硝子の兄は海月になりたい   作:ふみどり

5 / 63
5

 別に、言うほどヘビースモーカーではないと俺は思っている。

 そりゃ何本も吸う日もないわけではないが、まったく吸わない日だってあるくらいだ。だいたい吸いたくなるのは日が沈みきったあと、自分の思考を整理したくなるとき。高専の校舎裏、ちょうど俺が使っている部屋の真後ろが、俺にとっての喫煙所だった。そんなところで喫煙していいのかって? いいんだよ、火の始末も吸い殻の片付けもちゃんとしてんだから。

 そもそもこんな場所、よっぽどの物好きでもなければわざわざ訪れることもない。

 

「こんなところにいたのか、海月」

 

 と、思っていたのだが、今日はそうでもなかったらしい。客の顔は暗闇に隠れて見えないが、その声はよく知ったものだった。

 

「その名で呼ぶなって何度言ったらわかってもらえるんですかね、先生」

 

 高専時代の恩師、夜蛾正道。どこをどう見ても柄の悪いオッサンなのだが、そのくせ可愛いものが好きで、しかもまさかの教育者だなんてどういう冗談だと心から思う。

 こちらに歩み寄るにつれて、わずかな煙草の灯りを受けて浮き上がったその顔。うっわ、どこをどう見てもヤクザでしかない。多分幼い子どもはこの顔を見ただけで泣く。

 

「……お前、何か失礼なことを考えていないか?」

「言いがかりはやめてくださいよ」

 

 別に失礼なことじゃない、ただの純然たる事実である。

 で、何の用ですか、と煙草をくわえたたまま聞けば、夜蛾はひとつため息をついて小さなビニール袋を差し出した。コンビニの袋らしいそれには、簡単な軽食が入っている。

 

「硝子に頼まれた。今日は実習で行けないから、ほっといたらまともな食事も摂らない兄に届けて欲しいとな」

「……とうとう担任をパシるとかさすが俺の妹」

「感心してないで自分の食事くらい自分で何とかしたらどうだ」

「最低限は食べてんですよ、アイツがお節介なだけです」

 

 どうも、と一応の一言を添えて、その袋を受け取った。

 まったく、といつも通り呆れた顔をした夜蛾は、そのままとん、と校舎の壁にもたれかかる。嫌な予感がしたので、とりあえず先手は打っておくことにした。

 

「もう生徒じゃねーんですから、説教は聞きませんよ」

「学生時代もまともに説教を聞いたことない奴が何を言うか」

「聞いてはいましたよ、右から左に逃げてっただけで」

「それは聞いていないと言うんだ」

 

 今さらお前に説教をする気はない、と言われたので、それはよかった、と心からの言葉を返す。ただでさえ話し始めると長いひとなのだ、輪を掛けて長くなる説教なんてわざわざ聞いていられない。昔、短くまとめてくれませんかとうっかり口に出してマジの拳を食らったことを覚えている。あれは結構に痛かった。

 じゃあ何だ、と目線を向ければ、夜蛾は改めて話し出した。

 

「最近、硝子以外の生徒たちの面倒も見てくれているらしいな。一年の担任がえらく感謝していたぞ、灰原がようやく呪術について実地以外でも理解し始めたと」

「そこは一年の担任に説教しといてくださいよ。そりゃ根気はいるでしょうが、別にやる気がないわけじゃないんだから。ちゃんと理解するまで面倒見てやれよって」

「ああ、そこは本人も反省していたよ。どんな説明をすればわかりやすいのか、今試行錯誤を重ねているらしい」

 

 まだ七海にダメだしされるらしいがな、と夜蛾は唇をゆがめた。教師相手にも物怖じせず指摘をしてみせる七海くんの姿が容易に想像できて、少し笑う。彼を生意気だと切り捨てることなく、その言葉に耳を傾けているのだとしたら、きっと見込みのある教師なのだろう。早くまともな説明ができるようになってもらいたいものだ。

 しかし、と浮かんだ笑みを引っ込める。そういえば、ふたりの一年生について、最近少々思うところがあった。いや、一年生だけ、というのは正しくない。二年の例の「最強」ども、そして一年生ふたりも関わった、例の任務。

 さて、このひとは何か知っているのだろうか。知っていたとして、ぼろを出してくれるだろうか。別に俺に直接関係のあることではないが、今後も無関係であるとは限らない。

 煙草の煙を細く吐き出し、そういや先生、と変わらない声音で続けた。

 

