硝子の兄は海月になりたい   作:ふみどり

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皓視点。


走馬灯の果てに

 ――それは形見(のろい)だった。

 

 

 ***

 

 

 何かが俺の頭上で太陽の光を遮っている。

 空はよく晴れているのに、ぽたり、ぽたりと水が降ってきた。

 大粒の滴は不思議と温かく、光を反射してきらりと瞬く。

 その光をよくよく見つめると、ほのかに浮かんでは消える影が見えた。

 まるで星のように揺らめいて、輝いて、くすぐったくて、優しい。

 その正体に気づいて、嗚呼、と思った。

 ――これは、走馬灯だ。

 

 

 *

 

 

 海月の名前を聞いたとき、妙に納得したのを覚えている。

 感情が色のように見える俺にとって、第一印象というのはすなわち相手の「色」。海月が纏う色は淡く澄んでいて、目を懲らさなければ見えないほどだった。けれど感情が薄いとか乏しいとかいうわけでもなく、確かにそこに満ちている。

 

「……クラゲ?」

「読み方はミツキ。別にクラゲでもいいけど」

「よくこの漢字当てたね。すごいセンス」

「俺もそう思う。そっちはこれ、ヒロ? アキラ?」

「普通に読んで。(こう)

 

 そっか、よろしく、と。ゆるりと揺れた、淡い色。

 まるで、海の底で息をしているように見えた。

 

 

 *

 

 

「あ、これも知らない感じ?」

 

 入学したての頃、俺はかなり感じの悪いやつだったと思う。正直に言おう、海月を見下して優越感に浸っていた。

 一般家庭出身の海月が呪術界のことを知らないのは当たり前なのに、海月の無知を見つけてはあげつらった。別に海月が特別気に入らなかったとかではなく、ただの自己防衛だ。俺はお前より上なんだぞと意味もなく示して、自尊心を保とうとしていた。自分でもまじでみっともなかったと思う。

 だが、海月はそんな俺にも一切動じなかった。そうなのか、知らない、助かる、ありがとうと、素直に自分の無知を受け止めた。

 

「ついでにこれも教えてくれ」

 

 しかも、それならこれはどうなんだと質問してくる始末。あまりに動じない海月にだんだんと自分の小ささを思い知らされ、ますます嫌味に拍車が掛けたがそれでも波ひとつ立てる様子はない。

 しびれを切らした俺はとうとう尋ねた。

 

「お前怒るとかないの?」

 

 きょとんと目を丸くした海月は、心底不思議そうに返した。

 

「教えてくれるじゃん。何を怒んの?」

 

 感情の色は澄んでいる。嘘の気配は微塵もなかった。それどころか感謝の色さえ見えてこいつマジかと。嫌味を言われようが何だろうが、海月にとって俺は「知らないことを教えてくれるやつ」でしかないらしい。

 こいつの中には負の感情とかないんだろうかと一瞬疑ったが、負の感情をもたない呪術師など有り得ない。でも、俺に対してそういう感情はないのだと纏う色が語っている。何だか妙に頬が熱かった。

 

 澄んだ感情の中に「心配」の色を一滴垂らした海月は、熱でもあるのかと尋ねてきた。

 

「……ないよ」

 

 こうして俺は、出逢ってから一ヶ月も経たないうちに白旗をあげたのだった。

 

 

 *

 

 

 ちゃんと話してみれば、まあ海月は話せないやつでもなかった。

感情より理屈でものを話すぶん、俺としては話しやすくさえある。海月も口数が多いわけではないが、俺と話すことを嫌がる様子は見せなかった。

 

「……それ、術式つかってんのか?」

「え?」

「何で俺の限界のタイミングわかんの」

 

 入学して最初の数か月、海月はとにかくよくぶっ倒れた。まあ無理もない、何せびっくりするほど呪力が少ない。術式や呪力を自覚して間もないということもあり、かなり頻繁に呪力切れを起こしていた。海月なりに自分の限界をはかっていたのだろうが、残念なことに海月の限界に気づくのは俺が先。この日もせっかく俺がその辺にしといたらと親切に教えてやったというのに、それでも呪力を使い続けた海月はぶっ倒れた。汗だくの野郎を運ばされる俺の身にもなってほしい。

 校庭脇の木陰に海月を転がし、まあね、と呆れながら答える。

 

