硝子の兄は海月になりたい   作:ふみどり

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 それにしても、と夏油は一度言葉を切って、まじまじと俺の顔を見る。何だよ、とつい身をよじった。

 

「クラゲさんですよね?」

「……他の誰に見えるってんだ」

「いえ、隈がないクラゲさんを初めて見たので」

「移動時間、やることなくて基本寝てるからな。出張に出てる方が睡眠時間なげーんだよ」

「出張中の方が健康的って……クラゲさん、やっぱり真面目に任務に出るべきでは」

「うるせーわ」

 

 本当に印象変わりますね、と無遠慮に見つめられて顔をしかめる。野郎に凝視されて喜ぶ趣味はねーよと言えば、むしろ女性になら凝視されて喜ぶんですか、とか聞き直す夏油、お前マジで黙れと思う。

 

「どっちもいらね」

「そういえば硝子が、クラゲさんは中学まで死ぬほどモテてたって」

「中学までなんてどいつもこいつもガキだから、頭良かったり運動神経良かったりまとめ役やってたりする奴が無条件でモテるもんだろ。俺そういうの全部クリアしてたから」

「頭と運動神経はわかりますが、まとめ役も?」

「生徒会長まではやった」

 

 それは意外、と不思議そうに言う夏油に、ため息をつく。

 

「事態が悪化した後に助っ人頼まれたり相談されたりするよりは、最初から俺が動かした方が効率いいし、俺の精神衛生的にも少しはマシ」

「納得。昔からクラゲさんは面倒見が良かったんですね」

「昔からって何だよ」

「悟のイタ電に付き合ってあげたんでしょう?」

 

 思わず死んだ目をした俺に、夏油は遠慮なく笑う。本当に懐かれましたねって、マジでお前が言うなと言うか。あいつまじで何とかなんねーの、と言っても、その相棒はただ無理ですよと手を振るばかり。こいつまじで面白がってやがる。

 もう話をするのもめんどくさくなって、で、と言葉を促せば、はいはいと夏油は手に持っていたメモを差し出す。

 

「本題の前に宿題の話を。これ、クラゲさんがいなかった間に特に用もないのに高専に訪れた暇な術師のリストです。印がついてるのが、その中でも直接硝子に接触しようとしたひと。私が任務でいなかったときは夜蛾先生が見ていたので、漏れはないと思いますよ」

「……夏油」

「一応私が高専にいるときはなるべく目を光らせていましたし、悟もわかってるのかどうなのか、いつもより硝子を気に掛けてたみたいです。まあ術師のそういうめんどくささはきっと悟の方がよく知っているでしょうしね」

 

 これで「よろしく」は果たせましたか、と平然と言う夏油。

 とりあえずメモを受け取って、軽く目を通す。どいつもこいつも、クズと評判の馬鹿ばかりだった。そうか、とそのメモを握りつぶす。

 

「そう解釈したのか」

「あれ、違いました?」

「あってるも違うもねーよ。お前がどう動くのかを見たかっただけ」

 

 俺の「目的」を理解しているつもりだと宣った夏油。だからあえて曖昧な言葉で留守を任せ、俺の何をどこまで理解しているのかを確かめるつもりだった。

 そして夏油は、硝子の周囲に目を光らせるという行動に出た。それはつまり、確かにおおよその俺の目的を理解しているということ。同時に、このリストを作成する中で気づくこともあったはず。

 ふうん、と夏油に目をやれば、夏油は苦笑して、それから嫌そうに顔をしかめて、言い捨てる。

 

「ある程度はわかってるつもりでした。……でも、正直想定以上でした」

 

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 その言葉に、少し息を吐く。

 

「勘違いすんなよ。俺はお前に呪術界の腐敗を理解させたかったわけじゃない」

「わかってます。呪術界にとって、硝子が今どういう立場なのかをはっきりさせたかったんでしょう」

 

 硝子という存在を、モノとしか見ない下衆ども。正直俺が高専にいるからと言って、どこまで抑制できているかはわかっていなかった。硝子が入学して以来、俺が何日も高専を離れたのは今回が初めてだからだ。

 しかしこの結果を見るに、俺という存在は威嚇くらいにはなっていたらしい。

 

「……まあ、礼は言っとくよ夏油。助かったわ」

「いえ。クラゲさんに言われなくても、硝子に手を出されるのは気分が悪いですし」

 

 改めて確認しますが、と夏油はまっすぐに俺を見た。その目には確かに、真摯な色があった。

 

