基本、感情豊かな人間でないことは昔からよく知っている。
心を動かすことすら面倒くさがる人間性だというのもそうだし、呪術師になってからはさらに磨きが掛かった。だから感情に振り回されることなんて稀も稀。兄貴のあんな姿を見ることはかなり少ない。
「……いやあれいつも通りじゃねーの?」
「ただ煙草を吸ってるようにしか見えないけど」
「は、節穴どもめ」
「めちゃくちゃ話しかけんなオーラ出てんでしょーが」
任務の報告で高専に寄ったという歌姫センパイも一緒に、校舎裏の角からこっそり超絶不機嫌の迷惑野郎の様子を窺う。昼間でも薄暗いそこは兄貴にとっての喫煙場所だが、だからといって昼間に一服している時点で普通ではないし、その横顔を見ればわかる。ぱっと見ではいつも通りの無表情だが、あれは相当に頭にきているときの顔だ。
お前らまた何かしたんじゃねーのと同期のクズどもに目を向けるが、ふたりは揃って首を傾げた。
「心当たりがありすぎてどれのことやら」
「な。だから逆に俺らじゃねえよ」
「安定のクズかよ。まあ確かにお前ら相手なら兄貴も直接文句言うか」
「たぶん上層かほかの呪術師か、でしょ。敵味方があまりにもはっきりしてるひとだから」
それでもあそこまでイラついてるのは珍しいけど、とため息交じりの歌姫センパイ。あのひとかあのひとかあのひとか、と兄貴の「敵」を指折り数えることができるあたり、どれだけそれに巻き込まれてきたのかと少々申し訳ない気持ちになる。いや全部兄貴が悪い。
「アタマが化石みてーな性格クソのやつばっかじゃん」
「悟、知ってるのかい?」
「まー、そこそこ名の知れた術師の家のやつだし。伝統と血筋自慢の雑魚」
「なるほど、それは確かにクラゲさんが嫌いそうだ」
確かに、と紫煙を細く吐き出す横顔を見る。
歴史、伝統、血筋、相伝、規律、―――別に兄貴だって、そういったものを全否定しているわけじゃない。相応の価値と機能があるから重んじられるのだと、兄貴自身が言っていたのを聞いたことがある。
『使いこなせもしねえくせにそれを振りかざす馬鹿が嫌いなだけだ』
そう吐き捨てたときの兄貴も、相当に機嫌が悪かった。確かあれは「脳が拒否するレベルで嫌いなせいで名前すら覚えられない」禪院家傘下の家系の呪術師と顔を合わせたあとだったような。
もしかしたら今回もそいつか、と思ったその瞬間。
「お前ら」
そう大きい声ではなかったが、妙に硬い声にぴくりと私たちの肩が揺れる。
煙を吐ききった兄貴は短くなった煙草を携帯灰皿に放り込み、こちらに身体を向けた。先輩、と言いかけた歌姫センパイの言葉を視線で遮る。センパイをビビらせるなクソ兄貴。
そして何を言うかと思えばこの一言。
「肉」
は、と四人の声が綺麗に揃う。
傍迷惑な不機嫌野郎は、一回で理解しろよとばかりの態度でまた口を開いた。
「夜、肉食いに行く。来たいなら勝手に来い」
「……やべーよ傑、今日世界滅びるんじゃね?」
「有り得るね悟、天変地異の前触れだ」
「来たくねえなら別にいい」
「
「有り難くご馳走になります。後輩たちも呼びますね」
「勝手にしろ」
クズどもの変わり身に呆れながら、どしたの、と一応声を掛ける。数秒黙った兄貴は、小さく息をついてから別にと一言だけ落とした。
「ただの気まぐれだよ。タイミングが良かったな、庵」
「……まあ、そういうことにしておきますけど」
「酒飲みたきゃ好きにすりゃいいけど、絡み酒は勘弁しろよ」
「の、飲みませんから!」
ハイハイと適当に返事をして私たちの横をすり抜けた兄貴は、振り返ることもなくすたすたと歩いて行く。夜になったら皆で部屋に行きますね、という夏油の言葉に片手をあげて応えた白衣の背中は、そのまま振り返ることなく去って行った。
言うだけ言ってこっちのことは放置かよとは思ったが、あのマイペースは標準装備だ。いつものこと過ぎてため息も出ない。
「……結局、何があったんだろうね?」
「別に何でもいーじゃん? 奢られとこーぜ」
「五条、アンタねえ……」
「……ま、いーんじゃないですか」
おそらく深海に帰っていった、あの背中を思い起こす。
ごく稀にだが、兄貴だって感情に振り回されることがないわけではない。だが今までの兄貴なら、その行き場のない感情も全部ひとりでじっと堪えていた。感情の処理が終わるまで何をするでもなく、ただ独りで黙り込んで。
その兄貴に、私らを巻き込んでやけ食いで憂さを晴らそうなんて発想が生まれたこと。それはきっと、悪いことではない。
「せいぜい高い肉食って金使わせてやりましょ」
知らず上がった口角に、歌姫センパイが不思議そうに眼を瞬かせていた。
*
「……うわ」
「ウケる。会計いくら?」
「せ、先輩、やっぱり私も少し……!」
「いい、財布しまえ。久々に見た桁数だったってだけ」
まあ皓の兄貴とでも遭遇したんじゃないですかね。