太陽を見つめる、その眼差しが好きだった。
赤い翼がよく似合う、その背にいつも励まされた。
けれど、俺はそれを決して口にはしない。
―――お前は、俺のことなんて見なくていい。
***
世界がまわるこの感覚にも、ずいぶん慣れた。
もって生まれてしまったこの“個性”、見た目が派手なものではないが、使い方によっては強力な武器にもなる。代償と言えるこの吐き気も、堪えるということを覚えてしまえばどうということはなかった。
「スズメ」
慣れた仮の名で呼ばれ、振り返る。世界がまたぐるりと回ったが、顔には出さなかった。そうしろと言ったのが、このひとたちだ。
日の当たる場所でヴィランを倒すのがヒーローなら、このひとたちは日の当たらない場所から密かに秩序を守る存在。綺麗事で世の中を渡れないのは事実だが、この公安というひとたちはたまに本当にひとの心がないのではないかと疑ってしまう。
「……何ですか」
「例の詐欺グループ、片付いたそうね。お疲れ様」
「どうも。すぐに片付けろなんて急な命令がなければ、もう少し穏便に話を進められたんですけどね」
潜入を命じられた、“個性”を利用した悪質な詐欺集団。内部からその集団の構成、ボスの正体、犯行の手口、重ねてきた罪の数々。時間をかけて証拠を集めていたというのに、急に連絡がきたと思ったら、次の仕事があるからさっさと片付けろときた。雑な仕事はするなと幼少から教え込んでおきながら、これまでの犯行をすべて調べ上げる前に逮捕して、あとは取り調べで何とかしろと。
体よく使われるのは今更だが、こうも振り回されると恨み言を言いたくもなる。じとりとした目線を向けるが、そのひとは意に介した様子もなくさらりと続けた。
「何事にも優先順位というものがあるわ。わかっているでしょう?」
公安の仕事は、ヴィランを捕まえることでもなければ、犯罪事件を解決することでもない。ただ、この社会の秩序を守ること。
この“個性”ゆえに上手く社会に馴染むことができず、公安に保護され育ててもらった身として、このひとたちのことを否定するつもりはない。実際、必要なことだとも思っている。かといって、その信念を素直に肯定して生きられるほど、まっすぐにはなれなかった。
似た境遇のあいつとは大違いだ、なんて内心だけで自嘲する。
「……次の仕事の話は聞いてます。いつからやるんですか?」
「対象の状態によるけれど、数日のうちには始めるわ。情報はしっかり頭にいれておきなさい」
はいはいと返事をして、そのまま背を向ける。
言われなくたって仕事はちゃんとする。公安から提供された資料にはすべて目を通してあるし、頭に叩き込んである。相手が相手だけに気は重いが、それでもびびっているつもりはなかった。俺は、いつも通り俺の仕事をやるだけだ。
期待しているわ、なんて言葉を背に受けて、俺はバレないように息をつく。俺の“個性”を知っているのだから、口に出す言葉は選んでほしい。
さらに回り始めた世界に、ただただ吐き気が込み上げる。廊下の角をまがり、誰もいないことを確認してから口元に手をやった。まだだ、まだ堪えろ。いつもなら堪えられる程度の、ついた本人すら自覚のない「嘘」だったのに、それでもここまで代償がやってくるとは。潜入から取り調べまで、ずっと「嘘」のなかにいたが故の蓄積だろうか。
いつも首元に引っかけているヘッドホンを耳にかけて周囲の音を遮断するが、今更気休めにもならないことはわかっていた。
「……う、」
あ、これはまずい。回り続けた世界が一気に光を失う。世界が暗転するその一瞬前に、見慣れた赤い羽が見えたような気がした。
***
幼い頃の記憶は、もうほとんど残っていない。
嘘にまみれたこの世界で、嘘に反応する俺の“個性”はただただ生きづらいものでしかなかった。物心つく前からこの“個性”を発現していたらしい俺は、誰かの声を聞けば泣き叫び、暴れ、倒れたという。俺の覚えていることと言えば、相変わらずまわる世界に、慌てふためく周囲の大人の姿だけ。
俺の“個性”の詳細が明らかになり、公の施設に預けられることとなってからはもう少し生きやすくなったと思う。それでもまともな記憶が残っていないのは、ひたすら耳を塞いで毎日を過ごしていたからだろう。
まともに残っている一番最初の記憶と言えば、多分、あれだ。
『……す、ずめ、くん』
目の前に落ちた影に気づいて顔を上げると、そこには明るい髪色と、それより目立つ赤い羽。ひどく自信なさげに立っていた、俺と同じくらいの年齢の少年。目が合うとすぐに逸らされて、そのまま彼は、おずおずと胸に抱いていた人形を差し出した。そのまま少年は、何も言わずに俺の反応を待つ。
いつも大事に抱えていることが伺える、少しくたびれたエンデヴァー。彼の顔と人形を何度も見比べて、確か俺は、口を開いて、
『―――』
そのときのホークスの顔は、今も脳に焼き付いている。
***
ぱたん、とドアの閉まる音で目が覚める。
視界に入った天井の柄には、見覚えあった。仮眠にも使う休憩室だ。誰かが運んでくれたのか、とゆっくり身体を起こす。時間はそう経っていないようだが、体調はだいぶ落ち着いていた。
部屋を見渡すが、狭い部屋には誰もいない。ドアの閉まる音が聞こえたような気がしたから、そのときに部屋を出て行ったのかもしれない。誰が運んでくれたんだろう、と思うと同時に、それが目に入った。
ドアの隙間からこっそり顔を出す、一枚の赤い羽根。
「……ホークス?」
「あ、バレた?」
俺がつぶやくと同時に、がちゃりとドアが開く。直接見るのは久しぶりの、飄々とした笑顔がそこにはあった。
「いやービビったよ。久しぶりに顔見たと思ったら蒼白でふらふら、しかもこんなとこでぶっ倒れるんだから。水、飲める?」
「……ああ、ありがと」
わざわざ買ってきてくれたらしいペットボトルを受け取った。無言のままキャップを開け、喉に流し込む。冷たい水の感触に、少し気分が落ち着くのを感じた。