「先日の星漿体の任務なんですけど」

「……ああ、あの件についてはお前も手助けをしてくれたそうだな」

「たいしたことはしてませんよ。夏油の連絡受けてちょっと調べ物をしただけです」

 

 突然連絡を寄越してきて「呪詛師の動きを調べろ」とかマジで何様だとは思ったが、そこで堂々と「特級術師さまですが何か?」と抜かしやがった夏油、あまりのクズっぷりが面白かったので許せた。

 星漿体、天内理子、呪詛師とくればすぐに調べはついた。呪詛師御用達の闇サイトに、期限付きで掛けられた懸賞金。その期限が午前十一時、つまり同化が行われる日没よりかなり早めに設定されている時点で、相手の意図に気づけというか何というか。

 その甘さが、今回は完全に裏目に出た。

 

「それだけじゃないだろう。盤星教の拠点も正確に把握し、幹部の所在や天内理子の遺体がある可能性の高い施設もすぐにピックアップした」

「前回の定期調査で庵が不穏な気配ありって報告出してたから警戒してただけです。俺を褒めるより、庵の報告を真面目に捉えなかったやつらが反省しろよって言う話じゃないですかね。……俺を持ち上げてはぐらかそうとしないでくださいよ、俺が言いたいのはそんなことじゃない」

 

 あの任務、不可解な点がいくつかあるんですけど。

 俺の言葉を、夜蛾は真正面から受け止めた。

 

「まあいくつかと言っても、大きくわけたらふたつです。ひとつ、一年ふたりが動員されたことについて。ふたつ、星漿体の扱いについて」

「……一年ふたりが動員されたのは何もおかしくはないだろう。お前の指導もあってか、あのふたりの成長は著しいと聞いている」

「実力のほどは察してますよ。今までこなしてきた任務も一年生、まして一般家庭出身の人間にしちゃ上等でしょう。けど、命がけの戦闘に身を投じてまだ数ヶ月のガキどもであることには変わりません」

 

 まして、今回の敵は呪霊じゃなく呪詛師だった。運良く戦闘がなかったとはいえ、状況が状況であれば、対呪詛師という普段とは全く違う戦闘に臨む可能性があった。

 そこそこ呪術師をやっていれば、呪詛師を相手取ることはそこまで珍しいことではない。その命を自分の手で摘み取ることも、珍しくはないのだ。

 その事実を、「呪霊を祓うことと同じ」と捉えるか、「人殺し」と捉えるか。

 慣れた呪術師ほど、前者を選ぶ。それの何が悪い、と平然と言ってのける。頭がイカれていればイカれているほど、そこに葛藤はない。別に、それをおかしいとは思わない。だから呪術師なんてものは、やっぱり呪術師しかできないやつがやればいいのだ。

 しかし、そう切り捨てられない奴もいないわけじゃない。

 

「別に俺はあのふたりに人殺しができないとも、その覚悟がないとも思ってません。だが、対呪霊とは精神的にも戦術的にも勝手の違う戦闘になる以上、対呪詛師の可能性がある任務は等級を上乗せして設定されることが多いですよね。まして今回はすぐに増援の見込めない沖縄での、一般人が多い施設の警備。いくらなんでも、優秀な一年生たちを見込みすぎでは?」

「……今回の一年生の立ち位置はあくまでもサポートだ。それも、特級術師がふたりも動員している任務のな。悟や傑とのコミュニケーションの取りやすさや、経験を積ませたいという意味も含めての配置だと思うが?」

「うっわ、好意的な解釈すぎて反吐が出ますね。綺麗事にもほどがある」

「海月、」

「誰を標的にした嫌がらせだったんでしょうね。五条ですか、それとも夏油? ああ俺かもしれないですね、生徒の面倒見てやれっててめえで言ったくせに、いざ本当に面倒見始めたらアイツらごと目の敵ですか。相変わらずやり口が陰湿だ」

「海月!」

「その名で呼ぶのやめてください」

 

 すうっと煙草の煙を深く吸い込む。腹にたまった苛立ちごと、大きくそれを吐き出した。

 わかっている。別に夜蛾が任務に行くように命じたわけでもなし、このひとに感情をぶつけることは正しくない。もちろん、夜蛾にこれを言ったところで何が解決するでもない。

 もう、あのふたりに強くなってもらう以外に方法のないところまできている。どんな理不尽を押しつけられようが、どんな窮地に追いやられようが、生き残ることができるように。

 よほどヤバいときは手を考えてやらなければならないかもしれないが、結局自分の身は自分で守るしかないのだ。

 

