補助監督伊地知さんの初仕事の話。
大丈夫だから、と送り出された。とりあえず最初はこのひとで慣れろ、と。それを疑うつもりは全くないけれど。
「……あれ、今回の担当、伊地知くん?」
高専時代から何かと縁があったこのひと。家入さんのお兄さんの、一級呪術師。身近に特級という人間離れした先輩がいるだけに霞みがちだが、本来は一級が最上級。そう振る舞うことがないだけで、このひとだって本当は私くらい一瞬で殺せてしまう実力者。
もちろん、そんなことをするひとでないことは知っている。だが、それでも緊張するなという方が無理というか。
「い、至らない身ですが、精一杯努めます。よろしくお願いいたします……!」
「そんな固くならんでも。ああ、もしかしなくても初任務か、これ」
自分が呪術師に向かないことは早々に気付いていた。でも、きっとやれることはあると思った。そして選んだ、補助監督の道。
もちろん補助監督には補助監督の苦労や、重みはある。私のほんの小さなミスのせいで、誰かが傷つくかもしれない。その重みを背負う覚悟は決めてきた、……つもりだった、けれど。
私のミスで、クラゲさんが傷つくかもしれない。公平ゆえに厳しいけれど、その根底には見えにくいやさしさがあるこのひとが、もしかしたら──命を落とすことだって。
その事実が、ひたすらに重い。
「……伊地知くん」
ぼんやりと私の顔を見ていたクラゲさんは、いつも通り感情の読めない顔で手を出した。
「とりあえず任務の詳細。資料出して説明」
「は、はい!」
自分だって高専時代は術師側で任務に出ていた。手順はわかっている。
任務の概要の説明。術師から要請があればさらに情報を収集、必要であれば追加の調査も行う。事前の準備が終われば術師を任務地へ送り届け、「帳」を下ろす。「帳」に気を払いながら周囲の様子を探り、術師が任務に集中できるよう手を尽くす。「帳」が消えたら術師と合流し、必要であれば家入さんのもとへ、そうでなければ術師の指定の場所へ送り届ける。それが、補助監督である私の仕事だ。
さすが、クラゲさんは「帳」を下ろしてから三十分と経たないうちに車へと帰ってきた。お怪我は、と確認しても、平気、と変わらない様子で後部座席に乗り込む。
「んじゃ高専までよろしく」
「了解しました」
くあ、と欠伸をしたクラゲさんは、まるで戦闘後とは思えない呑気さで目を閉じる。眠ってはいないようだが、心身を休めてはいるのだろう。なるべくその邪魔をしないように静かにアクセルを踏み、真夜中の道を走った。
何事もなく高専に帰参することがこんなに安心できるとは。車を停め、クラゲさんに到着を告げる。
ん、と目を開けたクラゲさんと、バックミラー越しに目が合った。伊地知くん、と名前を呼ばれ、ぎくりと肩が震える。何か、不備があっただろうか。そんな気持ちが顔に出ていたのだろう、呆れたようにビビりすぎ、と続けられる。
「俺そんなに怖い?」
「そんなことは!」
「気が小さいのは知ってるけど、せめてもうちょっと隠せよ」
「す、すいませ、」
「せっかく文句なしの仕事したんだから」
反射的に頭を下げて、それから後部座席を振り向いた。今、クラゲさんは何て言っただろうか。感情の読めない黒目がちの瞳は、今回の任務の資料に向けられていた。
「よく出来てる。要点がまとまってるからざっと見ただけで概要がわかるし、必要な部分にはちゃんと詳細な補足がある。なくてもいいけどあれば嬉しい情報は口頭でちゃんと付け足してくれたし、まじで質問事項皆無の説明と資料もらったのは久しぶり」
「……!」
「けど、それを作った本人がそんな自信なさげだともらった情報まで疑いたくなるだろ。やることやってんだから堂々としてろ、仕事の出来を自分の態度で疑わせるな」
それも仕事のうちだぞ、と変わらないトーンで落とされた言葉。
以前も、報告書や資料の作成を褒められたことはあった。クラゲさんに頼まれて研究資料のまとめを手伝ったことさえある。
「兄貴は思ってもないことは言わないし、出来ない奴に手伝いなんかさせないよ」と家入さんに肩を叩かれたときはどれだけ嬉しかったか。あのクラゲさんに手伝いを頼まれるなんてと灰原さんや七海さんどころか夏油さんにまで言われ、どれだけ誇らしかったか。
あの先輩方の背中を見ていることしかできなかった私にも、きっと出来ることがある。そう、思うことが出来たのは。
噛みしめた唇から、わずかに鉄の味がする。
はい、と小さく答えたが、聞いているのかいないのか、クラゲさんは特に返事もせず少し声を軽くして言った。
「でも伊地知くんよく補助監督やる気になったな。俺
「はは……そうですかね」
「そうだろ。ああ、でも伊地知くんは慣れてるか」
え、と瞬きをすると、クラゲさんは不思議そうに資料から顔をあげる。
「五条と夏油で
よくアレにあんだけ絡まれて堪えられるよな、とさらりと言われ、この四年間の記憶が走馬灯のように頭の中を駆け巡った。
脳内で見慣れた白髪とサングラスが好き放題に暴れだす。夏油さんは卒業と同時に高専を離れたが、もうひとりの特級術師はいまだ高専所属の術師として活躍している。
──嗚呼、そうか。あのひとより面倒なひとはいないけれど、あのひとのサポートも今後は立派な仕事のひとつになってしまうのか。気づいてしまった事実に、冷たいものが背筋を走る。
血の気が引いた私を見たクラゲさんは、ほんの少しだけ気の毒そうに眉を下げる。
「そろそろ『嫌だ』の一言くらい言えるようになったほうがいいよ。まじで」
未来に起きうる「可能性」を演算で弾き出すそのひとは、妙に優しい声でそう言った。
*
「……新作のコンビニスイーツを調べるのは補助監督の仕事じゃねーと思うな、俺は」
「私も……そう……思います……」
「あの馬鹿が勝手に購入したものの経費交渉するのも違う気がする」
「……そう……思います……」
「出張先でのあれこれくらい、自分じゃなくて高専に問い合わせろよって思わない?」
「……思い、ます……」
「俺まじで伊地知くんすげーと思うよ。久々に心の奥底から同情してる」
「……そろそろ泣いてもいいでしょうか……」
「ティッシュならそこにあるぞ」
まじでかわいそう。