「呪力の流れと感情の色を見てればわかる」

「へえ……」

「ちなみに俺は海月が意外と甘いもの好きなのも知ってるし、チョコより餡子派なのも知ってるし、夜蛾と初めて顔合わせたとき真剣に疑ってたのも知ってる」

「率直にコワイんだけど何見てんの? いや甘いモンはともかくどう見ても夜蛾って堅気じゃねーじゃん、あんなガタイのいい悪人面が教師って言われても信じらんねーよ」

「わかる~。ま、というわけで俺に嘘はつけないと思ってね」

「つく必要もなさそうだし、つかない」

 

 そう言って海月は眉間にしわを寄せ、目を閉じた。めまいがひどいらしい。

 俺の術式を知っても、海月は特に何の感情もなくそれを受け入れた。普通、多少なりとも心の内を悟られてしまうのは嫌がるものだが、海月はむしろ必要以上に喋らなくても俺が理解してしまうことを楽だと思っている節がある。後ろ暗いことがない人間の余裕なのだろうか。

 ぱさりと海月の顔にタオルを落とす。ふわ、と海月の色がわずかに変わった。変わり方が妙に極端で、これは、と思わずジト目になった。

 

「……いや色で感謝伝えたつもりになるのやめな? 言葉にしなよ」

「これも伝わるのか。すげえな」

 

 ありがと、と小さく聞こえた言葉にため息をつく。

 

「……限界は見定めてやるから、ちゃんと俺の忠告は聞きなよ。呪力操作に必死なのはわかるけど、ぶっ倒れてばっかじゃかえって効率悪いから」

「……ん。助かる」

 

 それ以来、海月は俺の言葉をよく聞くようになった。いやそれはいいのだが、コイツときたら俺が察していることを理解すると言葉と表情をサボるようにもなった。確かに俺はわかるんだけどさ、そういうのやっぱりよくないと思うんですよねこの野郎。

 仕方なしに説教をしたときの海月の顔は完全に面倒くさそうだったが、ほんのわずかに申し訳なさそうな色が見えたので許さざるを得なかった。何コイツずるい。

 

 

 *

 

 

 とはいえ、海月の成長具合は凄まじかった。

 一度教えたことは決して忘れないし、体術にしても呪力の扱いにしても、特別勘が良いわけでもないのにいつのまにかできるようになっている。術式的に「効果的な努力」をするのが得意なんだとしれっと言っていたが、俺だって幼少から稽古を積んできた自負がある。そう簡単に抜かされてはたまらない。

 

「いや、普通にまだお前のが強いだろ」

「そこで『まだ』がつくのが正直だよねムカつく絶対抜かさせないから」

「まじで負けず嫌いだな」

 

 皓、と海月は呆れたように俺の名前を呼ぶ。名字で呼ばれるのは慣れていないと言えば、あっさりと海月は俺を名前で呼ぶようになった。そのときはまだ死ぬほど嫌いな家の名前で呼ばれたくないとは言わなかったが、気づかれていたのかもしれない。海月は気遣いとかデリカシーというものとは縁のない人間だったが、気づかないふりをするのは得意だった。

 俺はそれを優しさだと思ったけれど、たぶん海月にしてみればただの面倒ごと回避でしかない。それでもいいと思った。

 受け取る人間が善と思えば偽善も善。俺が優しさだと勝手に思っていればいい。

 

 

 *

 

 

 任務や実習で外に出ることが増えると、今度は俺の世間知らずが露呈した。

 幼い頃から暇さえあれば鍛錬という生活を送っていた俺は、外で買い食いをすることすら稀も稀。恥ずかしながらラーメン屋の食券の買い方すら知らなかったのだが、海月がそれを笑うことはなかった。

 

「知らないことは知ればいい」

 

 さらりと言ってラーメンをすする海月に、ひとを見下すような色はなかった。ただし慣れないラーメンを四苦八苦しながら食っている間に俺の餃子を一個かっさらっていったときは確かに面白そうな色が見えた。ムカついたので味玉を奪ってやったら、一個しかないもの取るか普通、と信じられない目で見られた。うるさいお前が悪い。

 ジャンクフードの類いも食べたことがないというと、じゃあ今度なと軽く返される。

 

「……海月はそういうのよく食うわけ?」

「いや? 妹が駄々こねたときだけ、仕方なく」

 

