家入海月は、ひどく頭のいい学生だった。
生まれ持った術式の特性もあるだろうが、それを差し引いても頭の回転が早く、しかも学ぶことに飢えている。新しいことを教えてみれば片端から吸収し、すぐさま応用を利かせてみせるのだから、まったく教師冥利に尽きるというか。
時折みせる奔放ささえなければ、胸を張って優秀な学生だといえるだろう。
「奔放? 初めて言われましたけど」
「そうか、言葉というのは難しいな。海月、その文献どこから持ってきた」
「学長の部屋にあった本棚の上から二番目、左から七冊目」
「すぐ返してこい」
え~~~、と嫌そうな顔をする不良優等生は、なぜだかときおり「良識」の二文字がぽっかり抜けている。立派な窃盗だぞと言えば、学長が出張から戻るまでには返しておきますよ、と平気な顔でページをめくりはじめた。そういう問題じゃない。
「いいじゃないですか、読めるもんなら読んでみろって言ったの学長ですよ。侵入者よけの結界と盗難防止の呪具かいくぐったんだから俺には読む資格があります」
「……あれを破ったのかお前は」
「破ったというか、穴をついたというか」
調査、計画、実行で一ヶ月かかりました、としれっと言う海月に、そろそろ拳を落とすのも馬鹿らしくなる。
熱心に読み進めていく横顔にため息をついて、そんなに読みたかったのかと尋ねれば、いつも通りのやる気のない声で肯定が返ってくる。
「ちょっと気になってたことがあって、参考になりそうだったので」
「参考? その反転術式の理論書がか」
「正のエネルギーって何がどこまで出来るのかなと」
声の覇気のなさに反して、そのページをめくる手はひどく早い。それで読めてるのかと思わず疑ってしまうが、海月のことだから読めているのだろう。
瞬きひとつしない眼は、どこかギラついていた。
「個々人の術式反転を除いて、反転術式って治療に使うじゃないですか」
「そうだな」
「マイナスの反対はプラス。傷つけるのがマイナスなら、癒やすのはプラス。感覚的にまあわかるんですけど、それ以外の効果はねーのかなって」
「俺は聞いたことがないが……たとえばどういう効果を予測している?」
そう尋ねると、海月は一瞬視線を宙に浮かせて、考える仕草をみせた。しかしすぐに本に視線を戻し、またページをめくりながら口を開く。
「マイナスの力が『呪いをかける力』なら、プラスは『呪いを解く力』とかだったら釣り合いとれませんかね。たとえばですけど」
「ほう。面白いことを考えるな」
「単純に言葉を反対にしただけですが。……うーん、やっぱ治療のことしか書いてねーな。そういうもんなんですかね」
「反転術式を使える人間がそもそも少ないから、検証が足りんという可能性もあるな。治療以外に使おうとする人間がそもそもいなかったのかもしれん」
そうですか、と軽く答えて海月は文献を閉じる。それなりの分厚さだが、もう読み終わったらしい。能力だけ見れば文句なしに優秀なのに、とつい遠い目をしてしまった。何ですかじろじろと、とか言ってくる生意気さにも頭が痛くなる。
とはいえ、その熱心さだけは教師として認めたい。
「……呪力は前提として『呪い』だ。呪いをもって呪いを制するのが呪術師である以上、『呪いを解く』という概念がそもそもないという言い方も出来る」
「俺一般家庭出身だからそう思うのかもしれませんけど、呪われたときに『呪いを解こう』じゃなくて『さらに呪おう』って発想になるのなかなかぶっ飛んでますよね。だから呪術師って変なやつしかいねーのかな」
「お前も立派な呪術師のひとりだが?」
「いや俺は所詮ぴかぴかの術師一年生なんで。俺のぶっ飛び具合なんてまだまだですよ」
いやお前も十分変人、とは教師として、大人として言わないでおいた。知的好奇心を満たしたいがために数多の呪いをかいくぐり、学長の部屋に忍び込んで本を盗む人間がぶっ飛んでいなくて何だというのか。どう考えても術師向きで困る。
道徳教育の必要性を本気で考え始めたところで、海月はその分厚い文献をぼんやりと眺めながらぽつりと言う。
「呪う方法はたくさんあるのに、呪いを解く方法はねーのか」
その声は妙に静かで、妙に感傷的に聞こえた。が、おそらく気のせいだろう。家入海月は、そんな生ぬるい性格をしていない。
うーん、と少し首をひねって、海月の目が改めてこちらに向いた。
「結局、呪術師は呪うしかねーってことですね」
それだけ言って俺に背を向けた「呪術師」は、これ返してきまーす、と歩き出す。
ひとを呪うことに抵抗がない時点でお前は立派な呪術師なんだよとは、―――言えなかった。