「まあこれは八つ当たりなんで、本題はふたつめの方なんですけど」

「……お前な……」

「率直に聞きますけど、アンタが星漿体に選択肢をやった理由は何です?」

 

 回りくどい言い方ではあったようだが、このひとは確かに星漿体に「同化をしない」という選択肢を与えた。夏油と五条に決断を委ねたように見せても、あのふたりの性格を考えればほぼ結論はわかっていたはずだ。

 

「現時点で公表されている情報から考えて、星漿体が同化しなかったら今の呪術界的にマジでやばいやつでしょ、天元の結界術強化は現体制の基礎なんだから。なのに同化しなくてもいいよって、あの特級馬鹿ふたりへの道徳教育にしてもリスク負いすぎじゃないですか?」

 

 そもそもクズに道徳とか教えようとしても無駄だし。

 そう軽口を付け加えてみても、夜蛾は乗ってこなかった。ただ、無言を通している。短くなってきた煙草の火を見つめながら、俺の口は積み重なった疑念を吐き続ける。

 

「まあいくつか理由は考えられますよね。たとえば、そもそも天内理子は星漿体ではなかった、とか。ただの影武者に過ぎず、本物は別にいる。星漿体の存在が呪詛師集団だの盤星教だのに漏れてることも不自然っちゃ不自然だし、偽物の星漿体を餌にして目障りだった呪詛師集団だの宗教法人だのを誘き出してまとめて掃除したって言い方もできるな。いや、天内が本当に星漿体だったとしても、星漿体自体が複数存在する可能性もあるか」

「……想像力が豊かになったな、海月」

「お褒めにあずかり光栄です。想像力が豊かになったついでに、もうひとつ言いましょうか。呪詛師集団と同様、先生も天元に暴走してほしかった、なんて可能性もありますね」

 

 だとすれば、天元が星漿体と同化しなくても変わらず安定しているこの状況は、目論見が外れたってことになるんですかね?

 そう続けてやると、海月、と静かな声が再度響く。その声に、動揺も怒りもなかった。ただ、説教を聞き流し続ける俺に呆れ果てつつも諭し続けた、教育者としての声色にひどく似ていた。

 

「それも八つ当たりか?」

 

 返された言葉に、また煙を吸って、吐いた。

 

「や、ただの所感」

 

 提出された報告書と、五条や夏油から聞いた話を総合したときに、あまりにも素直に俺の中に生まれたもの。感情を排し、可能性を辿っただけのもの。

 それが正しいかどうかなんて、俺には判断するだけの材料もない。

 

「もちろん、満月を過ぎても未だ天元が安定してるのは単純に天元がすげー存在だからってだけなのかもしれませんし、先生も単純にあのクソガキふたりに自分たちがしていることの意味を理解しろって言いたかっただけなのかもしれない。何が正しくて何が間違っているのか、俺には判断しようがないんで」

「ああ、あらゆる可能性を考えられるのはお前の長所だと思う。だが、言う相手は選べよ。俺はお前に悪意がないことを知っているが、そんなやつばかりじゃないからな」

「はいはい、ご忠告痛み入ります」

「また心にもない」

「元教え子の言葉を信じないとか教師としてどうかと思いま~す」

「一応教えてやるが海月、お前のそういう言い回し完全に硝子にうつってるからな」

「……」

 

 そこを突かれるとさすがに俺も黙らざるを得なかった。

 口が止まった俺に肩を揺らして、夜蛾は空を見上げた。釣られて俺も、視線を浮かせる。

 今夜は月がない。そのせいか、やけに星々が自分の光を主張している。綺麗と言えば綺麗なのだが、俺にはやけにうるさく思えた。

 

「俺を疑うのもお前の自由だ、海月。信じる相手は自分で選べばいい」

「そのつもりです。……いや、一応俺、これでも先生はどちらかというと信じてるつもりですよ? そうだな、九十九さんと同じくらい」

「それは一切信用していないのと同義じゃないのか」

「さては先生こそ俺のこと信じてないですね?」

「信じてるさ。悟や傑と同じくらいにはな」

「うわこれ一切信用されてねーやつ」

 

 とりあえず普段の行いを見直してくれ、と言われるが真剣に心外だった。俺ほど自分の心に従って生きる正直な呪術師は珍しいだろうに。

 そう言ってみれば、よく言う、と夜蛾は笑う。

 

「めんどくさがりだの何だのといつも嘘八百を言ってるじゃないか。お前ほど自ら苦難の道を選ぶやつを見たことがないぞ」

「失礼な。俺は自分にとっていちばん楽な道を選んで生きてますよ。なんせ面倒が嫌いなもので」

 