 海月に妹がいることを知ったのはそのときだ。

 こういうやつの妹ってどんな子なんだろう。ちょっと聞いてみたい気もしたが、下世話な気もしてやめた。だいたい海月は俺の家族のことを聞かないでくれているのに、俺だけ聞くのはフェアじゃない。

 俺が自分の家族のことを話してもいいと思えたときに聞いてみようと思った。

 

 

 *

 

 

「もしかして呪術師ってクズしかいねえの?」

「おめでとう海月、キミはいま真理に到達した」

「まじかよやべえな」

「やべえんだよ。ではここで残念なお知らせがあります」

「俺もお前もその呪術師のひとりですって?」

「はい大正解」

 

 世知辛えな、世知辛いね、と軽口を叩く俺たちの足の下にはうっとおしく絡んできた呪術師どもが転がっている。学生相手に粋がるうえに相手との力量差もわからないとかいっそすがすがしいほどの雑魚だ。

 どうせ俺たちが戦闘向きの術式をもっていないことをどこかで聞きつけていじめに来たのだろうが、まったく舐められたものだ。確かに呪術師の強さは術式(さいのう)に大きく左右されるが、術式だけで決まるのなら呪力の扱いや体術の鍛錬など必要ない。

 幼い頃から鍛えてきた俺はもちろん、驚異的な学習能力を誇る海月がこの程度の雑魚に負けるはずもなく。

 

「また夜蛾に説教食らうかな」

「でもこれ俺ら悪くなくねえか。喧嘩売ってきたのこいつらだぞ」

「せめて一発くらい殴られとけば良かったかもね」

「何されるより先に飛び蹴りかましたのお前な」

「いやいや、海月の拳のが早かったよ」

「都合良く記憶改ざんすんな」

 

 仕方ない、と海月は適当にクズの足を掴んだ。

 

「夜蛾に見つかる前に捨てに行くか」

 

 いまだに表情筋が死に気味の海月だが、それでも零れ出る表情はある。愉快だと示す感情の色に、その色に相応しい緩く上がった口角。

 いつもそんな顔してればいいのに、と反射的に思う。俺もつられて目元が緩んだ。

 

「裏山あたりがいいかな。海月、夜蛾と遭遇率の低いルート探してよ」

「確かいま会議だっつってたか? データ足りねえから確率微妙だぞ」

 

 そのあと結局見つかって正座はさせられたのだが、クズどもの台詞を一言一句違わず繰り返してみせた海月のおかげで説教は短めに済み、特に処分もなく。頼むから穏便に事を済ますことを覚えろとため息はつかれたが、それは心外だ。

 

「殺してないんだからかなり穏便では?」

「その倫理観って呪術師的にスタンダードなの?」

 

 そうだよ、と言い切るより先に夜蛾の拳が落ちる。

 海月に余計な情報を入れるなって、そりゃもう完全に手遅れだ。

 

 

 *

 

 

 海月は基本的に授業や実習には真面目に取り組んでいる。真剣に話を聞くし、わからなければ質問は欠かさないし、地味にキツい体力作りも手を抜かない。だからてっきりかなり真面目な性格だと思っていたのだが、わりと早いうちからそれが勘違いだということには気づいていた。

 

「……海月くんよ、もう午後なんだよね」

「…………るせ」

「いくら休みでも寝すぎ! さっさと起きろ飯を食え! 身体づくりには規則正しい生活習慣と適切な栄養摂取! というかお前が読みたいっていうからわざわざ近寄りたくもない実家行って呪術の歴史書取ってきたんだけど! それを寝て待ってるとかすげー腹立つんだけど!」

「……まだねるからほんだけおいてって……」

「はい俺は怒りました布団剥ぎます三、二、一!」

 

 そして布団を剥ぐと同時に俺の顔面に目覚まし時計が飛んできてぶち切れたし、海月のベッドは木片になったし、壁に穴が開いて隣の俺の部屋と繋がったし、夜蛾には盛大に怒られて足の感覚がなくなるまで正座させられた。

 

「……やることねえなら寝てえじゃん……一日二十二時間寝てえじゃん……」

「さすがに限度がある。ナマケモノか?」

「残念、コアラ。ナマケモノの平均睡眠時間は一日二十時間だ」

「別に睡眠時間の長い動物の話はしてないんだよね」

 