「クラゲさんの『目的』は、硝子を守ることですか?」

「違うけど」

「……は?」

 

 いやだって、と言い募ろうとする間抜け面に、呆れた顔を向ける。確かに俺は硝子を守るが、それも「目的」でなく「手段」に過ぎない。

 俺は硝子のために生きるつもりはない。いつだって、俺は俺のために生きている。

 

「俺にとって硝子を守ることも『手段』だ。……守るって言い方すら語弊があるかもな。俺は、硝子が硝子の思うように生きられるならそれでいい。たとえその結果、地獄を見ようが早死にしようが、それが硝子の選択の結果なら必要以上に手を出すつもりはない」

「それは……」

「けど、今は明らかにそれができる状況じゃねーだろ。今回みたいに隙を見せれば、呪術界の下衆どもは今すぐにでも硝子に手を出すだろうよ。他者に治療を施せる術師、しかも女。こんな都合のいい存在はねーからな」

「っ……!」

 

 俺は俺のために、硝子の自由と無事を保障する。

 少しでも術師が傷つくことが減れば、硝子が使い潰されるような事態は起きない。だから俺は研究を続ける。俺が術師として強くなれば、自分が可愛い下衆どもは硝子に手出しできなくなる。だから俺は腕を磨いた。

 どんなに生意気だろうと、それでも俺にとってはたったひとりの妹。両親よりずっと面倒を見てきた自負もある。

 妹が自由に生きられる確信がない限り、俺は自分が自由になることは許せない。

 

「……とはいえ、想定よりも状況はだいぶいい。このまま行けば硝子は、高専所属、医師免許持ちの他者に治療を施せる呪術師、上層的にはこのうえなくありがたい存在になる。そこまで行けば呪術界の共有財産扱い、下手に手を出して独占すれば他の恨みを買っちまう。だから硝子を手に入れるチャンスは高専在学中くらいしかないわけだが、ここにはお前や五条がいる」

「まあ、確かに手を出させたりはしませんけど」

「ああ。お前らは自分の利益、情、お前に限れば術師としての使命感も含めて、硝子のことを守ろうとするだろう。夜蛾だって学生を売るタイプじゃねーし」

 

 硝子のまわりに、俺以外にも硝子を守ってくれる存在があること。しかも、ほかの全てを黙らせるくらいの実力をもった存在。まさかそんな都合のいいやつらが現れてくれるとは思っていなかった。

 強くなりたいという夏油の求めに応じたのも、これが理由だった。こいつらが強ければ強いほど、硝子の安全は保障される。

 まあ言ってもいいか、と俺は小さく息を吐いて頬杖をつく。

 

「……俺はな、夏油。クラゲになりたいんだよ」

 

 唐突にそう言ったときの、夏油の顔と言ったら。

 頭でも打ちましたかとでも言わんばかりの表情に、思わず肩を揺らす。確かにこの言い方はわかりにくいか、と言葉を続けた。

 

「知ってるか? 種類にもよるが、多くのクラゲはあんまり自分で泳がねーんだよ。波にのって、ふらふら漂うだけ。たまに沈みかけると傘を開いて閉じて、ちょっと浮き上がったらまた漂う」

 

 あるがままに、流されるままに。

 面倒ごとになんか関わらず、ふわふわふらふらと。俺は、そう在りたい。

 

「術師なんかとっとと辞めて隠居してーの、俺は。適当に静かな場所に家買って、毎日ぼけっと昼寝したり、散歩したり、出来るだけ頭使わずに平和に過ごしたいわけ。生活費が心許なくなったらちょっと小金稼いで、十分に貯まったらまた隠居する。そうやって怠惰と自由の限りを尽くしたいんだよ」

 

 今だって、やろうと思えば出来なくはない。けれど、何の気兼ねもなく隠居をするためには、やっぱり硝子への気がかりだけは何とかしていかなくてはならない。

 一日でも早く、硝子が思うままに生きられる環境をつくるために。

 一日でも長く、クラゲのような生活を送るために。

 俺の目的なんて、ただそれだけのこと。そのためだけに、俺は今、自らこの地獄を泳いでいる。

 

「俺の隠居のためには硝子の自由は不可欠な条件だから、まあほとんど目的と同義だと言ってもいいんだけどな、それ以外の条件はほぼほぼ達成できてるわけだし」

「……クラゲさんて、実は相当な怠け者ですか?」

「おうとも、労働も面倒も非効率も大嫌いだね。俺は自分が楽をするためなら、どんな苦労も厭わない」

「うーん、決定的に矛盾をはらんでるような。……いえ、ええ、まあいいか。とりあえずは問題なさそうだ」

 