「……運んでくれたんだろ。悪かったな」
「いいって、“個性”酔いでしょ? お偉いさんたち無茶ばっか言うし、仕事立て込んでたんじゃない?」
受け止めるの間に合って良かったよ、と言う彼の言葉に、嘘はない。俺の“個性”を知っている彼は、もうかれこれ二十年近い付き合いになるが、一度たりとも俺の前で嘘をついたことはなかった。
彼とは同じ施設で育ち、同じように公安の特別訓練を受けた。言うなれば幼馴染みのようなものなのだろうが、仲が良いかと言われればそうではなく。
片や、
片や、社会生活に適合できなかったためにやむを得ず施設で過ごし、潜入や取り調べ、時には口には出来ないようなこともこなしてきた俺。
仕事に必要だったのでプロヒーローの免許はもっているが、俺は保護されて育てられた分の義理を果たしているだけで、世のため人のためなんて志があるわけでもない。昔からその差を感じていた俺は、あまりホークスに近づこうとは思わなかった。そして彼もまた、そんな俺の気持ちを察したのか、必要以上に踏み込んでくることもなく。
お互いの“個性”や情報はおそらく誰よりも知っているのに、きっと実は誰よりもお互いのことを知らない。そんな、奇妙な関係だった。
「……
「そんなとこ。せっかく独立して福岡戻ったのに、便利に使ってくれるよ」
「お前にしか出来ない仕事なんだろ」
そう口にして、違和感を覚えた。俺に回された仕事と、このタイミングでのホークスの呼び出し。正体の見えない嫌な予感に、眉をひそめる。しかし、仕事に関して首を突っ込むのはタブーだ。特に、公安関わりの仕事については。
「どうかした?」
「……いや、何も。それより、悪かったなホークス。俺はもう大丈夫だから」
「そ? 歩ける?」
平気、とベッド脇に脚を下ろすと、ホークスは安心したように息をついた。なら良かった、と赤い羽のヒーローはいつもの顔で微笑む。
「んじゃ、俺そろそろ呼ばれてる時間だから」
「ああ、ありがと。お疲れ」
「ん、お疲れ」
表面上は軽く挨拶を交わして、ホークスを見送った。この体調不良は“個性”による一時的なものだし、何より長く雑談をするような間柄でもない。
相変わらず、ホークスときたら困った人を放っておけない、ヒーローらしいヒーローだ。俺が倒れていてもひとを呼ばずに休ませるだけにとどめたのも、ひとけのない仮眠室を選んで運んでくれたのも、目立ちたくない俺の立場を考えてくれてのことだろう。
その気遣いをありがたく思うと同時に、どこか重苦しく感じる。…これはきっと、引け目というやつだ。
お前は日の当たるところで、自分の守るべき人々だけを見ていればいい。日陰者の俺のことなんか、気にせずに。
「……ありがたいけど、俺のことはほっといてくれていいから」
ドアに残っていた羽根に向けて、俺は小さくつぶやいた。
***
ホークスは、ずっと太陽に憧れていた。
そのひとのようなヒーローになって、人々を明るく照らせるような存在になるのだと、ずっと努力をしていた。俺にはないその志は、ひどくまぶしく感じた。
それこそ、太陽のように。
***
かっちりしたスーツでも着た方がいいのか、と一瞬悩んで、やめた。対象は視力をほとんど失っていると聞いているし、格好を取り繕って通用するような相手とも思えない。結局俺はいつも通りのパーカーとデニム、それからヘッドホンを首にかけて、奈落と名高い監獄に挑む。よほど必要に駆られない限り戦闘をしない俺にとって、普段着こそがヒーローコスチュームなのだ。警戒されない格好が一番。
ドアの前に立ち、こきりと肩をひとつ鳴らす。表情筋を丁寧に動かして口角を上げ、笑顔に見える顔をつくる。ひとつ呼吸をしてドアノブを握る頃には、俺はもう「スズメ」だった。
ゆっくりとドアを開けて、閉じる。特殊なガラス板の先で拘束されている彼に、笑いかけた。
「―――初めまして、オール・フォー・ワン」
ご機嫌いかがですか、と続けると、彼は肩を揺らした。顔のパーツというパーツが見えない分わかりにくいが、どうやら笑ったつもりらしかった。
「初めてそんなことを言われたよ。機嫌が良いようにみえるかい?」
「貴方の機嫌を推測できるほど、貴方のことを存じ上げていなくて。ご気分を害したなら申し訳ありません」
「なるほど、確かに道理だ。紙の上の情報しか知らないくせに僕を知った気でいるやつらよりはずっと良いね」
それはどうも、と言いながら彼の前の椅子を引き、座る。向かい合っているのに、目を合わせることすら叶わない。というか目はどこだ。なんともやりにくい取り調べだが、まあ仕事は仕事、とりあえずやってみるとしよう。
「改めて、俺は『スズメ』といいます。一応プロヒーローです、建前上ですが」
「ほう。さしずめ、ヒーロー免許をもった公安の飼い犬というところかな?」
「仰るとおりです。これからしばらく、貴方の取り調べを担当することになりました。数日に一度はこうしてお話をすることになると思います」
「それは嬉しいね。相手が誰でも、会話が成り立つのは嬉しいものだ」
ここまで、彼の言葉に嘘はない。世界が回ることはなく、俺の三半規管が不快感を訴えることもなかった。むしろ、自信に満ちあふれた言葉は聞いていて心地よくさえある。嘘をつく必要などないという、強固な自意識。それは確かに、一種のカリスマといえるように思えた。
なるほど、これが「悪」の頂点。
「それでスズメくん、僕は何を話したらいいのかな?」
この余裕を、崩さなければならないのか。全くお偉方と来たら、本当に無茶ばかり言う。顔に浮かべていた笑みをさらに濃くして、俺は改めて口を開いた。
「何も」
数秒、沈黙がおりる。少し、彼のまとう空気が変わったのを感じた。へえ、と温度のない声が寄こされる。
「僕を取り調べるんじゃないのかい?」
