フライトの着陸を告げるアナウンスに、引っ掛けていたアイマスクを引き上げる。薄く目を開けただけで光が突き刺さって涙が出そうだ。何度も瞬きを繰り返して、ようやく視界が開けた。
一般客でなく「いまこの国を訪れる必要がある」人だけが乗っている飛行機は、どこか気忙しい雰囲気に包まれていて落ち着かなかった。少しでも睡眠をとって時差ボケを最低限に──と思っていたのだが、仕方がない。
戦いは終わった。デクをはじめとする「ヒーロー」たちは成し遂げた。多くを傷つけ、多くを失い、それでも勝った。
嬉しくないわけではない。らしくもなく、良かったと素直に思った。ただ、その「大団円」が俺にはあまりにも眩しすぎたというだけのこと。
固まった足に力を入れる。ゆっくりと立ち上がり、人の流れに沿って外に出た。よく晴れた青空を嫌味っぽく感じてしまうのは俺の性格の問題だろう。太陽の光を全身に浴びるのはあまりいい気分ではなかった。──自覚したくない心の奥底にあるものまで照らし出されてしまいそうで。
地に足をつけてゲートをくぐる。荷物を受け取った先で顔をあげれば、そこにはまだ病床にいたはずの「ヒーロー」のひとり。
反射的に嘘よけのヘッドホンを首に下ろした。
「おかえり、スズメ」
何でいるんだよ、とか、怪我人が出歩くな、とか。言いたいことはたくさんあったのだが、俺の口が選んだのは「ただいま」だった。言われた本人が一番驚いた顔をしていることについて遺憾の意を表明したい。
「素直〜〜〜! 何、寝不足? 何カ国回ったんだっけ?」
「七カ国。要請あるなら他もいくけど、どっかきてるか」
「一応ひと段落っぽいよ。しばらくは日本で休みなって」
「休めるかよ」
「ダメだよ」
珍しく少し強い口調だった。
無言でその顔を見返すと、いつもの笑顔のようで少し違う。ホークスはダメだよ、と繰り返してわずかに目を伏せた。
しかしすぐに気を取り直したように身を翻し、首だけ振り返って目を細める。
「とりあえず帰ろ。足は?」
「……車両だけ手配してある。運転は俺がする」
「オッケー。荷物、」
「自分で運べる。怪我人が荷物もちしようとすんな」
「もうほとんど治ったんに」
「……その言葉が嘘じゃないことが驚きなんだが? 何でその状態でほとんど治ったって言えるんだよ、感覚バグりすぎだ」
よく見積もっても歩くのがやっとのはずだ。実際、一歩足を進めようとしただけで翼の見えない身体はよろめいている。
ボストンバッグを左手に持ちかえ、右腕を差し出した。もはやどの傷が痛んでいるのかわからない状態だけに、肩よりは腕を杖に貸してやった方がいい。
少し眉を下げたそいつは遠慮がちに俺の腕に左手を乗せ、体重をかけた。そこでふと、気づく。
「……体重かけんの遠慮してんのか単純に痩せたのか、どっち?」
「はい全力いきま〜す」
「うわ……軽……」
「何やろこの屈辱」
まあ病院食じゃなあ、すぐ元通りにしてみせますけど、と上っ面な軽口を叩きながら駐車場へと向かう。
誰の視線も感じることのない道中は、快適なようでどこか寒々しかった。
*
久しぶりの日本だが、車を走らせてもガタつくことが目に見えて少なくなっている。
各国からの厚い支援もあり、復興はかなり順調に進んでいるらしい。砂漠で水を得た植物が次々と芽吹いていくように、更地にかえっていた場所に生活の色がどんどん広がっていた。
俺と各国への繋ぎを取ったのは雄英の根津先生なので、とりあえず先生のところに報告に寄らなくてはならない。それでいいかとホークスに尋ねれば、助手席に座った怪我人ははいはいと不機嫌を滲ませたまま軽く頷いた。
「まさかスズメが根津先生に自分を売り込みに行くとは思わなかったよ」
「俺は後顧の憂いを断ちたかっただけだ」
「いや〜相変わらず仕事熱心だね! さすがスズメ!」
「お前は何に拗ねてんの? この手の“個性“はそこそこレアだし、何より信頼がものを言う。一応『プロヒーロー』として実績のある俺がやるのが確実だろ」
「
「……気をつける」
「うん」
