海月の反抗期
反抗期とは、精神発達の過程のひとつだ。
幼少期と思春期の二度あると言われているが、時期や回数には個人差がある。自我の成長によって周囲への反発心を抱きやすくなり、身体の成長や環境の変化に精神が追いつかず感情のコントロールが不安定になる時期でもある。つまり、幼さゆえにいろいろとやらかす時期のことだ。ひとによっては「黒歴史」と同義であるかもしれない。
校庭で後輩たちと戯れる双子を微笑ましく見つめながら、あの子たちにもいつか反抗期とか来るのかな、と特級クズの片割れはしみじみと言う。
何でもいいから早く部屋に戻らせろよという本音はさておき、あの子たちのためにも反抗期は来たほうがいい、とわりと真面目に思った。あの度を超えた夏油への崇拝は薄れたほうがいいだろうし、冷たくされて泣く夏油とか面白すぎるので是非見たい。
そんな俺の内心など知らない父親気取りは、参考までに伺いますが、と軽い声で俺に話を振った。
「硝子の反抗期はどうやって乗り切ったんです?」
「しばらく放っといたら勝手におさまったぞ。何か自分の反抗期を自覚したら急に恥ずかしくなったらしい」
「兄貴まじで黙れ?」
メスを手に背後に這い寄る黒い影ごときにビビる俺ではないが、まあ別にそんなひどくなかっただろと一応のフォローは入れておく。実際いつもの生意気さが倍になった程度のもので、俺へのダメージは特になかった。
なるほど、と愉快そうに肩を揺らした夏油は、じゃあ、と俺に水を向ける。
「クラゲさんの反抗期は?」
俺の、と言われてふと記憶を探るが、そんなデータは見つからない。
「……まず反抗したい相手がほとんど家にいなかったしな」
多忙が過ぎる両親は幼い頃から家を空けていることが多く、高専に入学して寮に入るまではほとんど硝子とふたり暮らしだったと言っていい。
四つ下の幼い妹に八つ当たりするほど大人げなくはなかったので、たぶん俺に反抗期というものはなかったのではないだろうか。……と適当に流そうと思ったのに、何故かタイミング悪く通りがかったクソ恩師のクソ愉快そうな声。
「なかなか大変だったぞ、海月の反抗期は」
何でアンタが答えるんですか、と反射的に答えても夜蛾はにやりと笑うだけ。
「何なら歌姫に詳細聞くか?」
俺よりも歌姫のほうがよく知っているだろうというからかい混じりに言葉に、いつのことを言っているのかを察して知らず眉間に力が入る。
俺だって恥という概念くらいはもっているし、消せないにしても思い出したくはない記憶のひとつくらいはある。
「……俺はちゃんと謝りました」
「えっ本当にあったんですか? クラゲさん、詳細を」
「吐けよ兄貴」
というかあれは別に反抗期じゃない、と続けたいのに特級クズとクソ妹が妙にぐいぐい来る。いらん積極性をこんなところで発揮するんじゃない。
いやもうマジで誰が言うかと、結んだ唇に力がこもる。
「珍しいな、本気で嫌そうですね?」
「……誰にでもそういう過去のひとつくらいあるだろ」
あのときの俺を殺せるものなら殺してしまいたいし、庵には本当に申し訳ないことをしたと思っている。あれだけ情けないところを見せたのに今でも俺に敬語を使ってくれるあの後輩、実は相当に心が広いと思っているのだが何で特級クズふたりに対してはあんなに気が短いのだろう。正直あのときの俺のほうが普通に最低だ。
へ~~~と言いながらクソ妹は携帯を取り出した。何をする気なのか聞くまでもないが、これに関して俺は庵に口を割るなとか言える立場ではない。
となれば、せめて最悪の事態だけでも回避させてほしい。硝子、と痛む頭を押さえながらひとの嫌がることを進んでやるタイプの妹の名前を呼ぶ。
「庵に聞くなとは言わねえから他で言うな。俺がお前の幼少期の詳細を握ってること忘れるなよ。全部バラすぞ」
「このクソ兄貴。仕方ねえな」
舌打ちをしながらも頷いた硝子に、内心で安堵の息をつく。できるなら妹にも知られたくはないが、この特級クズに知られるよりは数億倍マシだ。
「えっ硝子、教えてくれないのかい」
「夏油もセンパイに聞けばいいじゃん。教えてくれるかは知らんけど」
「教えてくれるとは思えないから言ってるんだけど。じゃあ学長、」
「せんせーまさか教え子の個人的な事情をべらべら喋ったりしねえよな」
俺たちの会話を聞きながら始終面白そうに肩を揺らしているクソ恩師、日頃はまともそうに振る舞っているが、こういうところを見ると本当に呪術師にはろくなのがいねえなと思う。わかったわかったと振るその手、へし折って呪骸作れなくしてやりたい。
「俺が話すのはやめておこう。傑、いい機会だから歌姫への態度を改めたらどうだ」
「私はちゃんと目上として接しているつもりなんですが」
「夏油お前、まじでそう思ってんだから本当に可哀想だよな」
「さすがの私もたまに真剣にお前を気の毒だと思うことがあるわ」
笑顔の額に血管を浮かべた特級クズに妹と哀れみの目線を送りながら、じわじわと蘇ってきた気まずい思いに改めて蓋をする。
二十数年の年月を重ねてきた以上、俺にだって過去はある。覚えていること、忘れたいこと、――思い出せないことも。
意味深に向けられた夜蛾の視線には気づかないふりをした。