《だって毒の判別はできないって言うから》
いや正直、さすがの俺もあそこまでアイツが怒るとは思わなかったんだよ。
そりゃ少しは怒るだろうと思ったし、癇癪のひとつふたつ起こして後輩くんたちに八つ当たりくらいはするかなとは思ったけど。まあそのときは七海くんか灰原くんか伊地知くんかに適当に謝れば済むかなって。
でも考えてみろ、日頃俺のがどれだけアイツの面倒ごとに振り回されてやってるかって話だろ? 好き勝手に俺の部屋乗り込んでくるわ、俺が何してようとひたすらくだらねーこと喋り続けて、しかも話を聞いてなかったら拗ねて作業の邪魔するわ、それを堪えてやってんだからこれくらいよくねえ?
こないだなんか、まだデータ化してない資料をシュレッダーに掛けようとしやがったんだぞあの馬鹿。ぎりぎりで気づいて止められたから良かったけど、アレまじでやる気だったからな特級クズ。こっちの事情も確認せずに勝手に乗り込んできておいて構わなかったら拗ねるって何? 未成年とはいえもう数年で成人するような人間の精神構造かそれは? 情緒五歳児なのもいい加減にすべきだろ?
それだけ振り回されてることを考えれば、たまに俺のちょっとした実験に付き合うくらい安いもんだと思ったんだよ。無下限呪術のことちょっと聞いたから知的好奇心が刺激されたっつーか。あれだ、五条にとっても「ひとのものを勝手に食べちゃいけません」っていういい教訓になったと思うんだよな俺は。
「で、結局何をしたんですか」
「クリームの代わりにわさびを入れたシュークリームを俺の部屋に放置しておいた。別に食えとは言ってない」
「五条のやつまだ涙目で暴れてんだけど。ウケる」
***
《レゾンデートル》
「気づいてた?」
祈本里香の呪いのカタチ、と続けられた言葉に少し眉を顰める。
「……呪いをかけたのは乙骨のほうだって話か?」
「気づいてんじゃーん。教えてよね」
「普通に考えるだろ、可能性として」
あの莫大な呪力の要因が祈本里香にないのなら、もうひとりにあるだろうと考えるのは当たり前のこと。むしろ何で最初から調べなかったんだよという話だ。
そう口にしてやれば、相変わらずの情緒六歳児は拗ねたようにつんと唇を尖らせる。率直に言って気持ち悪い。
まあ呪いは解けたからいいけどさ、と五条は一歩俺に近づいた。
「いやー愛だよね。死者の魂を縛り付けるほどの呪いなんてそうそうお目にかかれないよ。クラゲさんにしてもいいサンプルだったんじゃない?」
「まあな。……呪力量の多い人間は大変だなと同情したよ」
迂闊にひとも愛せやしない、と肩を竦めれば、五条は愉快そうに喉の奥を揺らした。
ねえどうする、と俺の座る椅子に並ぶ。
「僕が愛する『誰か』の死を否定して呪霊を生んじゃったら」
最強の呪霊になりそうじゃない?
