硝子の兄は海月になりたい   作:ふみどり

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 別に、あの最強クズどもが喧嘩をするのはよくあることだ。

 どっちもガキで譲らないから、それ自体は全く珍しくない。そんな気配を感じるたびに、余計な被害を受けたくない私はさっさとその場を退散していた。けれど、このレベルの喧嘩を見たのは、もしかしたら初めてかもしれない。

 鳴り響くアラートに、足下を揺らすほどの地響き。教室で始まった喧嘩は、どうやら校舎をぶち抜いて校庭に飛び出したらしい。

 

「家入さん、これは、」

「馬鹿どもの喧嘩。でもちょいやばそうだから外でよ」

 

 校舎の廊下で後輩たちと合流し、とりあえず外に出る。校舎の中では被害のほどはわからないが、この校舎だって瓦礫の山にならないとは限らない。

 どこまでも迷惑な、と渋い顔をする七海に内心で全面同意する。喧嘩は勝手だが周囲への被害も考えてほしい。

 

「派手にやってるみたいですね! ちなみに喧嘩の原因は何なんですか?」

「知らね。夏油の卒業後の話をしてるっぽかったけど」

「ああ……」

「え、何か心当たりあんの伊地知」

 

 廊下を走り抜けて、校舎を飛び出す。同時に、また大きな地響きがした。思わず立ち止まって振り返れば、ついさっきまで自分たちがいた校舎に大きな穴が空いている。やっば。

 

「何というか……その、五条さんは多分、夏油さんの話を理解できないような気がしていたので」

 

 完全に死んだ目で校舎を見つめる伊地知は、囁くように言う。言い終わってからはっとして、別に五条さんの理解力がどうという意味ではなく、と慌てたように言い訳するが、何となく言いたいことはわかる。

 五条は多分、理解できない。その内容を理解できないというよりは、それが夏油にとってどれだけ大切なことなのかを理解できないような気がする。さすがクズの中のクズ。

 

「知ってたけど特級クズやべーな」

「ええ、知ってましたけどもう少しどうにか出来なかったんですか?」

「夏油に言えよ、私に言うな」

「あっ見たことない呪霊がいる! すごいでっかい鳥!」

「灰原、緊張感」

 

 校庭の中心でやり合うクズどもが遠目に見える。殴り合う程度の喧嘩で済ませてくれればいいものを、五条の右手は掌印を結んでいるし、夏油の右手には黒い渦が巻いている。

 ふたりを中心に巻き上がる呪力の波はもはや息苦しいほどで、早くこの場から離れろと術師としての本能が叫んでいる。止めた方がいいのかな、と灰原は呑気に言うが、あれはもはや私たちに止められるレベルの喧嘩ではない。

 特級術師同士の大喧嘩など、死人が出ない方がおかしいのだ。

 

「、家入さん!」

 

 そしてこれだけ離れているのに、当然のように飛んでくる呪力の余波。目には見えない衝撃波が、地面を抉りながら眼前に迫る。

 これは五条の術式の、と脳が判断するより先に、強い力に引き上げられた。

 

「ぼさっとしてんな。何やってんだ」

「……兄貴、」

 

 私を片腕で抱えた兄貴は、心底嫌そうな顔でクズふたりを見つめている。いつもはケースに入ったままの刀が、その手には握られていた。

 

 

 兄貴は軽く地面に着地し、私の足を地面に付ける。私が自分の足で立てることを確認すると、そのまま腕を離した。ったく、といかにも仕方なさそうにため息をつく。

 クラゲさん、と駆け寄ってきた後輩たちには目もくれず、その視線はずっとクズたちに向けられている。

 

「アラート鳴ったから何かと思って来てみればこれかよ。まじで迷惑なやつらだな」

「今日の喧嘩はちょっとやばめ」

「見りゃわかる。原因は?」

「多分、夏油の将来の夢関連」

 

 ああ……と兄貴もどこか納得したように遠い目をした。兄貴もどこかでこうなることを予想していたらしい。

 ちなみに、と七海が言葉を続ける。

 

「今日は夜蛾先生をはじめとする教師陣は出張で京都です」

「そいや今日って珍しく高専にほとんど術師がいないんだっけ?」

「美々子ちゃんたちが定期検診で病院に行っていることだけが救いでしょうか……今日が高専来て以来初めての外出だと」

「ああ、不幸中の幸いだな。っと、」

 