 では、と夏油は俺の顔をまっすぐに見据える。

 ここからが本題か、と俺もその視線を正面から受けた。数日前に、夏油が片付けた任務。そこで何があったのか、おおよその情報だけは頭に入っている。硝子からも聞いたし、どこかで噂を拾ったらしい補助監督もその話をしてくれた。

 正直なところを言えば、俺の感想は「またか」だった。古今東西、どこを見たってよくある話である。

 人間は、自分が理解できないものを恐れる。

 

「だいぶ噂になったらしいのですが、私が先日受けた任務のことはご存知ですか?」

「話は聞いてる。任務先の山村で、村ぐるみで虐待されていた呪力のある子どもたちを保護したって?」

「ええ。……ひどいものでした」

 

 私にはあの村の住人が猿に見えましたよ、と澄ました顔で言う夏油。

 呪霊による被害を、幼い子どもたちに押しつけた村人たち。親がいなかったうえに、自分たちには見えないものが見えるらしい子どもなんて、そりゃ全ての責任をなすりつけるには適任だっただろう。

 すべてをその子たちに押しつけて、自分たちは中身のない安寧を手に入れる。いつの時代でも、どこの国でもある話。反吐が出るくらいに、ありふれた話。

 夏油のまとう空気は、妙に凪いでいる。

 

「本当なら村人たちを皆殺しにしても足りなかったんですが……とにかく、その子たちを早く村から出してあげたかったので。邪魔する奴だけ排除して、さっさと村を離れました。双子の女の子なんですが、硝子にも懐いてるんですよ。怪我を治してもらったのが嬉しかったみたいで。まあ悟のことは嫌いみたいですが」

「幼いのに見る目のある子たちだな。将来有望」

「ええ、本当に。私もそう思います」

 

 そこで夏油は、言葉を切る。

 少し顔を伏せて、考えるような仕草を見せる。自分の中に生まれたものを、なるべく正確に言葉にしようとしているように見えた。

 俺は何も言わず、次の言葉を待つ。それが夏油にとって大事な言葉なら、急かすつもりはなかった。

 しばらく黙った夏油は、少し目を閉じて、開く。それからまだ顔を上げた。

 

「星漿体の一件のときも、今回でも思いましたが、私は悪戯に術師が傷つき、消費されていくのが許せないようです。それも、自分たちのことしか考えない非術師のために」

「……非術師限定か?」

「ええ、……いえ、ですが、そうじゃない非術師がいるのもわかっています。弟のために、自らクラゲさんに殺されに来たあの女性のように。……同時に、術師にだって薄汚い下衆がいることも。硝子をモノのように扱い、クラゲさんの研究を保身や利権のために潰そうとする上層のことは、たとえ術師であっても仲間だとは思えない」

 

 私は、とそこで夏油はまた言葉を切った。

 へえ、と思った。夏油は、自分の感情を整理しながら、自分の核を掴もうとしている。自分にとって、大切なもの。ひとつひとつの経験と感情を並べて、比較して、共通点を探って、絶対に妥協の出来ない「目的」を、自分という情報の海から引き上げようと。

 夏油は、「夏油傑」という人間を理解しようとしている。

 

「……私は、」

 

 わたしは、と繰り返す。

 それは、静かな叫びだった。振り絞るような声だった。

 

「私は、呪術師(なかま)を守りたい。術師を理解することもできないくせに消費だけしようとする非術師からも、都合のいい駒として使い潰そうとする呪術界からも」

 

 仲間が、ただ消費されるだけの今が許せない、と。それはきっと、普段あまり内心の深いところを晒さない夏油にとっては珍しい、心からの言葉。

 術師の存在意義に重きを置き、たとえ限定的でも自分以外の他人を想うところが、何とも夏油らしいというか、何というか。いや、むしろ術師(なかま)に限るところが一番夏油らしいかもしれない。

 それでいいと思う。俺たち呪術師は、全てを救う救世主なんかじゃない。負の感情を呪いに変えて力にする呪術師に、そんなもんを期待するほうが間違っている。

 そこまで言った夏油は、少しすっきりしたような顔でにこりと笑う。

 

「……と、いう結論に至りまして」

「うん。で?」

「いろいろ考えたんですが、高専を卒業したらフリーになろうと思います」

「へえ」

「フリーになったら、高専とは別に術師の組織を作れないかと」

「組織。どんな?」

「まだ、構想でしかないんですが。とりあえず最初は、美々子や菜々子──その双子のことですが──ふたりのような存在を保護することから始めたいと」

 