長い付き合いとはいえ、ホークスが俺相手に「不機嫌」を露わにしたことはかなり少ない。それだけに対応がしづらく、率直にかなり面倒臭かった。何で潜入の仕事でもないのに人の顔色を窺わなければならないのか。その理由を「相手がホークスだから」で説明できてしまえる自分が何とも歯痒い。
車の少ない道を走りながら、運転から意識を逸らすことはせずに脳内で言葉を探す。隣に座る不機嫌野郎は拗ねてることを否定はしなかった。否定したら嘘になると理解していたからだろう。拗ねてるくせに言葉にしたくないのは、おそらく自分でも拗ねている自分自身とその理由に恥ずかしい気持ちがあるから。
そのくせわざわざ俺の帰国にあわせて迎えにまで来て──と思ったとき、あまりにもくだらない事実が脳内に浮かぶ。そういえばさっき「おかえり」「ただいま」と型通りの挨拶をしたが、出発前に「行ってきます」「行ってらっしゃい」は言っていない。どころかホークスが怪我の治療に集中している間に出発していて、ホークスに対して挨拶どころか説明も一切行っていない。
いやすでに事情は知っているだろうが、俺から話すことに意味がある場合もある。とりあえず言葉を選びつつ、説明を組み立てた。
「……オール・フォー・ワンを倒したからって、そいつの手足に使われていた人間が消えたわけじゃない。情報提供程度のことしかしていない小悪党だったとしても、プロヒーローや警察組織、政府とかに残ってたら後々面倒になるかもしれない。だから雲隠れされる前に炙り出したいって根津先生に進言したんだよ。復興支援の礼にもなる」
内通者がいるのはこの国だけじゃない。あの巨悪の性格の悪さと周到さを考えれば確信はあった。
脅しているにしろ報酬ちらつかせて動かしているにしろ、そんな人間を影響力のある場所でのさばらせておくわけには行かない。ひとりひとり面談する時間はさすがになかったので、とにかく機関の拠点をひたすら歩き回って耳をそばだてた。
これまでも海外で「仕事」をしてきた実績はそれなりにある。俺が作った「注意者リスト」は、それなりの信憑性を持って各国に受け入れられた。
そう話をしても、どこかの鷹は膨れた面のまま、知ってる、と答えた。
「各国の公的機関ハシゴして嘘つき炙り出してきたんでしょ。いろんな国から感謝のメッセージが届いてるって根津先生も言ってたよ」
「そりゃ何より。……説明して行かなかったのは悪かったけど時間との勝負だったから。お前手術中だったし」
「……先に説明がなかったから俺が怒っとると思ってる?」
「違うなら何なんだよ、はっきり言えよ面倒くさい」
「うわ面倒くさいって言った今!?」
「声がでかい。興奮すんな怪我人」
違ったか、とちらりと横目でホークスを見れば、ちょっとくらいはそれもあるけどとぶつぶつと零している。あるのかよ。
いや俺が言いたいのは、と気を取り直したようにホークスの顔がこちらを向いた。
「ひとりで背負わんでよって話」
ひとりで、背負う。視線を正面に戻してハンドルを切った。もう一度言われた言葉を脳内で繰り返す。
その上で、口に出した。
「……何の話?」
「はい言うと思った〜〜〜〜〜スズメってさ〜〜〜〜〜ほんとそういうとこあるよね〜〜〜〜〜」
「うぜえ」
「最初に行った国はどこ?」
遮るように強く言われた問いに、つい正面を向いたまま瞬きをひとつ。
最初に行ったのは今回最も恩ある国のひとつ、アメリカだ。向こうでの記憶が呼び起こされ、喉の奥で少し苦いものが広がる。
「……会いに行ったんでしょ、関係者に」
ヒーロー大国のアメリカが誇るトップヒーロー「スターアンドストライプ」、本名をキャスリーン・ベイト。
彼女は死柄木との戦いに敗れ、太平洋に散った。彼女の尽力がなければ、彼女が死柄木にダメージを与えて修復の時間を稼いでくれなかったら、確実に俺たちは詰んでいた。彼女は文字通り命を賭けて、勝利への希望を繋いでくれた。
彼女を傍で支えていただろう人々の顔が脳裏によぎる。その全員と、俺はこの渡米で話をしていた。
「……行ったというか、まあ、そこも捜査対象だったから」
「ほらそうやって平気なふりする。珍しく顔に出てるよ」
「どこに」
