黒鎖の情   作:ふみどり

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少年時代編。


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 痛みに熱を感じるうちはまだ大丈夫だと言ったのは誰だっただろうか。

 身体中が痛い。身体中が熱い。火傷を負ったわけではないはずなのに、この熱は何なのだろう。全身から流れ出ている血の熱さなのだろうか。ぴちゃ、と歩くたびに血の滴る音が耳につく。引きずることしかできない足の下には、血の轍ができていた。

 それでもただ、歩く。広い敷地の端の端、日当たりの悪い手入れも中途半端なその一角の、俺が在ることを許された部屋。

 これから俺が、借金を返すまで生き残らなければならない場所。

 くぷ、と口の中の血が溢れる。堪えきれずに吐き出し、そのまま廊下に膝をついた。再び立ち上がろうと力を入れるが、さらに血が流れ出すばかりで思うように動いてくれない。命に関わるほど深い傷はないが、とにかく数が多かった。

 確かに「縛り」は交わされた。俺は金を返し終わるまで殺されることはない。殺されることはないが、死なない程度に嬲られ続けることになるのだろう。それも、呪術師の身でありながら自分の命を使うことを恐れる臆病者どものために。

 精一杯前向きに考えても絶対に死んだ方がマシだ。けれど、自死を選ぶ力も残っていない。身体を支えることもできなくなって、ぐしゃ、と廊下に崩れ落ちた。

 誰か、手を貸してくれないだろうか。あるはずもない希望を抱えて、火に炙られているような痛みと熱に堪える。

 わかっている、誰も助けてなんかくれない。

 わかっている、誰も殺してなんかくれない。

 俺は家を存続させるためだけの人身御供。もう随分ろくな術師が生まれなくて、でも術師以外の生き方を知らない馬鹿どもが生き残るために売られた人質だ。

 こんな俺に誰が手を差し伸べてくれるというのか。希望も何もかも捨て去って心を殺してしまった方がずっと楽、なのに。

 俺の口は、何故だか勝手に動いていた。

 

「……たす、け、……」

 

 言い切ることすら出来なかったその言葉。もう、そんな自分が笑えてきて、しかし笑おうにも身体は動いてくれなくて。冷たい床を頬で感じながら、薄らいでいく意識の中でその声を聞いた。

 

「……今の、もしかして俺に言ったか?」

 

 気配のひとつも感じなかったというのに、いつのまにかすぐ傍にいたその声。何故だかそれは、ひどく驚いた声色をしていた。

 

 

 ***

 

 

 これまで身体に受けた傷など数えるだけ不毛だった。傷を付けられては手当てし、またすぐに呼び出されて傷を負い、今まで与えられた食事より包帯の方が多いような気がする。

 さすがにここまでくれば多少は痛みに強くなるし、もはや手当も面倒だ。だが、せめて止血くらいはしておかないと諸々を汚してしまうのが困ったところ。血の汚れは落とすのが大変だし、しかも人並み外れた嗅覚をもつ隣人は血の臭いにうるさい。

 だから仕方なく傷の手当てをするのだが、どうしたって手の届かないところはある。だって俺、人間だもの。

 

「ぁいっだァ!! 何しよんじゃ丁寧にやらんかい!!」

「あ? 聞こえねえなァ」

「いだだだだだやめて止めて絞めないでごめん、ごめんて言うとるやろゴリラァ!!」

 

 止血してやってんだろ、とニヤニヤ笑うクソゴリラこと禪院甚爾。いくらある程度の痛みには堪えられる俺といえど、こいつの渾身の止血だけは堪えきれない。なぜならこいつが自分の馬鹿力を理解しきれていないゴリラだからである。俺が禪院家に売られて三年、つまり甚爾が傷の手当てをするということを覚えて三年だが、いまだにこいつはヒト相手の力加減を理解しない。

 出血どころか血流止まるわと言っても、相変わらず貧弱だなという哀れみの目を向けられるだけ。終わったぞ、と包帯の上から傷口をはたかれ、また悶絶するしかなかった。ホンマこいつ、いつか泣かす。

 

「傷負うたときより手当のが痛いってどういうことやねん……!」

「知るか。とっととその血塗れの服片付けろよ、血生臭ェ」

「へいへい、鼻が利きすぎるんも考えもんやなホンマ」

 