 遠回りに見えても結局それが一番面倒が少ないのだと、俺の術式が告げている。だから俺は、その道筋を辿っているだけのことだ。

 それは今までも、そしてこれからも。何も、変わることはない。

 

「そういや先生、俺が生徒のときから思ってましたけど、ちっとは呪術や呪霊に対する座学増やしたらどうですか。一年たちどころか、夏油もたまに知識抜けてますよ。アイツもかなり独学で頑張ってるみたいだけど、あんま応用利くタイプじゃねーから誰か見てやった方が良さげ。頭は悪くねーのに、妙に型に嵌まりたがるっつーか」

「それを言われるとな……海月、たまにでいいからまた授業やってみないか。いや、むしろ教師やってみないか」

「なりふり構わねーのもいい加減にしてくれませんかね」

 

 今俺の隣にいるのが、かつて教えを受けた恩師でも、腹の底に思惑を抱える「呪術師」でも、もはやどちらでも良かった。

 誰を信じようが、誰を疑おうが、俺がすることは何も変わらない。

 

「俺はもう、やること決まってるんで」

 

 ただ俺は、俺の目的のために。

 

 

 ***

 

 

 今日の差し入れは、いつもと違っていた。

 ふもとのコンビニのビニール袋ではなく、ちょっとお高め和菓子店の紙袋。もちろんまさか私が兄貴のためにそんな店にわざわざ買いに行くわけもなく、今日の私はただのおつかい係だ。自分で届けに行けばいいものを、とは思ったが、先日私も足に使ったのだからひとのことは言えない。

 任務がないからとくっついてきた夏油と軽口を叩きながら、いつも通り深海へのドアを開いた。

 

「兄貴ー、おやつー」

「ノックをすんなら返事を待てよ妹。何だ、夏油もきたのか」

「どうも。今日の差し入れは豪勢ですよ」

 

 めんどくさそうに振り向いた兄貴の眼前に、ずいっとその袋を見せる。袋に印刷された店名を見て、高いとこのじゃん、といつも半開きの目が見開かれた。

 

「何だよ、どういう風の吹き回し?」

「私らじゃなくて夜蛾からだよ。何かやたらと機嫌良くてキショかった」

「クラゲさんと一緒に食べろって渡されたんですよ。悟がいない日でよかった」

「俺と一緒にィ?」

 

 とうとう呪骸に反乱起こされて頭でも打ったか、と半ば本気で言う兄貴。あのでかい図体が自分でつくった呪骸たちから一斉攻撃を受けているところを想像するとちょっと笑えた。ぬいぐるみに埋もれるガタイのいいおっさんはヤバい。腹抱えて笑える。

 それはそれでちょっと見たいですが、と夏油も笑いながら答えた。

 

「何か夜蛾先生が喜ぶようなことを言ったんでしょう? あいつも呪術師らしくなって、なんて言いながらちょっと泣いてましたよ。わりと気持ち悪かったな」

「確かにそれは気持ち悪いな」

「入学してきた頃はあんなに小さかったのに、とか何とか。兄貴って高専入学したときそんなにチビだった?」

「確かに高専の四年間で十センチは伸びたけど、入学時にも百七十あったぞ」

「なるほどそれは小さい」

「規格外は黙ってろな」

 

 日本人の平均身長見てみろってんだ、と言いながら兄貴は紙袋を受け取った。中を見て、栗入りのどら焼きか、とちょっと嬉しそうな顔を見せる。

 この兄貴、いかにも甘いものが嫌いですという顔をしながら、実はチョコより餡子が好きなタイプの甘党だったりする。本人は「甘党と言うほどじゃない」とか抜かしているが、一般的には普通に甘党に分類されるだろう。

 さすが夜蛾というか、担任は元教え子の食の好みも忘れていなかったらしい。兄貴はどら焼きをひとつ取り出して、また私に袋を返した。

 

「つっても夜蛾を喜ばせるようなことを言ったつもりはねーんだけどな。どっちかというと喧嘩を売った」

「マジで何言ったの兄貴」

「総括すると、八つ当たりついでに俺は夜蛾のことも別に信用してねーよって話をな。それで喜ぶってあの人ドMかな? あの外見なのに教師で可愛いもの好きでドMってやべーな。属性盛りすぎじゃん、マジで引くわ」

「うわ。それ夜蛾に言っていい?」

「やめろ。この歳になって夜蛾に追いかけまわされんのはごめんだ」

「ということは昔は追いかけまわされてたんですか」

 