あまりにくだらない戯言、あまりに有り得ない悪ふざけ。答える価値もない言葉だったが、答えなければウザ絡みをされることは目に見えている。
俺はキーボードを叩く指を止め、やれやれと口を開いた。
「クズのお前にそんな情はない」
ひどいッという呟きを無視して入力を再開する。
まあ一億歩譲って呪霊を生じさせてしまったとしても、絶対に。
「お前は祓うだろ、それでも」
どんな要因で生まれた呪霊だったとしても。
慕う誰かの魂がその根底にあっても。
どんな呪霊でも確実に祓う。だからこその最強、だからこその五条悟だ。そんな程度で揺らぐほど、この特級クズのひとでなし術師は脆くない。
ようやく視線をモニターから外して隣を見れば、包帯の下に隠れた瞳と目が合ったような気がした。そうだね、といつものように他を舐めきった「最強」の笑みがこちらに向けられる。
「僕、最強だから」
そんなの僕にしか祓えないしねと傲慢に宣った「五条悟」は、やはり少しも揺らがなかった。
***
《このあとめちゃくちゃ食べた。》
「いや毎度言ってんじゃん、送られた側の手間考えてくれよ。食べやすいようにとか、保存しやすいようにとか、とにかくもうちょい何かない? そりゃ俺も硝子も魚嫌いとかじゃねーけど、限度ってあるだろ。まず一般人に捌ける代物じゃねーからこれ。……あ? 俺? 解体の様子なんて見たこと……あるか。あったわ。うるせーあれ確か俺が六歳んときだぞ、俺だって普段使わない情報は探さねーと出てこねーの。……そりゃ見たことあれば何とか出来るかもしれねーけど、いろいろと道具とか……一緒に送った? いやだからそこで気遣い見せるならそもそも解体したやつ送ってくれよ。生命の神秘がどうとか適当なこと言うな、んなもんガキのころから見慣れてるわ。こっちは生まれたときから魚の模型だの図鑑だの写真だのに溢れた家で育ってんだぞ。というか父さんって海洋学者なんだよな? 漁師じゃねえんだよな? 何でマグロの一本釣りとか挑戦してんの何やってんの? 論文終わんなくて現実逃避でもしてたのか、それとも母さんの逆鱗にでも触れて研究室追い出されたのかどっち? うっわ図星かよ、うるせー怒らせると面倒なこと知ってるくせに結婚記念日忘れる方が悪い。ほかのひとに迷惑だろ、とっとと謝れ。俺も硝子も絶対仲裁なんかしねーからな。……何したら許してもらえるか? 俺の術式を夫婦喧嘩の解決なんぞに使おうとすんな土下座でもしてこいクソ親父」
「はい、というわけでこれから校庭で兄貴による本マグロ解体ショーやりま~す。冷蔵庫に入る程度まで減らすから全員限界まで胃に詰め込めよ」
「すっごいでっかいマグロだ!! 任せてください、いくらでも食べます!!」
「どうやって食べましょうか、刺身だけでこの量はちょっと」
「いっそ火でもおこしてバーベキューとかどうだい? ステーキも美味しそうだよね」
「せんせ~、ここ炭とか鉄板とかねえの?」
「あるわけないだろう、今調達してきてもらっている。伊地知、すまないが寮の食堂から調味料一式を借りてきてくれないか」
「あ、ついでに米炊くよう頼んどいて。俺漬け丼食べる」
「は、はい!」
「先生も兄貴もノリノリじゃんウケる」
「マグロに罪はないからな」
「そういうこと。夏油、マグロ運ぶから呪霊貸して」
「いいですけどアラート鳴りますよ」
「構わん、俺が許可する。たまにはこういうのもいいだろう」
そして校庭で始まるマグロパーティ。
***
《汝は何者なりや?》
生憎と生まれたときから「特別」であった僕なので、畏れられるのも敬われるのも慣れたもの。ひととして扱われることの方が少なくて、それもまあ当然のものと思っていたしどうでもいいんだけど。
だから、これはただの好奇心。僕に対して畏れも尊敬も抱いたことがなさそうな顔をしているこのひとへの、ちょっとした気まぐれで暇つぶし。言わばただの街頭アンケートだ。はいそこ、ここは室内とかつまんないこと言わな~い。
では、ここで質問です。最強の「五条悟」クンとは、
「クズ」
はい、ナイフのように短くて鋭いお答え! 予想通り! わかってた! でももうちょっと詳しく! テレビの前のあの子にもわかるように!