「目元が一瞬強張った。……俺たちは命の危険があることなんて百も承知で助けを求めて、彼女は命懸けで応えてくれた。俺たちはその功績に敬意を表しても謝罪なんて虫の良いことはするべきじゃない。それは『スターアンドストライプ』への侮辱も同じだ」
「言われるまでもねえよ」
「って、……割り切れなくなってきてるでしょ」
車のエンジン音が大きく聞こえる。
青に変わった信号を確認し、ブレーキを緩めた。
「……図星つかれて黙るスズメ新鮮」
「はっとした顔で言うのヤメロ」
「認める?」
「……認める」
「素直でよろしい」
要請を出したときは、結果がどうなろうと文句を言われる筋合いはないと割り切れていた。いつもの俺なら普通にそう思える。今も、思ってないわけではない。彼女の周囲にいた人たちも、誰ひとりとして俺を責めることはなかった。
ただ、たまにこうして、切り捨ててきたはずのものが顔を出すことが増えた。──「ヒーロー」である自分を、考え始めてからだ。
巨悪が滅びても、大団円を迎えても、ずっと心にしこりが残っている。
「……良心捨てないで仕事すんのってきついんだな」
「そうだよ。……いや、だから自分から向き合いに行ったのは偉いんだけどさ。偉いと思うけど、……俺はそういうのを全部『自分のせい』にしないで欲しいわけ」
「彼女を積極的に死地に送ったのは俺だろ」
「要請出したのは俺も同じだし、もっと言えばこの国だよ。スズメだけが負うものじゃない」
だからひとりで行かないで欲しかった、とホークスは口を尖らせる。そんなこと言われても、と思う反面、少しだけくすぐったくも感じた。
そんな内心を誤魔化すように少しだけ早くウインカーを出してハンドルをきる。雄英まではまだ距離がある。
ト、と指でハンドルを叩くと、ホークスが身じろぎをして身体をこちらに向けたのを感じた。
「スズメ」
「ん」
「いま、何がつらい?」
「は? 特に、」
「スズメって内心を言葉にすんのマジで下手だね」
「あのな」
「じゃあ、心配なこととかある? 自分に関係あってもなくても、いまのことでもさきのことでも」
本日二度目の「そんなことを言われても」案件だが、ホークスが冗談で言っているわけではないのはわかる。
心配ね、と内心で繰り返し、少し遠くを見ながらハンドルをぎゅっと握った。
これまでとこれからを思ったとき、少しばかり思うところがないわけではなかった。
「──注意者リストをつくったとき、」
「うん」
「オール・フォー・ワンに協力してた鼠の他に、少なからず破壊思想に賛同してた人間もリストアップした。……けど、」
求められたから作らざるを得なかったが、それの取り扱いには注意して欲しいと何度も念を押した。
正確に言えば、彼らが賛同していたのは「オール・フォー・ワン」ではない。「現状の破壊」だ。
「現実への不満が燻って思考が悪い方に飛んでるだけだ。彼らは誰も傷つけていないしヴィランに協力もしていない。だから決してそのリストを理由に彼らを悪く扱うことはないように伝えたけど、……ちょい不安」
「……うん」
「……いや、その人たちだけじゃないな。これからきっとヴィランは減っていって、平和に近づいていくとは思う。けどどうしたって、そこに馴染みきれないやつはいるんだ」
たとえば、いまだ残る「異形型」への差別。
たとえば、少しだけ他の人とは違う精神構造。
たとえば、社会で生きることが難しい“個性“。
俺だって、公安にいなければ──ホークスがいなかったら、こんな生きにくい“個性“を抱えて、どうやって息をしていたか。
仕事上、多くのヴィランを見てきた。話を聞いてきた。その中で、ずっと思っていたこと。
「この社会は、あまりにも『正義』であることが『普通』で、『普通』であることが『正義』だ。そんで、少しでもそれから逸れたら、──あらゆる“個性“に寛容みたいなツラをしながら、本来の意味の『個性』には不寛容に思える」
社会に否定された多くは、どうしたって社会を恨む。手を差し伸べてもらえなかった経験は、同じく助けを求めて手を伸ばす誰かを蹴り落とす。自分は助けてもらえなかったのに、他を助けようなんて気になれるはずもない。
誰かがその流れを断ち切らなきゃいけない。ヒーローが、じゃない。ヒーローの手は、全てをすくい上げられるほど万能じゃない。