 散れ、と兄貴が言うと同時に迫り来る衝撃波。再び私の首根っこを掴んだ兄貴は、あのクソガキが、と小声で悪態をつく。私と同じくとっさに反応できなかった伊地知は、灰原と七海に腕を掴まれて涙目だ。

 はあ、とひとつため息をつくと、兄貴の長い指がその形を作る。

 

「『闇より出でて闇より黒く、その穢れを禊ぎ祓え』」

 

 滴るように広がる夜は、馬鹿を続けるクズふたりを閉じ込めていく。その最中にも放たれた衝撃波は、夜の壁に吸い込まれるようにして消えた。ひくりと兄貴の目が細められたが、帳は問題なく下りきる。

 兄貴がもう一度息をつく頃には、クズどもの姿は完全に見えなくなっていった。

 

「帳、もしかして条件付き?」

「一定以上の呪力のあるものは通れないようにした。無機物も含め、外からも内からもな」

「んなこと出来たんだ」

「教わった」

 

 誰に、と口にする前に思い出した。結界術に秀でていたという、あの補助監督の存在。

 こうやって兄貴は守られ、呪われてきたのかと、妙に腑に落ちる。死んだ人のことを忘れても、そのひとから学び取ったものは決して忘れることなく。

 兄貴を構成するひとつとなって、彼らの「呪い」は生きている。

 

「……何まじまじとひとの顔見てんだよ」

「別に。で、これからどうすんの?」

「あの特級クズども相手にいつまで帳がもつかわかんねーからな。帳の強度を上げるためにも、俺が中に入る」

「あ、死にに行く感じ?」

「俺だってまじで行きたかねーんだけど?」

 

 けど今あいつらのどっちに死なれても困んだよ、と真剣に嫌そうに言う兄貴。

 確かにあの調子では、どちらかが死ぬか、最低でも再起不能くらいにまでいかないと止まらない可能性がある。力が入りすぎてウッカリ殺したなんてことがまじで有り得てしまうのがあのクズどもだ。

 でも一定以上の呪力があるものは通れないって、と尋ねれば、兄貴はほんの少しだけ口を尖らせて言う。

 

「……呪力量の基準を俺にしたからな。俺までは通れる」

「自虐ネタじゃんやっば。そりゃあのクズどもは通るの無理か」

「やかましい。こんな調整の難しい帳下ろせるだけすげーんだぞ本来」

「きゃー兄貴すごーい」

「せめて棒読みを隠す努力をしろクソ妹」

 

 とにかく、と兄貴は後輩たちに顔を向ける。

 

「七海くんと伊地知くんは補助監督や職員へ避難指示と、被害状況の確認を。特に非術師はもう高専から離れた方がいい。山側の避難経路使って外に出てもらって」

「はい」

「りょ、了解しました」

「硝子と灰原くんは怪我人の搬送と処置頼む。医務室まわりは他より強力な結界に守られてるから、そこならたとえ校舎が壊れようが大きな被害はないはずだ」

「了解です!」

「わかった」

 

 よし、と頷いて、兄貴は刀を肩に担ぐ。そのまま深い深いため息をついて、自らが下ろした帳に目を向けた。

 

「……死にたくね~~~~~」

 

 あまりにも素直な心の声に、こんな状況だとわかりながらも空気が少し緩む。

 あははっと灰原は遠慮なく笑い、伊地知はですよね、と弱々しく笑う。七海だけは真面目な顔を保っていたが、その顔に堅さはなかった。

 

「いえ、死ぬ前に逃げてくださいね」

「ご、ご無理なさらず……!」

「クラゲさんならきっと大丈夫ですよ!! 多分!!」

「熱量のわりに励まし方がゆるすぎてウケる」

 

 これ終わったらあの二人に何か奢らせましょうと言った七海に、水ようかん食べたい、と続く兄貴。良いお店調べておきます、と苦笑した伊地知の肩をひとつ叩いて、兄貴は歩き出す。

 その背中に、私も言葉を投げた。

 

「とりあえず命が残ってれば何とかしてやるけど、もし手足がちぎれたらちゃんと拾ってこいよ」

「想像がエグいわ」

 

 じゃーそっち頼むぞ、と走り出した白衣。

 兄貴が出張に出たあのときとは違って、何故だかその背中を見送るのは怖くなかった。

 