 非術師のなか、その力のせいで生きづらい思いをしている存在を。自身の力を行使する方法がわからず、もてあましている存在を。

 独りではない、辛い思いをすることはないと伝えたいと、夏油は語る。

 

「呪力のある子の保護施設か? まず探し出すのが難しそうだけど」

「その辺りは考えなくてはとは思っています。まず市井の中にネットワークを作って、高専とは違う情報網を得る必要がありますし。でもそういう建前にしておけば、高専もそれほど邪魔してくることはないと思うんです。少なくとも、表向きは」

「表向きはな。で、スタートが呪力のある人間の保護だとして、ゴールは?」

 

 呪術界(せかい)に戦争でも仕掛けるのか、と言ってみれば、夏油はただ笑みを深める。肯定も否定もしないところが、何とも夏油らしい。

 

「私としては、別に高専に進んで牙をむくつもりはありませんよ。少なくともそれは『目的』ではありません。ただ、術師に選択肢を作りたいと思っているだけです」

 

 温厚ぶった笑顔を浮かべたまま、夏油は両手を開く。

 

「私だって霞を食べて生きるわけにはいきませんから、ちゃんと術師としての仕事はしますよ。フリーらしく一般人からも高専からも依頼を受け、呪霊を祓います。いずれはそれを、私の組織で働くことを選択してくれた術師たちに割り振っていく」

「つまり、第二の高専を?」

「イメージとしては、そうです。ただ教育機関はそう簡単に作れないでしょうし、当分は仕事の斡旋だけですかね。高専と上手く折衝しつつ組織を育てていき、最終的には高専と並ぶ規模を目指す」

 

 そこまで聞いて、なるほど、と頷いた。

 今呪術界の上層が大きな顔を出来るのは、術師が術師として安定して働けるための機関が高専しかないからだ。

 術師の多くが高専で育ち、高専から仕事を割り振られ、高専から収入を得ている。フリーでもまともに生きていけるのは、世渡りに長けていて伝手もあり、当然実力もあるほんの一握り。それが難しい術師は、どうしたって上層の顔色を伺わなくてはならない。だから手に余る危険な任務も、胸くそ悪い任務も、圧力を掛けられればやらざるを得ないのだ。

 だから夏油は言う。術師に選択肢を与えると。今の呪術界上層のやり方が合わない術師たちに、別の居場所をつくると。

 呪術師(なかま)が非術師にも呪術界上層にも脅かされることのない、そんな場所を築くと宣ったその顔はひどく不遜で、ひどく夏油らしかった。

 

「本当にまだ構想しかないので、これから卒業までに詳細を詰めて準備をしていきたいと思っています。相当な資金も必要でしょうし、ある程度の根回しと賛同者も……高専に邪魔されないように立ち回りも考えないといけない」

「……気の長い計画になりそうだ」

「何でもスタートはゼロからです。高専だって最初はそうだったでしょう。これから千年と続かせれば同じことです」

「ああ、確かに」

 

 頬杖をついていた腕を解いた。ぎしりと音をたてて椅子の背もたれに寄りかかり、両腕を組む。

 夏油のやりたいことはおおよそわかった。高専に属していては、いくら特級でも自分の意志だけでは動けない。その制約を解くためにフリーになり、夏油の思う呪術師(なかま)を守るための組織を作る。事情のある術師を保護する傍ら、術師が高専に依存しなくても生きていける道を示す。夏油の組織に呪霊祓除の依頼がある程度入るようになり、仕事の斡旋ができるようになれば、呪術界上層でふんぞり返っている奴らの特権も少しずつ削がれていくだろう。同時に、夏油がトップにいる以上は、ある程度仕事を選ぶことも出来るようになる。胸くそ悪い猿相手の任務を蹴り飛ばすことだって出来るわけだ。

 なるほど、それなりの戦略をもって駒を進めれば無謀ということもない。ふむ、と頷いてみせた俺を見て、夏油は満足そうに頷く。

 

「で、クラゲさん」

「ん」

「私の『目的』は、少なくともクラゲさんの意志に反するものではないと思っています。私の守りたいと思う呪術師(なかま)には、貴方も硝子も含まれていますから」

「まあ、そうだな」

「だから、貴方に協力を頼みたいんです」

 

