『縦糸だけでも、横糸だけでも、ーー丈夫な
*
小さく息を吐いて運転席の硬い背もたれに身を預ける。適当に調達してきたくたびれた自動車の車内は居心地が良いとは言えないが、ひとりになれるというだけで十分だった。
チームアップなんてものに縁がない俺にとって、たとえ信用していい相手だとわかっていても「自分」のまま接するのはひどく慣れない。
無遠慮に助手席のドアが開けられる。誰が乗り込んできたのかなんて言うまでもない。
「スズメ、疲れよる?」
焼かれた喉はだいぶ癒えてきた。まだ少し掠れてはいるが、本人曰く痛みはないらしい。嘘ではなかったその言葉には少しばかり安堵したのだが、雛鳥のころよりささやかになってしまった《剛翼》を思い出して眉間に皺が寄る。
スズメ、ともう一度呼ばれ、ようやく助手席に顔を向けた。
「……疲れてると言うほどじゃない。慣れないだけだ」
「あー、まあね。俺からしても他のヒーローと普通に会話するスズメって珍しすぎる」
「うるせえよ」
ホークスに単独での捜索や潜入を止められたため、俺は避難場所の警護や監視、あとは大変不本意ながら他ヒーローたちのサポートに従事していた。
最初はヒーローランクトップスリー三人でのチームアップだというからエンデヴァーやジーニストとだけ顔を合わせておけば良いと思っていたのに、いつのまにかオールマイトやデク、どころか味方確定のプロヒーローたちにまで顔が割れてしまった。この調子ではデクのクラスメイトたちにも明かさざるを得なくなるだろう。
それもこれもホークスがやたらと俺に貼りついて会う人会う人に紹介してまわったせいだ。お前マジで俺に仕事させる気ねえのかと文句を言っても、当の本人は素知らぬ顔でさえずるだけ。
『顔を知られてもスズメなら問題なく仕事できるやろ、スズメの本領は潜入じゃなくて会話なんだから。仮にスズメに見張りがついたって無駄だし』
俺たちの情報のやりとりがバレるわけないって、と朗らかに宣った幼馴染みにはもう、溜息も出なかった。
別に、言うほど特別な手段があるわけではない。ひとえに付き合いの長さ故というか、思考回路や発想の方向性を把握できるほどに同じ時間と経験を共有してきたというだけの話だ。
敵連合に潜入していた間、外出するホークスにはかなり厳重な監視がついていた。どれだけ気をつけたとしても、直接接触すれば気取られる可能性が高い。だから俺は、ホークスの日常に小さな「違和感」を残した。
たとえば、路面店の看板やポスター。
たとえば、すれ違った誰かのイヤホンから音漏れした音楽。
たとえば、街路樹や誰かが育てた鉢植えの枝葉や花の色。
日頃からところ構わず羽根を飛ばして周囲を探る悪癖持ちには、その程度で十分。何かが違う。誰かが手を加えた痕跡がある。それだけでホークスは絶対に気付く。
違和感から得た「言葉」ーーいや、「文字」「音」「色」「数」、何だっていい。それを手がかりに、俺たちが共有する「経験」「過去」というコードブックを紐解いていく。
お互いがお互いの頭の中を熟知しているからこその、こじつけという名の連想ゲーム。暗号解読なんて言えるほどのロジックは必要ない。「あいつならこれらを見てそれを思い出す」、それさえわかればいいのだが、それさえわからなければ絶対に気づけない。今のところ、この手法で情報の受け渡しに失敗したことは一度もなかった。
これについてエンデヴァーやジーニストに説明したときは随分と驚かれたものだが、あんな特殊な環境で何年も共同生活を送ればそう難しいことではないと俺は思っている。
同じものを見、同じことを学び、同じ経験を重ねてきた。同じ人間性には育たなかったけれど、それでも確かに俺たちは、互いに互いを誰よりも知っている。
フロントガラスごしにぼんやりと陽の沈みきった空を眺めていると、隣でふふっと子どものように鷹が揺れた。
「……んだよ」
「や、……ジーニストさんに言われたこと、ちょっと思い出しただけ」
「ジーニストに?」
「俺たちが、縦糸と横糸やって」
「ああ……
「またそんなこと言って。
もぞもぞと身体を動かし、上機嫌なホークスはさらに深くシートに身を沈めた。それから、だってさ、と鳶色の視線が俺に向けられる。
「今まで俺の功績って言われてたやつのなかにもさ、結構スズメとのチームアップがあったからってのもあったやん。スズメのことは表に出せなかったから俺ばっか褒められとったけど、あれ、かなり複雑やったからね。だから
「……そうかよ」
「あ、照れた? 照れた?」
「うぜえ。そういう小っ恥ずかしいのは学生たちだけで十分だ」
「何、今日のウラビティのこと言っとる? あの感動的場面を小っ恥ずかしいてスズメ」
「小っ恥ずかしいだろ、思ってることをわざわざ言葉にするってのは」