 

 ***

 

 

「──詳星呪法、」

 

 脳内に広がる、可能性の海。

 それはまるで、宇宙のような。それはまるで、深海のような。可能性が光となって浮かび、それ以外は闇が埋め尽くす場所。漂う闇は、よくよく見れば数の形をしている。

 

「《検索(サーチ)》」

 

 無傷でこの二人の喧嘩を止められる星はあるかって、まあこの段階で見ても無駄だよな。案の定、可能性の海にはひとつとして星は浮かんでおらず、頭に浮かんだのは《無理(エラー)》の一言。情報が足りない現段階でこの二人を止めようとするならそれは力尽く以外にないが、俺がこいつらを力尽くで止めるとか無理に決まっている。普通に死ぬ。

 となるとやはり、もう少し情報が必要だ。この喧嘩の発端が夏油の進路の話だと言うことは聞いた。だが、その中でも何がきっかけで、何がどちらの怒りに触れたのか。それを理解しなくては、この喧嘩を止める星は見つからない。

 たまに飛んでくる衝撃波をかわし、飛び散る呪霊の破片を鞘ごと刀で払い、ふたりの会話に耳を澄ませる。

 

「んだよ、傑がやりてーっていうから手伝ってやるっつっただけだろ!? 何キレてんのかまじ意味わかんねーんだけど!!」

「その無自覚の高慢さが勘に障るって言ってるんだ!! 誰が手伝ってくれって言ったんだ、悟は悟のやるべきことがあるだろ!!」

「はあ!? 俺のやるべきこととかオマエが勝手に言うんじゃねーっつの!!」

「悟!!」

 

 聞くだけで馬鹿らしくなるようなガキの喧嘩が目の前で繰り広げられている。強さだけは一丁前に特級なので、いやほんとマジで迷惑だなと思いながら、眼前に現れた頭が三つある犬のような何かをはたき落とした。なに今のケルベロスでは。しまったもう少しよく見たかった。

 ぎゃーぎゃーとわめき続ける声を聞きながら、頭に情報を入力(インプット)していく。

 どうやら先にキレたのは夏油のほうらしい。夏油の進路の話を聞いた五条は、協力を申し出た。どうも一緒にフリーになるとか抜かしたようだ。まあ素直じゃない言い方はしたのだろうが、そうじゃなくても夏油はそれを許せなかった。五条を「高慢」だと、やるべきことがあるだろうと言って、それを切り捨てた。

 あー……、と自分でも心底面倒だと言う声が口から漏れる。何となく、わかったようなそうでないような。

 浮かんだ推測が正解なのかはわからないが、まず間違いなく言えることは。

 

「……ガキかな?」

 

 いや、俺からすれば確かに四つも下のガキであることには間違いないのだが、四年前の俺もこんなにガキだっただろうか。全く覚えていない。

 何がガキかって、お互いがお互いのことを理解していると思い込んでいるところだ。どれだけ仲が良かろうが、以心伝心など有り得ない。言葉を尽くしてようやく、相手の心のひとかけらに触れられるかどうかだというのに。

 こいつらに欠けているのは、意地や強がりを抜いた、本音での対話だろう。

 

「《再実行(リトライ)》」

 

 改めて、星を探す。俺が無傷で二人を止める方法。

 さっきとは違い、今度はいくらか浮かぶ星がある。といっても宇宙の片隅で密やかに燃える星程度のものだが、まあないよりはマシだろう。

 とにかく、まずは冷静にさせないといけない。少ない星々を渡り歩くように、それぞれの可能性の欠片を検討していく。

 

「……えー……」

 

 何やら強い力に引き寄せられそうになるのを寸でのところでかわし、一番強く輝く「可能性」にため息をつく。

 正直、やりたくない。何でって疲れる。いざというときのために何重にも《縛り》をかけて温存している奥の手を、何故ガキどもの喧嘩の仲裁に使わねばならんのか。いや、わかっている、それでもやらなきゃこの特級クズどもは止められない。もうため息も出ない。

 しかし、やるにしてもチャンスは一度きり。しかも、対象は一名のみだ。どちらを狙い、どのタイミングで、そして必要な条件をどうやって揃えるか。

 脳内で一番強く輝く星は、蒼い色。

 

「……五条、」

 