 血に濡れて赤く染まった服だが、破れているわけでもなければ綻びのひとつもない。洗うのは大変だが、血さえ落とせればまだ着られる。禪院家で働き借金を返す傍ら給料も出してはもらっているが、やはり節約に越したことはない。

 ふすまを開けて用意しておいた洗濯桶に服を放り込む。すぐ傍にある古井戸から水を汲んで洗濯をするのも、もはや慣れたものだった。

 

「ああ、洗剤持ってきといてくれたんか。おおきに」

「いいから早く洗え」

 

 鼻が曲がる、と言いながら顔をしかめる甚爾。血の臭いを嫌がるくせに、不思議と俺の傷の手当を嫌がったことは一度もなかった。ふすま越しに臭いが届くのが嫌だからだと本人は言い張るが、それなら部屋をうつればいいだけである。この禪院家における甚爾の処遇は理解しているが、適当な空き部屋に移るくらいで文句を言うやつもいないだろう。いや、文句を「言える」やつもいない、が正しいのだろうが。

 傾いている実家の援助をしてもらうかわりに、俺は雑用係兼ご子息の遊び相手という名目で禪院家に売られた。ここ数代は生まれてこなかった鎖桐(さぎり)家相伝の術式を継いでしまった俺は、それはそれは喜んで贄として捧げられたというわけだ。

 そんな俺の術式を試すという建前で、禪院家に来た初日から俺は無残に切り刻まれた。ただただ術式の具合を確認され、自分たちがつけた傷を見たらさっさと「自分の部屋に行け」とかどんな神経なのかと。部屋に行く途中で力尽きた俺を拾い、下手くそな手当をしてくれたのが甚爾だった。

 

『……誰?』

『……禪院、甚爾』

 

 俺の顔を覗き込んでいた、同い年くらいの少年。禪院と聞いて思わず身体に力が入ったが、彼はただ濡らした手ぬぐいで俺の顔をぬぐった。血の汚れを拭いてくれているのだと気づいた。

 何で、と思わず零しても、別に、としか甚爾は答えない。流れで名を尋ねられ、鎖桐(さぎり)(のぞむ)、と答える。すると甚爾は納得したように頷いた。俺のことをどこかで小耳に挟んでいたらしい。

 

『お前、呪力あんのにツイてねーんだな』

 

 それだけ言って、甚爾はまた俺の顔を拭いてくれた。少し、……いや結構かなり痛かったが、相当に気を遣って手加減してくれているのは手の震えから理解できた。

 気遣いなんてものを俺に向けてくれる。それが、どれだけの衝撃だったか。

 そのままぽつぽつと会話とも言えないような言葉の応酬をして、甚爾が俺に割り振られた部屋の隣を使っていることも知って、それから甚爾とはよく話すようになった。

 禪院家の人間、それも直系でありながら、天与呪縛を受け呪力の一切をもたずに生まれた甚爾。そのせいで屋敷の母屋からも追いやられ、本家の端の端で落伍者として生きてきたのだと知ったときにはなるほどと言うほかなく。確かに禪院家はかなり極端な方だが、術師家系ならそこそこある話だと十二の俺ですら知っていた。

 何で廊下でぶっ倒れていた俺を運んでくれたのか、手当までしてくれたのか、甚爾の口から聞いたことはないし、聞く気もなかった。いっそとどめを刺してくれたら良かったのにと思う反面、助けてもらったことを喜んでいる自分がいるのも確かに事実だった。

 気まぐれでも、暇つぶしでも、禪院家への反抗でも、何でも良かった。確かに俺は、嬉しかった。

 

「……お前、何にやけてんだ。頭もやられたか?」

 

 じゃぶじゃぶと服を洗いながら、甚爾の失礼極まりない言葉に青筋を浮かべながら顔を上げる。言い返そうと口を開いたそのとき、ずきり、と後頭部に痛みが走った。

 

「……そういや殴られとったかも。何や痛なってきた」

「座ってろ馬鹿」

 

 心底呆れた様子で立ち上がった甚爾は、めんどくさそうに頭をかきながら歩き出す。多分、氷でも持ってきてくれるのだろう。

 禪院家の人間のくせに、性根のひねたクズのくせに、お世辞にも優しいとは言えない性格のくせに、それでも何故だか甚爾は俺に甘かった。

 

「……甚爾~」

 

 その背中に声をかけると、何だよ、と耳のいいそいつは首だけで振り向いた。他なら吐き気を覚える禪院家特有のその顔も、甚爾のだけは平気だった。

 