 意外と皓は真面目で勤勉だよなと平気な顔であくびをする海月に、つい右手が拳をつくるが何とか抑える。休みの日に二度も夜蛾の説教を受けたくはない。込み上げた怒りをため息で流し、俺より少し高いところにある寝癖のついた髪を見つめた。

 

「俺がどうとかじゃなくて、単純に海月が怠惰なんだろ」

「バレたか」

 

 いやバレたかじゃねーんだわ反省しろ。

 

 

 *

 

 

 そんな海月も、たまにふらりと姿を消すことは知っていた。寝坊助の面倒くさがりのくせにどこに出かけてるんだとからかうように尋ねると、海月は特に気にした風もなく水族館だと答えた。昔から気分転換によく訪れる場所であるらしい。

 

「皓も行くか?」

 

 話のついでに誘われて一瞬悩み、結局頷いた。水族館というものに行ったことがないというのもそうだし、海月がわざわざ足を運ぶ場所というのが気になった。

 ゆるゆると寄り道をしながら着いたそこは、本当に海の中のようだった。あまりに見慣れない世界に、つい心からの言葉が素直に口から飛び出した。

 

「……魚ってまじで泳いでるんだ」

「待って。いやまじ待って、それ本気で言ってる?」

 

 ちょっとさすがにそれは、という顔をした海月は数秒間頭を抱えたのち、何かを決心したような様子で口を開いた。纏う色はこの上なく真剣な色をしている。

 

「解説してやるからわからないことは全部聞け。大半は答えられると思う」

「苦悩と哀れみのこもった視線をどうも。何、実は魚博士の方ですか?」

「両親がな」

「は?」

 

 聞けば両親が海洋学の研究者なのだという。ああそれで名前が、と言いかけたが、いや海に詳しいことと実の息子の名前をクラゲにすることはイコールじゃないなと思い直して黙った。何となく海月が遠い目をしていたような気がする。

 それならばと目の前の海を泳ぐものを指さして適当に尋ねてみる。水槽横の説明書きより数倍詳しい解説が返ってきたことには感心を通り越して引いた。ハリゼンボンの針は実は千本もないとか別に知らなくても生きていけると思うね俺は。

でもせっかく聞いたものを忘れるのは屈辱なので、ちゃんとノートに書き留めておくことにした。海月に「前に解説しただろ」とだけは言わせたくなかった。

 

 

 *

 

 

 それからはちょくちょく海月と水族館に出かけるようになった。海月が立ち止まるのはいつもクラゲの水槽の前で、本当にこいつ自分の名前好きなんだなと。

淡い光の中を漂う傘を見つめているときの海月は、ほかのどんなときよりも穏やかな色を纏っていた。まるで深海に差し込んだ光のような色だ。

 クラゲのダンスを見つめながら、俺たちはいろんな話をした。不思議と、そこにいるときはいつもより素直にものを話すことができたと思う。

 俺の家、諌見(いさみ)家は他者の心を読む、いわゆる(さとり)の家系であること。

 御三家の一角、禪院家の傘下にある家系であること。

 俺はせいぜい感情の色が見える程度だが、より強く術式を継いだ兄がいること。

 術式(さいのう)重視の家でずっと兄と比較され、出来損ないだと冷遇され続けてきたこと。

 術式で劣るならとほかの面を必死で磨いたが、それでも認められなかったこと。

 ぽつりぽつりと、少しずつ吐き出した呪詛。海月は時折質問をはさみながらも、じっと耳を傾けてくれた。聞き終わったあとの海月は、ただ首を傾げていた。

 

「つまり皓の兄貴は術式(さいのう)持ち腐れの貧弱野郎ってことであってる?」

「うっわ、容赦なさすぎてサイコ~。実際俺より弱いからあってる」

「優遇される理由が少しもわかんねえんだけど」

「理屈じゃないんだよ、こういうのは。千年単位で変わってない価値観なの」

 

 わーくだらねー、と棒読みで呟く海月に、軽い笑い声を返す。海月ならそう言うだろうと思った。むしろ予想通りすぎて面白い。

 ただ、想像してた以上に面倒な世界だな、とつぶやいたときの感情の色には驚いた。複雑に混ざった色は、心配と不安、それに焦り。おおよそ海月には似つかわしくない色だ。どうかしたの、とつい尋ねれば、一瞬目を見開いた海月はちょっと考えてから口を開いた。