 お前らほどじゃねーよ、いやそんな、なんて交わされる言葉を聞き流しながら、私も袋の中からどら焼きを取り出す。ひとつ夏油に渡して、私も自分の分を手に取った。

 兄貴の高専時代については夜蛾から少し話を聞いたことがあるが、そこそこの問題児だったことは察している。それなりに頭が良くて腕がたっただけになおさら面倒な生徒だったのだろう。まあ、夏油と五条ほどではなかったと信じているけれど。

 齧りついたどら焼きは上品な甘さがして、あまり甘いものが好きでない私でも美味しく感じられた。なるほど、これがお値段分の味。

 

「にしてもクラゲさん、呪術界が嫌いなのは知ってましたが、夜蛾先生もそこに含まれるんです?」

「別に夜蛾が嫌いとは言ってねーよ。話が通じるだけマシなひとだとも思ってるし、一応元生徒として世話になった自覚もある。ただ、あのひとも呪術師には変わりないってだけで」

「……呪術師だから、と?」

「当然だけど、あのひとにはあのひとの思惑があるって話。このまま行けば確実に学長になるだろうし、その程度にはこの面倒な世界の渡り方を理解してるひとなわけだ。その時点でろくな人間じゃないに決まってるだろ」

「偏見……とも言い切れませんね」

「むしろそれでこそ呪術師、というか。俺にそう教えたのも夜蛾だしな」

 

 呪い呪われの世界なんだから、と兄貴はさらりと言う。その言葉に夏油も苦笑して、なるほど、と頷いた。

 

「まあ、呪術師ですからね。私は夜蛾先生をいい先生だとは思っていますが、確かにいいひとかと聞かれたら即答はできないな。それを判断できるほど先生を知っているとも思わない」

「そういうもんだろ。むしろ自分の知ってる一面だけで相手を理解したつもりでいる方がよっぽど危険だ」

「それは同感です。ところでクラゲさん」

「何だよ」

「『応用が利かないタイプで妙に型に嵌まりたがる』ってのは誰のことです?」

「あのオッサン口軽すぎか?」

 

 くるりとモニターの方に向き直った兄貴を、力尽くで椅子ごと振り向かせる夏油。にっこり笑顔で圧を掛ける夏油と、真剣に嫌そうな顔をした兄貴の対比が心底面白い。うわ、面白すぎてこの光景だけでどら焼きもう一個イケる。そう思って袋に手を伸ばすと、俺にももうひとつ、と兄貴が手を伸ばしてきた。

 特級術師に睨みつけられながらおかわりを要求できるコイツ、我が兄ながら頭がイカれている。

 

「兄貴ってわりと命知らずだよね。ウケる」

「俺ほど自分の命を大事にしてる人間もいねーと思うが」

「特級術師目の前にして堂々とどら焼きを食う人間は命知らずに分類されるのでは?」

「何だよどら焼きくらい好きに食わせろよ」

「今別にどら焼きの話はしてないんですよね」

 

 夏油が引きそうにないのを察してか、兄貴は深々とため息をつく。もそもそとどら焼きを食べながら、めんどくさそうに言った。

 

「別に、他意はねーけど。一応言っとくと陰口のつもりもない。俺はそう思うってだけ」

「ええ、貴方が根拠なくそういうことを言う人間だとは思っていません。ただ、私のどういうところを見てそう思ったのかは聞いておこうかと」

「うわこいつめんどくさい」

「クラゲさん?」

「呪霊出そうとすんなアラート鳴るだろが」

 

 え~~~~~とまじで嫌そうに説明の言葉を探す兄貴。というか自覚ねーのかよ、とぽつりと呟くと、また夏油の手元で呪力が渦を巻いた。

 口元をひん曲げた兄貴は、頭をがしがしと掻きながら口を開く。

 

「もともと思考の傾向がそうなんだろなってのは思うけど。特にそう感じたのは、戦闘面」

「、戦闘で?」

「たとえばだけど、お前さ、呪霊操術を呪霊操る以外の使い方考えたことある?」

「……は?」

「何だ、やっぱ手の内晒してないわけじゃねーのか。まあじゃなきゃ禪院甚爾相手に簡単に殺され掛けたりしねーわな」

 

 あ゛、と夏油の口から珍しく低い声が漏れ、その目に剣呑な色が宿る。

 禪院甚爾、という名前に聞き覚えはあった。少し前にあった、星漿体の護衛任務。そこで危うくこの「最強」どもが殺され掛けたという、禪院家出身の術師殺し。

 あの任務のあともふたりはいつも通りだったが、さしも私も命が惜しい。この件については触れないようにしていた。

 あれ伏黒甚爾だっけ、と首をひねった命知らずは、特級の殺気にも怯む様子は見せなかった。

 