「ええ、そういう命令を受けています。ですが、俺はあんまりそういうの必要だとは思っていなくて。だって貴方、たとえば死柄木弔の現在地とかご存じないでしょう?」
「知らないね」
「ほら、そういう『今』必要な情報を貴方はご存じない。だったら、この取り調べは別に急を要するものではないと思うんですよね。後世に残す資料のひとつとして、貴方という存在がどうやって生まれ、何を考えて生きてきたかは聞かなきゃいけないんでしょうけど、それ別に俺じゃなくてもどっかのカウンセラーでいいと思いません?」
俺も暇なわけじゃなくてですね、と付け加えると、なるほど、と彼は愉し気な声を上げる。その声の裏側には、氷のような冷たさがあった。
「それなら取り調べではなくとも、こうして雑談に付き合ってくれないかい。とにかくここは退屈でね、話ができるだけでありがたいよ」
「あはは、雑談でしたら喜んで。こんな若輩と話しても逆に退屈させるかもしれませんが」
お互いに笑いながら適当な言葉を投げ合う。内心で、なるほど、と頷いた。
あえて、彼という存在を重要視していないと嘯いてみせた。お前はすでに檻の中に在り、こちらにとっては過去のひとであるのだと。どうやらそれは、そこそこに屈辱には思ってもらえたらしい。しかし、彼はそれでも俺と会話を続けることを選択した。退屈を紛らわせるという言葉に嘘はなかったが、主な目的はそれではないだろう。おそらくは、俺との雑談を通して外界の情報を手に入れること。
ここまででわかるのは、まあ簡単。このおっさん、欠片も諦めてないということだ。
オールマイトにぶっ飛ばされて脱獄不可能の監獄「タルタロス」に放り込まれたというのに、ほんの僅かも堪えていない。それは、死柄木弔という後継の存在があるからか、それとも。
自分が再び、外に出ることが叶うと思っているからなのか。
「……おっと、もう時間だ。それじゃ、これからちょくちょくお話に来ますんで、まああまり邪険にしないでいただけると嬉しいです」
「もちろん、歓迎するよスズメくん」
次は君の“個性”の話でも聞かせて欲しいな、と軽く言って、嗚呼勘違いはしないでくれよ、と付け加えられた。
「どんなに良い“個性”でも、奪うことができる状況じゃないからね。ただの興味本位だよ」
その言葉に、そうですねえ、と軽く相槌をうった。俺の“個性”と、その詳細。ふ、と笑って、本心からの言葉を返す。
「俺の“個性”なんて、奪っても苦労するだけですよ」
何なら熨斗つけてくれてやる。
***
幼い俺たちが受けた訓練は、想像を絶する厳しさだった。
一般教養をはじめとする知識を叩き込まれるのはまだいい。しかしそれに加えて体力増強に戦闘術、武器の扱い、コミュニケーション術や交渉術、とにかくありとあらゆるものを叩き込まれた。加えて当然、“個性”の増強も。
へとへとに疲れきったところにわざと「嘘」を聞かされ、めまい頭痛吐き気のトリプルコンボ。実際毎日吐いてたし、死ぬかと思った。
それでも何とか堪えられたのは、やはり、彼の存在があったからだ。
『……ヒーローに、なる……!』
そう言って、羽根を飛ばし続けるホークス。あんな数の羽根の一枚一枚に意識を巡らせて操るなんて離れ業、脳細胞が焼き切れるような負担がかかるだろうに。脂汗を浮かべながら、それでも彼は羽根を舞わせる。どれだけ苦痛を伴おうが構わないと、彼の瞳は告げていた。彼が見据えていたのは、ただその目を灼いた「太陽」のみ。
俺自身は、別に太陽もヒーローもどうでもよかった。ただ、空を見上げて一心に翼を広げる彼を見て何も思わないほど、俺の情緒は死んでなかったと言うだけだ。
彼の望みが、叶ってほしいと思った。
***
すでに数度、オール・フォー・ワンとの面会を重ねた。成果が上がっているとは言えないが、相手が相手なだけに焦るつもりはなかった。
急いてはことを仕損じる。会話自体は問題なく成立しているし、内容によってはだがそれなりに質問にも答えてくれる。何より、彼はこれまで一切の嘘をつかず、基本的に必要のない嘘をつかない人間だということがわかった。これは非常に大きい。普段嘘をつかない人間がやむを得ず吐く「嘘」ほど価値があるからだ。
「はー…そんな“個性”もあるんですね。使い方によっては相当な武器だ」
「だろう? 僕にとってもお気に入りの“個性”のひとつでね」
話題はもっぱらオール・フォー・ワンが奪ってきた“個性”についてだった。こんな個性がある、こんな使い方がある、と楽しそうに語る様子は、収集物を自慢するコレクターのそれだった。いや、まさにそうなのだろう、彼は人の“個性”を奪い集めることについて一切の罪悪感を覚えていないようだから。
そういや金持ちや成功者の類って悪趣味なコレクションしたがるやつが多いんだよな、と内心で呟く。ほかの誰もが出来ないことをあえてしたがる心理はわかるのだが、なんで悪趣味な方というか法に触れる方に進みたがるのだろうか。
「良い“個性”を見るとね、つい欲しくなってしまうんだよ」
「まあ、奪う“個性”をもってると無理ないのかもしれないですね」
出来るから、やりたくなる。特にそれが、ほかの誰にも出来ないことであるならば。
うーん、そこまでは理解できるんだけど、やっぱり何でそれが後ろ暗い方向に進んでしまうのか。別に賞賛される道を行けとは言わないが、道を外れれば当然リスクを背負うことにもなってしまうのに。あ、そこにスリルを見いだすとか? いややっぱり理解できねえ。
ふーむ、と考えながら相槌を打っていると、面白そうにオール・フォー・ワンは言う。
「君は面白いほどに僕の言葉を否定はしないんだね。あいつとは大違いだ」
「あいつ?」
「オールマイトさ。彼と話したことは?」
「いえ、実はお会いしたこともなくて」
長くこの社会の希望であり続けた、平和の象徴。