 自分の呪力が、ゆらりと揺らいだのを感じた。

 出来るだけ何気ない口調で、でも確実に聞こえる声量で続ける。

 

「お前な、素直に言ったらどうだ」

「あ?」

「寂しいんだろ、夏油と離れるの」

 

 え、と夏油は呪霊を操る手を止め、五条はその色素の薄い顔を真っ赤に染める。肌が白いとその変化はひどくわかりやすい。

 

「は、……あああああ!? 何言ってんだよキモ!!」

「まあ卒業すればどうしたってつるむのも難しくなるけど、夏油がフリーになればなおさらだ。新しい組織を作ろうとすればやることも山積みだし、そりゃお前と遊ぶ暇もなくなるだろうな。だから寂しんぼの悟クンは、手伝ってやるとか言って大好きな夏油について行こうとしたんだよな。せっかく出来た初めての友だち、そりゃずっと一緒にいたいって」

「え? ……え? そうなの?」

「な、あ、ち、ちげーし!!」

 

 初めての友だちというのはカマをかけただけだが、十中八九当たっているだろう。

 いやそこで心底意外そうな顔してる夏油、それすらも理解してなかったお前の頭も俺は心配だよ。夏油は夏油で自分の頭の中の五条しか見ていない。「ひとりでも最強たりえるようになってしまった五条」しか、見えていないのだ。

 仮に何でもひとりで出来たとしても、この情緒五歳児野郎がひとりで大丈夫なわけがないだろうに。五条にとって夏油がどれだけ特別か、そんなもん夏油以外の全員が知っている。

 

「素直に言わねーから喧嘩になるんだろ」

「ち、げえって!!」

「何が違うんだよ。息抜きに夏油誘って振られただけでふて腐れてたくせに」

「え、」

「だ、から、……ちげーっての!!」

 

 その一瞬後に眼前に現れた、蒼い瞳と赤い顔。振りかぶられた拳は確実に俺を狙っている。ぱちん、と頭の中で星が弾けた。ここまで、読み通り。

 まず、対象は一名のみ。俺の刀が届く間合いにいて、俺と目を合わせていること。展開時間は最長でも一秒──だが、今回はコンマ二秒にまで短縮。日頃、少ない呪力をさらに抑えて蓄えていた呪力を解放。

 久しぶりに全身に満ちる、必要分ギリギリの呪力。五条の瞳が見開かれたのが見えた。だが、もう遅い。条件は全て、整っている。

 

「領域展開、──『那由他星海(なゆたのほしうみ)』」

 

 那由他に広がる可能性の海を、その蒼い瞳に叩きつけた。

 

 *

 

 アインシュタイン曰く、人間の脳は十パーセントしか使用されていないという。これは現代の脳科学ですでに否定されているが、人間が自分の脳にストッパーをかけているのは事実だろう。脳にしろ肉体にしろ、百パーセント解放すればたいていのものはすぐに壊れてしまうからだ。

 俺の手が届く程度の空間、ぎりぎり五条が入りきる狭さの、俺の領域。呪力に満ちたこの空間は、いつも俺が見ている可能性の海そのもの。

 この領域内での必中効果は、ただひとつ。あらゆる可能性を検討する、脳の強制的な活性化。

 普段なら無意識のうちに排除してしまう発生確率の限りなく低い可能性や、自分では忘れてしまっていると思っている経験値や知識から新たに浮上する可能性まで、そのひとつひとつが星となって眼前に現れる。

 今、五条の目の前は、星に溢れているだろう。星と、光と、あるかもしれない未来の可能性で、もしかしたら視界は白で塗りつぶされているかもしれない。通常の人間なら、一秒もあれば脳みそはクラッシュして使い物にならなくなる。快復しても後遺症が残る可能性があるし、当然下手をすれば死ぬだろう。

 しかし今回はコンマ二秒に短縮した上、五条は常に反転術式で脳を作り直している。だからきっとこれは、ほんの一瞬気を逸らすことが出来る程度の。

 だが、今回はそれでいい。

 

「──楽しいんだろ、高専での生活が」

 

 見開かれた六眼と、その場で棒立ちする俺より背の高いそいつ。

 視界の端で、呪霊をしまった夏油が地面に降り立った。

 

