硝子の兄は海月になりたい   作:ふみどり

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凡人の頂

 卒業してからも、月に数度はこうして古巣を訪れている。

 それは小うるさい上層とのやりとりのためだったり、呪詛師や呪霊の情報を得るためだったりするのだが、こうして見知った顔の近況を知っておくためでもあった。

 

「あ、夏油さん! こんにちは!」

「どうも」

 

 ソファの置かれた休憩用のスペースで立ち話をしていた後輩たち。いつのまにか一級にまで上り詰めた彼らの影から、ひょいっと一回り小柄な影が覗く。

 

「どもっす夏油さん!」

「や。君もいたんだね、悠仁」

 

 見えなかったよと素直に口にすれば、いや俺別にチビじゃねーし、と可愛い生徒は不満げに口を尖らせる。悠仁も決して小さくはないのだろうが、何せ一緒にいるのが逞しくなった七海や灰原だ。相対的に小柄に見える彼がつい可愛らしくて笑ってしまう。

 

「三人で立ち話かい?」

「さっきまで灰原さんに稽古つけてもらってました!」

「虎杖くんすごいんですよ、学生時代の僕よりずっと強くて!」

「私は偶然居合わせただけです。夏油さんこそご用事ですか」

 

 悟に呼び出されてね、と一歩二歩と足を進める。

 私とは違うやり方で呪術界を変えると言った「最強」の親友は、卒業後この古巣で教鞭を執っている。悟が教師になると決めたときはどうなることかと思ったが、これが意外と上手くやっているらしい。

 若人の成長は嬉しいものだよなんて言ってるのを聞いたときは目頭が熱くなったものだが、同じくその言葉を聞いていたクラゲさんは正気を疑うという顔をしていた。いや私は素直に悟の成長を喜びたいと思う。

 その悟は、どうやら私を呼び出しておきながら遅刻しているらしい。待ち合わせの時間だというのに来る気配がみえず、つい苦笑が漏れる。

 

「まったく、悟の悪癖はなおらないね」

「五条先生ならクラゲさんとこ寄ってくっつってたけど」

「またウザ絡みに行ってるんですかあのひとは」

「あはは、五条さん相変わらずクラゲさんのこと大好きだよね!」

 

 それなら私もクラゲさんの部屋に行った方が早いだろうか、とふと考える。

 いつのまにか、ただの「同期の兄」というには濃い繋がりができてしまったあのひと。数の海を漂い星々を見つめている、根っからの引きこもり。

 時折電話でやりとりはするが、しばらく顔は見ていなかった。たまにはあの不健康そうな顔を拝んでいくのも悪くない。

 前からそうなんだ、と何となく不思議そうな顔で悠仁は言った。

 

「五条先生って何かとクラゲさんに絡みに行くよな。クラゲさんに五条先生と仲良いんだねって言ったらすげー顔されて遠回しに殺すぞって言われたけど」

「……何でクラゲさんにそれを言うんですか君は……」

「どちらかというと五条さんはクラゲさんが心底嫌がるからこそ絡みにいってるよね!」

 

 いつもすごく愉しそう、と晴れ晴れと言い放つ灰原。クラゲさんからすれば堪ったものではないだろうが、悟の気持ちはわからなくもない。

 家入海月というひとは、特級呪術師である私たちを畏れる様子を見せないどころか、うっとおしがり面倒くさがり、そんな負の感情を隠しさえもしない。かと言って私たちと敵対するわけでもなく。知恵を貸せと言えばいやいやながら打開策を示し、手を貸せと言えばため息をつきながらも呪具を取る。

 味方でいるという「縛り」とも言えない「縛り」を律儀に守り続けるクラゲさんだからこそ、これほどまで気楽に接することができるのだ。

 く、と喉の奥が揺れる。

 

「悟なりに気を許してるってことだよ」

 

 家入海月というひとりの人間として、ひとりの呪術師として。

 

「クラゲさんは信用と信頼に足るひとだからね」

 

 しかも強いし、と笑って付け加えれば後輩ふたりの口元にも笑みが浮かぶ。悠仁はまだクラゲさんの力量を知らないのか、そんなふたりの顔を交互に見つめた。

 

「俺実はまだクラゲさんが戦ってんの見たことないんだけど、やっぱ強いの?」

「強いよ! といっても、僕もクラゲさんの強さをちゃんと実感したのは最近なんだけど」

「正直なところ、私もそうです。わかりにくいですからね」

「はは、そうかもしれないね」

 

 一級に認められた呪術師、それだけでそれなりの強さであることは保証される。しかし、クラゲさんの「強さ」の在り方は非常に希有なもののように思える。

 何故って、そう、まさに「わかりにくい」からだ。

 

「まあ私も本気で戦っているクラゲさんを見たことあるわけじゃないけどね。間違いなく言えるのは、決してあのひとが『特別』じゃないということ」

 

