硝子の兄は海月になりたい   作:ふみどり

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ブラックボックス

 深い深い情報の海は、宇宙に似ているように思う。

 数という数が降り積もる空間、そこに浮かぶ記憶という名の情報が星のように瞬いている。ここの管理は俺にとっては少しも苦ではない。雑多に見えて整理されたその奥に、触れてはならないものがあることも知っている。

 勝手に入り込んだどこぞの不法侵入者の腕ともいえない黒いものが、俺のメモリの奥深くへと潜り込んでくる。たくさんの星をかき分け、鎖を巻いて閉じ込めたとある記憶へとどんどん近づいてきた。わかっているのだろう、俺にとってそれがどれだけ重いものなのか。

 黒いものの手が伸びる。言いようのない不快感が込み上げた。

 

()()()

 

 脳内に呪力が満ちる。血液のように循環する。不純物の存在など許しはしない。

 あえて侵入を許した呪霊に容赦なく呪力を叩きつける。祓うには弱くとも、追い出すくらいならこれで十分。

 すう、と気色の悪いものが額あたりから抜け出ていくのを感じた。

 

「――夏油」

「さすが」

 

 抜け出た黒いモノが、そのまま夏油の手の中で渦を巻いた。おお~と妹がやる気のない歓声をあげる。

 ことの始まりは、やっかいな憑依系の呪霊が出たという話だった。対象の脳を乗っ取って記憶を探り悪夢を見せては負の感情を増幅させて食い尽くし、しかも対象の肉体を操ることも可能というタチの悪さ。くわえて攻撃してきた者のほうが呪力があると判断すれば即座に乗り換えるという尻軽呪霊だった。

 最終的に勇気ある補助監督のひとりに憑依したそいつは、補助監督ごと拘束された状態で高専に運び込まれた。硝子なら何とか、という希望をもって搬送されたようだが、硝子によると「自分がやってもいいが超難易度の脳外科手術に匹敵する」「できなくはないけど後遺症の可能性あり」とのことらしい。

 じゃあ別のやつに憑依を移したうえで脳の主導権争いに打ち勝たせ、体外に追い出してもらおう、という理屈で俺のところにまわってきたそうだ。

 常に脳を作り直してる五条に回せばいいじゃねーかと思ったが、残念ながら遠方に出張中。じゃあ夏油の呪霊操術、と言えば「憑依は肉体の接触を介して行うそうで、外に出るタイミングがないみたいなんです。憑依した状態では調伏はできませんし、私に憑依させるのを試してもいいですが、万一私が暴れたら誰が止めてくれるんですか?」とか適当を抜かしやがった。たぶん普通に嫌だったんだと思う。俺だって嫌だわ。

 とはいえ正式に任務として下されればやらざるを得ず、仕方なしに結界の符に囲まれた部屋のなかで自分の脳を呪霊に差し出したというわけだ。

 

「兄貴、頭悪くなってない?」

「あえて語弊のある聞き方すんな妹。問題なし」

 

 呪力をまとった手でベッドに横たわる補助監督に触れれば、流れ込むように呪霊は俺の身体にうつった。迷いなく脳へと移動していき、触手を伸ばすように記憶領域を無遠慮にまさぐられ。

 本来ならその瞬間に意識を失うはずだったのだろうが、自分の脳のコントロールで俺が負けるはずもない。

 意識を保ったまま呪霊のカタチを捉え、道を阻み、――触れてはいけないものに気付きやがった不法侵入者を呪力で叩き出した。

 レアな呪霊を労力なしで手に入れたクズ野郎は、それはもう機嫌がいい。

 

「ありがとうございますクラゲさん。こういう呪霊は珍しいんですよ」

「何に使う気だよそんな呪霊。ったく、済んだなら俺は戻るぞ」

「待って兄貴、一応検査」

 

 そう言って伸ばされた妹の手が額に伸びる。

 冷たい呪力が再び脳に満ちるが、硝子の力は不快ではなかった。

 

「……ん、問題なさそう。さすがだね~」

「そりゃな」

「やっぱりクラゲさんを推薦して正解でした。……それにしても」

 

 触るな、とは何に?

 俺は面白がっているらしい特級クズに視線を向けた。

 

「口に出てましたよ。珍しく本気で嫌そうでしたね」

「呪霊に脳みそ探られて嫌じゃねえやついるか?」

「いないでしょうね。いえ、この呪霊、ちゃんと『対象にとってもっとも精神的ダメージになる記憶を探り出す』ことができるそうで」

 

 にこ、と上手く笑顔の仮面を被ったそいつは両手をあげる。

 

「失礼、下世話な好奇心です。クラゲさんにもそういうのあるんだなと」

「下世話な自覚があって何より。報告書はお前が出せよ」

「了解です」

 

 大人しく引き下がった夏油を一瞥して俺は部屋を出た。

 薄暗い廊下を歩きながら、自分の記憶のなかにある『それ』を思う。それ以外の記憶のすべてを俺は思い出せる。管理している。しかしそれの中身はわからない。思い出せない。それが俺にとってどれだけ異常なことか。

 でも、不思議なことにこじ開ける気にはなれない。開けてはならないと、俺のなかの何かが叫んでいる。「誰か」じゃなく「俺」の声だから、逆らう気は起きなかった。

 開かないように厳重に鎖をまきつけ、浮かんでこないように重しをつけ、消去されるわけでもなく記憶の海の底で眠るブラックボックス。まるで宝箱のようだと、そんなガキっぽいことを思った自分に少し呆れた。

 高専の薄暗い廊下に、ひとりぶんの足音とため息だけが静かに響く。

 




中に入ってるのはたった数ヶ月の青い春。
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