「キレるのは勝手だけど早とちりすんなよ。禪院甚爾のことは俺も聞いたことがある。完全に呪力ゼロという最高クラスの天与呪縛、その身体能力はまさに人間の域を超えてる。しかも多くの術師を殺してきた経験値つきとくれば、お前が負けるのも、まあ、無理はない」

「……」

「ただ、そんな化け物相手にした状況でもお前、報告書を読む限り、術式の使い方がそのまんまだったから。奥の手隠してるわけじゃねーのかってちょっと驚いただけ」

「……術式の使い方がそのまま、というのは?」

「そこでピンとこねーのが俺にはいっそ不思議なんだよな。だから呪術の座学増やせってんだよ夜蛾のやつ」

 

 お前が特殊例ってのもあんだろうけど、と兄貴はひたすらにため息交じり。どこから説明すりゃいーんだよクソ教師ども、と頭を揺らしている。

 そんな様子に毒気を抜かれたのか、夏油は戸惑った様子で殺気を解いた。

 

「……知識不足ということですか?」

「それもある。というか、そうか、夏油お前、基本的に任務はずっと五条と一緒で、ほかの術師と組んだことあんまりなかったりする?」

「え、……ええ」

「んで、当然ながら自分より強い奴と戦った経験、あんまないよな」

「……そうですね」

 

 素質がありすぎるのも考えものってことか、と兄貴は小さくなったどら焼きの欠片を口に放り込んだ。目を閉じて何やら考えながら咀嚼し、ごくりと飲み込む。そしてまた目を開けて、言葉を続けた。

 

「術師が強くなろうと思ったとき、いろいろ手段はあると思う。呪力操作の精度あげるとか、身体能力を向上させるとか、体術鍛えるとか。その中でも特に術師の戦闘能力に直結するのが、自身の術式への理解を深めることだと俺は思ってる」

「……というと?」

「さっきも言ったろ。呪霊操術って、呪霊操ること以外できねーのってハナシ」

 

 いや呪霊操術ってそういうもんじゃねーの、と思ったのが顔に出ていたらしい。私の顔を横目で見た兄貴が、また深々とため息をついた。

 これだから前線出ねーやつはとでも言いたげで、まあお前もお前で特殊例なんだよな、と頭の上に掌が置かれる。

 何かむかついたので払いのけた。

 

「術式なんて本来あやふやなもんなんだよ。自分の術式に定義を与えるのはあくまでも自分で、術式効果の枠を定めるのも自分なの。だからそこそこの術師はたいてい、自分に刻まれた術式を無理矢理にでも解釈しなおして定義を広げたり、定義を逆手にとって効果を裏返したりして武器を増やすわけ。創意工夫ってやつ」

「……術式反転のことを言ってます?」

「それもまたひとつ。俺はできねーけど」

「センスね~」

「俺の術式反転させても大して意味はなさそうって話なんだよ、ちょっと黙ってなさい妹。たぶんお前の呪霊操術もそう……いや、順転が使役なら反転は暴走か? それはそれで……」

「兄貴」

 

 思考の海に潜りかけた兄貴はおっと、と我に返ると、そのまま話を続ける。

 

「だから、もう呪霊操術を言葉通りの『呪霊を』『操る』術式だって素直に受け止めてないで、積極的に疑って定義を壊して作り直すくらいのことはやろうぜって話。お前拳銃持ったら弾込めて撃つことしか考えないだろ。俺なら銃弾と拳銃解体(バラ)して爆弾作るくらいは考えるね」

「たとえが物騒」

「さすが兄貴」

「うるせ。……自分の強さを正確に把握するのは大事なことだ。けど、何でだかお前、術式の話も含めて、これはこういうもんだって型に嵌めて、はみ出すことを許さないように見えるんだよな。自分の強さについてもそう。その先を目指す貪欲さが見えないというか」

 

 夏油の身体が、強ばったような気がした。

 驚いてその顔を見ようとするが、なぜか兄貴の手に阻まれた。見かけによらず大きな掌は、私の頭を押さえつけて上を向かせようとしない。

 兄貴の顔も、夏油の顔も見えない。

 

「お前、まだまだ強くなれるのに」

 

 その声は、いっそ不思議なほど真剣で。

 というか強くなってもらわねーと俺が困るんだよ、と兄貴はどんな顔でそれを言ったのだろう。夏油が、息を呑んだような気がした。

 

