硝子の兄は海月になりたい   作:ふみどり

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昨年の年の瀬に書いてネットプリントにしたもの。
少し手直ししました。


海月と伊地知と年の瀬と

「……なあ、ひょっとして俺脅されてる?」

 

 いっそ感心したような様子で、兄貴はくるりと椅子をまわした。いつもより開かれた瞳に、まさか、といつになく毅然とした声が返される。

 

「あくまでも事実を申し上げたに過ぎません」

 

 そう言って眼鏡のブリッジをあげた、ふたつ下の後輩。いつもの気弱さはどこへやら、伊地知は兄貴からの視線を正面から受け止めている。

 そこそこ長い付き合いになってきたというのに、伊地知にとって兄貴はいまだに気軽に話せる相手ではないらしい。私から見れば兄貴はだいぶ優しくしていると思うが、それでも根がビビりな伊地知は兄貴の前でどもってしまうことが多かった。だというのに、今は少しもそんな様子を見えない。

 勝算があるときなら兄貴相手でもこんな強気な態度でいけんじゃん、と内心だけで呟いた。高専に用事がてら兄貴の顔を見に来たという夏油も、面白そうな顔で後輩の横顔を眺めている。

 

「このところの出張続きで、そろそろ五条さんにも限界がきています」

「何が限界だよ。どうせあの特級クズ、世間は冬休みなのに生徒と遊ぶ時間も取れないからって拗ねて任務で鬱憤晴らし始めただけだろ?」

「ええ、呪霊を祓う際に『ついうっかり』野山を更地に変えたり、建造物をいくつか消滅させたりと」

「破壊癖って直んねえんだな」

「クラゲさん、そこで私を見ないでもらえますか」

 

 私は無駄に被害を大きくしたりしませんよ、なんてどの口が言ってるんだろうと学生時代を思い出す。五条と夏油が出た任務でものが壊れなかったことのほうが珍しい。だからこそ穏便に済ませたい事情がある任務については兄貴やほかの術師にまわされていたという話を聞いたことがある。

 クラゲさんもおわかりでしょう、と伊地知はひるむことなく言葉を続けた。

 

「これ以上五条さんの破壊行動が続けば、さすがに上層も五条さんに任務を押しつけることが出来なくなります。特に『ただ呪霊を祓えばいいわけではない面倒な案件』については、()()()()に任務をまわすことになるでしょう」

 

 その手の任務で、まず名前があがる術師といえば。

 露骨に兄貴の眉間にしわが寄った。このクソ寒い季節に出張なんか行ってられるか、という心の声が駄々洩れだ。

 く、と視界の端で夏油の肩が揺れる。兄貴の口からため息が漏れた。

 

「……ひとつ質問いいか、伊地知くん」

「何でしょう」

「何とかして俺に五条の機嫌とれって言いたいのはわかったよ。実際アイツが大人しく任務こなさねーと俺に出張まわされる可能性は高いし、確かに俺には協力する理由があるのもな。けど、そもそもどうして伊地知くんはそんな必死なの。別に五条の出張に同行しなきゃなんねーわけでもねーんだろ?」

 

 何でそんな必死に五条を働かせようとしてるワケ、と面倒くさそうな声が落ちると同時に、ぐっと伊地知が奥歯を噛みしめたのがわかった。

 

「あのひとが機嫌最悪のまま出張から帰ってきたら後でどれだけ八つ当たりを受けることになると思ってるんですか! せめて年始くらい心穏やかに仕事させてください!」

「年始だから『仕事を休みたい』じゃなくて『心穏やかに仕事したい』な辺りがまじで伊地知くんって感じ」

 

 確かにカレンダー関係ない仕事なんだけどさ、と嫌そうな顔でぼやく兄貴と、遠い目をする伊地知。ウチに来れば休ませてあげるのにと夏油は嘯くが、夏油は夏油で絶対こき使うだろお前と思う。

 まあ、と夏油はひたすらに楽しそうなまま続けた。

 

「クラゲさんは出張に行きたくないし、伊地知は八つ当たりの心配をすることなく仕事がしたい、と。なるほど、これはクラゲさんが頑張るしかないですね」

 

 伊地知に悟の機嫌を取れというのはさすがに酷でしょう、という夏油の言葉に私も頷く。

 

「ま、出張行きたくないならやるしかないだろ」

 

 すると何とも言えない顔をした兄貴は、仕方なさそうに目を伏せた。わずかに波紋をつくった呪力と、ほんの少し開いた瞳孔。数の海を泳いだ兄貴は、心底嫌だという様子でポケットからスマホを取り出す。スピーカーにするから静かにしてろよ、と言ってはた迷惑な特級クズの名前をタップした。

 数回のコールのあとに聞こえたのは、いかにも不機嫌ですという声。しかし知ったことではない兄貴はさっさと本題に切り込んだ。

 

「鬱憤晴らすなら別の方法考えろ五条。もの壊すな」

『……は~? 何、何でクラゲさんにンなこと言われなきゃなんないの? ちゃんと任務こなしてんだし誰にも文句言われる筋合いないけど?』

 

 クソガキ、と唇だけが動いた。

 

「五条、ものに当たらず大人しく任務片づけて来い。……そしたら、」

 

 何よ、と面倒くさそうな声が続きを促した。

 心底嫌だという顔を隠さず、兄貴は切り札を口にする。

 

「褒めてやる」

 

 天井の空調の音がやけに大きく聞こえる。返事のないスマホに構わず、兄貴は声を強くして繰り返した。

 

「これでもかってくらい褒めてやるよ。俺が、お前をな」

『……マジ?』

「マジ」

『これまでの研究成果全部懸けて誓える?』

「誓える」

『後でやっぱナシとか言ったらクラゲさんの部屋ぶっ壊すからね!!』

 

 そう叫ばれると同時に切れた通話。胡乱な目でスマホの画面を見つめる。なあ妹、と呼ばれた声には珍しく困惑した色があった。

 

「……俺がひと褒めるのってそんなに珍しいか?」

「兄貴がどうこうってより五条が褒められるのが珍しいんじゃん?」

 

 なるほど、と納得した兄貴に、夏油は堪えきれないという様子で噴き出した。

 

「こんな簡単にアイツの機嫌を直すなんてさすがクラゲさんだ。それにしても悟のことをどう褒めるんです? 是非聞いてみたいなぁ」

「どんなクズでもハードルを下げれば褒めるところはあるだろ、たぶん。精神年齢と同じ六歳児だと思えば多少は捻りだせる。……たぶん」

「たぶんて二回言ったぞ兄貴」

「もう何でもいいですありがとうございますクラゲさん!! これで平穏に仕事ができます!! では私はさっそく仕事に、」

「いや伊地知くんは一緒に五条の褒めるとこ考えろよ」

 

 そこで今日いちばんの絶望顔を見せた伊地知がさすがに気の毒に思えたので、年が明けたら酒の一杯くらいは奢ってやろうと思う。

 

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