 その愉しそうな顔に、思わず俺も口角が上がる。

 嗚呼、なんてとびきりの面倒ごとだ。現在の高専レベルを目指す組織の立ち上げの協力をしろって? 面倒も面倒で、普段の俺なら今の時点ですでに切り捨てていただろう。なのに妙に愉快に感じるのは、俺が使命感や感情論で動かないとわかっている夏油が相手だからだろうか。

 なあ、と夏油に声を掛け、脚を組む。

 

「まさかこの俺に一方的な協力をしろなんて馬鹿は言わねーよな、夏油?」

「もちろん。残念なことに私たちは呪術師ですからね」

 

 貴方にとっても悪くない話になると言ったでしょう、と言った夏油の笑い方は、なるほど、救世主にはほど遠かった。

 

 *

 

 といっても、と夏油は肩をすくめる。

 

「現時点では詰めなくてはいけないことが多すぎて、明確にこれをしてほしいとは言えない状況です。だから、まだ『縛り』を結べるほど具体的な要求はありません。ただ、こちらが約束できることはあります」

「それは?」

「大きくふたつ。ひとつ、私は貴方の研究を信頼するし、協力もお約束します。ふたつ、貴方や硝子に何らかの助力が必要になったとき、必ず私は──私の組織は、ふたりの力になります」

 

 おっと、と俺は肩をすくめた。

 

「いくら『縛り』にならないとは言え、必ずなんて強い言葉を使うのか?」

「大丈夫ですよ。言ったでしょう、貴方も硝子も、私にとっては守るべき対象です」

 

 むしろ手を貸さない理由がありません、と夏油は言い切った。それが呪術界を相手取ることになってもか、とは聞かなかった。迷いなく頷いてくれる確信はあった。そんなことでビビるほど、この特級クズの神経は細くない。

 俺はひとつ頷いて、夏油に続きを促す。

 

「代わりに、貴方には私の味方でいてほしい」

 

 みかた、とあまりに曖昧な言葉にひとつ瞬きをする。ええ、味方です、と夏油はどこまでも愉快そうだ。

 

「私の目的を理解した上で、私に必要だと考えられる助言と、行動をください」

「……緩すぎねえ?」

「ええ。でも、それだけで十分のはずです。私がやろうとしていることは、貴方にとってメリットしかないのだから」

 

 いざというときに硝子を連れて逃げられる場所、ほしいでしょう?

 そう言って小首を傾げてみたこのクズ、念には念を入れたい俺の性格をよくわかっている。研究最優先の九十九さんや、そもそも性格クズ筆頭の直毘人さんより、夏油は確実に俺や硝子を守るだろう。こいつの性格と矜持の高さを考えれば、自分の言葉を違えることも有り得ない。

 不安があるとすれば夏油が俺の隠居を邪魔しないかということくらいだが、おそらく俺の手が必要になるのはせいぜい最初の数年。組織がある程度形になり、夏油が上層との渡り方を覚えてしまえば問題はないと読む。

 たったそれだけで、いざというときの避難場所を手に入れられるのなら、確かに安い。

 

「……夏油」

「何ですか?」

「ひとつ条件」

「聞きましょう」

 

 自分でも驚くほどに愉快な気持ちのまま、人差し指を立ててみせる。

 俺は一体何をこんなに愉しんでいるのだろう。今、とんでもない面倒ごとの話をしているというのに。頭の中にはいくつものアイディアが湧いてきて、夏油の言う組織をつくるための段取りまで考え始めている。

 こんな不確かで曖昧な状況では、俺の術式だってろくに働いてくれない。夏油の思うものが本当に形になるのかどうか、全く判断が出来ない。そんな状況で答えなんて出すべきではない。出してはならない。俺は、勝てるかわからない勝負には乗らない。運任せのギャンブルなんて大嫌いだ。

 大嫌いな、はずなのに。

 

「俺の頭にはすでに、お前の計画におけるいくつかの障害と、その対策が浮かんでいる。これをお前に伝えるというレベルの協力なら、まあ俺にも出来る」

 

 何故だか不思議と、大丈夫だと。そう思っている自分がいた。

 

「けど俺、多分お前が思うより手段選ばねーぞ? お前にとっちゃ反吐が出るようなことも策に数えると思う。それに、お前にもそれなりの要求をすることになる。それも、お前の得意な『強さ』以外のあらゆることをな」

 

 反射的に口を開こうとした夏油を手で制する。そんなことは覚悟の上だと返されるのはわかっていた。だから、その返事を聞く必要はない。

 だから、俺はあえてこういう言い方をしよう。

 