 見る限り、飛び抜けて優れていると言えるのは呪力操作くらいだろう。それも少なすぎる呪力量を補うためのもので、戦闘において非常に効果的な武器とまでは言えない。一瞬の呪力強化で相手の意表を突いたり、五感を強化して補助的につかったり、あとは戦闘が長引いても呪力切れをせずにすんだり、まあそれくらいだろうか。

 もちろん呪力操作は呪術師にとって重要な技術だ。だが、クラゲさんのように呪力量が極端に少なければマイナスがちょっとプラスになるくらいのものだろう。

 また、術式はもっているがこれまた強力とは言いがたい。詳星呪術はあくまでも「可能性」を観る術式であり、「未来視」とは訳が違う。精度が違うとは言え、確実じゃない未来の予測なら術式がなくたって誰でもやっている。次はどんな攻撃がくる、右を狙うか左を狙うか、その全て可能性が見えたところで結局選ぶのは本人で、外れる可能性も大いにあるのだ。実際、不確定要素があれば一切役に立たないと本人も軽く手を振っていた。

 そこまで聞いた悠仁は、まるでわからないというように眉間に皺を寄せる。

 

「……え、じゃあクラゲさんって何がすごいの? あ、呪具の刀使うんだっけ? 剣術?」

「クラゲさん曰く『刀を使って戦うこと』と『剣術』はまるで別物らしいですよ」

「乙骨くんが刀の使い方教わろうとしたらばっさり断られたって言ってたね!」

 

 そう、率直に言ってクラゲさんに特別優れているところなんて何もない。何もないのに、あのひとは負けない。何故かわからないけど負けないのだ、あのひとは。

 どんな任務を振られても、たいした怪我もなく帰ってくる。

 どんな呪霊を相手にしても、慌てる素振りを見せることはない。

 そこには例の「奥の手」や、それ以外の隠し球があるからというのも理由ではあるのだろう。けれど、決してそれだけではない。

 

「クラゲさんは何も特別なものをもっていないし、何も特別なことをしていない。倒すべき相手を分析し、自分の手札から策を立て、その通りに動いているだけ。勝てると思ったら勝ち筋を辿るし、無理と思ったら退却する。本当にそれだけなんだよ」

 

 なのに、強い。だから、強いのだ。

 

「そのひとつひとつの精度が高すぎるんでしょうね。当たり前のことをあまりに何気なく完璧にこなすので、何故強いのかと言われると上手く説明ができない」

「何気なく完璧にするのがいちばん難しいんだけどね!」

 

 言うなれば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。こんなことを本人に言ったらまた「それで褒めてるつもりなのがすごい」とか言われてしまうのだろうが、実際にそこに到達できる人間がどれだけ少ないことか。

 

『出来ることは出来るし、出来ねーことは出来ねーよ。そんだけだ』

 

 そこで完全に開き直れる精神力をもつ人間が、どれだけいると思っているのだろう。

 

「……すごいひとなんだよ、クラゲさんは」

 

 少なくとも高専時代の私は、そう簡単に開き直ることはできなかった。時間をつくっては深海を訪れていたかつての自分が思い出され、何となく気恥ずかしい気持ちが蘇る。

 自覚のない世話好きは、意外と面白がったりからかったりすることなく私が訪れるのを受け入れてくれた。あれこれと知識を仕込んでくれて、参考文献とか言って本の数冊をどさどさと投げられたこともある。

 ないものねだりする前に自分の手にあるものの使い方を考えろ、と繰り返し私に言ったあのひと。今にして思えば、もしかしたらクラゲさん自身も自分の強さに悩んだことがあったのかもしれない。

 そういうもんなのかー、とじっと考えていた悠仁が、あ、と目線をあげる。同時に、私の肩に見慣れた腕がまわされた。その気配には気づいていた。

 

「皆おそろいでなーんの話ィ?」

「よっすセンセー!」

「あ、五条さんどうも!」

「貴方はまず夏油さんに遅刻の謝罪をすべきでは」

「オイオイオイオイオイ七海ィ? まずお疲れさまですだろ~?」

 

 慣れた軽口に、つい肩が揺れる。

 まったく、悟が来るといつもこうだ。

 

「何どしたの傑、ご機嫌じゃん。そんなに僕に会えて嬉しかった?」

「ははは悟、冗談は顔だけにしておくべきだよ」

「このグッドルッキングガイにそんなこと言うのオマエくらいだからね?」

「いやわりとナナミンも言ってね?」

「言ってるね!」

「五条さん、冗談は顔だけにしてください」

「しばくぞ」

 

 そんで何の話してたの、と自分の遅刻を棚上げする寂しがりは仲間に入れろとぐいぐい来る。クラゲさんの話だよ、と悠仁が答えれば、クラゲさんの、と悟は意外そうに繰り返す。

 そうだよ、と何となく愉快な気分で私は悠仁の言葉を引き継いだ。

 

「クラゲさんは強いんだって話」

 

 それを聞いたもうひとりの「最強」は、心底不思議そうな顔で何を今さらと言い放った。

 

「んなの当たり前じゃん」

 

 そう、クラゲさんは強いのだ。

 あまりにも当たり前に、私たちとは違う頂に立っている。

 

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