彼の引退は社会に大きな影響を与え、別にファンではなかった俺にとってもショックだった。それくらい圧倒的なヒーローであり、希望だったのだろう。その存在は大きすぎて、繰り上がりでトップに立つことになってしまったエンデヴァーが気の毒ですらあった。
オールマイトは、と俺は言葉を続けた。
「イメージだけで言いますけど、正義と悪について妥協はしなさそうですね」
「その通り。僕の言葉を完全否定して、耳を傾けようともしない。まあ、それはそれで別に構わないんだが、だからこそ普通に会話をしてくれる君が新鮮でね。公安直下とはいえ、君だってプロヒーローだろう?」
「といっても俺は表舞台に立たない人間ですからね。オールマイトみたいに希望を振りまく必要もなければ、正義を体現する必要もない。ただ命じられた仕事をこなしているに過ぎません」
正義感が必要なヒーローらしい仕事は、ほかの志の高いヒーローがやればいい。
「たぶん、本来の思想的には俺、ヴィランの方が近いんじゃないですかね。まあだから普通に貴方との話が出来るんだと思うんですけど」
「おや、そんなこと言って怒られやしないのかい? この会話、モニターされているんだろう?」
「この程度で怒られるんなら俺とっくにプロヒーロー辞めさせられてますよ。俺が使える人間である限りは怒られませんて」
汚れ役をやってくれる人間は重宝されるんですよ、と笑えば、オール・フォー・ワンもまた肩を揺らした。
「君はあえて汚れ役である、と?」
「必要なことですから。綺麗事で世界は回らない」
「何故自分が、とは思わないのかい? 君に汚れ仕事をさせる社会を、憎く思ったことは?」
「自分でも不思議ですけど、ないんですよ、これが。あ、好きだと思ったこともないんですけど」
嘘で塗り固められた世界。その醜さを、俺はよく知っている。到底好きになれるとは思えない。けれど、憎いかと言われればそうでもなくて。
この先は、言葉にするつもりはない。俺は、ゆるりと口元に笑みを乗せる。
「って、俺の話はいいんですよ。建前上、貴方にいっぱい喋ってもらわないと」
「おや、残念。君の根幹に関わる話が聞けると思ったんだがね」
「興味もないくせによく仰いますね?」
「いやいや、大いにあるとも。正義感のないヒーローなんて珍しすぎて面白い」
「あはは、ヒーローったってプロヒーローの免許もってるだけですから」
「けれど君は、ヴィランにはなり得ない」
きっぱりと断定されて、俺はひとつ瞬きをした。嘘のない言葉だ。これは確信をもって言っている。
オール・フォー・ワンはまた肩を揺らして、愉快そうに言った。
「プロヒーローの免許をもち、しかし自身はヒーローでないと嘯き、そのくせ君はきっと、ヴィランに寝返ることもない。本当におかしな人間だよ、君は。そう思わないかい?」
いったいどんなふうに育ったらそうなるのかな、と笑われて、俺は確かに、と苦笑するほかない。
「我ながら、変な人間だとは思いますよ」
「自覚はあるんだね」
ええ、と頷く。本当に、俺はおかしなことをしていると思う。
足を組み替えて、小さく息を吐いた。
「バクゴーくんって言いましたっけ、貴方たちが連れ去った雄英の生徒」
雄英の体育祭は気まぐれで中継を見ていたし、彼が拐われたというニュースも報道で見た。
未熟で、粗暴で、一見すればヒーローよりもヴィランよりに見えてしまう彼。拉致された後に雄英が開いた会見でも、意地の悪い記者がその点を指摘していたが、それに毅然と反論していた担任の姿が印象的だった。
抹消ヒーロー、イレイザーヘッド。プロヒーローとしても活躍する彼は、きっと良い教師でもあるのだろう。
「たぶん、彼と俺は似てるんだと思います」
他人にどう評価されようが構わない。ただ、この目を灼いたのが
「……ふうん?」
僕にはよくわからないな、とオール・フォー・ワンは呟く。そりゃそうだろう、と俺は肩を竦めた。
「憧れられる側のひとには、きっと理解しがたいものなんでしょうね」
一度目を灼かれるとそれ以外は見えなくなってしまう、この感覚など。
***
ヒーローが持つべき奉仕の精神は、どれだけ教育されても俺には身につかなかった。これはもう、どうあがいても無理だったんだと思う。ひとを守りたい、社会を守りたいなんて精神は、この世界を愛してこそ成り立つものだ。俺はどうしても、嘘にまみれたこの世界を愛すことはできなかった。
それでも俺はプロヒーローの肩書きを得ることに同意し、今も公安の命令に従っている。なんで俺わざわざ性に合わないことをしているのだろうと、自問自答を繰り返してはや数年。我ながら本当に馬鹿だ。
何でそんな馬鹿をやっているのかと言われれば、……まあ。
世界をお綺麗に見せるには、汚いものが明るみに出る前に取り除く汚れ役が必要で。残念なことに俺はそれに最適の人間で。俺が少し汚れるだけで、綺麗なやつは綺麗なまま、裏側を覗かない限り綺麗に見えるこの世界で生きていられるから。
太陽に憧れて翼を広げる彼が、地面のぬかるみなんか気にせずに高みだけを目指していられる世界を作りたい。そんな分不相応な願いをもってしまったことが、運の尽きだったのかもしれない。
***
これでも俺、自分で言うのもなんですが、わりと温厚な方だと思っている。
そもそも怒りにエネルギーを費やすことが無駄に思えて仕方がないタイプの人間なので、この世に生を受けて二十年と少し、怒りを覚え、しかもそれを表に出したことなど、覚えている限り一度もないわけなのだが。
この怒りだけは、抑えることが出来なかった。
「失礼します」
その無機質な白いドアを蹴り開けた。こじんまりしたその部屋には、警察庁のトップと、ヒーロー公安委員会を取り仕切るそのひと。相変わらずというか、鉄仮面が板に着いたこの人たちは、俺の顔を見ても特に驚いた様子は見せない。ふたりから目を離すことなく、俺は後ろ手にドアを閉めた。
