を差し伸べると、意外と素直にその子は掴み返してきた。それはそれでかわいいところはあるが、言うべきことが1つある。引っ張り上げて無理矢理に彼女を立たせる。
「うっわ……っ! な、なんだよ!」
「クラシックの価値がどうたら言ってたじゃん? まぁ、どんな感想を抱こうが個人の自由ですけど、実際に走ってみたらわかったでしょ」
「な、何が……?」
「世代の頂点決めるってのはな、そんなナマやさしいもんじゃねーんだよ、テメー。出てから言えや。次にナメた口きいたらマジほんと、シメっから」
「ひ、ひぇっ……」
誰に似たのか、どうしても粗暴なところが治らない。それはそれとして。
コントレイルはもういない。
そして世間は、今まで以上に好き勝手に言うだろう。
クラシック最弱。
狭間の世代。
冗談じゃない。
三冠ウマ娘は、無敗の三冠ウマ娘は間違いなく強かった。
完璧じゃなくても、脚に爆弾抱えてても、それでも彼女は世代最強だった。
私は今から、それを証明してやる。
私が勝ち続ければ連中も認めざるを得ないだろう。
それより強いコントレイルって何者だよ、と。
復帰初戦は、どうにか勝った。しかしこんなの、まだ序章に過ぎない。
ふと見上げた空には消えかかった飛行機雲が、ぼやけた一筋の線を描いてた。
思えば私はずっと、その軌跡を追いかけていたのだ。
まぶしくて、逃げ出したくて。
いつまでも弱い自分は変わらなかったけれど。
それでもずっと、追いかけていた。
私の復帰いきなりの重賞制覇を真っ先に喜んでくれたのは、やっぱりサリオスだった。
「ヴェルちゃんかっこよすぎでしょ! 見ててね! 私も安田記念さくっと獲るから!」
けれど翌日には惜しくも3位だったとピイピイ泣いていた。
そういういまいち締まらないとこも、私の世代の特徴なのだろうか。
まぁ、いい。脚は治った。この先いくらでもレースはある。
レースは。
勝負は。
私たちの旅はずっと続くのだ。
順風満帆な競技人生なんてない。
それでもコントレイルは勝った。
だったら私も、骨折したって屈腱炎になったって。
根性でまで、あいつに、彼女に負けるつもりはない。
私の名は、ヴェルトライゼンデ。意味は世界中を旅する者。
こんなところでは終わらない。
私が、私たちこそが最強世代なのだ。