「ま、呪霊操術はそもそもが強力な術式だし、何より五条なんて特殊例が隣にいちゃ、そこに思い至らないのも無理はないかもとも思う。相伝の術式の場合、その辺あんまり考える必要ねーんだろうし」

 

 そう軽い声で言って、ようやく兄貴の手から力が抜けた。ぺしりと払いのけるが、兄貴はまるで知らん顔で話を続ける。

 

「……それは、術式の定義を広げた結果が蓄積されているからですか?」

「そうだな。術式を極めた最終的なゴールの姿がある程度確立していて、そこに至るまでのルートも見えてる。五条が『最強』なのは、六眼と無下限術式を併せ持ってるってこと以上に、強くなるための地図がすでにあるからってのが大きいと思う」

「強くなるための地図、ですか」

 

 大多数の術師はそれを自分で描くんだよ、と兄貴は肩をすくめる。

 兄貴もそうなの、と聞いてみれば、じゃなきゃ一級術師になんかなれねーよと軽く返された。その軽い言葉の裏に、どれだけの苦労があったのか。私には、想像することもできないけれど。

 

「ただでさえ俺の術式は直接ダメージを与えられる類いじゃねーんだ、任務で一緒になった先輩術師参考にしたり、資料漁ったり、ひたすら頭ひねって術式いじくりまわして鍛えたんだよ。じゃなきゃとっとと死んでるわ」

「そういや私兄貴の戦闘見たことねーわ。どんなの?」

「口で説明するのがめんどくせー」

 

 というかそろそろしゃべり疲れたとか抜かすこの社会不適合者、やっぱり夜蛾が言っていたようにまた授業にでも引きずり出してやる。

 後輩たちへの接し方や今の話を聞いていても、わりと普通に教師向いているのではと思う。研究が順調だからなのか、最近は私らにも時間を割くようになったし、前ほど詰め込みで作業ををしているわけでもないらしい。目の下の隈が、少しだが薄くなっている。

 多分、兄貴は研究の協力者が増えることのメリットを理解したのだと思う。夏油に「強くなってもらわなくては困る」というのも、きっとそういう意味なのだろう。

 ふと、夏油が妙に静かなことに気づいて視線を向けた。その顔には何の感情も浮かんでいない、ように見えて、何だろう、何か考え込んでいるような。夏油、と思わず名前を呼んだら、何だい、とぱっといつもの顔に戻る。

 

「顔が変」

「唐突に喧嘩売るのやめてくれないか」

「硝子、どら焼きもう一個あるよな」

「げ、まだ食うの」

「いやその最後の一個は私のでしょう。硝子、私がもらう」

「え、お前あんま甘いもん好きじゃねーんじゃねーの?」

「そんなことはないです」

 

 あれ、違ったっけと首をひねる兄貴。それは多分、夏油がいつも甘いものがあれば五条に優先的にわけてやっているからだろうと言えば、兄貴は納得したように頷いた。

 それからまるで可哀想なものを見るかのような視線を、夏油に向けた。

 

「夏油って五条のママかなんかなの?」

「それは正直私もよく思う」

「ははは、この兄妹」

 

 相変わらずそっくりですね、と青筋を立てたそいつに言われ、どうやらふたり揃って同じ顔をしたらしい。その顔もそっくりだと、軽く笑い飛ばされた。

 部屋にいつも通りの軽い空気が流れ始めたことに少し安堵して、私は小さく息を吐いた。

 

 

 ***

 

 

 硝子と夏油が部屋を去って十分もしないうちに、再び部屋にノックの音が響く。

 近づいてくる足音と呪力で、それが誰なのかはわかっていた。はい、と返事をすると、ゆっくりとドアが開く。

 

「忘れもんでもしたのか、夏油」

 

 違いますよ、なんて言われるまでもなくわかっていた。

 

「硝子には聞かれたくないかと思いまして」

「何を?」

「さっき、私に強くなってもらわなければ困ると言ったでしょう。その話です」

「せっかく研究に協力してくれてんのに死なれたら困るだろ」

「ええ、硝子もそう解釈したでしょうね」

 

 私には違うように聞こえましたが、とやけに自信のある声。俺は夏油に背を向けたままキーボードを叩いているが、おそらくその顔にも自信たっぷりの笑顔が乗っていることだろう。

 逆に馬鹿正直だな、と感想が浮かんだ。

 