その向こうには俺を止めにかかった公安の職員が積み上がっているけれど、引き剥がしてぶん投げただけなのでご容赦願いたい。おとなしく通してくれれば良いものを、俺の邪魔をするからいけないのだ。俺はただ、このひとでなしたちに聞きたいことがあっただけなのに。
「騒がしいと思えば……スズメ、何の用だ」
「すいませんね、ちょっと聞きたいことがあったもので。この資料についてなんですけど」
ばさりと、放り投げた紙束が宙を舞う。今日のオール・フォー・ワンの取り調べを前に、公安から提供された追加の資料だった。そこには、現在の敵連合についての情報がまとめられている。この情報を活用して、さらにオール・フォー・ワンの取り調べを進めろということなのだろうが、俺が引っかかったのはそこじゃなかった。
「敵連合について、ずいぶんと新しい情報を得られたんですね?」
「ええ、別ルートからも情報収集を進めているから。貴方の取り調べにも役に立つと思って情報を提供をしたのだけれど」
「そりゃもう、ありがたいですよ。こっちに情報があればあるほど、オール・フォー・ワンから情報を引き出すのも楽になる。ですが、俺が聞きたいのはそこじゃなくてですね」
もともと俺は情報を扱う立場だ。情報ひとつから読み取れるものはひとよりも多いと自負しているし、その情報の質からどうやって入手したのかもある程度は予測できる。
この情報は、敵連合を外から見た情報じゃない、中から見た情報だ。つまり、内部の人間に情報を提供させたか、連合内部に潜入することによって得た情報。そして現状を見る限り、敵連合の人間に寝返りをさせるのは不可能だ。つまり。
「これ、誰かを潜入させて得た情報ですよね」
ふたりとも、無反応。無言の肯定に、思わず舌打ちが漏れる。
潜入任務なんてものは、誰にでもできるものじゃない。いざというときには身を守れるよう、プロヒーローの免許を持つ者の中から選出していることは間違いないだろうが、条件はそれだけじゃない。
周囲の音や気配を拾える耳の良さ、曲者のなかを立ち回れるコミュニケーション能力、結果を焦ることなく長期的な視点で動くことが出来る忍耐力。何よりも、誰にどう評されようが、任務の途中でどれだけの被害が出ようが、最終目標のみを見据えて動ける強固な精神力。
それらすべてを兼ね備えているヒーローなんて、俺はひとりしか知らない。
「アンタら、ホークスに敵連合に取り入るよう命じたな?」
あのとき、俺がここで“個性”酔いを起こして倒れてしまったとき、あいつは上に呼ばれて来たのだと言っていた。察するに、そのときに敵連合への潜入を命じられたのだろう。俺と同じように、公安で交渉術を叩き込まれたホークスだ。プロヒーローとして顔が売れているためにこれまで潜入には不向きとされてきたが、確かに敵連合に取り入るのにプロヒーローの肩書きは何の邪魔にもならない。むしろプラスに働くだろう。
条件だけを考えれば、ホークスは潜入役として適任だ。確かに、そうなのだが。
「……情報を見ただけでその提供者まで見抜くとは。また成長したな、スズメ」
「『嘘』ではないようなので一応礼は言っておきます。が、そんなことはどうでもいい。潜入任務ならホークスより俺の方が向いているでしょう。別にオール・フォー・ワンの取り調べと同時進行でもそれくらいは出来たし、むしろオール・フォー・ワンと接触出来る人間というのは向こうさんにとって大きなインパクトだったはず」
「スズメ」
俺たちの教育にも携わってきた公安委員会の女傑は、感情のひとつも動かすことなく、静かな目のまま俺を見る。今まで何度も、この目に反論を封じられてきた。
「貴方は本当に、ホークスのことになると目の色を変えるわね。本人の前では一切そんな様子を見せないのに」
「、」
「けれど、貴方だってわかっているはずよ。敵連合への潜入、オール・フォー・ワンの取り調べ、これらはどちらも急務。かかる負担を考えても、分担できるならした方がいいし、幸いにも適役はふたりいる。そして、ホークスの『No.2ヒーロー』というネームバリューと貴方の“個性”を考えれば、この分担が最良だった。そうでしょう?」
そう言われて、奥歯を噛みしめる。そうだ、確かに理屈のうえではわかっている。今現在の状況だけを考えるなら、きっとそれが最良だ。だけど、その選択は。
「……たとえこれで敵連合を潰せたとしても、この潜入が露見したら最悪ホークスのヒーロー人生は終わるかもしれない。あいつはこれからもヒーローとして、きっと幾千幾万の人間を救っていくでしょう。そんなやつに、わざわざ潜入なんかさせなくてもいいだろ!」
「露見はさせない」
「どこにそんな保証があるんです? 露見するしない以前にそんな仕事させんなって言ってんですよ」
「それで君が、彼のかわりに汚れ仕事をやると?」
「俺が汚れ仕事をやるのは今更です。どれだけだってこなしてみせる」
ホークスは、人々の希望になれるヒーローだ。オールマイトのように圧倒的でなくとも、その赤い翼には人々を安心させるだけの力がある。たとえ本人にその自覚が薄くとも、彼の背に安堵を抱く人間は少なからず存在している。―――俺を、含めて。
そんな彼に、彼というヒーローに、泥を塗るような真似はしてほしくなかった。そのために俺は在ると、傲慢にも思っていた。
「潜入する以上は犯罪に加担しろと言われるでしょう。どっかのプロヒーローを殺してこいとでも言われるかもしれない。もちろん必要となればホークスも手を汚すでしょう、アイツは任務のためなら良心くらい殺せる。でもだからこそ、潜入なんて仕事は、殺さなきゃいけないような良心をもってるやつにやらせるもんじゃない」
だから、そんなことやるのは
「それをできるように俺を育てたのはアンタたちだろ! だったら他の奴にその仕事をまわすなよ! それもあんな、……まっとうなヒーローやってる奴に!」