「だから、それを手放したくない気持ちは理解できるよ。ずっとこのままは無理でも、せめて夏油と一緒にいたいってのもな。……けど、そのやり方じゃだめらしいぞ」

「……あ、」

「そろそろお前は自分の脳みそ使うことを覚えろよ。見て、聞いて、理解して、どうやったら自分の望みが叶うか考えろ。お前の望みが叶って、しかも夏油も納得する方法、お前だったら考えられるだろ? 出来のいい頭もってんだからさ」

 

 あ、とまた言葉にならない音が五条の口から漏れる。領域展開の反動でまだ放心しているようだが、俺の声は聞こえているだろう。ゆっくり、五条が俺の言葉を咀嚼している気配がある。

 視線をその後ろに向けて、お前もだよ、と言葉を続けた。

 

「お前は圧倒的に言葉が足りねー。誰もお前の事情なんか知るわけねーんだから、理解してほしいなら言葉を尽くせ。自分の努力を怠ってるくせに癇癪起こすとか、マジでガキのやることだぞ」

「……返す言葉もないですね」

 

 歩み寄ってきた夏油に、五条はびくりと反応して振り返る。にこりと微笑んでみせた夏油に、もう怒りの色はなかった。

 

「いきなり怒って悪かったよ、悟」

「す、ぐる、」

「……もう、結構長い間悩んで、ようやく出した結論なんだ。それなのに悟はあまりにも簡単に俺も、なんて言うもんだから、私の結論を軽んじられたように感じて頭に血が上ってしまった」

 

 悟には悟の気持ちがあってのことなのにね、と夏油は柔く受け止める。

 

「私の夢を考えれば、きっと君に協力してもらった方がいいんだと思う。だけど、……そうだな、私はきっと、私の夢のために悟を『使う』ようなことはしたくない」

「、別に、」

「これは私の意地の問題だよ、悟」

 

 手段を選ばないと言った夏油にも、譲れない一線はある。いや、それでいい。それは、譲ってはならない一線だ。

 夏油が掴んだ自分のカタチを歪ませないために、夏油が夏油であるために。

 

「私は、君と対等でありたい」

 

 私の夢のために君を付き合わせるのは違う、と夏油は言い切る。その口調には断固とした意志があり、五条にも反論を許さなかった。

 

「一方的に使ったり使われたり、そういうのは対等とは言わないだろう? たとえ悟が私と一緒に居たいと思ってくれてのことだとしても、それじゃ私は納得できない」

「……俺がそれでいいっつっても?」

「うん。だめ」

 

 笑顔で切り捨てられた五条の肩が、心なしか落ちたような気がする。どう見ても親に説教される子どもの図だった。

 それはあながち間違いとも言いきれない。夏油の後をついてまわった雛鳥も、いい加減自分の翼で空を飛ばなくては。

 だから、と夏油は言葉を続ける。

 

「考えてほしいんだ、悟にも」

「……何を」

「悟が、これからどうやって生きていくか。呪術師として……いや、五条悟として、どう生きるか。考えて、そのうえで私と同じ夢を見るなら、そのときは一緒にやろう。悟だけの夢を見つけたら、私も君の夢を応援するし、君も私の夢を応援してほしい。……ああ、けれどもしそれが私と相反する夢だったら、」

 

 そのときは、また喧嘩でもしよう。

 夏油の言葉に、ぐ、と五条の手が握られる。その喧嘩は俺のいないところでやれよ、とは思ったが口には出さなかった。さすがにこの青春ドラマも真っ青の仲直りシーンに口を出すほど野暮ではない。いやそろそろ俺が倒れそうなので本当に早く終わってほしいんだけど、巻きで進めてもらえないだろうか。呪力使い果たして立ってんのもきついんだよこっちは。

 頼むからさっさと返事しろ、と五条に目を向ける。

 

「……わっかんねーよ。傑が何言ってんのかも、何がしてーのかも」

「……うん」

「けど、……わかるようになるから、ちゃんと教えろ」

「はは、ああ、……わかった。最近忙しくてなかなか話すこともなかったしね」

 

 たくさん話そうか、と夏油は五条の肩を叩き、五条はこくりと子どものように頷く。

 終わったか、と思うと同時に口から息が漏れた。立っていられなくて、その場に尻餅をついた。たったそれだけの衝撃でもくらりと世界が揺れる。

 