「下手なカマ掛けはやめろよ、夏油。言いたいことあるならはっきり言え」

「……そうですね。だめだな、こういう部分では貴方を出し抜けそうもない」

「素直すぎるのも気持ち悪いな、お前」

「わりとめちゃくちゃ言ってる自覚はありますかね?」

 

 やれやれとため息をつかれたような気がしたが、ため息をつきたいのはこちらの方だ。今日だけでずいぶん喋って俺はまじで疲れている。話があるのならさっさと終わらせて欲しい。

 で、何、と話を促してやると、一瞬間を置いて夏油は言った。

 

「想像でしかありませんが、クラゲさんが高専に留まっている理由はなんとなく予想がついています。私に強くなって欲しいという理由も」

「で?」

「強くなります。だから協力してください」

「……へ?」

 

 予想外が過ぎる言葉に、思わず振り向いた。

 夏油はいつも通り、にっこりと嫌な微笑みを浮かべながらそこに立っている。

 今こいつ、まさか「協力」とか抜かしただろうか。ひとに頼るくらいなら独りで死んでいきそうなくらいプライドの高いコイツが、「協力」と? しかも、歳が上とは言え、自分より弱い術師相手に。

 そんなに意外ですか、と夏油は苦笑して頬を掻いた。

 

「意外というか天変地異が起こりそう……」

「……否定はしないでおきますよ、自分でも驚いていますから」

 

 ただ、と夏油は続ける。その顔は真剣だった。

 

「正直、今は手段を選んでいられない。私の任務はもうほぼ単独で、他の術師から学びを得る機会もない。だったら、貴方に助言をもらう方が効率がいいだろうと」

「……百歩譲ってひとに頼る発想になったのは理解するよ。けど何で俺」

「私が強くなることは、貴方にとって都合がいいんでしょう? 下手に人の好さそうな顔をする人間よりも、自分のためと言い切る人間の方がよほど信用できる」

 

 これでも私は貴方を信用しているんですよ、とまた笑顔を作られた。うわあ、うさんくさいにもほどがある。白い目を向ければ、その頬がひくりと揺れた。

 本心なんですが、とため息を重ねられる。

 

「いえ、まあ、私が貴方を信用していようがいまいがどうでもいいことでしょう。事実として貴方は私に強くなって欲しいと思っていて、私は強くなりたいと思っている。ほかに理由は必要ない」

「……確かにな。ああ、お前の言いたいことは理解した。けど、俺にできることなんてたかが知れてるぞ」

「別に貴方に稽古を付けて欲しいとは思いませんよ。無駄でしょうし」

「お前がクズなのってそういうとこだと思う」

「事実は事実です。……私が欲しいのは、あくまで助言です。たまにこうして私の話を聞いて、貴方の知識と経験値をわけてくれればそれでいい。あとは勝手にやります」

 

 どうやら私は知識も抜けているらしいですし、と付け加えられた言葉に、まじで夜蛾のやつどこまで口が軽いんだと内心で毒づいた。別に聞かれて困るでもないが、人伝につたわってしまうのは何となく気まずい思いが否めない。

 やれやれ、と正面から夏油の視線を受け止めた。確かに俺にメリットこそあれど、デメリットのある話ではなかった。

 ただ、ひとつだけ気がかりがある。

 

「……夏油、お前何焦ってんだ?」

 

 きゅ、とその口元が結ばれた。どうやら、口を開く気はないらしい。まあいい、想像ができないでもないし、そもそも俺には関係ない。

 確かに、夏油には強くなってもらわなくては困る。いや、別に夏油だけの話ではないが、俺の最終的な目的を考えれば、相応に強い協力者はどうしたって必要だ。

 それを考えれば、ここで特級術師に恩を売っておくのは悪い話ではない。

 

「……わかった、いいよ、俺にできることなら協力する。口出すくらいなら大したことでもねーしな」

「……そうですか、ありがとうございます」

「ただし夏油お前、変に暴走すんなよ」

「暴走すんな、とは?」

「根詰めるとか徹夜するとか、そういうことをすんなって話」

 

 そう付け加えると、とびきりの生ぬるい視線が返される。硝子の気持ちがわかるな、と小さく零して、失礼にもほどがあるクズは続けた。

 

「自分を棚上げするの、本当にいい加減にしたほうがいいですよ」

「おいコラ、心底呆れた顔してんじゃねーよ」

 

 

 ***

 

 

 海月は未だ、愛しい硝子の檻の中。

 その居心地に微睡むも、いつかは外にと手を伸ばす。まずはひとつと見つけた欠片。それは鍵か、ガラクタか。

 

 波の気配は、まだ消えない。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。