何より潜入任務では、まっとうなヒーローなら誰しもが持っている優しさが命取りになる。どれだけ能力的に相応しかろうと、結局ものを言うのは、非情さなのに。その優しさのせいで取り返しのつかないことになった先人の例なんて、いくらでもあるのに。
よりにもよって、あの優しいホークスに、そんなことをさせるなんて。
「……君の言いたいことはわかった」
警察庁のトップはソファから立ち上がり、俺の肩をたたく。
「だが、すでにホークスは敵連合に接触しており、後戻りのできる状況ではないんだよ。今君がここでどんなに喚こうが、時計の針は戻らない。だから君は、君のやるべきことをやりなさい。幸いにも、君の仕事とホークスの仕事は直結している。……わかるだろう?」
今からホークスを撤退させることはできないが、ホークスの潜入を限りなく安全に、短期間で終わらせることは、君にもできる。
そこまで言って、いいや、とその人は首を振った。この言い方は正しくないな、と言い直す。
「
口の中に、血の味が広がった。
わかっている。この人たちは、理屈のうえでものを考え、そして必要な対処をとっている。そこにあるのは、ただただ社会の安寧を求める使命感。そこに人の気持ちだの、情だの、善悪だのを持ち込むことはできない。
この人のいう通り、俺は俺に任された仕事をこなすのが、現状でのベストだ。
「今までやつが奪った“個性”の情報はそれなりに聞き出せていると聞いている。成果としては悪くないが、まずはせめて、脳無についての情報が欲しいところだ。製造場所や協力者、何でもいい、脳無に関する情報を聞き出しなさい」
朗報を待っているよ、とその人は俺の横を通り過ぎる。
「スズメ」
公安のトップもまた、静かに立ち上がり、俺をまっすぐに見据える。言われることは、もうわかっていた。
「結果を見せなさい。ホークスの無事を思うなら、彼よりもはやく」
そしてそのひともまた、部屋を後にする。
残された俺は、ただ唇を噛むほかなく。これほどまでに自らの無力を痛感したのは、初めてだった。
***
それしかないというのなら、やってやる。
教え込まれたスキル、もはや数えきれない潜入や取り調べから得た経験値、そして多くの犠牲の上で手に入れてきたやつらの情報。
そのすべてをつなぎ合わせ、彼らについていくつかの仮説を立てる。
「…急いては事を仕損じるって言ってんのに…!」
それでも急がなければならない事情が出来てしまった。
早く、早く。あの鷹を、ぬかるみの中から大空に飛ばせてやらなければ。
***
「……今日は、どこか雰囲気が違うね? 何かあったのかい?」
対象にこんなことを言われてしまう失態、本当に情けないことこの上ない。しかしまあ、今回くらいはこの苛立ちに任せて話を進めてみるのもいいだろう。幸いなことに、いい感じに脳に血が巡っていて、頭の中はクリアだった。
「この取り調べについて、不真面目が過ぎるととうとう怒られてしまいましてね。いい加減、ちゃんと情報を聞き出せとのことです」
「ははは! それでふてくされていたのかい」
「全部俺に任せるとか言っときながら結局はこれですよ。これだからお堅い組織ってのは嫌になります」
それは気の毒に、とどこまでも愉快そうなオール・フォー・ワンを、正面から見据えた。俺だって、別に“個性”の自慢話ばかりを聞いていたわけじゃない。思考の方向や癖、性格、趣向、そのあたりの情報はきっちりと手に入れてきた。
仕事をしろいうならとっとと片づけてやる。手始めに、脳無についての仮説からひとつ。
「とりあえず脳無について話を聞けということなんで、今日はその辺を伺います。オール・フォー・ワン、さっそくなんですけどいいですか?」
「いいとも、何かね?」
「脳無が、遺体をもとにして作られていることはわかっています。まあ材料にするなら、もともといい感じの“個性”もちの遺体を使うのが合理的ですよね。そして貴方は、悪趣味で、底意地が悪くて、ヒーローへの嫌がらせが大好きだ」
「言ってくれる」
否定はしてこない。その口調は、完全に面白がっているそれ。まあ間違っていてもかまわない。むしろ、間違っているに越したことはない。この巨悪の思考パターンならあり得ると踏んだ、この仮説を問う。
「どっかのプロヒーローの遺体、材料に使ったりしませんでした?」
くくく、と喉の奥だけで笑う声が聞こえる。
動揺はない。否定も、肯定もない。何かあと一歩足りない、そんな気がした。ならば、これならどうだろう。セキュリティの面でプロヒーローの遺体よりももう少し手に入りやすく、それでいてプロ同様に有望な“個性”の持ち主。
「もしくは、たとえば雄英の生徒の遺体とか」
「ははは、スズメくん、君は本当に面白い」
まともな倫理観をもった人間には、決して思いつかないことだよ、と。そう笑う彼に、この仮説が合っていることを直感した。
雄英で亡くなった生徒はそう多くないはずだ。候補が複数いたとしても、最悪墓を暴いて鑑定すればわかることだろう。運が良ければ、こちらで回収した脳無のなかにその哀れな生徒をもとに精製された個体があるかもしれない。生徒の個性因子と脳無の性能を比較すれば、脳無の精製について見えてくるものもあるだろう。とりあえずこれで、情報ひとつ。
「……本当に趣味が悪いですね」
「そうかい? 合理的だろう」
「今さらごまかさないでくださいよ。ヒーローおちょくって喧嘩売るのが趣味なんでしょ」
「否定はしないよ。そういうのがね、愉しいんだ」
まだ、嘘を吐いてはこない。この程度の情報ならくれてやるということか。
おそらく致命的でない情報なら、まだ引き出せる余地はある。さて、どこまで突っ込んで話を聞き出せるか。
今まで得た情報と目の前にある彼。せっかく苛立ちで脳みそがあったまっているんだ、フル回転させて考えろ。得られる情報は、まだあるはずだ。
「……雄英の生徒の“個性”なら、きっと有能だったんでしょうね」