これまでさまざまな場所に潜入を繰り返してきた。当然あらゆる人間を、ーー無駄に歳を重ねただけのクズな大人や、人生を何回やり直したんだってくらいちゃんとした子どもだって見てきた。だから生きてきた年数なんてものにたいした意味がないことは理解している。子どもだからと言って舐めるつもりはない。けれど。
少し考えればわかるはずのことを、あんな大人数の前であえて口にさせた。仮免とはいえ、まだ学生でしかない彼女に。
確かに必要なことではあった。だから誰も止めようとはしなかった。デクを取り巻く学生たちの人間性や関係性はまだ理解しきっているわけではないが、きっと彼女の言葉だからこそ響いたのだろうとも思う。
理性と感情がそれぞれ違う意見を主張する。つい眉間に皺が寄った。
「……いや学生じゃなくてお前らが矢面に立てよ、プロヒーロー」
「まったくもってその通りなんだけど、あまりにもブーメランじゃないですかね!」
「あの状況じゃ知名度のない俺なんざ一般人と変わんねえ」
「知名度ないの生かして内部から風向き変えようとしてたんじゃないの?」
「こんな未曾有の非常事態さえ他人事に捉えちまう集団の認識をすぐに変えろって? 無茶言うなよ、仕込み含めて三ヶ月はほしい」
「え、むしろ三ヶ月でできるんだ」
「それをウラビティはたった一回の演説でやったけどな」
まったく、デクといい、ウラビティといい、あのクラスはどうなってるんだか。
デクひとりで戦おうとする姿にさえ思うところがあったというのに、それを連れ戻し、民衆を納得させ、命がけの戦いに身を投じようとしている。しかも、それが自己満足でなく、きちんと戦力として成立しているという事実がまた。
特別という言葉で片付けるには、あまりにも眩しい。
「……学生たちに嫉妬しとる?」
「別に。あの将来有望たちを死なせねえ方法を考えねえとってだけだよ」
「……そうだね」
俺は、あの子たちに未来を見たよ。
ホークスの言葉に、そっと目を閉じる。その言葉の意味は聞かなくてもわかった。未来という、曖昧な言葉に示されたもの。ーー俺たちの、希望。彼らがこの危機を乗り越えた先に、それがあるというのなら。
何としても、繋がなくてはならない。そのために、……まずは。
「……なおさら酷かもしれねえな」
「え? ……スズメ、」
「いたぞ、内通者」
避難民の中だけでなく、
ホークスが息を呑んだ気配がした。だが、動揺は一瞬だった。
「……確定?」
「ああ。背後も洗った。黒だ」
「そっか。すぐ動く?」
「いや」
あの悪趣味なオール・フォー・ワンのことだ、どうせ内通者なんて現状におけるスパイスくらいにしか考えていない。敵にとってさして重要でもない駒を、使い道も考えずに急いで排除する必要はない。むしろ自由に泳がせて、駒の有用性をよくよく探るべきだ。
そもそもステインの情報によれば、俺たちに残された時間はほとんどない。致命的でない傷の手当よりも優先順位の高いことは山とある。
身体をシートから少し浮かせ、こき、と肩を鳴らす。
先は読めず、時間も物資も人材も足りず、不安の種を数えればキリがない。顔と身分を晒して「ヒーロー」やってる時点で違和感もひどい。
ままならないことこの上ない。でも、仕方がない。もう決めたことだ。
「そっちは後で証拠と一緒に報告あげる。それよりも、ホークス」
「ん?」
「海外のプロヒーローに個々に情報流して煽っとく。国を通した正式な要請はそっちで調整たのむぞ、オールマイトやエンデヴァーの名前も使わせてもらえ」
「オッケー、校長のパイプもあるし最速で要請出してもらう。……でも間に合うかな、各国もこの国ほどじゃないにしろ大変っぽいし」
「国の正式要請は無理だろうな。だから個々で情報流すんだよ、正義感の強いヒーローにとっちゃ、自国の待機命令より他国の救いを求める声のほうが重いだろ」
「わあ悪い顔」
「どちらにしろ、これで日本が滅んだら次は我が身なんだぞ。世界の誰にとってもオール・フォー・ワンは他人事じゃない」
むしろ自国を荒らされる前に倒すチャンスをやろうと言うのだから、これで文句を言われる筋合いはない。どれだけの人員が揃うかはわからないが、まあ無理を通しそうなヒーローにひとりくらいは心当たりがある。
手数を揃え、情報を操り、少しでもこちらが有利な状況をつくる。それだけが、今この状況で俺ができること。
俺が、「ヒーロー」として、ーー「横糸」になるためにできること。
「スズメ」
「ん」
「……やっぱ心強いわ」
そう気の抜けた顔で眉を下げた鷹に、バレないように唇を噛む。
こんな言葉と表情で口元を緩めそうになった自分が、あまりにも恥ずかしかった。
すべてが終わった後、スズメにはぜひお茶子ちゃんと話をしてほしいなと思っています。トガちゃんのことも含めて。
やっと「ヒーロー」である自分を受け入れ始めたようです。ヒーローが「他人事」でなくなったのは、スズメも同じなのかなと思いました。