 

「……妹がいるって話はしただろ」

 

 四つ下の、それはもう生意気で可愛くない、けれどずっと面倒を見てきた妹のこと。

 他者に治癒を施せる稀少な存在であること。

 呪術界が真に欲したのは海月ではなく妹であること。

 高専への入学に反対するつもりはないが、不安はあるということ。

 

「……正直、ここまで前時代的な価値観が根強いとは思ってなかったから」

「あー……」

 

 稀少な力をもっていて、しかも女の子。そりゃ呪術界(せかい)が見逃すはずもない。

 海月も兄として妹を心配したりするのか、とちょっと意外にも思ったが、さすがに茶化そうとは思わなかった。むしろ少し、羨ましさすら覚えたかもしれない。

 口では可愛くないとは言っても、きっと仲の良い兄妹なのだ。良い、家族なのだ。

 

「……妹ちゃん守るなら、やっぱ海月が強くならないとだな。この世界、強ければそれなりに我は通せるから」

「ああ。どちらにしろ死にたいわけでもねーし、真面目にやるよ」

 

 鍛錬は、と言葉を付け加えた海月につい噴き出し、ぺしぺしと海月に肩を叩く。なんだよ、と嫌そうに言う海月にまた笑って視線をクラゲの水槽に戻した。

 背負っているんだ、と思った。

 いつも好き勝手やっていますという顔をしながら、妹の存在に縛られている。

 海月としてはきっと全部まとめて「自分のため」なのだろうし、それを当然こととして受け入れ、妹ちゃんを重荷になど決して思ってはいない。

 でも、確かに背負っている。縛られている。――呪われている。

 

「……海月、」

 

 きっとそれを言葉にしたら否定するのだろう。それらしい理屈と解釈を並べ立てて、大事な妹が「呪い」などと言わせたりはしない。その思考そのものがすでに呪われているのだと、海月は気づいているのだろうか。

 目の前ではライトに照らされたクラゲがふわふわと揺れている。確かにこれは綺麗かもしれない。筋金入りの面倒くさがりがわざわざ見に来る理由もわかるような気がした。

 

「……会ってみたいな、お前の妹ちゃん。可愛い?」

「可愛くねーっつってんじゃん。びっくりするくらい俺に似てる」

「えっ何それ気になる」

 

 会わせて会わせて、と海月に詰め寄るが、どうせ四年後入学してくるからと取り合ってはくれなかった。さてはシスコンかと冗談に見せた本音を投げれば、素知らぬ顔で足を踏まれる。このクソ同期、即断即決が過ぎるので攻撃的な色に気づいてからだと避けることができないのがムカつく。

 まったく四年後のことなんか話してる時点で海月はまだまだこの世界への認識が甘い。やりたいと思ったことは今すぐにでも行動するべきだ。

呪術師なんて、いつ死んでしまうかわからないのだから。

 

 

 *

 

 

 走馬灯はまるで星のように駆け巡った。

 死に瀕したとき、生き残るための方策を脳から引き出そうとして走馬灯のように記憶が一斉に蘇るのだという話を聞いたことがある。残念ながら蘇った記憶のなかに俺を助けてくれそうな情報はなかったが、妙に気分はいい。星のように駆け巡る記憶、きっと海月がいつも術式で見つめている景色はこんな感じなのだろう。

 死の間際に、お前が見ているものを見れた。辛かった記憶より苦しかった記憶より、お前との思い出ばかりが俺の脳を駆け巡った。それはひどく幸せなことのように思えた。

 こぽり、と口から血の塊が溢れ出る。

 

「こう、……だめだ、何で、……見つからない、星が、」

 

 ぽた、ぽたりと血だまりに滴が溶け込んでいく。

 いいよ、と口を動かしたが、海月には届いただろうか。

 海月の呪力がちらちらと瞬きながら脳を回しているのがわかる。ただでさえ海月は呪力が少ないのに、そんな使い方をしてはすぐに呪力切れを起こしてしまう。せっかくあんなに呪力操作の訓練付き合ってやったんだから、「俺の生存」なんて存在しない「星」を探して術式を無駄にまわすのはやめろというか。