「ああ、そうだね」
「有能な素体を使えば、脳無だってきっと出来の良いものになる」
「正解。特別にいい出来だったよ」
いい出来
この場合の過去形はどういう意味だ。もう使えない状態にあるということか? いい出来なのに? やはり今までに回収した脳無の中にそれがあったのか? いや、
少なくとも過去、オール・フォー・ワンの役立っていたことがあり、おそらく
そこまで考えて、俺の口は勝手に動いていた。
「まさか、―――黒霧?」
悪魔は、愉し気に表情をゆがめた。
***
差し出されたエンデヴァーの人形。それがその少年にとって宝物だということは、なんとなく察した。だから俺は、それを俺に差し出すその行動が理解できなくて。
『
そんな大事なものを受け取れない、ということを伝えたかったのだが、致命的に言葉を間違えたし足りてなかったのだと今ならわかる。ホークスが人形を差し出したのも、「あげる」という意味ではなく「一緒に遊ぼう」という意味だったということも。
人と接した経験の少なすぎた俺の幼い失敗だったわけだが、それがどれだけホークスを傷つけたかはわかっている。あのときのホークスの泣きそうな顔は、今でも忘れることができない。
だから多分、俺がホークスに向ける感情には、その辺の罪悪感も含まれている。
その人柄への好意と、高みを目指す姿勢への憧れと、幼いころに傷つけてしまったという罪悪感と、それから言葉に出来ない諸々。
そのすべてをひっくるめて、俺はただホークスという人間が、―――好きだった。
***
オール・フォー・ワンの取り調べを終え、隠れ家に帰宅した。
すぐに俺は深く被っていたフードを下ろし、特別製のヘッドホンを外してベッドに投げつける。ついでに鞄もその辺に落として、ベッドに倒れこんだ。
さすがに今日は疲れた。どこまでも「嘘」をつかない対象を相手にするときは、いつも時間をかけて口を割らせる。こんなに焦って情報を引き出したのは初めてだった。
今日得られた情報がどこまで有益だったかは、今の段階ではわからない。けれど、まったく進まないよりはずっとましだ。ホークスが手に入れてくれた情報も活用しながら、今後の方針を固めて、最短距離で情報を引き出せるよう策を練っておかないと。
「……あー腹立つ……」
何に腹が立っているのか、もはやわからない。むしゃくしゃした気持ちのままに、片手でベッドマットを殴る。質の良いスプリングがぎしりと音を立てた。
わかっている。結局俺は、やるべきことをやるしかない。腹を立てようがなんだろうが、結局は目の前にある仕事をやるしかない。わかっている。わかっているからこそ、さらに腹が立つというか何というか。
もう一度ベッドを殴ろうとしたところで、鞄の中のスマホが暴れだす。滅多に鳴らないスマホであるだけに、急いで起き上がって鞄を探った。その画面には、見たことのない番号が表示されている。
「……知らない番号……?」
そもそも俺のスマホなんて、公安からの緊急呼び出しのときくらいにしか鳴ることはない。番号はひとつたりとも登録してなくて、必要な番号はすべて暗記していた。
警戒をしながら画面に触れ、それを耳に近づけた。
「……はい」
『あ、スズメ? 俺、ホークス。今大丈夫?』
「ホークス?」
なんでお前が、と思わず言うと、公安で番号聞いちゃった、と悪びれない言葉が返ってきた。別に俺の個人的なスマホの番号をどこで手に入れようがどうでもいい。疑問に思うのはその理由のほうだ。
俺の疑問を察して、ホークスは少し言いにくそうに、言葉を選ぶ様子を見せながら、言った。
『いや、実はさ、俺、……今日、呼び出されてて、東京にいるんだよね』
数秒、沈黙が流れた。その言葉の意味を考え、把握し、思考が停止しかける。ホークスが東京に来る理由は、まあさまざま考えられるが、それをわざわざ俺に言うということは、つまり、そういうことだ。
できる限りの平静を装って、声を絞り出す。
「……どこから聞いてた……?」
『あは、えーと、スズメの『ホークスに敵連合に取り入るよう命じたな?』から』
思わず、天を仰いだ。
ところかまわず羽を飛ばして周囲の音を拾う彼の悪癖は知っていたが、タイミングが最悪だ。よりにもよって、なんでそのタイミングで、彼が。
『……聞かなかったふりしようかとも思ったんだけど、しばらく考えて、……いやほら俺我慢嫌いだし? せっかくのチャンス逃すのは、もったいないかなって』
「チャンス?」
そう聞き返すと、ホークスは喉の奥で少し笑って、そ、と軽く言った。
『“舌切り雀”の本音を暴く、チャンス』
心臓が、妙な音を立てた。
俺の個性“舌切り雀”は、耳にとらえた「嘘」に過敏に反応し、三半規管を揺らしてめまいや頭痛を引き起こす。嘘つきの舌を概念的に切り落とすことも出来たりするのだが、それを使うことはあまりない。
俺は他人の「嘘」を見破り、そして自分が「嘘」を囀ることで、その場を掌握してきた。誰にも俺の本音を見破らせないようにして、「嘘」と「真実」を都合の良いように塗り替える。それが俺の戦い方だ。
それをよく知る鷹は、だってあれは本音でしょ、と隠しきれない喜色とともに囀った。
『俺のこと、心配してくれたんだ』
潜入の仕事で、俺や、俺の経歴が傷つくんじゃないかって。
そう続けたホークスは、いや~うれしいなあと、わざとらしい言い方で照れをごまかすが、その声に嘘はない。ホークスが、俺に心配されて、本当に喜んでいる。
じわじわと顔に熱が集まっていく。いや、別に聞かれたところでどうということはないだろと自分に言い聞かせるが、そういう問題じゃねーんだよと内なる声が騒がしい。せっかく今まで一定の距離を保って接してきたのに、まさかこんなところで。
本当に、感情のままに動くとろくなことがない。熱で火照る顔を、手のひらで覆う。何か言わなければ、と口を動かすも、情けないことにろくな言葉が出てこない。
