ある程度の「想定外」には対応できる自負がある。任務中にイレギュラーが起きるのは当然のことだし、日常生活においても特に何かとやらかしてくれる相棒のおかげで多少のことは耐性がついている。
が、さすがにこれは予想していなかった。
「………」
「………」
真っ昼間の大通り、それもおもに地元の人間が行き来するエリアでまさか深海の住人と鉢合わせるとは思わないだろう。驚いたのは向こうも同じらしい、珍しくわずかに目を見開いて固まっている。
といってもそのひとが驚いた理由は私と鉢合わせたことでなく、私の隣にいるひとのせいだろうけれど。
「あら傑、お知り合い?」
私だって人間なので、実家はあるし産み育ててくれた両親もいる。
呪霊を見えると言った私を受け入れ、高専に進むことを選んだ私の背を押してくれた両親にはちゃんと感謝をしているし、帰省をして顔を見せては親孝行と思って買い物に付き合うことだって普通にある。
とはいえ、その姿をひとに見られるというのはなかなかに思うところがあるというわけで。それも、まさかこのひとに。
知り合いというか、とつい言葉を濁すと、すっとクラゲさんは前に進み出た。垂れた目尻をわずかにゆるませ、いつもより柔らかい声に言葉をのせる。
「夏油くんのご家族の方ですか? 初めまして、家入と申します」
アンタ誰だ、と言いそうになったのをすんでのところで堪えた。
*
「お前俺を何だと思ってんの? 礼儀くらい知ってるわ」
「生憎と貴方が礼儀を発揮してるのを見たことなかったもので」
このひと本当に公共交通機関が似合わないな、と思いながら隣に座るそのひとを見る。地下鉄の座席に座っているだけで面白いとかいっそ才能だと思う。
そんな気持ちが顔に出ていたのか、垂れたジト目がこちらを睨めつける。
「言っとくけどお前もたいがい似合わねえぞ。見てるだけで狭苦しい」
「身長だけならいうほどクラゲさんと変わらないんですけどね。筋肉量の違いかな……ああ別にクラゲさんがひょろいとは言ってませんよ?」
「言ってんだよクズ。お前に比べたら人類の大半はひょろいわ」
まあクラゲさんは細身に見えるだけでちゃんと鍛えているのはわかっているし、さほど筋力を必要としない戦闘スタイルなのだろうと察しているけれど。そもそも鍛えても筋骨隆々になるタイプではなさそうだ。マッチョなクラゲさんなんて想像するだけで笑える。多分硝子も腹を抱えて笑うのを通り越して泣くと思う。
鍛えてますから、と軽く言えばクラゲさんはめんどくさそうに視線を外した。
「お前の場合、親父さんの遺伝もありそうだな」
「ああ……そうですね、よく父に似ていると言われました」
話をそちらに持って行かれると、つい声が小さくなってしまう。
まさかの笑顔に近い表情で、私の母に挨拶までしてみせたこのひと。これがまたどこをどう見ても礼儀正しい好青年という体で、つい夢かと疑った。
しかも適当に挨拶をして去ってくれればいいものを、ひとを家に招くのが好きな母は当然のようにクラゲさんを夕飯に誘い、いやそんなと最初は遠慮をしてくれたクラゲさんも、母の押しの強さと、おそらくは何よりも私の顔色を見て最終的に頷いた。
そしてまさかの、両親と私、クラゲさんの四人で食卓を囲むことになったという。いやどういうことだ、私にもわからない。
「あんな嫌そうな顔する方が悪い。意地でもやりたくなるだろ」
「ええ、こういうときに貴方は硝子の兄なんだと思い知りますよ」
「不思議とあいつ、俺の嫌なとこばっか似てな」
「嫌なところだと自覚があるなら改めては?」
その必要性を感じないと言い放ったこのひと、どの口でひとをクズ呼ばわりするのかと。ひとの嫌がることを進んでやるいじめっこ精神、完全に妹にも遺伝しているのでどうにかした方がいいと思う。
仕事から帰った父にも丁寧に挨拶をしてみせたクラゲさんは、一部の隙もなく「私のクラスメイトの兄」で「先輩の呪術師」として振る舞って見せた。学校のことから呪術のことまで、話題を振られてはひとつひとつ丁寧に答える。せっかくだから、と父に酒を勧められても嫌な顔ひとつせず杯を受けていた。酒は脳が鈍るからあまり呑まないと言っていたのに。
『さては家入くん、なかなかの酒豪だな? 全く顔色が変わらないじゃないか』
『遺伝的に酔わない体質でして』