 わかっている。俺は死ぬ。何てことない任務の、ちょっとした不確定要素のせいで、こんなにも簡単に。呪術師の死なんてものは、そんなものだ。そんなものなのだ。

 痛みよりも寒々しさが勝る。生命が血液とともに流れ出していくようだ。かろうじて動く手を伸ばして、海月の胸元を掴む。黒の制服にべっとりと血の手形がついた。

 

「み、つき、」

「喋るな皓、まだ、」

「泣くな」

 

 なくなよ、と何とか口を動かす。

 海月の顔が歪んだ。涙の雨はやむ気配を見せない。

 降り積もり、積み重なった感情で海月の色がドス黒く染まりつつある。まるで墨をぶちまけたような色。これは、――恐怖だろう。

どんな呪霊を前にした時だって見せることのなかった、恐怖と絶望の色。笑えるくらい似合わない、強く重苦しい負の感情。

 嗚呼、本当に似合わない。何てこった、強すぎる色は今後に影響を残すというのに。

 

「……いやだ」

 

 何だよいやだって、と笑い飛ばそうとしてできなかった。ごほ、と気管に入った血を吐き出す。反動で胸元から外れた手を海月に取られる。

 その手は温かかった。同時に俺の手が冷たいだけだと理解した。

 

「意外、と、なきむしか、おまえ、」

「うるさい、……泣くのなんて、初めてだ」

「……まじ?」

「お前のせいだよクソが」

 

 こんなもの知りたくなかった、と。いつも貪欲に知識を求める海月の口から、まさかそんな言葉が出るとは思わなかった。

 

「……知りたく、なかったか?」

「知りてえやつがいんのか」

「はは、……じゃあ、海月、」

 

 そうだよな、知りたくなんかなかったよな。

俺も、お前のそんな色なんて見たくなかった。

淡く光の差し込んだ深海のような、透明なのに満ちている、柔らかなのに眩しい、海月だけの色。それが俺のせいでそんな風に塗りつぶされてしまうのなら。

 いっそのこと、――忘れちまえよ、全部。

 

「俺のこと、忘れて」

 

 涙に濡れた瞳が見開かれる。

 忘れるのが海月にとってどれだけ難しいことなのかはわかっている。でもそこをなんとか頑張ってほしい。どうか、二度と思い出さないでほしい。

 お前はもう、背負っている。

 お前はもう、縛られている。

 お前はもう、呪われている。

 いい「お兄ちゃん」やってんだろ。だったら頭の中それだけにしとけよ。妹ちゃん大事にして、それ以外のどうしようもないことなんて全部忘れちまえ。

 お前の覚悟(のろい)(いろ)も、どうか濁らせないでほしい。

 

「……ちゃんと、わすれなよ」

 

 囚われなくていいんだ、俺になんて。

 俺のために泣いてくれた。

 俺の手を取ってくれた。

 俺がいなくなることを恐れてくれた。

 俺の家族だって、きっとそんなことはしてくれないのに。

 だから、――いいんだ。

 

「……しぬやつのことなんか、わすれたほうがいいんだ」

 

 お前の涙も、お前との思い出も、その恐怖と絶望の色も、全部俺が持っていく。

 

諌見皓(おれ)の、……さいごの、呪いだ」

 

 呪力も何もない言葉だが、きっとお前の「脳」は俺の呪いを受け入れるだろう。だってお前、そんな性格してるくせに懐に入れた人間には甘いから。

 海月は、きっと俺の形見(のろい)を拒むことはない。

 

「み、……つ、き、」

 

 身体の力が抜けていく。目の前が歪み、徐々に光が薄れていくようだった。俺の手首を握っていた海月の体温も、もう感じることができない。

 ごめんな、俺、呪術師だから。最後にお前のために何かできないかなって考えても、結局呪うことしか思いつかない。ほら呪術師ってクズばっかだからさ、ひとのために何かするとか根本的に向いてないんだって。薄れゆく意識の中でそんな言い訳を並べた。

 もう、何も見えない。夜の帳よりも深い暗闇に、その声が響く。

 

「……皓、お前、まじでひでえやつだな」

 

 震える声で落とされた恨み言と、もうひとつ。

 

「       」

 

 暗闇に溶ける最後の一瞬に聞こえたそれは、最高の呪いの言葉だった。

 

 

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