「、クラゲさん?」

「……あっれ、クラゲさん実は呪力すっからかんじゃね? え、嘘まじあれだけで? 呪力量雑魚とは思ってたけどまじで雑魚じゃんウケる」

「調子取り戻すの早すぎんじゃねーの情緒五歳児、マジで少しは反省しろ」

「あんだけの呪力で領域展開とかよく出来んね? というかそう、あれもっかいやってよ、もっかい食らったら領域展開の感覚掴める気がする」

 

 ひとの話を聞けよ、と言う前に襟元を掴まれてねえねえと揺らされる。こっちにはもう止める気力もないというのに、まじでこいつ人間性というものをどこかで拾ってきてほしい。

 こらこらと五条を窘める夏油も、どこか楽しそうだ。

 

「やめておきな、悟。本当にクラゲさんは呪力量がびっくりするくらい少ないんだから」

「知ってっけど、クラゲさんの領域展開、何かウチのと似てんだって。もうちょいで何か掴める気がしたのに一瞬で解除しちまったし」

「……ちょい待て五条、似てるって何」

「脳に直接作用する感じの領域展開だろ? クラゲさんがいつも術式でやってる高速演算を対象にも強制する領域ってとこ? 無下限呪術(おれ)の領域展開も相手の脳に作用する系らしいから」

 

 今できるやついねーから資料見た限りだけど、と五条の声が遠くに聞こえる。

 その言葉を聞いて、脳裏に浮かぶのは禪院のドクズの間抜け面。頭に血が上って、初めて対人で試した未完成の「那由他星海」は、調整も出来ずに近くにいた直毘人さんをも巻き込んだ。《縛り》が足りなかったこともあって威力もお粗末なものだったが、おそらく直毘人さんは俺の領域展開の形くらいは理解したことだろう。そして直毘人さんは、今もなお俺を禪院に取り込もうとちょっかいを掛けてくる。

 今、その理由がわかった。五条家相伝、無下限呪術と似通った領域をもつ俺の詳星呪術。何がどう似てるのか知らないが、五条が言うからには近しいものがあるのだろう。だからあの人は俺を禪院の血に取り込みたがったし、俺が五条家に取り込まれていないかを気にしていたというわけだ。

 

「……なるほどね」

「え、何?」

「何でもない」

「じゃあ早く領域展開」

「あ、クラゲさん、私はこの帳の方を聞きたいんですけど。これ条件付きですよね、しかも調整が難しいタイプの」

「俺が呪力切れ起こしてるのわかっててそれかよお前ら。まじ限界クズ」

 

 くらり、とまた世界が回る。

 どうでもいいけど領域展開のことは誰にも言うなよと釘を刺して、下ろしていた帳を消した。ざあっと外の空気が流れ込み、ぼろぼろになった校舎と校庭が陽の光に晒される。

 視界の端に硝子と灰原くんが見えた。手が空いているところを見ると、怪我人はそれほどいなかったらしい。

 

「というかお前ら普通に良くて停学、悪くて退学だから。少しでも処分が軽く済むように片付けくらいすれば」

「……悟、どれだけ術式乱発したんだい」

「はァ? 校舎の壁吹っ飛ばしたのは傑だろ」

「校庭の樹を折ってまわったのは君だ」

「うるせえとっとと働け」

 

 ぶちぶちと言い合いを続けながら瓦礫の山に向かうふたりを見送って、そのまま俺は後ろに倒れた。ぱたぱたと駆け寄ってくる硝子と灰原くんの足音を後頭部に感じる。

 降りそそぐ日光がまぶしくて、目を細めた。

 

「……何やってんだろな、俺」

 

 あの薄暗い部屋でモニターに向かっていればいいものを、何故だか最近は余計なことばかり。俺はたださっさと隠居がしたい、それだけのはずだったのに。それだけでよかったのに。

 いつの間にかひどく活動的になっている自分に呆れて、もはやため息も出ない。

 

「頭使いたくねーんだっつの……」

 

 俺にとってはただそれだけなのに、何でこうも面倒ばかり起きるのだろう。いやこれも怠惰と自由の日々のため、と自分に言い聞かせるが、さすがに疲れた。完全に脱力して、細く長く息を吐く。ひんやりとした地面が、もはや心地いい。

 久しぶりに見上げた空は、蒼く澄んでいた。

 

 

 ***

 

 

 波間に海月は思考する。

 自分と、硝子と、星々と、それぞれの道の行く末を。

 

 

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