『父さんはその辺にしておきなよ。顔が赤い』
『そうよお父さん、ごめんなさいねえ家入くん』
いえ、と軽く返したクラゲさんはまた酒に口を付けた。誤魔化すこともなくちゃんと呑んでいるようだが、確かに顔色は変わっていなかった。酒豪というのは本当らしい。
対して酒が回ってきたらしい父は、その切れ長の目のふちを赤くしていた。
『……家入くん、君は呪術師として働いて長いのかな?』
酔っ払いらしく唐突に態度を改めた父は、少し低い声で尋ねた。急に変わった話題も戸惑うことなく受け止めたクラゲさんはそうですね、と少し考えて答える。
『長いというほどではないですが……まあ、彼の四つ上なので、その年月分くらいは』
すぐ死ぬやつが多いこと考えれば長いかも、と言わないでくれたのには安心した。両親にはあまり呪術師の世界のことを話していない。無駄に心配をかけたくもなかったし、万が一にも巻き込みたくなかった。卒業後にやろうとしていることについても、具体的な部分は誤魔化して伝えてある。
そのまま余計なことを言わないでくれよ、と横目にクラゲさんを見る。絶対に私の視線に気づいているくせに素知らぬ顔で無視をするこのひと、本当に性格が悪い。
『傑も卒業後は呪術師として働くと聞いて……しかも高専から離れて活動するという話なんだが』
『ええ、聞いています』
『傑には傑のやりたいことがあって、古い体質の組織から離れた方が動きやすいというのはわかる。だが、……やはり私たちにはその世界のことがわからない分、親としては心配もあってね』
傑の選択について君はどう思うか、呪術師としての率直な意見が聞きたい。
静かな声で続けられた父の言葉に、すっと母も姿勢を正した。酒もある席ですまないねと父は苦笑するが、退くつもりはないらしい。父さん、と声を掛けても視線で黙らされる。
なるほど、とクラゲさんは酒を置き、まっすぐに視線をかえした。
『好きにやればいいと思いますよ。特に問題ないんじゃないですか』
あまりにもあっさりと、クラゲさんはそう言った。
「……クラゲさんあのとき、完全に素でしたよね」
「あのとき? ……ああ、お前の進路の話のときか。率直にって言われたら変に取り繕うのもおかしいだろ」
地下鉄に揺られながら、クラゲさんは何でもないように言う。率直にしてもあまりに軽く言われた言葉にうちの両親は目を剥いていたというのに、このひと自身はまったく気にしていないのだから何というか。
問題ないとは、と繰り返した父にクラゲさんは軽く頷いて続けた。
『おふたりが何を心配されているのかはわかるつもりです。ただでさえ呪術師は常に死の危険と隣り合わせなのに、呪術界を牛耳る組織からも離れれば全てのリスクをひとりで負わなくてはならない。普通に考えて生き残るのは相当難しいですね。あ、この『生き残る』は文字通りの意味です。高確率で死にます』
率直が過ぎる言葉に両親は息を呑む。クラゲさん、と口を挟もうとするが、クラゲさんは気にも留めない。研究の話をしているときのような淀みない口調が、一気に静まりかえった部屋に響く。
『繰り返しますが『普通は』です。でも彼は普通じゃないので』
『……クラゲさん?』
『呪術界でも高専に入学して一年そこらで特級になる人間を普通とは言いませんよ。いったい中学までどんなやんちゃしてきたのか俺が知りたいくらいです。まあ平凡な子どもだったと言われても絶対信じませんけど』
『異議あり』
『却下。ですから俺はそんなに危険な賭けだとは思いませんね。そもそも日本にいる全呪術師が束になって彼に掛かってもせいぜい相討ち、少数いる彼の味方を差し引けば勝つのは息子さんです。その程度の実力はある』
それが呪術における「力の差」であり「特級」という階級だと、きっぱりと言い切った。両親の結ばれた口元を見て、つい私も付け加える。
『……進路のこと、絶対大丈夫だと言い切るほど楽観はしてないけど、心強い味方はいるし考えられる限りの手は打っているから。クラゲさんも味方のひとりだよ。ものすごく頭のいいひとだし、細身に見えるけど普通に父さんより力もある』
そう付け加えれば、えっという顔をする両親。いちばん反応するのそこなのかよとクラゲさんの心の声が聞こえたような気がしたが、ここ数年で私に身長を抜かされてしまったとはいえ今も筋トレが趣味で恵まれた体格の父と、格闘技好きの父子にすっかり慣れきっている母なので無理はないと言いたい。