「誰だよ視聴者。クズをクズ以外の何て表現しろってんだ、俺の罵倒の語彙はそんなに多くねーんだよ。クズで馬鹿でガキで理不尽で傲慢でクソ野郎で、……やっぱクズ」
この僕を相手に、よくもまあここまで罵詈雑言をつらつらと。「最強」に敵うべくもない術師のくせに、僕をちっとも特別視しない。僕も傑も、七海も灰原も伊地知もいっしょくたに扱う変人だ。僕よりずっと弱いくせに、それでもなお。
「いやお前らと七海くんたちを一緒にはしてねーけど。さすがに可哀想」
たまにちょ~~~っとくらい敬ってほしいなって思うけどね! 七海たちに向ける優しさのほんのちょっとを僕らに向けてもいいと思うんだけどね! 今度傑と一緒にデモおこしちゃおうかな! やだやだ差別反対!
「騒音宣言やめろ。……何だよ、畏れ敬ってほしいのか?」
今さら、と胡乱な目を向けるクラゲさん。その視線に肩を揺らせば、今度は呆れたようなため息をひとつ。
僕が
クラゲさんにとって、僕はずっとクズでガキな妹の同期。トモダチなんてものでもなくて、せいぜいが知り合いで、僕にとっては「縛り」まで結んだ数少ない「味方」。
そう、僕にとっては希有な存在。でも、クラゲさんにとって僕は最強でクズな、それでもやっぱり「特別じゃない何か」。何故だかそれは、不思議なほどに心地いい。
ねえ、と改めてクラゲさんに声を掛れば、めんどくさそうに向けられた視線。
「僕、やっぱ
真剣に嫌そうにしかめられた同期そっくりの顔は、ひどく愉快だった。
***
《穢れの味》
「そういや夏油、お前呪霊取り込むとき経口摂取なんだって?」
呪霊って味すんの、と何の気なしに尋ねられて、迂闊にも一瞬心臓が震えた。いや、クラゲさんにしてみれば本当に何の意図もない質問なのだろうし、私としても特に誤魔化すようなことでもない。
もう、とっくに慣れた呪霊の味。そう、慣れた味だ。
「ゲロ拭いた雑巾みたいな味ですかね」
「お前ゲロ拭いた雑巾の味知ってんの? 衛生観念やば」
「ものの例えという言葉はご存知ですか?」
冗談だろ、とクラゲさんは表情を変えないまま、ぱらぱらと資料をめくる。そしてまたモニターに顔を戻し、キーボードの音を響かせた。
「まあ、そうだよな。人間の負の感情の味が美味いわけねーか」
「ええ、まあ。慣れましたよ、たいしたことじゃありません」
「そうだな」
さらりと言われて、思わずその後頭部を見る。私の様子に気づいたのか、クラゲさんは何だよ、と肩越しに顔をこちらに向けた。
「何、本当は『たいしたこと』なわけ? 強がりか」
「違いますけど」
「ならいーだろ。俺の知る限り、強力なのにデメリットがない術式の方が珍しい」
五条の術式だって本来は脳への負担が大きすぎる、とクラゲさんはまた前を向いた。
「味が最悪でも腹壊さないだけマシじゃねーの。飴でも常備しとけば」
「ああ、口直しに? ……考えたことなかったな」
あまりに軽く言われてしまって、思わず小さく噴き出した。この様子を見るに、どうやら本心からそう思っているらしい。味わったこともないくせに何を、とも思わなくはないが、たいしたことではないと言ったのは私自身だ。
そう、たいしたことではない。どれだけ不味くても、それを味わうだけの価値がある術式だ。私が為すべきことのためなら、それくらい。……ああ、でも、もし少しだけ堪えるのが嫌になったら、そのときはこのひとに飴のひとつでもたかることにしようか。
きっとこのひとは、心底呆れた顔をしながらポケットから飴を取り出してくれるから。
「……クラゲさん」
「何だよ」
「飴、常備しといてくださいね。もうしてるんでしょうけど」
「これは俺の糖分補給用。自分で買え」
その言葉と同時に投げつけられた小さなそれは、淡い星の色をしていた。