「おおきに」

 

 笑ってそう言えば、素直じゃないため息が廊下に落ちる。

 黒い鎖に繋がれていても、いつも生傷が絶えなくても、俺のせいじゃない借金の返済をさせられても、どれだけ見下され人間として扱われなくても。それでも俺が今日まで正気を保っていられるのは、確かに甚爾のおかげだった。それを嬉しいと思いながら、どこか悔しくて、みじめで。そう思ってしまう自分に、嫌気がさすこともなくはない。

 力を入れて血の汚れをこすると、ようやくじわ、と血が水に溶け出てきた。

 鉄の臭いが、ひどく鼻に障る。

 

 

 ***

 

 

 痛みなくして得るものはなく、苦労なくして利益はない。

 それは古今東西に溢れるアタリマエで、特にこの呪術の世界ではかなり顕著だった。強さを得るにはそれ相応の代償がいる。だというのにこのド阿呆ども、それを俺という身代わりを用いてサボろうというのだから舐めているにもほどがあるというか。

 幾度となく身体に走る衝撃に堪える。一切の乱れのない服の下で、今、脇腹が裂けたのがわかった。この感じならぎりぎり内臓には届いていないが、やからってこれ絶対軽傷とは言わへんからなド畜生が。

 この禪院家における俺の一番の仕事が、これ。どれだけの傷や痛みを受けようとも、決して術式を解かずに黒い鎖を握りしめ続けること。

 実体をもたない呪いの鎖が、ずるりと俺の皮膚の上を滑る。

 

「ほな今日の鍛錬終わり。もうええよ鎖桐、解いて」

「は、い。お疲れさまでした」

 

 ふ、とその禪院の手首に浮かんでいた黒い鎖の痣が消える。同じく俺の腕に巻き付いていたそれも巻き戻るように動いていき、最終的に首を一周する形で止まった。首に巻かれた黒い鎖は、術式を解いても消えることはない。呪力を持つ者にだけ見えるこの「首輪」は、鎖桐家相伝の術式を持つ者の印だった。

 鎖の痣が消えたことを確認したそいつは、俺の姿を一瞥して鼻で笑う。

 

「血みどろやん。自分の血で汚したところは綺麗にしとくんやで」

「はい」

「しゃんと立ちィ。俺の傷引き受けた君が倒れたら俺が弱いみたいやんか」

 

 いや実際弱いんじゃボケと言い返したいのを飲み込み、すっと姿勢を正した。まっすぐに立つと、それでええ、と愉快そうに笑ったそいつは俺に背を向ける。部屋戻ってええよ、とさっさと立ち去った態度がでかいだけの弱虫は、さて現当主の何番目の子息だったか。

 相伝ではないものの術式をもつそいつは、たまにこうして禪院家が躾けている呪霊を相手に鍛錬を行う。たいした等級の呪霊でもないが、そいつの実力自体もたいしたものではないので、毎回当然のように傷を負った。そしてそれを、鎖で繋がれた俺が引き受けるのだ。

 鎖桐家相伝の「黒鎖呪法」は、呪力の鎖で繋がれた対象間で、受けた損傷を入れ替える術式だ。自分と敵を鎖で繋ぎ、自分の身体に受けた傷を相手にうつすのが最もわかりやすい使い方だが、この家ではそれを「逆」に使わされている。

 痛みを怖がるチキンどもは鍛錬や任務の際に俺を使い、そこで受けた傷の全てを俺に押しつけた。言わば、体のいい身代わり人形だ。

 一番大きい脇腹の傷をおさえながら、なるべく血を落とさないように廊下を歩く。

 今日の傷はまだ浅いほうだ。部位が部位だけに血は出ているが、消毒して止血すれば縫うまではいかないだろう。この家に来た初日の「お試し」に比べれば、もはやひっかき傷と大差ない。いやでも軽傷やないけどな、この恨み絶対忘れへんけどな。

 かつてはそこそこ恐れられていたというこの術式を、禪院家のご当主はひどく面白がったという。もう三年も前のこと、しかも俺は訳もわからないまま引き渡されてしまったので当時のことはあまり覚えていないが、確かご当主は変なひげのオッサンだった。

 

『命と最低限の生活は保証してやる。金は返してもらうが、給金をケチるようなことはせん。せいぜい励めよ』

 