「お、れだって、……ヒーローだぞ。相手が誰でも、心配くらい、する」
嘘だ。くらりと目の前が揺れるが、これくらいなら大したことはない。
それでもホークスは、怯まずに茶化してきた。
『おっ、スズメが言い淀むの初めて聞いた』
「お前ほんとうるさい」
『あはは、でもさスズメ、あんまり俺のこと舐めないでよ』
俺だってお前のことずっと見てきたし、ちゃんと知ってんだよ、とホークスは笑う。
『スズメはヒーローだけど、残念なことに誰彼構わず心配したりはしないよね』
「喧嘩売ってる?」
『えっ、本当のことでしょ。……誰彼構わず心配してたらメンタルがもたないから、情を移さないようにしてる、の方が正しい?』
言い返せずに口篭ると、やっぱり、と。でも俺のことは心配してくれたんだよね、とホークスは軽く笑って、そして。
それまでより少しだけ小さな声で、呟いた。
『……俺、ずっとお前には嫌われとると思っとった』
どこか高い場所で羽を休めているのだろう、風の中に紛れてしまいそうだったその声を、俺の耳は拾い上げる。
そう思われても仕方のない態度をとっていたのは俺だが、改めて言葉にされるとさすがに罪悪感を覚えた。口の中が、苦い。
「……別に、嫌う理由がないだろ」
そうだ、嫌う理由なんてない。
いつもホークスは俺に好意的だった。気遣ってくれた。俺があまり関わる気がないと態度で示せば、必要以上に踏み込んではこなかった。
ただ、まぶしくて、近づけなかっただけ。まぶしくて、その邪魔をしたくなかっただけだ。
『俺ばっか目立って、表に出る仕事しとるし』
「ただの適材適所だ。そんなことで僻んだりしない」
『……うん、いや、……スズメならそう言うってわかっとったけど』
わかっとったけど、とホークスは繰り返す。数秒の沈黙が下りて、ホークスは何かを決意したように、少し改めた声で言った。
『……あのさ、この仕事が終わったら、』
す、とそこで息を吸う音。
ふと、かつて俺に差し出されたエンデヴァーの人形が、脳裏に浮かぶ。
『ちゃんと、話さん? メシでも食いながら』
その声には、少しの嘘もなかった。今、きっと彼はそのときと同じ顔をしているんだろう。拒否されることにおびえながら、それでも勇気を出して、俺なんかに手を差し伸べてくれている。
それを嬉しいなどと思ってしまう自分に、何というか、呆れた。呆れて、拒否をすることも、忘れた。
東京の店あんまり知らんし、どっかいい鶏料理の店教えて、と軽さを装った声でホークスは続ける。そういえば彼は鳥のくせに鳥が好きなんだった。いや猛禽類だから鶏好きなのか? 頭の中のイマジナリーホークスが、いや俺人間ですけど、とうるさい。
何を悩むより先に、俺の口が勝手に動く。
「……俺、鶏より魚の方が好きなんだけど」
『え、そうなの? 初めて知った』
「言ったことないからな。というかそもそも、公安の施設出てからお前とメシ食ったことなんてなかっただろ」
そう言うと、確かに、とホークスは笑う。電話口に聞こえる彼の声が、明るい。俺も、少しだけ自分の口角が上がっていることに気づく。ずいぶんと久しぶりに、ちゃんと笑っているような気がする。
別に、ホークスに嫌われているとは思っていなかった。けれど、せいぜい俺のことなんて「その他大勢の守るべき大衆のひとり」くらいにしか認識していないのだろうと思っていた。それで俺は、構わなかった。勝手に憧れているのは俺の方で、ホークスにどう思われていようが関係ない。そう、思っていたのに。
俺、何でこんな揺れてるんだ。何でこんな嬉しいんだ。ちょっと俺決心弱すぎじゃない? そう自嘲すると同時に、ずっとしがみついていた何かに、ヒビが入ったような気がした。
そして、思う。今、ホークスと直接向かい合っていないことが、少しだけ、寂しい。
「……ホークス」
『ん?』
「メシぐらい、付き合ってやる。だから、ちゃんと仕事片付けて、……無事に、帰って来いよ」
電話に向こうで、息をのむ気配を感じた。いつもへらりと笑っている彼の今の表情を想像するだけでおかしくて、でもなぜだか泣きそうにもなっていて、その両方を押し殺しながら改めて口を開く。
「頼むぞ、啓悟」
『……。……ここで本名呼ぶってめちゃくちゃずるくない……?』
「知らなかったのか?」
『いや、知っとったけど。……ああ、うん、わかっとる、ちゃんとやってくる。待っとって、
本名を呼んでやれば、同じように本名を返してくれた啓悟。その名を捨てろと言われた日から、誰にも呼ばれたことのない、俺の名前。
「……気をつけてな」
『ん。篭目も』
あ、と啓悟は何か思い出したように、これだけ言わせて、と続ける。
『俺は、ずっとお前と同じところにいると思ってるよ。……自分だけ汚れて話済まそうなんて考えは、許さんから』
それだけ言って、通話は切れる。ツー、ツー、と耳元で無機質な音が響いた。言われた言葉の意味を理解して、ひとつ息を吐いて、スマホをポケットに仕舞う。そこらへんについては俺もちょっと譲れないところがあるので、それはまた、一緒にメシを食う時にでも話して、喧嘩をしよう。そういえば俺、喧嘩なんてするのも初めてだ。
「……喧嘩、なぁ」
そもそも、無事に帰ってきてくれなければ喧嘩すらも出来ないのだけれど。強く握りこんだ拳の中で、爪が手のひらに傷を作る。
彼は、わかっていると言った。ちゃんとやると言った。なら、きっと、無事で帰ってくる。啓悟は、出来ないことを出来るというやつじゃない。どれだけ難しい任務でも、あの飄々とした仮面の下で血反吐を吐きながら、それでも笑って帰ってくる。俺が憧れたヒーローは、そういうやつだ。
だから、―――だから俺は。
「……鶏料理……どこの店が美味かったかな」
俺は、俺に出来ることをしよう。これまで通りに、これまで以上に。
彼の言葉に、嘘はなかったのだから。