ジト目気味の隣からの視線を軽く無視し、両親に笑いかける。
『心配かけてごめん。でも、もう決めたんだ。出来る限り無茶は避けるから、応援して欲しい』
すると父はそうか、と苦笑して言い、母は少し困ったように微笑んだ。ようやく食卓に和やかな空気が戻る。クラゲさんも改めて「好青年」の顔に戻し、酒を手に取った。
そこからはまた、とりとめもなく何でもない話。私の昔話(恥ずかしい部分は全力で阻止した)や、逆にクラゲさんのご両親の話(軽く誤魔化されたがたまに遠い目をしていた)、高専での生活の話(都合の悪いことを言われてたまるかと話の主導権を奪い合った)など。
細身のクラゲさんに力で負けると言われたのが気になったのか、父がクラゲさんに腕相撲を挑んだのには笑った。
「腕相撲、あれ呪力使ってませんでしたよね?」
「呪力なしでもさすがに一般人に負けねーわ。さすがお前の親父さんだな、一回で負けを認めてくれよ」
「ええ、負けず嫌いを察しておきながら五回勝負全勝してプライド叩き壊しましたね」
「あの話の流れだと負けてやるわけにもいかねーだろ。お前も余計なこと言うなよな」
酒が入っていたのもあってもう一回もう一回とうるさかった父にも、クラゲさんは嫌な顔ひとつせず対応をしてくれた。普段だったら腕相撲なんか絶対にやってくれないのに。
正直、ここまでクラゲさんがサービスしてくれる理由がわからない。結局夕飯のあと、うちの実家を辞するときまでクラゲさんは猫かぶりを貫いてくれたし、私のことを悪く言うことも全くなく。むしろ会話の端々で両親の心配がほどけるように言葉を選んでくれたと思う。
高専に戻ると言った私を見送ってくれた両親の顔は、いつもよりずっと明るかった。
「……クラゲさん」
堅い背もたれに身を預けて両目を閉じていたクラゲさんが、すっと片目をあけて私を見る。無言のまま続きを促された。
胸の内のわだかまりをそのまま言葉にするのに、少し躊躇う。うまく言葉にできなくて、つい別の疑問に逃げてしまった。
「……今日はどうして昼間に外出を?」
「呪具のメンテ。ひとに頼むのに夜中に訪ねるわけにはいかねーだろ」
「ああ、なるほど」
なるほど、の次の言葉が続かない。そんな私を見て、クラゲさんは呆れたように息を吐く。めんどくさそうな両の視線が私を貫いた。
「お前が俺をどこまでクズだと思ってんのかは知らねーけど、見えない身内相手に何でもかんでもべらべら喋るほど腐ってねーよ」
「、」
「夕飯の誘いに乗ったのも、まあお前が嫌がってたのが面白かったってのもあるけど、ただの好奇心。どんな家で育てばお前みたいのが出来るのかちょっと気になっただけ」
「言い方。……いえ、ええ、……ありがとうございました。正直、助かりました。普段のこともそうですが……呪術師のことも今後のことも、うまく伝えられないままだったので」
「気にすんな」
ばっさりと投げられた意外な言葉に、思わずまばたきをひとつ。
頬杖をついたクラゲさんは、ぼんやりと路線図を眺めている。
「知らなくていいこともある」
せっかく見えねーんだし、とぼそりと言葉が落ちる。
呪術界がどんな世界なのかも。呪術師がどんな生活を送っているのかも。「いいひと」では決して生き残れない場所であることも。たったひとことに、その全部が詰まっているような気がした。
そして同時に思う。知らなくていい、知らない方がいいことばかりの場所に、妹を受け入れるしかなかったクラゲさんは、いったいどんな気持ちで。その先の言葉は決して言ってはいけないような気がして、ごくりと全てを飲み込んだ。
顔の筋肉を動かして、いつも通りの笑みといつも通りの声を作る。うちはどうでしたか、と何も気づかないふりをして。
「ごくごく普通の家だったでしょう?」
意外でしたか、と笑ってみせれば、ひとつまばたきをしたクラゲさんは呆れたように口元をゆがめた。別に意外でも何でもねーよと言いたげな笑みとともに、口を開く。
「『普通』を『普通』のまま守るのが難しいんだろうが。だからお前も『普通』を捨てるしかなかったんじゃねえの」
まあ知らんけど、とクラゲさんが付け加えると同時に、到着のアナウンスが流れた。