 励めって何を励めっちゅうんじゃアホンダラ。身代わりか? 身代わりを励め言うんか? あのニタニタ笑いぐちゃぐちゃにできたらええのにな~と、わりと心から思っているが、当主が俺を身代わりに使ったことは一度もなかった。たぶん使う必要がないのだと思う。相対すれば感じる呪力もあるし、甚爾も「弱くない方」と言っていた。実力で当主の座を勝ち取ったという話は嘘ではないのだろう。

 ならどうして俺を、……なんてことはどうでもいい。実際、たまに金の返済状況をちゃんとした文書で教えてくれているし、一応ではあるが学校にも通わせ、メシを食わせてくれている。十五の俺相手でも、その辺をなあなあにしないでくれるだけありがたかった。今は、そう思うことにしている。

 俺の「思うところ」なんて、借金の返済が終わってからで十分だ。

 

「鎖桐くん」

 

 身体を引きずるようにゆっくりと自室へ向かっていると、背後から声を掛けられた。女性の声だったので、あまり気負わずに振り向いた。禪院家では女性の立場は限りなく低い。俺に難癖をつけて叱責してくるのはいつも自分の地位が高いと勘違いした野郎なのだ。まあ、だからって禪院家の女性も俺に優しいわけでは決してないのだけれど、少なくとも実力行使に出ることは滅多にない。

 振り向いた先にいたのは、俺によく雑用を言いつける女性だった。確か、禪院の本家筋の誰かに嫁いできたひとだったと思う。そのひとは俺の脇腹の血を見て、細い眉をひそめた。

 

「ああ、また怪我してはるの。廊下に血落ちてるやない」

「すみません。止血したらすぐに片付けます」

「そう、ついでに雑巾がけもしといてくれる? 鎖桐くんやったらすぐ終わるやろ」

 

 怪我人に雑巾がけとかさせるか普通、とか思ってはいけない。世間一般の常識は禪院家の非常識、禪院家の常識は世間一般の非常識だ。

 わかりました、と大人しく言えば、そのひとも軽く頷いた。そして忘れるところやったわ、と手に持っていたものを差し出す。

 

「ご実家からの手紙。早う渡してあげよと思て」

「……ああ、どうも、わざわざありがとうございます」

「相変わらず、嬉しそうなそぶりも見せへんのね」

 

 可愛げのない子、と言い放った背中に、もはや何の感情も浮かばない。受け取った白い封筒を指でなぞると、じわりと赤が滲んだ。黒いインクを上書きするように、俺の血がじくじくと染みこんでいく。それをしばらく眺め、自分の赤から視線を引き剥がした。

 こんなものに構っている暇はない。さっさと部屋に戻って止血をして、血を片付けて雑巾がけだ。俺に難癖をつけるのが大好きなクズどもに血の汚れを見られたら、もっと面倒なことになる。

 身体に走る痛みを理性でもって押し殺し、俺は自室へと急いだ。

 

 

 ***

 

 

「何か焦げ臭えと思ったら、何してんだお前」

「……何や、起きたんか甚爾」

 

 厨から適当にパクってきたマッチを擦り、その辺にあったいらないものにまとめて火を付けた。といってもたいした量ではないし、さっさと燃やしてしまえばバレることもないだろうと思っての火遊びだったのだが、そういえばこいつ犬並みに耳も鼻が良いんだった。俺が諸々を片付けて部屋に戻ったときに隣から寝息が聞こえてきたので油断していた。甚爾は暇でやることがないときはとにかく昼寝をしている。

 西日を浴びてまぶしそうに目を擦る甚爾は、大あくびをしながら廊下に座り込んだ。

 

「わざわざ燃やさなくてもゴミに出しゃいいだろうがよ」

「こういうのは気分や気分。呪いの籠もったもんはお焚きあげするもんやろ」

「……禪院(あいつら)か?」

「いや、実家」

 

 ひとつ、またひとつと火の中に白い封筒を投げ込んでいく。まばらに赤の飛んだ白い紙が火に飲み込まれて黒く染まり、そして消えていった。

 別に、本当に呪いが籠もっているわけではない。だって俺の両親も、親戚だって、相伝の術式どころか呪力ももたずに生まれてきた非術師だ。俺をどうこうするような呪術なんて扱えるわけがない。けれどこれは、俺にとっては確かに「呪い」の手紙だった。