「だが、お前は俺を失望させるな」

 

 それを「目的」として定めたなら、それをお前の「本心」とするなら、なりふり構わずただそれだけを貫き通してみせろ、と。捉えて掴んだ「自分」の形を、歪ませることだけは許さない、と。

 お前がお前である限り、俺は死ぬほど嫌いなギャンブルにだって乗ってやる。

 

「それが条件。お前が日和ったその瞬間に、この協力関係は終わりだ」

 

 ぎしりと椅子が声を上げる。数の海を映し出す淡い光を背に、俺は一歩、二歩と夏油に近づいた。口角が上がっているような気がする。睡眠も休息も十分に摂った後だからだろうか、妙に気分もいい。

 自分でも気づかないうちに、俺は術式を発動していた。目の前に星の数ほどの可能性が堰を切ったように溢れ出す。いつもならこの星の海から、可能性の高い欠片を取り出すか、あるいは選び取りたい欠片を探し出して、その欠片への道筋を辿る。だが、情報も足りなければ目的の具体性も足りない今の状況では、どうにもならない。ただただ、いつか起こりえる可能性が目の前に浮かんでは消えていく。

 笑っている欠片もあった。血の流れる欠片もあった。涙する欠片もあった。平穏に、穏やかなときを過ごす欠片もあった。これらのどれに辿り着くのか、それともどれにも辿り着かないのか。今の俺にはわからない、だけど。

 やってみるだけの価値はあると、術式でなく俺の脳が告げている。

 

「俺、わりと厳しいと思うけど、乗る?」

 

 瞬きをひとつして、視界を現実に戻す。夏油は、一切の揺らぎを見せなかった。手を伸ばせば届くほどの距離で、俺よりいくらか年下の、だけど俺より遙かに強い、自分のカタチをその手に捉えた術師は笑う。

 誰よりも術師らしく、傲慢に、不遜に、笑う。

 

「望むところです」

 

 嗚呼、乗り越えたんだな、と。迷いのないその顔を見て、思う。

 いつぞや夜蛾が教育はいいぞ、なんて延々と俺に教師という仕事のやりがいについてプレゼンしてきたことがあったが、もしかしたらこういうことなのかもしれない。

 惑い、苦しみ、あがき、自己の可能性を模索して、道を切り開く。そんなさまを見るのは、確かにちょっと痛快だ。いや俺絶対教師とかやんねーけど。

 そうか、と俺は息をつく。夏油はいまだ、笑ったまま。

 

「一応言っておきますけど、クラゲさんもちゃんと利用価値があるところを示し続けて下さいね?」

「は、まだまだ上層との喧嘩の仕方も知らねーガキが言いやがる」

「ははは、その道のプロに言われると言い返せないですね」

「誰がその道のプロだ。経験値があると言え」

「言っときますけど、大半の術師はその経験値持ってませんからね」

「意外と術師ってチキン多いよな。嫌なことに嫌って言うのがそんなに難しいか?」

「難しいんですよ」

 

 そのために私の「目的」がある、と夏油は言う。

 まあその通りか、と俺も頷いて、改めて夏油に背を向け、また椅子に座った。

 

「話は終わりか? 俺の考えは詳細詰めてからまた話す」

「わかりました。じゃあ私はこれで失礼します、が……クラゲさん」

「何だよ」

「せっかく隈消えたんですから、今後も睡眠時間確保した方がいいと思いますよ」

「聞こえねー」

 

 くるりと椅子を回してモニターに向き直ると、背後からため息が聞こえたが無視する。たとえ夏油と協力関係を結ぼうと、俺にとってこの研究の優先度が下がることはない。

 やれやれと部屋を去ろうとした夏油は、ふと気づいたように声を投げる。

 

「そうだ、私が授業や任務に出ている間、双子たちを預けてもいいですか?」

「ここ託児所じゃねーんだけど?」

 

 素直ないい子たちですよ、という言葉だけを残して、ドアの閉まる音がした。いろいろと吹っ切れた特級クズは、どうやらそのマイペースにも磨きを掛けたらしい。

 一気に静かになった部屋に、俺のため息が落ちる。まあもともと夏油ってああいう奴だな、と思い直して、俺は再びキーボードに手を伸ばす。

 いつもと変わらない数の海が、今日は妙に鮮明に見えた。

 

 

 ***

 

 

 海月はただ、数の海を愛している。

 そして、その海に挑もうとするものも、また。

 

 

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