「……ヒーローもヴィランも他人事の
信号がかわり、ブレーキを踏む。ただ静かに頷いていたやつの方を見ると、……向けられていたのはにっこにこの笑顔。
ついぎょっと身を捩るが、それにも「何その反応」と言いながら笑顔を崩さない。
「何だよその顔」
「聞きたかったんよ、ずっと」
「……は?」
「スズメは何でも自分で考えて何も言わんと動くから。そりゃだいたい考えてることはわかるけどね? ……言ってほしいやろ、心のうちというか、そういうの。そんで、『一緒に考えよ』って言いたい」
信号が変わった。顔を正面に戻してアクセルを踏む。息を吸って、吐いて、揺れた呼吸を落ち着けた。
「……お前『一緒』にこだわりすぎじゃない?」
「ほっといたら独断専行かますやつがよく言うね! 社会が落ち着いても当面見張るつもりでいます!」
「そういう立場だったんだから仕方ないだろ……」
「そこの意識変えてくださ〜〜〜い。……これからきっと公安もプロヒーローも再編されるだろうし、いろんなものが変わっていくと思う」
壊されたものは決して元には戻らない。元通りにならないならせめて、少しでも良いものにしていきたい。
だから、と翼を失った鷹は、そんなことを少しも気にしていないような呑気な声で言う。
「今から作戦たてて動かないと。スズメも一緒に考えてよ、俺たちが暇を持て余して気楽にメシでも行けるようになるために、どうしたらいいか」
「……公安潰すか?」
「あっは過激思想! 協力いる?」
「冗談だやめろ。……まあ公安もやり方変える必要はあるよな。俺の潜入ももうほぼほぼ使えないだろうし」
「俺のおかげ」
「お前の『せい』な、言葉は正しく使え」
「だってもうやりたくないでしょ、スズメ。割り切れなくなってきたならきついって」
「……もともと好きではやってない」
「だからそういうのもっと早く言って!」
考えてみれば仕事の愚痴とか聞いたことなかったかも、それはお前もだろ、公安の愚痴とか山どころじゃないけど聞いてくれるの、聞かなかったことにはしてやるよ、なんて次第に軽くなっていく言葉と雰囲気。機嫌が戻って良かったという気持ちと、怪我人に喋り疲れさせないように適当なところでテンション下げさせないと、という気持ちと。
やれやれと思いながら、少しだけ自分の声も明るくなっていることに気づく。俺ときたら、まったくもって本当にどうしようもない。
「あ、そういえばデクとウラビティがものすごくスズメに話聞きたそうにしてたよ! せっかくだから学生たちとも交流もってあげたら? 心操くんも興味ありそうだったな」
「学生ねえ……何聞きたいんか知らんけど、俺今さら取り繕うつもりもねえぞ。悪影響になるだけじゃねえの」
「えー、でも言ってみれば俺たちの仕事というか、存在そのものが『現実』じゃん? 特にデクはもうわかってるでしょ」
「それはまあ……本人たちから言ってきたら考える」
「お、前向き」
「俺は早く暇になりたい。そのためなら何だってやってやるよ」
「──あははっ同感!」
雄英に近づくにつれて、少しずつ街並みが整っていく。急ピッチで進められている復興の波はそう遠くないうちにこの国全部に広がるだろう。カタチがある程度整うのを待たずして、きっと「中身」についての話が始まる。
デクを始めとするヒーローたちの活躍は確かに人々の心を打ち、少しだけ世界を良い方に向けたと思う。だが、だからと言って利権とか保身とかその他諸々の面倒な事情が消え失せたわけではない。きっと平和な世の中になる、なんて楽観的な見方はできない。公安というひとつの組織をとっても、ホークスが言うように相応に考えて手を打たなければ、またあらゆる思惑に流されていくだろう。決して油断はできない。でも、それでも。いや、だからこそ、だろうか。
ホークスや、ほかのヒーローや、ヒーローショーの観客でいることを辞めた優しいひとたちが笑っていられる国になれば良い。そのために、俺も出来ることをやりたい、──啓悟と「一緒」に。
柄にもなく、そう思えた。
これはエピローグいるな~~~って感じになったのでもうちょっと書きます。相変わらずの見切り発車。