 ざり、と地面を擦る音が聞こえた。火の前でしゃがむ俺の隣に、裸足の足が並ぶ。

 

「……靴くらい履きや、汚れるやろ。火傷するし」

「そんな柔じゃねえよ」

 

 それだけ言って、甚爾は黙った。何も言わないまま、ただそこに突っ立っている。いやここは何か言うところやないんかい、とは思いつつも、今はこの無言がありがたかった。

 たぶんあの脳みそお花畑の両親には、俺を売ったことへの罪悪感なんて欠片もない。そもそも売ったとすら思っていないんだろう。時代錯誤な言い方をするなら「奉公」に出しただけだと思っている。ここで俺が、どんな目に遭っているかも知らずに。

 手紙には自分たちの近況と、ただ俺を案じる言葉が綴られていた。それからいつも必ず添えられているのが。

 

「……話したことあった? 俺、弟がいるんやけど」

 

 最後に見たのは、俺が禪院に売られた日。確か、一歳になるかならないかの頃だった。小さくて、柔らかくて、弱くて、無垢で無知な肉の塊。別に疎む気持ちはなかったし、俺なりに可愛がろうと思っていた。今もそう思っている。血の繋がりのある人間のなかで唯一、俺が憎むに憎めない存在。だってあの赤ん坊には何の罪もない。

 定期的に実家から送られてくる手紙、その内容にはいつも吐き気を覚えた。ついに堪えきれなくなってこうして燃やしている。けれど、毎回同封されている弟の写真までは燃やす気にはなれなかった。それだけは今も、文箱に中に大切にしまってある。

 だんだんと赤子から幼児へと成長し、俺によく似た顔に笑顔を乗せる弟。写真には写らないが、その首には俺と同じ黒い鎖が刻まれている。

 

「すくすくと育ってまぁ……ええんやけど。別に弟に罪はないし、俺と同じ目に遭えとか思わんし。俺を売った金でも俺が稼いだ金でも何でも使て大きくなったらええ。……けど、ホンマに腹立つんよな。弟の写真送りつけて『お前のおかげで弟は元気に育っています』『いずれは高専にも行かせてやりたいですね』って、平気で書きよるクソどもに」

 

 ()()()()()()()()()と、そう言われているようで。

 何で俺だけ頑張らなあかんの。何で俺だけ堪えなあかんの。いっつもどっかから血ィ流して、治ったと思ったらすぐにまた傷つくらされて。見下されて、軽んじられて、こき使われて、それでも生きとるだけマシや思わなあかんのか。

 そんなん絶対納得してやらん。納得してやらんけど、この理不尽を跳ね返すだけの力が、俺にはない。それが何よりも腹立たしかった。

 最後の手紙を火の中に放り込み、幾分か軽くなった心を抱えて立ち上がる。

 

「……やー、やっぱ人間、怒りが一番の原動力やな。借金返し終わったら絶対弟以外皆殺しにせな。それまで頑張るわ」

「……前から思ってたけどお前、借金を踏み倒すって発想はねえんだな」

「借金返し終わるより禪院家滅ぼせるくらい強くなるほうが早かったら踏み倒すけど」

「無理だわ」

「甚爾、オブラートって知っとる?」

 

 わかっている、事実として無理だ。よく俺を使うボンボンどもくらいならまだしも、おとなたちにはまだ敵わない。術式への理解も、体術も、呪力の扱いも、俺はまだまだ未熟すぎる。だから、今は歯を食いしばるしかない。

 最後の手紙が灰に変わりかけたとき、おもむろに甚爾が動いた。止めるまもなく、ぐしゃ、と裸足の足でそれを踏みつける。

 

「うわっまだ熱いやろアホ! 何してんねん!」

「熱くねえよ」

 

 ぐりぐりと踏みにじり、その足を上げたあとには焼けて色の変わった地面があるだけだった。もう火がないことを確認して、甚爾は俺に背を向けて歩き出す。

 足大丈夫か、とその背中に尋ねても、構うなとでも言うように手を振るだけだった。念のために焼けた地面に水をかけて、俺もその背を追う。

 相変わらず、甚爾が何を考えているのかよくわからない。

 

「……望」

 

 足の汚れも気にせずに縁側に上がろうとしたところで、ようやく甚爾は振り向いた。その目には、何の感情も浮かんでいない。

 何、と返せば、甚爾は一度口を開き掛けて躊躇い、改めて口を開く。

 

「……血の臭いすんぞ。またやられたのか」

「ああ、たいしたことない。脇腹の傷はちょっとかゆいけど、血落とした廊下全部雑巾がけしてきたくらいには平気や」

「そうか。……じゃあ、」

 

 一瞬にして怖気だった。今まで相対したどんな術師や呪霊よりも圧倒的な、限りなく純粋な恐怖。反射的に俺の身体は地面を蹴っていた。数メートル後ろに跳んで、身体が勝手に臨戦態勢を取る。ずる、と首のまわりの鎖が動いた。

 そんな俺を見て、く、と甚爾は喉の奥を鳴らす。呪力の欠片もないくせに、その身に迸るほどの()()はいったい何なのだろう。

 愉快そうに口元をゆがめた甚爾は、こき、と首を鳴らした。

 

「軽く身体動かすか。心配すんな、脇腹は外してやるよ」

「うわめっちゃ優しいやん。せやけど相変わらず唐突やな、情緒不安定か?」

「それお前な」

 

 本来生まれ持つはずだった呪力を対価とした、超人的な身体能力。それ故に甚爾は呪力なんかなくたってひたすらに強い。何で蔑まれているのか、何で蔑まれることを受け入れているのか、全くわからないほどには強かった。

 そんな甚爾の「運動」に付き合うのはめちゃくちゃしんどいけれど、正直ありがたい。俺の体術はほとんど甚爾のおかげで磨かれている。

 

「甚爾の動きに慣れたら呪霊とかボンボン(あいつら)の動きトロくさく見えてしゃーないんよなぁ。何であれ避けられへんのやろ、信じられへん」

「は、俺から見ればお前も十分トロくせえよ」

「ははは誰がトロくさいんじゃ今日こそ一本取ったるからなクソゴリラ!!」

「やれるもんならやってみろ貧弱」

 

 甚爾が何を考えているのか、あるいは本当に何も考えていないのか、俺にはわからない。ただ、甚爾といるのは楽しかった。俺の中にある甚爾への黒くて醜い感情のすべてを押し殺すのに苦労することもある。けれどそれを補ってあまりある程度に、甚爾の存在は俺にとって救いだった。

 出来れば、甚爾にとっても俺が気晴らしくらいになっていればいい。

 

「よっわ」

「ほんま、いつか、ぜったい、しばく、……!」

「お前根性だけはあるよな。根性っつーか執念?」

「やられたら千倍にして返すやろ普通」

「真顔のマジトーンやめろ笑う」

 

 くっくっく、と肩を揺らした甚爾は、地面に座り込んだ俺の首根っこをひっつかんだ。そのまま軽く持ち上げられ、うお、と声が出た。とっさに足を踏ん張ると、首元の手が離される。立ち上がらせようとしてくれるのはいいのだが、もうちょい別のやり方をあらへんかなと真剣に思った。まあ甚爾は甚爾なので期待してはいけない。

 一応おおきにと言うと、返事のつもりなのか鼻を鳴らされる。返事するならちゃんとしろやと無言で訴えると、甚爾も無言で見返してきた。

 出会ったばかりの頃はほとんど感情をうつさなかった黒い瞳だが、今は妙に愉快そうな色が見える。

 

「望」

「なん」

「お前、まじで馬鹿な」

「うっわ、アホの甚爾にだけは言われたくない台詞」

 

 ぶっ飛ばすぞ、と返されるより先に井戸に落とされそうになったので、ホンマこいつ人類との接し方をちゃんと学ぶべきやと思う。

 容赦なく俺を投げ落とそうとする甚爾の腕に必死にしがみつき、とにかく叫んだ。

 

「あかんあかんあかんあかん死ぬ井戸は死ぬこの井戸結構深いんやぞホンマ冗談通じひんやっちゃな!!」

「心配すんな、お前は簡単には死なねータイプだよたぶんきっと」

「せめて言い切れや!! いやその信頼いらんけど!!」

 

 こうして俺はしばらく井戸に近寄るのが怖くなり、洗濯をするにも難儀するようになってしまいました。甚爾はホンマ絶対いつか何が何でもドツキ倒そうと思います。

 

 

 ***

 

 

 弱い自分が、我慢ならない。悔しくて悔しくて、ただ腹が立つ。

 だから、強い甚爾が羨ましくて、妬ましくて、___理解できなかった。

 

 そんなに強いのに、どうして、と。

 

 

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